‘ 彼女 ’を試みる

わたしの‘ 彼女 ’の話題を含むブログについては、その前後の関連として( 各日付分・最下段に )ひとつひとつと順にリンクしてあります。これらの順番には後で私自身に拠って削除した欠番等があります( リンク等修整済み )。


彼女(1)- 要素^の充足

私は私自身の苦痛と言うことにした。
まるで立派な長い白い素足に赤いストラップ付きの小さな靴を履いたような、その不似合いな印象だった。
私には薄紫一色の掛け標札が並べられた数のようにお約束がみえる。

私は今日一杯だけ‘ 彼女 ’を飲んだ。それで彼女は先程少しだけタフなもの言いをした。

2016-06-29: 他動と主動
‘ 女性 ’を立てるという論理的行為により、夢見そのものが難しくなる。これでは目的が‘ 彼女 ’だからだ。映像化された夢に於いてはその像を目前に置いてみたり賛辞を述べたりすることだった。

2016-06-28:
体を伸びやかに、活かせる。眼鏡を外したら急に体の背が伸びたような感覚だった。‘ 彼女 ’との混合は既に望みではない。もう秋-波は必要無い。彼女というイメージはもう‘ マン ’のように逞しくなっていた。
単に私自身の中で発達し得る要素を充足するということなら、私は私自身を現実に変えることもできる。

2016-06-26:
未だどうしてか右往左往しているかのようだ。私自身の‘ 内部的結託 ’には見えないタームがあり、その原因は適切に辿られなければいけない。

彼女(2)- 対象と量感
‘ 彼女 ’があったからなのか、昨日ちょっと若いめの男子が不意に寄ってきそうな場面が数回あってびっくりした。
男の子たちグループにも変な気配があったようだ、一々貼り紙を気にしてなにか言う振りがある。これが私が‘ 彼女 ’をつくるということと直に関連しているかどうかは未だわからない。もし私の心理的作業を問題にするのでないなら、一体なにを気にしたのかと彼らに直に聞く方が早い。私のおはなしではその男の子たちに関しては‘ こちらに嫡子をつくればいい ’と言ったのだが、論理的に正しいかどうかはわからない。
フロイトの論稿“ 欲動と欲動運命 ”を読んで言えば、( 例えばサディズムと比較されて、視ることの能動性が視られることの受動性よりも先の段階だと書かれてあるが )‘ アピールする者 ’は必ず観客を必要とするには違いない。“ 視る欲動はその活動のはじまりに当たっては自体性愛的であって、それは確かに一つの対象を有していて、対象として自分の身体が見出されているのである ”。

たとえば前回私は‘ 彼女を飲む ’という言い方をしたが、これは同時に‘ 与える ’ことでもある。私は私自身にサイクルしている。私は昔“ 気を採り入れる ”というのをやってみようとした。あたかも量感のあるものを自身の体に扱うとする。これは次第に身体感覚に‘ 気 ’として感じられるようになる。

私が‘ 彼女 ’を飲むことは一種の行使であるが、‘ 気 ’が身体に感じられるものとなりうるのと同じく、儀式的交換( 交感 )の動機となりうる。
しかし私が前回‘ 彼女目的では夢見が難しくなる ’と書いたのは、これが主に‘ 身体的作業・発現 ’と不可分であるからこれを完全に休息状態に戻すことはすべての休止だ、という条件的推理もある。

2016-07-03:
私がここにいるように、私は再統合できると思う。私はもっと投げやりにならずに、また出来るだろう。
ここには一定の充溢・充足が必要であったと? そうかもしれない。しかし、独り言や束縛自体の環境問題として自身を語るのは楽しくない。

午後夕方、ラシック地下で鉄製の椅子に座って休憩しながら雨上がりまで様子をみていた。おはなしに‘ 1915分 ’と聞いたので私はそこでナボコフのロリータ原著など読む振りをしながらガラス仕切りの向こうに街路の人影などの傘差し比率を見ていた。屋内通路反対側の木製ベンチに婦人ひとりが掛けて少し私の方を視ていたようだ。その人がなんと1915分ぴったりに立ち上がり当然のように街路への階段を上がって行った。私は‘ さては聞いたのかな ’と思ったが、私が目視した処では実際に雨が切れたのは18分だった。

今夜も名城沿いから名駅、広小路で栄町という簡易の通常ルート内で約2時間。両ペダルを漕ぐこの足と夢みとを感覚的一致させよう。もっと実在感を高めなければ、私は死ぬ。若いときのようにある程度自由な先頭速度が必要だけれども。
途中ちょっとまた若返りのときの常でルイかレスタトかと古い映画のことなど連想があり、忘れていた。

きゅうりのひとかじり、食べるときに私は‘ わたしの足がもっと伸びますように ’といった。

彼女(4)- イメージ反復

2016-07-02:
‘ お腹の中心でみる ’とこころみていた。
13:47頃,普通に両目を閉じて寝ていると、ストレートヘアー分けの( 癖の無い )きれいな若い日本女性っぽい顔。

昨日の彼女(3)での‘ 変形印象 ’に関して、私のおはなしの中に心当たりがあった。‘ 館を作れるひとなのに“ 館内 ”と言おうとする ’。私がひしゃげている。

今日の曲は“ 白い恋人たち ”だった。わたしは一度も“ グルノーブルのなんとか ”視ていないが、3才児頃に家のレコード盤で聴いたもののひとつだと思うので、古い好みみたいになにか記憶的に反復したのかな、と。
好みと言えば、私は最近何度か白いスポーツ用アンダーウェアーに浅黒い膚の小柄な女( 黒髪はいつも頭頂近い後ろに束ねられていてややセクシー )のイメージをみた。どうしてか正面向きでなく背姿で、あの少し暗い顔から見返しているような眼の印象であった。私はその度にただイメージとしてみるだけで、それとは一度も向き合うような交接感覚ではなかった。
私は素っ裸を面白がれないのだろうか、楽でスポーティーな乗りの行為が一度も無かったので( 相手は自然に往き来のできるタイプが良い、少年が無理に深入りしようとすると挫折する。私は基本的に快楽であって生殖ではなかった )、こういうイメージは不満の代償であるには違いない。

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視覚的変像

2016-07-01:

夜いつも通りに自転車で名城付近へと回ろうとしたら急にお腹が下ったかのように苦しくなったので引き返した。気温が上がったので冷たい飲み物などの量が増えたのが原因か。便と血のようなものが出た。
取り敢えず再度出られなくもないが、少し体自体が疲れているのかもしれない。毎日出掛ける前に鼻をすっきりとしてからだった。( 一昨夜には名古屋駅前経由で金山かなやままで出て帰った。街路で片道約13kmというと自転車走行ではそれ程のサイクリングではないが )。

そう言えば昨夕図書館の駐輪場に私の自転車を停め置いたのを視たとき、その前カゴの貼り紙が妙に‘ ずんぐりとした ’印象だった。私自身の姿が先にガラス戸かどこかに写っていたのを偶々視たのだろうか。なぜだかあの六面体パズルの視覚的印象がおかしくなった時のように〔cubicページに当時の日記等あり( 現在表示-無 ),下段リンク参照項目またはブログカテゴリ:視覚的印象変化にて 〕私のもっと縦長だった筈のものが低まったかのようにみえた。前回パズルの場合私自身の不安さが原因だと思っていたので、今度のこれは違うのかなとふしぎだった。

六面体と視覚的変像
下段カテゴリー: 視覚的印象(感覚)変化

彼女の痕跡 | 想念的の種 | 青紫の作用

2016-07-05:
私はまた偶々女性の視線と行き合うようになった。いや、それはむしろ同時に起こるものであるかのように、偶然的である。

自分の可能性としての‘ 彼女 ’に外面的に当たろうとすれば私はもっとモンスターにならざるをえないが、無くなる。
( 一昨晩あたりから久々に‘ first lamentation ’というワードがあった。私は一度その綴りを私の帳面に書いたのだろうが、なんの記憶かわからなかった。私はその素性を考えなかった )。
わたしはもっと‘ 循環 ’を試みる。

08:30頃、寝床で突然私の体の上に素早い女性の前後うんどうのような感覚が連続的に2回あった。

2016-07-06:
まったく夢も無かったようだ。ひとつだけ、アルファヴェット文字書体で‘ LOVE ’4文字やや濃淡がかってあった。

最近路上で何度かわたしの背後に急に足爪先タップ動作するような者があった。

2016-07-07:
一瞬、女をみたような印象がある。ある彼女の場面。体が動く場合、身体は意識というよりは素直である。( しかし、未だ彼女自身という点前は無い )。

2017-11-30:
“ スプーン ”は直に収束一致する。

2016-07-13:彼女と玉
‘ 彼女 ’と同時に‘ 透明なガラスの玉 ’みたいなものを私の体の底に持とうとしていた。私が身体に意識をもとうとしているからか、久しぶりにグリーンの色合いがみえた。それは私の全身に広がった。
一度、ある名前を聞いたので復唱したら、私のおなかがふくらんで一気にいっぱいになった。それはそれだけでなんの関与があるとも思われないのだが、私は後で‘ 相手がだれだかわからないのに、想像妊娠してる ’という冗談を思いついた。

2016-07-28:
(2) あれ以来、余り食欲を誘うような散歩犬もいない( ほとんどがお金の掛かっていない見せかけヘアーのようにみえる )。にしき大津通の向こう側で夜のお勤めに来たような格好のひとが私の顔をみるときがあるので今日は私も自然に微笑みかけた。
それよりも私が先刻インターネット席にいたとき、受付係のひとの顔が一瞬違ってみえた。その人はほとんど化粧をしないのだが、私が振り返りみるとそのうつむいて作業しているときの両目が青暗いシャドウのように映ったので、私は急になにがみえたのだろうか?とすぐに振り向いて見るような意気が無かった。私はその前にしばらく受付カウンター傍に腰掛けて本を読もうとしていた。そのあいだにそのひとの受付係の口調が聞こえた。一々その語尾に芝居のような言い回しがあるように思われた。
( 私は一時期そのような図書館等に‘ きちんと“ こんにちは ”を言ってほしい,勝手にさわったり色合いをだしたりしないでほしい ’と感情的に強制しかけたのだが、私自身がかれらに習慣にできなかったし、あるいは張本人だった。結局私にとっての問題だった。私は偽ものみたいに私自身を恐れ、強張り、引いていたので、街でもどこでも二度と‘ 飲みとも ’はできなかった、‘ 夏の浜辺でフレンズを楽しむ ’という、ふるい夢も。
私はこのことに気付くのが遅すぎた。どのみち‘ しんだ夜の ’者は生者には関係できない )。
それは一瞬だけの幻覚のような印象であって、そのひとの顔はたぶん普段通りだった。

2016-07-29:
帰着して朝方両足伸ばして頑張って力まずにいよいよツール化した。昼前12時前に寝床から起きて両足を揃えようとしたら、不意におしりの後ろ( 尾骨に近い )だけを引き立てるようにするときれいに立てるのがわかった。体の懐かしい締まりがある、20代か。従来の大腿ハム主体に緊張しようとするとこれは難しい。

右側の動きやすさ( 移行?):2018-01-09

2016-07-28:
(1) 左足を同調させる・左右対称感覚的に歩いてみる。
〔 そう言えば、先日から‘ 坐骨( 坐滅 )神経痛 ’と言っているものがあったのだが、私は今日ストレッチングに関する資料を読み直してみるまで以前私自身で‘ 梨状筋かもしれない ’などと書いていたのも忘れていた 〕。

一昨夜わたしの髪をカットし直した際、私は風呂場ドアにわたしの髪が散ったのをみて‘ 髪は血液のようなものだ! ’という印象を持った。

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黄色い玉 | 彼女のテクニック

2016-08-04:
‘ 彼女 ’が私の体自体に交替するとすぐに肉質が変わったように感じられた。Pが起こるのはそのときの記憶の反復があるからだろうか、左前腕に意識する度に‘ 彼女 ’はある。

2016-08-05:
夜、ものは‘ 彼女 ’だった。私が右手でふれれば‘ 彼女 ’を愛撫するかのようだった。
(‘ 外界 ’への分裂の危機は、無論‘ 欲 ’のためだった。‘ 絡み ’に向かうようなものには毒がある )。
私は‘ 左腕の彼女 ’を強制的におかしたらどうなるのか、と。しかし、寝床で‘ 今夜はそれはしないで寝て ’と言った。
‘ 彼女 ’にすることは、私自身にその匂いを強化しこの体を占有するという行為だから、犠牲面がある。

夢:
私の足元路上になにか小さな丸い黄色い液体の塊みたいなものがあった。私が私の指を近づけようとするとそれが反応したかのように私の指先に向かってナメクジかなにかの軟体動物のように変形してはその度にくっつこうとしたようにみえる。それは私が私の口から痰のように吐き出した物の一部だった。私から出たそれは完全に丸い玉の形状であたかも水溜まりに浮いた液状物質のようでもあったが、私の視点とともにその路上を前方移動するに連れてその接近する犬などに一々それ自体が逆水滴型に変形してはその触手を伸ばして触れようとしたかにみえた。
私は‘ さてはアメーバ感染したのか ’とその動きに注意して視た。
( 私は先月ゴム製の半透明小カラーボール等のセットを持っていてその最初のメインが黄色2個だった。それらはじきに路上でトラック等に轢かれてしんだ。‘ 前方移動 ’自体に例えば歩行や自転車での路上行動という‘ うんどう ’の要素がある。私は以前から‘ ボール遊び ’には性的行動または通信的な行為の要素があると思っていた )。
今朝私がこのようなイメージを観察できたのは、私がなにも求めなかったからだ。
ほんの2年程前まで、私は夢見や私のファイルまとめのために2週間程もまったく外出無しでも平気だという時間があった。外出するのはアップロードの時だけだ。私は一度もこれを‘ ヒッキー ’などとは言わなかった。そのときの私なら‘ 彼女との交情 ’? きけんと言ったに違いない。

彼女のテクニック

2016-08-12:
いつも‘ うんどう ’時には明晰夢のことを忘れている。しかし、( 今これをメモし始めると私の左手は‘ 彼女 ’の匂いに戻った )あのアニマ的な動きのときから私はこれが意識的には復活し得る( 一体を取り戻せる )という、いつも浅いレヴェルでは不認知で顧みられなかったような‘ 未知の彼女 ’との今の同-在という、新しい次元の課題となった。
‘ 彼女 ’と明晰夢とは一元なのか。これを思うと背筋に寒気を感じたときのような感覚がある。

2016-08-14:
イメージ:
例の‘ 白いスポーツ用アンダーウェアーの女( 彼女(4)2016-07-02: )’に、私は‘ お金が必要なんだ ’と言ったら、意外にも彼女は正面に一礼して‘ じゃあ、探してきます ’と答えてからなんでかその両足にスケート用ブレードを着けているみたいに急に滑走して右端へと消えた。
直後“ コンピューター ”と言ったのが彼女かどうかわからなかったのだが同時に私の腹筋が動いて私自身にそれを発声したかのように緊張した。

‘ 私の両足をもっと( 長く )伸ばしたいんだ ’と言ってみる。すると‘ 彼女 ’は昔私の履いていたダブルXデニムに作業場の薬品が付いたためにそこだけ白い斑点みたいに色落ちしたのを指摘して言ったようだ。‘ 脚のちょうどその点を( 目で見るように )押してみる。2才までに ’。
この‘ 2才までに ’の言い回しは‘ 自身以外の対象( 偶像 )を持たないこと,一体に拠り ’という注意書きの言い方かもしれない。‘ 2才の午後 ’では遅い? 
ひとねむりの後、反対に両足大腿だけが小さくみえる、両上腿が縮んでしまった? 寝方が良くなかったんだ。6面キューブのときのあれ( 視覚的印象がおかしい,-ブログカテゴリ:六面体と現象 )かもしれない。もし夜中に一体があったとしたら状況は変わっていたのでは? 

日曜午後、図書館は5時閉館なので、朝から午後寝の私はまた無理に漕ぐ用にもできなかった。うんどうは名城公園沿いから名駅前、伏見にも気付かないまま広小路・葵の交差点まで行って19号線の小川交差点から青い自転車レーンで桜通・大津通、城北橋Johoku Bridge、ほか。既存ルートで面白味なし。
帰着して少し熱い湯を頭頂から背中にゆっくりと流してみると両足に伝わるのがわかる。もし体に歪みがあればその湯の伝わりが不均等になるのですぐにわかるだろう。

2016-08-15:
もっと両足を伸ばしたい、あたかも私の自由のものであるかのように。私は明晰夢にこれを利用できたら? これは良いアイディアだ。
‘ 彼女 ’に聞いてみた。
‘ もう言いました ’。
‘ えっ? あ、例の斑点の位置? ’
‘ そう。その窪みの2cm上。そこをそうっと、さするの ’。
( 私は私の両膝を並べて両手親指で左右対称に触れながら )‘ こうかな? なんか、あ、違うところを言ってる? ’
私は単数形でもためしてみた。良い。
‘ その4cm奥に本当の問題があるの ’。
‘ えっ?4cm? こっちじゃなくて、この左足の方か ’。

2016-07-24:彼女の実在

ある感情をその本質的にみる・
ある‘ 感情 ’はそのもとに間違ったようにニュアンスの異なる表れとなる。例えば‘ 気にしている ’が‘ 怒っている ’と訳されたり。だからこのような側面に適当なトランスレーションが無ければいけなかったのだろう。
〔 だが、感情的であることは私の試みにとって必要性とは言えなかった。‘ 怒り ’という情感自体が、ある種に因る( また )抵抗値であるかもしれなかった。 〕

湯浴びして体の清潔感といい、‘ 彼女 ’の所在を確認する。左足の力をぬいて楽に溶かそうとすると、不意に滲みだしてくる。どの筋肉をゆるめるか。これがうずくので無理に抑えていたのだろう、歩く度に流れていたら失神してしまう。

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偶然

2017-05-10:
私が六面体パズルを回していると最中( なにか婦人の痛みしかめたような顔というイメージに )‘ 災害が来ている ’というおはなしがあった。その4秒から5秒後,家の西-片側( 居間での私の右 )に突然地震が来たような震動があった。午後11時13分。ニュース画面の表示では震度1だった。
今夜テレビに“ 最後のジェダイ ”初予告画像を視て‘ そう言えば昨日久しぶりにスターウォーズが気になっていたな ’と思ったのだが、これも逆玉か? 私は先週偶然“ ブレードランナー2049 ”初予告画像が放映されたのを視たのでそのハリソン・フォードのふつう顔が印象にあってそれが‘ そろそろ次のスターウォーズのイメージでるかな ’という連想になったのだろう。

2017-07-23:
私は今朝もうひとつの偶然的印象があったのと私のブログ更新後の帰り道で思い至った。
今朝5時まえからの自転車うんどう中の私がK山駅前に通り過ぎるとき雨が降り始めていてちょうどT図書館方向への途中( 流町 )で雨宿りしなければいけなくなった。私はそのまえにN駅方向からSh町-S橋西へと通った。おそらくそのあいだに建物等のひとつの前に薄茶色っぽい砂岩のような表面・噴水オブジェみたいな形状の物があるのを偶々みた。それで連想的にインドの“ リンガ ”のように石のまるみから水が湧きでているというイメージがあったのだろう。しかし、偶然に例のテレビ番組予告( 名古屋の湧き水 )と視たのは私がそのあと帰宅してから偶々だった。私はその時には“ リンガ ”想い出さなかった。
私の予想通り、T公園のその湧水というのはまさにあの地下へのステップ下辺りにあったようだが、私はあの地下のS店内には一度も入らなかったしテレビに市役所職員が案内して映されていたようなガラス越しにみえる堀のような部分を視たような記憶も無かった。( 番組では語られなかったが、その水が常に流れ続けているならそれはどこかへ必然排水されていなければいけない )。

幻像と記憶( まぼろしの出入口 ):2017-03-19

未だにそれら図書館等からも道端で笑った子たちからも連絡が無い。私は全員から素直な謝罪がもらえると思っていた。心当たりのあるひとたちが私のページにアクセスして的確に彼らに現在の私の記録等から情報化できるように取り計らってほしい。私への“ 笑い ”という対応の根源がどこにあったのか、“ 咳払い ”にどんな意味があったのか( 私は単純にその子たちの自意識過剰が原因?と思ったが )報告して今後の私を安心させてほしい。

2017-07-24:
私は今朝の自転車うんどう中にも東大曽根で交差点の向かい側に来ていた若い男子たちの挙動や婦人たちの目線に不審者と思ったので、私は絡まれるまえにとスピードを上げて走り過ぎた。
長年の疑問として、英会話イーオンや富士フィルム関係や鶴舞中央図書館などが私の訴え自体の正しさを認めようとしなかったのが近年私自身への風評被害を更に難しくした遠因になったのでは? もし人々の理解が無いままに私がひとり首吊り自殺させられていたら? 
私はこういう被害者のために常に支援・連絡が必要だと思う。

2017-07-25:
私は夢見の実践に私のうんどうと一致するという点に再度自覚したい。
例の本山交差点から八事交差点までの道路長さを縮尺地図に測り直してみたら、片側3.2km余もある( 平面地図なので上り下り傾斜は計算外 )。実際に走ってみると半分くらいの感覚だが、昨朝・今朝とも私は一周だけして覚王山に戻り,途中また雨が降りだしたので栄バスターミナルで雨宿り,それから笹島までまっすぐ。合計では毎回30kmといった処。以前NHKのチャリダーか別の番組だったか、サイクリングの両足ポジションとして足底の真ん中に近い部分をペダルに着けると言っていたが、私は裸足の足先等を使う癖があったので( 動物が四肢で枝を掴むときのような )土踏まずではぜんぜん踏めないと言いたい。たとえば親指でペンを握らないというような“ おんなのこ ”向けの言い方? 
サドル無しでフルに両足体重漕ぎには馴らしが必要だ。それともペダル等にもクッション巻いて裸足-復活してみるか。

2017-07-26:

今朝、先にあの茶屋が坂_自由ヶ丘のルートを上がったからか、昨夜-風邪が出たからか、本山からの一周にできなかった。名駅前に向かう途中では少し遅い時間だったので出勤・通学の人たちを避けなければいけなかったのだが、なぜだか自転車カゴ前に斜めに傘を出したり真正面に傘先を向けたまま歩道をいく20代くらいの女子が何回もあったので気味が悪かった( その全員がどちらかと言えば華奢な婦人だった。以前一度デブの中年婦人に同じ持ち方を見たことがあった )。
私は不思議だったので不全-代償行為かもしれないと発案してみたが( しかし私は雄としてはライフルは危険扱いされるものだから少なくともホルダーから抜かないか邪魔にならないように片側に添えるようにはしたと思う。昔ならもっと婦人側が警戒したものだろう )、それらが単に不注意な物真似だったとしても“ 擬似的な振り ”と見なされれば社会的-制裁の対象とされる。
最近、自動車道-外側を逆走するのも若い女子が目立つ( 先ず警察ホームページに幾つかの罰金扱いがあるのを知ってほしい,これらに実効が無いのはおかしい )。歩道上にも若い女子の乱暴なすり抜けがあるので、私は更に慎重でなければいけない。

私の今日の‘ 当たり ’は、朝方のうちに‘ 午後2時には快晴がある ’。朝の天気予報では昼間の晴れマークは無かったので私はどうかなと思ったが、午前11時頃には久しぶりにフル日焼けの機会があった。

2017-07-27:
朝、私は起き上がって私の両足-付け根と‘ 夢見の実践 ’とがいつのまにか関連しているのと気付いた。私が立って歩いて私の両足-付け根に感覚があるとそれが意識される。私は( これ以前 )両足伸ばしのために私の両足-付け根をまっすぐに下ろすといってはいたのだが、これが‘ 夢見 ’に関して一致したように思いだされるというのは、私が寝ている最中にか、ある緊張感として私の意と結び付いたということだ。
私は( 前日書いたように )うんどうと夢見とを一致すると記したのだが、この体の特定部分への‘ 伸ばす ’働きかけが直に‘ 夢見 ’と連動するという可能性はユニークだ。

2017-07-28:
夜、その桜通の“ 笑い ”グループが度々いた所を地図上に確認しようとして視ていた処、その南に“ 入江町通本町 ”という表記があった。{ 私は最近また“ 世田谷一家事件 ”に透視しようとしていて、“ 入江IrieAnn ”という名称にもアクセスが必要だと思っていたが、掛かり付けの図書館等-端末ではツイッター・フェイスブックを閲覧できないという障害もあって、私は杏さんのコメントにはご無沙汰だった。 }そのとき居間に“ 世界水泳ブダペスト2017 ”放映-音声があってちょうど“ 入江 ”という選手名が連呼された。
他の人にもシンクロがあったかどうか私は知らないが、こちらページの読者等にもなんらかの偶然はあるだろう( あるいは頻繁に )。私があの邸宅イメージには( 今夕-試みでは )、らせん状か二重巻きの糸に下げられた飾りのようなものが幾つもぶら下がってあるような様子。中国か沖縄の伝統舞踊にあるような笠付きの衣装・化粧の顔。
私は( 事件現場 )室内写真等があれば透視できるというひともあったのだろうと思う。

2017-07-30:
‘ 偶然 ’をから私自身に生かす。
朝うんどう,やる気無し。首・肩の痛みなど両腕への負担が原因か。余り足に障ると寝込むので先に名駅前まで行って雨降りまでのタイミング測ろうと。ある郷愁みたいなものか( 時計忘れたので駅舎正面の黒い針時計に視ようと )、もう無かった。子宮の中に眠ってみているという逆の構図ではないか( 秩父通の歩道でえらく痩せた斑猫ぶちねこが私の横に歩いていた )。

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彼女の沈黙

2018-06-11:
考え方のために休めないでいるうちに朝、私の両目ノイズになにかあかるい光の残像みたいに暗い筆記体“ v ”字のような形がみえた。それはあたかも直接の残像みたいだった。私は見入ろうとしたが、わからなかった。私は私の身体感覚的に両足へと私の集中点を移動させてみた。同時に両目ノイズに微かな動きがあった。
私が敢えて私の頭から上半身へと“ 彼女 ”のスタイルを感覚的復活しかけたとき、一瞬だけあの薄白っぽい四角に似てはいたが今度の横長-長方形は縦2辺だけが同角度に斜めで、それ自体が私の真ん中ではなく左側よりにみえたのは“ 彼女 ”の優勢な側としての表れだからだろうと思われた。このような幾何学的イメージの類いにもひとつひとつ解釈-説明付けは可能だというのが私の見方だ。

午後,寝床に起きた瞬間の私に私自身‘ オケダコウシロウ先生 ’と自動的に言いだした。

夕方ひとり歩きに出て、久しぶりに( ちょうどK区-N区の境い目 )S医療センター付近のKD町を歩いてみた。何度か昔の小さな郵便局を目印にアパートの在ったところを探そうとしたのだが、45年よりもまえの光景で( 路面は未舗装,電柱等は木製だった )、郵便ポストも見当たらなかった。しんとして歩き易い午後だったが、反対方向に歩いてきた婦人2人のひとりが会話中になにか猿のような笑い声を発した。それら突然の笑いはいつも私の背中を凍らせる。
私は小さな児童遊具のスペースに見覚えがあった。だが、それは幼児からの直接記憶ではない( わたしの記憶ではその一方のすぐ側に団地のような建物がみえたので、それは現在医療センター東側の別の公園だったのだろう )。その周囲の様子を除けば、金属製の低いガードとそこから上にはみ出したような樹木等が、一度わたしの夢の場面のように視た、その同じ形のようにみえる。( その夢-イメージのときには私はK区内での別の住宅地であるかのようにみたのだが、その辺りの児童遊具スペース自体からの場所的な印象ではなかったので、あたかも合成されたかのようなイメージだった )。
その夜のような場面では私が樹木のひとつに見上げるとその緑の部分に例の“ 暗さ ”のようななにかが遇ってそれがこちらに迫るように感じられるという、一時期の印象だった( ここでは当時の私の正確な言い回しを憶い出せないが、ちょうど自覚夢の記録a( 再収録 )にその一例からの参照メモ段落がある, :2010-11-07

2018-06-12:
朝,認知言語学に関する読書メモ、捗らない。それでも両目-粒子状-視界に瞑想あとには“ オケダ-コウシロウ先生 ”と自動的に言いだした。このところ私自身に‘ 感情的反応 ’という慣習を解消しようと試みているのがこうをそうしているのか。

‘ 夢 ’意とを条件点けるには、やはり能動的な作意のやり方が必須だろう。心理的には前述のような“ 彼女 ”を再利用するという( その象徴自体よりも象徴以前のものと誘導する )方法もあるが、これはイメージングの領域である。
私はいつなんどきを選ぶこと無く‘ 夢だ! ’とリアルに言うための特訓がいる( 私の手にツールを持って私自身の脚につきさす? )。

六面体キューブに際して一手に同時に幾つかの対応するピースどうしをみれるかどうか( 無論これをいっぺんにやれるひとが素早いキューバーなのだろう ),しかし理想的にみれば“ 六面が揃った ”という言い方は無い。

昨晩久しぶりに“ キャッミーフーユーキャン ”観ていてクリストファーウォーケン演じた父親役が昔もう少し優しげなイメージだったのに案外卑怯な態度だったので、その息子がその悔し紛れを代弁したかのような振りをお金と言ったのなら不幸なお話だなと思った。いつだったか、私は“ つるまない図書館 ”2階インターネット席で資料をみていると不意に少年少女グループが我が物顔でその間を歩き回ろうとした。去年一時期の北図書館や東図書館と違い、そこには子どもたちが荒らしに来るようなことは先ず無かった。( どうしてかその区域2館のインターネット端末等はJimdoポータルに繋がらなくなっていた。一度その東の方の端末に若い女性客がいてUSBかなにか差して使おうとしたのを係員から止められたことがあったが( 基本的にそれら図書館等のIT端末はウェブを介してのデータ視認以外できない設定である )、実際にはそれ以前から次第にこれのアクセスが困難になりかけていたので、直接原因は他にある。
私という人を路上につきたおそうとするような、女子の連れ歩き笑い、少年たちの空買い言葉、悪い態度の多い東-大曽根-地域だったという事情も遇ったので、私は北-東以外の図書館等に通い去るを得なかった。 )
私は更に防音性の高い耳栓を使うというだけで、私は私の私生活への問題自身を‘ 夢見の実践 ’原理とはみなさない。

2018-06-14:
彼女の匂いと共同しているが、私からは扱わない( このしんなりとした状態を受容-肯定するということは、言わば“ 半成り ”である。そう言えば私は昔“ ハンナリした ”という言い回しを語義も無いままに言ったりしていたが、これは古語ではない )。
特に‘ 両足伸ばし ’という要請としてはこの身体自体の意識である方が楽だ。この‘ 身体 ’はおそらく夢見の領域と直結している。もし私がこれを夢見の牽引役だと認めるなら、私はこれを‘ 擬-身 ’として利用できなければいけない。しかし、昨年までに‘ 身体的協調 ’という意味でのこれには論が既にあった( ブログカテゴリ: 彼女,それ以降 )。

昨夕なぜだか家の傍に少女や少年らが声を上げていた。私が書いた直後むしろそれらが増幅するというのはこれまでにも度々のことだったが、無意味だった。私は外的現象という論理ではないので他人に自身を投影するような意図は無い。彼らが私に言い掛かるとすれば、彼らはむしろ不自由ではないか? 
私には彼らのような表現は‘ 見えないレヴェル ’だ。彼らがなにかを口写しにしていたのだとしても、私からは不可視で、私がその論理として読み取るということは不可能だ。
( 若し私がCカスタネダのあれのような呪術的レヴェルを執るにしても、どのみち‘ 夢見の実践 ’以外は在り得ない。 )

2018-06-16:
彼女が“ 夢 ”そのものと矛盾しない、むしろ私のイメージングとして具現的に作られるものと同義とみなされれば、彼女が存在するような状態上では( これ自体として身体的に保持されている以上は )‘ 夢見 ’は起こらない。実際、私の昨年9月頃の‘ 夢見 ’は自転車うんどう強化中というよりはその一旦終了時に拠り、私の単独‘ 夢見 ’セットアップが可能だった時期だ。
( 私は私のレヴェルではいっぺんも‘ 夢見 ’について共同作業していない。私は路上職質の巡査たちが私を呼び止める度に毎回サドル無しや私の両腕両肩に関してはまるで同一コピーされたような口調でなにか言うのに、私の両大腿に関しては一回も‘ 伸ばします ’とは言わなかった。おそらく、腰幅の広い体型だと一々言われたくないという場合と同じだった。
或いは私の両足を短くしたい側が路上のかれらに逆-作用しているのだろうか? 私はすらりとした体形がいい、男性象徴が惜しいというわけではないので切除してでも私の両足の方を先ず10cm伸ばしたい。 )
しかし、彼女由来の強化うんどうに代えてこれを夢見に転用する。
- 私の右側と両足を夢見に同調させる。


Kohshiroh Okeda 2016-2017