イメージノート

31,12-1992 (1992年12月31日)

大晦日だ。まだそれをみてから一時間と経っていない。目撃時間は午後10時40分前後。場所は上飯田町から矢田川の三階橋へと向かう通りの、黒川にかかる橋の上だ。空は快晴で、雲ひとつない。空気が澄んでいるせいか、星の光が美しくみえた。買い物を終えて自宅に帰る途中だった。ときおり星空を見上げつつ、僕はゆっくりと歩いていた。橋に差しかかったとき、ちょうど頭の真上に光を感じたので、自然、視線がそちらに引きつけられた。潰れた団子のような形の白い光が、僕の進行方向に音もなく走った。はっとして見た瞬間、そいつはものすごい速度で遠ざかり、途中で黒い空にフェードアウトするように、すうっと消えてしまった。実際に見ていたのはほんの一秒から一秒半くらいの間だったろう。大きさは腕をまっすぐに上げて見たときの親指の先くらいはあった。しかも光自体にかなりはっきりした輪郭があり、左右に揺れることなく直進していったので、一瞬、小型の飛行機か何かが低空飛行しているのかと思った。その明るさは月よりも若干明るい程度だったので、もし僕が下を向いて歩いていたなら、きっと気付かなかったことだろう。
 しかし、僕はその変なものを見たということを簡単には信じられなかったので、ひょっとすると何かの具合で周囲の電線などに車のライトが反射したのかもしれないと疑った。事実、光がみえたちょうどそのとき、車道を何台かの車たちが通り過ぎていた。そこで、( 僕は )橋の手前まで引き返して、もう一度、繰り返してみようと考えた。車のライトがあんな風に頭上に反射してみえるはずは無いのだが、確かめずにはいられなかった。まったく同じところを選んで橋を渡ってみたが、やはりなにもみえなかった。
 隕石である可能性。確かに、大気圏に突入する物体は摩擦熱で燃えあがり、光を発する。だが、古い人工衛星にしろ流星にしろ、落ちるときには必ず炎の尾を引く。僕の見たものに尻尾など付いてはいなかった。それに無音だった。

[ この2、3日後にも、同じような状況で同様の光を見た。場所は中区栄町から南へ少し下った矢場町の高架線下にピラミッド型のオブジェがみえるところ。時刻は記憶していないが、たぶん午後11時前後だったろう。友人と一緒に来ていたのだが、光をみたときにはちょうど傍に誰もいなかった。やはり僕が視線を向けた途端に、光はものすごいスピードで消え去った ]。

20,05-1994 (1994年5月20日)

何度か“ 気 ”を感じるためのトレーニングを繰り返してみて、良い手応えがあったので、心を落ち着けて次の段階である“ 小周天 ”の初歩実践に入ることにした。

ウォーミングアップ・エクササイズ〔 省略 〕、片方の手からもう一方の手へと回してみる。背中へもってきたときに少し抵抗感があったが、腕から腕へと一周させることができた。腕に通した場合の感じは温かい流れのようだが、腕に回した場合は、どうしてかそれが“ だるさをともなうしびれ ”と感じられた。
 再び腕から背中へと気を回す。背中の中央に独特の圧迫感が生じてきて、そこに集中している。それからまた足から上に誘導してみると、奥のほうにも何かが動くような感じがあって、性器と肛門の間の辺りに高まりとなった。そこに集中したようで、まったく肉体的な刺激が無いにも関わらず、ペニスが急速に勃起しはじめた。まるで、ペニスの底で熱気が震えているような感じだ。射精時のそれに似た“ 快感 ”がある。ぐっと引き締めて肛門のほうへ集中し、イメージングで一点を誘導した。うまくいった。ペニスの高まりはじきにおさまり、圧力と快感が股間を伝って尾てい骨に移った。そのまま背骨に沿って引き上げようとするが、ここにも抵抗がある。へその反対側あたりで流れが止められたようで、同時に先程の背中の圧迫感もつづいている。呼吸がいつのまにか自然に楽になっている。下腹に力をこめる余り、脇腹の筋肉まで緊張していた。下だけを引きつける。息を吸いながら締め、吐きながらゆるめる、これを繰り返しているうちに背中の熱感と圧力がましてきた。それが断続的に背筋から首筋へと上がってくる。後頭部では皮膚に微かな電気の震えのようなものを感じただけだったが、じきに頭頂のほうへ圧力が回ってくるのを感じ、意識を集中してそのポイントへ誘導した。頭の天辺のやや前方、少し右寄りだが脳の表面を指先で押さえられているような、むずがゆいとも痛いとも形容しようのない圧力を感じる。これも背筋を上昇する感覚とともに以前の性的行為で体験したものだ。
 次に眉間へと導かなければならないのだが、圧力はなかなか消えない。ひたすら額の前面へと意識を集中した。しばらくすると眉間に圧迫を覚えた。そして鼻の先、上唇、喉を伝って胸元へとそれを下ろしていこうとしたが、途中で何度か見失いそうになり、数個のかたまりに分けて順々に腹のほうへ向かわせた。そのうちのひとつは回転しながら泳ぐ小さな流体のようで、上腹の表面を苦もなくすうっと滑り落ちていった。
[“ 途中で何度か見失いそうになり、数個の塊に分けて順々に腹のほうへ向かわせた ”ということが、( 以下にも述べられてあるように )これ自体を一致的にすることの難しさをすでに予言していたようだ。ここで強制したことが“ 問題 ”の原因だったのか ]。

途中、例によって様々な妄想や妄念に悩まされたが、概して気分は落ち着いたまま、心は平静そのものだった。殊に尾てい骨に止めたときには心身の内側に平穏な虚無がおとずれたかのようだった。初回の“ 小周天 ”トレーニングは曲がりなりにも一応成功したようだ。

19,02-2005 (2005年2月19日)

一昨日、石膏で面白い立体作品ができないかと思ってイメージを焦点してみた時に、白い箱型の上に布を被せられたように横たわる人型が一体化しかかった様な、( 箱から浮上しかかった様な )艶かしい形が浮かんだ。

3,03-2005 (2005年3月3日)

私は、日本の古典文学に含まれる奇現象みたいな話について、現象としてみていて、家での鼠のことを思い出した。何年前かはっきりとしないが、ある晩、私は床についてから、うとうとしたか、いったん眠りから上がりかけた時に、天井裏の鼠の駆ける音が聞こえたので、そこで私は、ぱっと両目を開いて天井のあたりをみた。すると、すぐにその足音が止まった。それで、私が目を閉じて、再び眠ろうとすると、また“ トトトト…… ”と小刻みな足音がする。私はまたぱっと目を開けてみた。すると、まったく私の目蓋以外どこも動かしていないのに、この目蓋を開くたびにまるでその鼠が私の気配を感じているとでもいうかのように、その足音がぴたっと止まるのだ。

4,04-2006 (2006年4月4日)

( 私が見たヴィジョンについて語ること )。昨夜見えたのは雪景色だった。
岩肌がところどころにのぞいている白い山が大きく立っており、視点のすぐ近くの両側に木々がある、雪の坂道のようだった。それは日中だった。私の“ お話 ”の中では、それはある女性の体験の一部で、彼女によれば、森に影がいて、それがぱっと動いた様がまるで無気味な影人間のごとく見えたのだそうだ。それは“女の影 ”のようだが、実はその場にいた男の人で、彼女はおそらく“ 見えなく ”してしまった。私が感覚できないのは、この点だ。

2,08-2006 (2006年8月2日)

[ 夕方前の作業場で、私が何人かの中にいて、ある説明を聞いていた際に ]、
その話の内容とは全く関係のない、ケーキの映像が、夢のように浮かんだ。ロウソクが一本、その真ん中に立っていて、火が灯っていた。
[ 私は、ある作業についての説明を聞く必要があったので ]、
とっさにそのイメージに働きかけるようにして、私の手の平でその炎を消そうとすると、そこで線香に変わってしまった。

15,12-2006 (2006年12月15日)

[ 街では、色々に看板や標識があるかも知れないが、私の眼に映るものがすべて“ 読める ”わけはない、それらは標識だ。ある交差点の角で、街頭スタンドで新聞か何かをもらっても、私がそこに文字の記されたものを読むように“ 読もう ”とすれば、夢の記憶みたいに“ ここ ”にありながら、それらは定かにならない ]。

街頭スタンドに向かい「( 明晰夢の関連で )きょうは何か無いかね? 」と私が訊ねると、新聞束を出された。「 これ、ゴミじゃないかよ 」と私は少々うんざりしたような調子につぶやいた( 面倒臭い )。その新聞束などの下に、封筒大くらいの、オレンジ色に光るものがある。( どうすればいいんだろう? )私は情報を読みとろうと試みたが、それは一瞬“ バシッ ”と電気ショックのようなものを発して、そこから猫みたいにぴゅーっと飛び去ってしまった。
 通りをみようとすると、歩道を歩いているバギーパンツ姿の太った女の子、これは私の客観イメージみたい。それから“ 8月にオンリーさん一人いた ”などという話、そこで私から情報交換を呼びかけてみたら、何かが「 クラブの名刺と違うよね 」などと云々する。それから、“ ハイテックス ”とかいうものを食べてしまった人の体内の残留物についての話。

9,01-2007 (2007年1月9日)

丸の表面に左右非対称のゼブラの縞紋様の“ 顔 ”みたようなもの。私はそこにオウム貝の殻の紋様を連想する。その水中生物か何かのように形を変えながら“ 寄生 ”するものに対する私の不安、私から追い出そうと促してみるが、それは入りこんでいる。( それは病気を食べに来たんだ )と誰かが言う。ぼくは( それなら )と、ぼくが“ ゴキブリ ”と呼んでいる心臓あたりのあの黒い粒々のイメージをそれに食べさせる。

19,04-2007 (2007年4月19日)

[ 私の下腹部から自動的に“ お話 ”を流して聴いていた際に、視覚的にさっとよぎるように“ みえた ”あの黒い影( 赤い眼? )とこの件とは関係あるかも知れない ]。
 私は突然、部屋の一部の、がたがたと揺れたような振動を感じて、その“ 黒いもの ”がまるで横になっている私の体に“ 戻った ”かのごとく、重みとなって、初期の“ 体外離脱 ”の頃によく感じていた金縛りの場合のように、右の脇腹に痛みを感じた。
 私は、以前ある女性が“ 黒い男の人 ”について云っていたことがあったのを思い出した。もしその“ 影 ”に対して私がそれを私の深層からの“ 無意識の分裂 ”だとみなすなら、悪魔的とも思えるが私の実験は可能だろう。その以前か、以後か、鼠が部屋の中に入り込むせいだと私は思ったが、私の使用している室内への階段を上り下りする“ トコトコ ”という小さなものの音がした。そこで私が目を閉じていると、赤い水( またはガラス )のような光が見えて、映画『( モスマン )プロフェシー 』の画の一部を私は連想した。〔 この映画には突如どっきりさせるような絵があったので、私は好きではない。私がこの映画のビデオを観たのは“モスマン現象”への関心からだったので、面白いお話も無かった 〕。
[ この当時、私は心理的な見方をしていたので、“ ジャージー・デビル ”“ モスマン現象 ”などに都市伝説的に見ようとした訳ではないし、いわゆる“ 第3の超自然現象 ”といったような言い方に対しても支持していない ]。
 突然、私の心拍が変になるのを、私の幼児期の何かの問題だろうかと思って、私が思い出そうとしたからかも知れない。

[ 以上の事とよく似た印象が、私にもう一度あったのが、2008年頃。( 私が携帯電話端末から書きこんでいた当時の私の簡易ブログに記したのだが、それらは回線解約時に消えてしまった )。そのときには、何かイメージのように、シルエットのように仏像( 座像 )みたいな形のものが回転するかのごとく、くるくると回りながら、寝ている私のお腹に入った。それは生き物のような感じではなかったが、私は仏教派ではないし、なんなのかわからない ]。

24,06-2007 (2007年6月24日)

例の新聞スタンドのところで、「 何か話題あるか? 明晰夢関連のニュースは? 」と私は訊ねた。“ 新聞 ”の量が、以前よりもかなり減っている。そこに、急に食パンみたいにふくれ上がって立ち昇る、赤く脈動するものがある。いま一度、無理にでも何か情報を得ようと思い、私のポケットから現金を出そうとすると、上等そうなシルバーコインが一枚、大きい。ところが、それは飛ぶというよりは、吸い込まれるように去っていった。
[ この後も、私は何度かその新聞スタンドを焦点にして見ようと思ったのだが、そこはもう空っぽで、そのスタンドの主人も居なくなっていた ]。

2,07-2007 (2007年7月2日)

起きぬけに、TVモニターに向けて私の腕の指をまっすぐに伸ばしたら、何の偶然か一瞬、まるで電磁波の影響を受けたかのように、そのモニターの画面に変な色ムラ( 斑 )があった。

13,07-2007 (2007年7月13日)

横に重なった3つの菱形の光が左側にあった。そのうちの真ん中の白っぽい部分が光を増したようなので、こちら( 私 )から軍隊の信号機みたいに“ パシャパシャ ”シグナル的に送ってみたら、向こうが赤くなったので、次にこちら( 私 )から青い光に変えてみたら、それらは消えてしまった。

17,07-2007 (2007年7月17日)

( 私自身、なかなか明晰夢への睡眠ができないので、“窓”を開いたまま睡眠状態に入る試みをしてみよう )。
夢:街の通りに屋台があるような様子で、何人もいた。私が眺めていると、その人々の背後に奇妙な両眼( 白目に黒い縦の太線みたいな )の無表情の男がいて、こちらにじっと向いている。
[ 明晰夢ではない。私が思うに、その奇妙な眼は、人間ではない( その“瞳”は、あたかもその体の正面に黒い線が2本ある芋虫の腹みたいな“もとの姿”から、人の顔みたようにイメージされたものなのだとも思える )、基本的に違う何かの“ 生物 ”みたようだ。私はそのイメージに対して、以前みた、あの縞柄の“ 魚 ”を送ってみようとしたが、私自身がそれらを危険視したせいか、途端に“魚”は暗闇の中で青い“電撃”を浴びた ]。

1,12-2007 (2007年12月1日)

ここ何日( 何晩 )か、突発的に物を打ち壊したいと思うような、あの懐かしい“ 衝動 ”がある。奇妙な“ 徴候 ”は、先週の日曜日にあった。夜、私は人の気配の無い市バスに乗っていた。私は帰るところだった。私はひとりバス停に降りて振り返った。発車しかけたそのバスの中を突然バタバタと駆けるような影の動きのようなものがみえた( 私がその車内にいた間に私の背後に誰かが乗っていたかどうかも私には判らなかったが、ちょうど私がそのバスのドア側へと振り返った一瞬だったので、私はその動きのようなものを当然そこにいた乗客の何かだろうと想う以外に無かった )。私はその一瞬‘ それまで私の後ろに掛けていた客が降りるはずのところを下りそこなって慌てたのだろうか ’と見たが、誰も降りては来なかった。
 このような奇妙な印象に関して私は他の誰かと同時に話をするような機会も無かったので、私は後でこれを日記に付ける際に‘ そのとき車体のドアの閉まるのを“影の動き”みたいに見間違いしたのかも知れない ’と想おうとした。以前私の寝室の部分が激しく揺れたと感じた時にも、私はそれが物理的現象だったのかどうかを確認できなかった。

26,02-2010 (2010年2月26日)

私は意図的に金縛りを起すことはできるか。鼻から匂いを嗅ぐときのように、私の胸を楽にしてみる。例のポーンという“音”が私の頭の中に起きて、急に大きくなる。それだけになるのではないかと私は不安になって、つい守ろうとしてしまうのかも知れない。
( 私の“顔面”をやめるように私自身のイメージをやめる必要がある )。

5,03-2010 (2010年3月5日)

私の“ もれ ”を統制する。先ほどまで私はブツブツ言いながら私の日記に打ち込みつつ消していたら、3日ほど左の目蓋にはれが出ていたのが、“ 異常 ”が消えたように全体に楽になっている。〔 当時,私は‘ 誰かが死んでその記憶が私の側から解放されたのかも知れない ’とさえ思っていた。〕 2月、顔つきが変わる人たちがいたりすると、私の目に写るそれらは何かの“ 影響 ”ではないかと思える場合がある。ただ、私からはその原因について、はっきりと見分けられないので、それらが物理的現象なのかそれぞれの心身の状況なのか、実際に何かの影響なのか、判らない。

2,04-2010 (2010年4月2日)

( セックスの夢は実際的に、妄想( 仮想 )でなく、それ自体としての体験であるほうがいい。背中の熱自身。身体的感覚が高まったときに私の“ 体外離脱”を試みようとしたが、できなかった )。
 私がこの体の腰の両横のあたりを意識すると“ 室内 ”にふしぎな音が発生する。面白い。

4,06-2010 (2010年4月6日)

( 私は焦点をシフトする、3段階くらい。私が現在点にアップすると、通りが良くなったかのように、私の意識的になる。私には観念的に身体と結びついたある意識だという見方もあるが、外観的問題を一切考慮することなく、その感覚において見る )。

寝ていて、この体を横にしていたときに、またどういうわけか何かが私の体のなかに、生き物か、かたまりのように急に‘ ストン ’と入ってきた。かなしばりというよりは肌に微かな振動を感じて私の体自体が動かない場合のように、リラックスしていたのだろう。ただ、今回は、もっと静かに鎮まっていた。その“ かたまり ”はその重さを持った丸い球みたいな感覚だった。これ以前の“黒い影 ”にはあたかも一瞬の視覚的印象のようだだっただけで、この体に来た物理的感覚のような感覚などはいっぺんも伴ってはいなかった。


‘ 体外の意識 ’?

3,11-2011 (2011年11月3日)

今日は私の体があった。昨日の朝早い時間に、寝床にいるうちに私の体の外のところに意識があるかのようだった。それはそれ自体の小さな点のようにあった、私の体の外のあるところからあるところに移った。
 私が外観的な“ 特徴 ”を完全にやめるとき、復活することができる。その私の肉体の左側は右側に比べて固まったかのように何年も躍動していなかったが、今日は神経が通じているかのように左側にも感覚があり、特に脚と脇腹が生きている。一日、私の体の左側は復活しているようだ。私は朝のうちにその感覚を何とか私の背筋に集中させて例の‘ 私の背中を上がってきた熱のような感じ ’にしてみようと思ったが、どうしても“ 特徴的考慮が完全に止んでいる状態 ”でしか起こらないのか、そのときの私には出来なかった。
[ そう言えば私は作業中に時折パソコンモニターを見ている私の視界の一方から一方へと横切るように動く小さな影みたいなものを見ることがあった。私はそれが見えるときの心理的な作業にともなう一定の条件があるのだと思っていた。昨日のそれはいつものそれと違った、右側から左側へと動いたようだった。それこそ実は本質なのかも知れない ]。

10,11-2011 (2011年11月10日)

昨日まで、PCモニターに向かって私が文章などを入力したり見たりする作業をしていたとき、その視界の中に何か小さな影みたいなものが素早くよぎるように動いて消えたのを私は何度も見た。それは、たいてい私が文書を読み直したりしながらそれを修理していた最中に何か一定の心理的条件があって表れたものに違いない。私はいま私の本質と私の本質にとってのそれを見ようとしている。

14,11-2011 (2011年11月14日)

「 私の体の外側のどこかに“ 悪意 ”がある 」と私はまた感じた。それは歪んだ縞のようなものだった、形があったわけではない。私がこの11月中の初め頃から書いていた「 あたかも私の視界の中に虫か何かのように素早く動いた影 」みたいなものが、寝床にいた私の体の外にあるかのようだった。


‘ 気配 ’と‘ 黒い影 ’

10,10-2012 (2012年10月10日)

昨晩私は居間にいつものように親父さんの向かいに坐っていたが、突然その父の左側にもうひとりの“父親”がいるかのような( 眼には見えない )印象が起こった。それは一瞬だったが、私はそれは本来私自身だったはずのある“ 印象 ”と思った。そんな風にすべてに対して私のある想像が投射されていたのだとすれば、私はいっぺんも人をしらなかった。
 2重の“印象”が私からの向かって左側にいた点には、私が昨日中に書いたこと( 私の左半身への問題 )が解放されつつあるということかもしれない。それは私の対象としての“ 父親 ”となにか関係あっただろうか? それ自身が私の左半身の通りの悪さの原因だったか?
 そういえば、ここ何日かの間に、私はひとりでいたときに室内などでふと私のそばに黒い影みたいなものが一瞬よぎったようにみえたり雰囲気的にいるような気がしたが、それも私自身の左側に近かった。私はそのような“ 影 ”についても以前に何度か日記等に書いたように、私自身の影だとみなしていた。一度私が寝床にいてお腹の底から自動的に声に出して“語って”いたときにみえた素早い黒い“影”は視界の右側に動いた。あたかもそれは私が室内に両眼を開いてみていた最中に起こったもののようで、私は一瞬そこに“赤く光る目”があったかのように想った。私はそれは私の写し身のない( 言い様のなかった )“影”そのものだった場合かもしれないと思う。

1,07-2013 (2013年7月1日)

体の肌から少し汗ばむ程の気温の中で豆電球の灯りで掌をみたときに、また例の“ キルリアン写真 ”放散されたようなものが私の指先等にみえることに私は意外だった。これらが疑似( 視覚的 )身体感覚のものだとすれば、これらは一種の幻覚であり、物理的には空間になにも無いから意図的に作り出されたもの( 私の以前書いたように、この身体の伸縮の可能性 )だとしても、私の意識との共同作業にならない場合だと私は思う。これらは夢( 願望 )と同じようにあるイメージとしてそこに有り得るもので、あるグルジェフのセリフには“ 体から離れたところにあるそれを写真に撮ることもできる ”といった“ アストラル・プロジェクション ”に関する言い方もあったようだが、私は体験というものはどうしても一人称だけだと想うので、それは“ そこにみえるものは記憶の残像( ピクチャー )の投射 ”という意味合いだと思う。
これらが基本的に夢と同等のものなら、記録の断片・合成のようなイメージを目の前の空間にあるようにみれるかもしれない。でも、私にとっては必ずしも記憶の残像自体を確かめる目的ではないので、‘ ここにある ’できればいい。


物音

2,11-- 3,11-2013 (2013年11月2日,11月3日)

11月2日( 02:03 ),私はそのとき寝床にいた。“ 瓦の上に大きなものがいる ”というお話があった。なんのことだろう? その一瞬、私の真上の天井辺りからバチッと小さな単音があった。それからすぐに不規則な間隔でそれと同じ音が2回あった。私はそれらの“ タイミング ”を意識的に見ることができなかった。

11月3日( 今日 ),家の台所で、私の視界の隅に一瞬( それは揺れ動いたりしないでまっすぐ物陰に隠れるようにいなくなった )、いつものゴキブリとは違った薄白い残像みたいに消えたものが時々に2回あった。それは妙にゆっくりとした“ 隠れ方 ”でありながら姿ないものみたいだった。なにか異なるもののようだった。

追加挿入: 13,11-2013 ( 2013年11月13日 )

私は夜中にあの物音の状況を再現してみようとした。身体と私の意識とが残されたようにあの“ 体外離脱的体験 ”まえによくあったこの頭の中の振動と両耳またはこの一方の耳の奥に来るような感覚が何度かあった( しかし私の身体自体が休まらなかった所為かそれは発生しなかった )。私自身にしんとしていようとすると、ヴォリュームつまみをミニマムに回したかのように、急に内輪の“ お話 ”は消える。私はコントロールできるのだ。

23,12-2013 (2013年12月23日)

 昨日から、私にある何かのワードがあったのを私が気にしてそれ呟いてみたりすると、それがその1秒〜5秒程後のテレビ音声のある特定の語などだった。私はそれらは不特定のワーズであって繰り返しCMなどへの私の記憶ではないと思う。しかし、私にはそれらが時間的にずれているのはおかしい。

25,12-2013 (2013年12月25日)

今日も、また少し奇妙な“ 音 ”があった。私は前の夜中に例のように私の作業をしていた。その後私は午後3時にまだ寝床にいた。( 私の頭の中でなにか小さな音があったかのように )携帯電話カメラの疑似シャッター音のようなカシャッという微かな音が少しのあいだに2回程あった。15時頃に私はその寝床から起き出た。それから私はすぐに地域の北図書館の情報検索用インターネット端末1台( ラップトップ型パソコン )で調べものをしていた。そこはほんのわずかに1階フロア分だけで、老人や子ども連れの婦人が来る。私は端末を覗いているあいだに、あの“ 音 ”に非常によく似た微かな携帯電話カメラの疑似シャッター音のような音を聞いた。日常的にそのフロアの受付カウンターの近くで誰かがなにかを撮影していたのか、人の手で行なわれたようなそのような物音が起こることはそこでもよくあるのだが( 他の図書館でも誰かがそこで勝手に書面などを撮影し始める場合があった )、その瞬間あったのは私が先に起き出る前にあったあの音の“ 感覚 ”そのものと想われた。それらは以前にそこで何度かあった誰かの撮影用の音などとは違い、微かな( それ自体2つに割れたような )響きだった。その後すぐに、私のみていたインターネット端末の隣の蔵書用検索端末の前に誰かが来てその端末でなにかみていた。( 私はモニター画面に向かっていたので人の姿もみなかったが )彼が近づいた時に、ずっと洗われていないもののような臭いがあった。
 もう一度先のそれよりも近くに( その端末前の者のなにかからあったように )“ 音 ”があった。それはカメラの擬似的シャッター音というよりは、なにかその場にある乾いた薄いプラスティック製の袋を急に手で押し縮めたといったような“ 音 ”だった。私にはまるでそれらの“ 物音 ”の順序が逆だったように思えた。

13,04-2014 (2014年4月13日)

 私が以前これらの日記のどこかに記したように、私は最近も例えばテレビを半分眺めているような時にあるワードを呟いたりしたのがそのテレビ放送の数秒後の音声内容だったりという事がよくある。それで私は毎度それがすでにその直前( 私が口に出してそのワードを言った瞬間 )に発生していたのに外部からの情報としてのそれらは常にその発生時点から少し遅れて私の脳の回路に届いているのでは、と想ったりもする。

12,01-2014 (2014年1月12日)

1月12日・午前2時45分:数分前に玄関チャイムの音があったので目が覚めた。私はちょうどある夢の直後だった。
 ホテルの宴会場のようなところでごちそうがあった。皿に大きな魚の頭のような物がいくつか、そのひとつの口の中を開いてみたら、そこから大きな豆類のような物が出てきた。その傍にひとり男が立ったまま何もしないで黙ってこちらをみていた。
そのトルコ人の男のような者が私の家に訪ねて来た。私は先程の場面は夢だと想っていたので、私は家族の前から彼ひとりをその夜の路上に連れ出して( 私の手で彼の肩を寄せて )言った。“ 私はあなたの夢をみたんだ。あなたは大金持ちになれるから、散財しないであなた自身に責任を持ちなさい ”。しかし私はまるで私自身に忠言したようだと思った。
──もし誰かが家の玄関チャイムを鳴らしたなら、その場所に人が立てばセンサー付きの照明がしばらく自動点灯するはずだ。私は本当に誰かが来たのだろうかと居間からそちらを見たが、点灯してはいなかった。
家の中にしばし聞かれなくなっていたネズミたちの鳴き声とバタバタいう音がまた増えた。それとは別に私は旧マッキントッシュと間に合わせのテレビ用モニターなどを居間のこたつの上に移して使っている。今朝私の体を半分休めていた時に、そのテレビ用モニターの後ろパネルかその傍で薄い板の鳴ったような小さな音が4回続けてあった。偶々室内の寒暖差のために板が軋んだり使用直後の機器類のパネルが軋むような場合はあるのだろうが、あるプラスティック製パネル自体がその休憩中に4回も続けて音を発することは無かった( その時には暖房機器は使われてはいなかった )。私は私の意識的にその音を出せないかと思ってみたが、それは私自身の意識とは関係無いようだった。

今朝、私の以前からの左半身の痛みの代わりに右腕が少し固くなっていた。

Kohshiroh Okeda 2017