明晰夢記録 ( 私-覚について,明晰夢の日記 ):

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【 先98年より‘ 夢見の実践( Kohshiroh Okeda's )’サイト名です。この内容は,他者の“ 夢見の実践 ”名に依るファイル見出しとは一切無関係です;(主要メニュー,タブ)最新記述-概要リスト > ?夢見の実践とは


このページ-以下は私の日記本編からの一時的なセレクションです。これらが必ずしも明晰夢などの記録を収録しているとは限りません。特に以前の夢記録本編等にお読みになりたい方は上メインメニューで‘ 自覚夢と明晰夢の記録 ’等収録ページをお選びください。
日記本編中の自覚夢-明晰夢記録とその関連付記だけ“ next > ”に拠り順番に繋いであります:不思議な階段以降;


影響

2023-03-06:
寝際に今一度‘ 夢だ ’と( 以前の言葉でのお唱えにはしないように )私の優先してみた。
〔 “これは夢だ”式では状態的の掛かりが無い。“これは-”と言ったらば“ これ ”自体との問題で,“これ”自体の再生無しには有り得ない。状態とは,なんらかの記憶に過ぎない。どのみち,‘ 夢 ’とは意と的でなければ無意味だ。常に再帰できる方法が必然だ。〕

(1) “ エレベーターの室 ”
..再び“エレヴェーター”箱に入った。その内側も木目模様の滑らかな面。今度そこに男2人いた。構わないで私は対向の板面にみる。完全な面に,やはり幾つかの長方形に切れ目がみえた。私は手でその長方形の片側を押し込む。( 直前の“箱”内では,その同様の部分等はラッチのように開いて,私の両手でその開いた部分2つに掛けて戸をスライドさせると,次の間へと通れた。)
その板を持ち上げた処( その部分も全て同じ木目調のみ )幾つか凸板の縦列した押しボタンのような形にみえた。私は“ 最深部をみてやろう ”という意識でその最下を押した。

〔 意識的な働きの所為か,動きだすまえに私の目が覚めた。
起床直後,私は‘ 夢だ ’に着いて更に右手との意識として自乗してみた。
-
前日,私はインターネット端末の機会に,例の不明なワードなどを検索してみた。ある語源辞典ページ表示(その文字の背景)長方形-板面の斜めに隙間無く組み合わされたような画像パターンが用いられてあった。私も昔ホームページに無限パターンの背景画像を貼っていたので,手作り感覚のやや固い印象は懐かしかった。それは明るい階調だったが,私とあの夢での“一面”は(木目だとしても)暗い硬い材のようだった。
“嵌め板”の緻密な合わせ目には,あの画像パターンとの印象は影響したかも判らない( その夢その場での私は考え付かなかったのだから,その点には私の意識的ではなかった. )
+
日頃に口先で“これは夢だ,明晰夢見は最優先-”と言ったが,一途よりも単に周縁化されていた。私は‘ 意と ’いいながら,あたかも不自由なひとのようだった。私は無用な“感情”や“妄念”すべてにただ条件点けようとしたが,それら自身との煩雑さであった。〕

(夢)?=(夢)

昼間,私の暗がりに,あたかも器のパスタを左右にゆっくりと回しかけては戻すような動作の絵がみえた( 私の普段の食べ方には無い仕草。)

(2) “ 階段 ”
〔 自転車での,ある上りの坂道に似ていた( その夜道の暗さ, )その手前では普通にペダリングで上がろうとする慣習に因っていた。〕
..道路に上がりかけた処,急に階段の形が現れたかのように視界に入った。慣習的な動作で,こちらの体一方に両手で自転車を持ち上げて早足にステップした。視界左側アパートメントか何かの建物がみえたが,こちらの上がり切った途端,そこは町内ルートから外れたかのように真っ暗だ。
その一瞬間,私は“ 見なければいけない ”と慌てたが(咄嗟に視界を働かせようと意識して)なにも起こらなかった。その“ 状況 ”自体に囚われているのは自明だったが,あたかも“周り”に無い中で( 急に,なにかを感覚しようと試みなければならないかのように )身体は急速回転した。真っ暗の最中“身体ごと飛行する”という案が浮かんだものの,私の試みとしては無意味だ。

〔 この一瞬の“夢”から覚めた直後も,私は未だその“状況”に慌てたかのように,冷静な機転の利かない状態に遭った。暗闇,その“場”には手掛かりも無くなったからだ。足下に何も見当たらなければ,ひとつ身体ごと“そこに”立っている意味は無い。
もし過去の“感情”だとしたら,これ自体に‘ 夢見 ’案件とする加乗的トレーニングも可能だった。〕

夜,私の右手を敢えて使った瞬間に( ある時々に忘れてしまっていても )自動的に‘ 意と ’憶い出された。この右手は復活しなければならないので,意識的-関係の傾向が強いのだろう。
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なぜ憶い出せない?(再録;)2020-12-15

2023-03-03:
ぜんぶの気になることは,泡の表面に過ぎない( やじり,消えていく. )
私は他者に“感じる”センスは偽ものだったと思う( 人の世に信じるは無意味. )
“じさつ”という言い回しは偽者の価値だ。

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想像と夢

2022-02-06: 夢だの再起条件 / ..ある室内
( あるとき私は例のように堤防上みたいな通り道を移動していた。 )
..やや視界の暗い印象で,平坦な街路-開けた歩道上に歩道橋の架かっていた。私の進行方向その左右に大人同伴の園児たちは渡っていたのか,わずかにその姿みえた。( 私の普段そうしていたように )私が自転車ブレーキを用いてその路上に動くものの歩き出ていないのを視認しながら安全にその歩道橋下との間を行きかけた。
〔 その“ 自転車での行き来 ”-その直後場面では(それ以前に脱いだタイツ等を)今一度私の両足に着用しかけるという,直前直後の“単純な”一対応として終わった。
( -自転車での移動と“ 私の両足タイツを脱ぐ ”とに,それの要素自体を露呈していた,という見方も可能だが.,そう言えば,私のこの記しまでに憶い出さなかったが,わたしの幼稚園児だった頃,薄い白タイツみたいな物を履いていた。数年まえ,私の自転車時にまだ両足首長さのスパッツと短パンツ着用していたのは(目に見えるサスペンダー無かったというだけで)心理的にはセクシャルよりも子供時代のものだったわけだ。)
..その少し暗い路面左側に,またもや歩道橋の上から唾棄されたかのように水滴のようなものが散った( もしその瞬間私が上述したように弁えていたとしたら? あるいは“散水”ではなく“げらげら拍手”だったとしても. )〕
+
あの路上では私は確かに普段の私だったのだと思う。ある注意に因って,より意識的な次元が喚起される可能だろう。
( そのように“ 注意 ”状況場面について )必ず夢だ再起する条件が点いた。
+
これについて私の実務的とは言わなかった,すべてに不馴れであるとは - 私の一挙手一投足,これとは実働的で。

夢: ある室内
朝方( 私の上記にしるした直後, )またもや疲れたかのような急な眠気,うつぶせに寝るとあとで体が痛んだり顔に痕がついたりするので面倒なのだが,両手にクッションを盛り上げるようにして(..)
〔 あたかも宿泊用の一室を割り当てられたといったような 〕ひとつ鍵を渡された。取り敢えず寝床の場所にみて,こちらの手に抱えていた,小さめな黒っぽいマットレスか大きめ座布団みたいな線柄模様-袋のクッションを(私の寝るために頭高さを調整できるだろう,と)寝床のその位置に置いた。簡単にその続きの室などを見ておこうとして覗きかけたが,扉越しに半分だけ,なぜだか先に電灯の点ったキッチンのようなスペースがみえた〔 細長いテーブルとオレンジ色のランプシェード, 〕それから,なぜだか一人用ではないかのように何室かが続きのようだった。私は直接には入らないで寝室の反対側を通ってそちらへ見ていこうと思った。〔 靴箱のような物が目線の高さに遇った 〕開けてみた処,何人かの靴などが既に使われていたかのように揃い置かれてあった。その左上隅に使い古されたような子ども用ゴム製上靴みたいな物があり,カタカナで縦書きに“ マナ ”というしるしが遇った。
( 私は室に見ていこうとして,その廊下などに )視野のぶれていたのが一瞬くっきりとしたその鮮明な光景とに写り代わった。私は“ 遂に,想像だった処から夢の場面へと移ったのだ。 ”
〔 “ 夢 ”はそこまでだった。-なぜ最初の“ 宿泊室 ”が想像の部分と思われたのか? 私の最近日記に書いたように,“ 両目視野を一致させたり(夢だ)だぶらせたり(ぼんやり)”といったシミュレーションの題として言ってはいたが。私は一度も普通夢に向かって“私の想像”と呼んだりはしなかった。
“ 夢 ”直後,もうひとつの自動的なイメージであるかのように;“ 壁際に設置されているかのようなグレーの金属製配電盤ボックスに(半ば私の手を使って)鍵を差し入れて回し,その扉を開ける ”といった感覚的な絵だった。おはなしでは“ N君の所だ ”と言ったが,私は他人の家にそんな物が在るとは思っていない。
そう言えば,“ マナ ”という名前として以前何度かおはなしに聞いたが,わからない。それらに“想像”と言ったのだろうか。
この睡眠のまえあとに,なんでか“ フォース覚醒する(エピソードVII)”戦闘場面へと続くモチーフ音楽だけの絶え間無く繰り返していた。私はテレビに視て以来その部分には自らリピートしなかったので,どうして憶いだしたのか? 〕

2022-02-07: 覚醒的フォーカシング
テレビに向かっていたが偶々“ 焦点の合わないぼやけた絵からフォーカスしたように輪郭の現れる ”画面が遇ったりすると,その度に夢だとの条件点いた(自動的に。)
これは特定イメージへの対処ではなく,わたしの恣意的な想起という面には起こらない。なにかと憶い出して脳裡に想起してみるが,“ 夢だと見る ”との直接的な関係には無かった。

心理的一点にフォーカスする( そのあいだ )‘ 夢だ ’と一致するように意図してみる。
常に夢だと認識している回路を見つける。

2022-02-08:
両目の間にみえるもの(すべてに)“ 夢だ ”と言う。

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消えた時間(対象なきプロ-ジェクション)

2020-11-11:
中指自体に拠るペン-プロペラーを試してみた。私は未だ私自体に拠って‘ 夢見 ’をしたことが無いかのようだ。

2020-11-12:
普段わたしの中に“ あるひと( もの )に関する-におい ”が再起された場合に,‘ これは夢見である ’と記憶条件化している。( -たとえ,あらゆる“ 自己 ”イメージが一々にと対象化されてしまい“ そこに存在している ”かのように投影されるとしても- )自身のこれらまたはこれとして認識可能であれば,‘ 夢見 ’( 普段に )恒常化するだろう。
すべて'常に手前にという言い回しに拠り,対象にひかれる者には警句である.なぜなら,かれにはその目につくすべてが‘ 投射 ’だったとは認められなかったからだ. )この手前からであるとき,私は不意に視覚的なあのミニチュア感とみた。あの以前“ 夜景 ”程ではないが,あたかも“ 外界 ”対象化がそれらを物理的な大きさとみせていたかの。

2020-11-13:
良気を掴えよ( 良気よ戻れ。)
今朝も‘ 私の意 ’不在の( “ 夢 ”自体に )ねむっていた。身体的統一感という意味での良気は一だ,20才代のウェアリングが今だ‘ 呼吸 ’としている。神意という言い方が( 他のものではなしに )きれいであったら。

未来への夢見。
[ 警告: 今夕,私が図書館から図書館へと自転車で向かうあいだに,女子中学生たちのげらげらや,所々に“ こっち違いますよ. ”と何か繰り返しのように言う男子グループの何人かがすれ違いに遇った。私としてはこのサイト制作者として地元の中学校等に言うことはできるが,私からは一切かれらの意味を問うたり何かの相手になったりするつもりは無い( 私には無いベクトルなので,理由のだれかが私にきちんと説明できるだけでいい。私は一刻も早くこのサイトへの実害の弁償金を支払ってほしい。)兎に角,私は世界に対して‘ 夢見の実践 ’オケダコウシロウ先生の本であり,むしろ路上に他人を無視できないかのような?それらへの“ 分裂 ”に警告しておいた。]
私からの方策としては;“ 夢見の実践のひとつに逆方的な犠牲を強いる分離-霊たち ”という立体的な一評価を,この本に一致すること。

2020-11-17:

両目の鼻ひとつに注目し,それとの地平線上にみるようにできるだけリフトアップしてみる( -私の顔面実験のために思い着いた方法だが,メンタルからのケアーにも応用可能であろう..。)

ある記憶の( 対象的に投影される記憶索引,またはそれのように代表されるものの原型? )
もし( 私が )“ 夢 ”に主体的に見れないの原因が,生殖的な活動本位の部分に依拠しなくなったからなら,私としてはNLPのように生殖の衝動自体を私の目的に拠って明確な定式と擬制的にでもプログラミングできたかもしれなかった〔前記-頁 “ 不安の正体 ”のカテゴリー:焦点にて. 〕
詰まり,ここでは刺激や受けではなく,私が主体的に利用できるか。
しかし,私が最大限に起きて‘ すべての先頭 ’にいるときには,これらも考慮不必要だろう。“ 観察 ”の必要性よりも実在性が優位なので,ときのように他-要素は存在しない。( 衝動の強い程に“ 夢 ”や幻覚の機会も増すのだろう。このまえ最後に“ 女体 ”が表れた場面では,それが背中に男性×のおしりを思わせるようなスリットが遇ったので,一瞬その象徴性に判断回路が働いたのかもしれなかった。そのような象徴自体に向かっての( それ以前の“ 夢の表れ ”検討どれかに拠って )予め‘ 夢に対する ’条件付けが意識的に行われた可能性が在った,-というのが,ここでの理論的な見方だ。このような試みが自動反復に繋がる。)

不在キャラクター性の従来問題? )
午前中.普通夢。夜のコンビニエンス店舗-駐車場,わたしは自転車を移動させてその囲い壁際の左端にもたれかけさせる( 新しそうな,スポーティーな型。)その駐車場-少し内側に女の子たち何人かの喋り声.その反対側から老人ひとりの声が,なにか彼女らに説き聞かすように言う。
そこで夢から醒めたのは,“ 女の子たち ”には私の注意喚起されなかったが,その向こうに“ 老人 ”という( そのメンタル性-表れの発生, )自動的‘ 気がつく ’状態との条件に近づいたからだろう。その“ 自転車や囲い壁 ”には見慣れない形なので,象徴的な表れだとみなせる可能性はあるが..( もしそれらが‘ あたかも他人の場面みたようだ ’という印象自体として在れば,それらへの観察という対応できる。しかしこれは“ 普段 ”に予めの観察-条件として動かなければ?..の意味である。)私-自身との象徴とみれば。

2020-11-19: “ 外界 ”もとめるウソ.
昨夕.私は西の図書館内にいるあいだに一度だけ“ その場所( そこ )”という意識に無かった。そのあいだ私は個室にいてもフロアにいても同じだったろう。本来なら視界の変化や往き来など私の“ もの ”には変わりようが無い。ほんのちょっとのあいだだったが,何十年振りかに私は“ 周り ”身なかった( -メンタルピープルの無い。)
“ 外的考慮 ”以前に,先ず“ 物理的な世界 ”は詐欺だ,というひとの方が良かったかもしれない(“ 手前のファンタジー ”という持ち方では,ある意味-自決的な覚悟を要する。)しかし〔“ 私-以外 ”が居なくても,私は私として在る。私の焦点ただひとつ‘ これは夢に過ぎない ’というだけで良い。〕
言わば,それともはこの焦点の反転物だった。

-“ 周り空間 ”またはその消失については特定カテゴリーに一括しました( 下段表示; )

2020-11-24:
ひとつの論
-右側は受容しなかった( それゆえに投射的または強迫的だった。)だが,身体について自己実存的であるのが必ずしも悪いとは言えない。
〔( 私は )ひとつの目的。身体リラックス
( 部分からの- )緊張を解き,完全化する( -は無くなる. )〕
予め意とする。
( 衝動からの欲求- )同一的-すり替えに注意する。( -反芻は過去のもの. )

移動する右目 :2020-11-18 -

BODY( 夢見の実践ラインを保全する )

2020-03-28: mind-a
夜,自転車中に小雨,最初40分-50分までの走りは自由で軽快(雨水の所為で例に因って後輪軸回りが潤滑されるのか,割合調子よかった。)M山交差点からのあの400m斜面でも難なく加速しながら上がれた(世界一軽い自転車が在ったら..)温熱スウェッターのつもりが,なんでか今夜汗も出ない。
私は毎回マスク清潔用3枚着けているが,雨に濡れてからか,いつのまにか口で呼吸してしまったのでそれらが私の顔にぴったり貼りついてしまい(,常に鼻腔に吸気しないといけないのだった!)より呼吸が難しく‘これってパニック障害なのか?’という焦りの一瞬であった。

究極の無関心こそ一観察者としての条件である。

+ 真ん中に呼吸する。

2020-04-02: 夢見の実践ラインを保全する。
夜中,早朝まえに自転車で汗かきに出てみる。飲料ボトル忘れ,N区より2km半引き返した。ルート一旦,以前の川沿いに変更,桜並木が咲いている。人通りの無い道,私の喉に近い右側に微かな乾きのような痛みが感じられ,‘神経性片側扁桃炎?’とそれ自身に私の意識してみようとすると,眼前の無人桜路上が再びあのミニチュア景色みたいにみえた。〔-私その場では‘(私の,ある身体的な一致に因る)スケール感の変化?’とだけ言った。もし後天的な概念としての“大きさ感覚”自体は(ときおり‘高所恐怖症’の子どもを圧倒したがように)それ自体と充満するかもしれない。あるいは夢イメージのように,単に自身との反映として軽少化されたりするものだろうか。〕
遅い時間帯だからか,グループでのうろつきも皆無(,警戒パトカー随時,)N駅前も久しぶりに人影無し。

2020-04-03:
喉-右側‘微かな痛みと乾き’,どうやら私の右足への意識と関連しているようだ。肌に表れるようなアレルギーとも観測されるが,ある神経的な対応以前の理由なんらかあろう。

・右目と左目とがひとつだった頃,空はグリーンだった。

2020-04-04:
今一度‘右手’側の触れなさに見ようとする。

2020-04-10:
“ポルターガイストの行動”には(おそらく,)‘最初の腕を使おうとする’という原因が遇ったのでは。‘不慣れな道具’扱いは難しいのである。
(私このように考えながら)足-右側や両頬に血行を促そうとしていたが,喉上-右側に例の少しひりひりしたような痛みが遇った。

2020-04-11:
私の‘ボディ’状態について最初に推測として述べたように,私は私の“局所”にこの右足の直接触れるのを避けていた。私の自転車しようとする最中にこれの回避だとわかった。右足は神経的に未だ直結してはいない。だから(これの中心的一致するよりも以前に)疑似的なメンタルあるいは無用な偶像との不一致という問題に苛まれる。
(サイドにぶれなければ,)中心的身体これ自体ダブルとして“空中を漂う”かもしれない(-私の目的が生殖欲には与しないので,)が,これ身体がむしろ反対の“器”メタファーだという理屈は,通常‘夢見の特性’認識に於いては考慮されていない(P-は感覚的な受容器であって,むしろ薄いショールをまとった霊の類いのようである.)-私の右側は意図的な行為から離れている。
私は例の“正四角形イメージ”類いをいっぺん‘理性象徴’とみなしたが,(最近“舌”や“鼻の両穴”にみられたように)もしその表象が‘否定’表現であったのなら,“ホール”との可能性がなぜその形でなければならなかったか?というのが今度の質問である。

2020-04-21: ウイルスの不安?
昨日久しぶりに昼間近い時間帯に私の自転車(胸に呼吸しにくく弱まったかのような変な感じが遇った。)C坂の交差点からスタバ方向への例の上がり途中,マスク越しの呼吸がとても難しくなったので急激にパニック状態の起こりみたいに私の口に貼り付くマスク等をそれ以上着けていられなかった。私があの1.3km程を一気にペダリングできないというハードの問題なのだが.,‘マスク越しに呼吸しなければいけない’という条件と,意外にも,急に息が激しく苦しくなるという(あたかも,あのジョンリズゴーの宇宙遊泳場面みたいな)そんなにも簡単に“発作”のような状態が起こるとは予想し得ない。しかし,あれは以前-記憶に因る再現かもしれなかった。もしや,息継ぎの難しかったときの状態が(直接それとは思いだされないで,)繰り返されたのだろうか。たとえば,ある特定ワードが耳に響くときにだけ(思いがけなく)体の反応するような激しい動揺が起こるといったかのように? 
おそらく,昨年私が陽射し除けに毛糸帽を被って自転車していた時期に,不慣れな状況で急に拍動が高まったのと同じ条件が遇ったのだろう(私は人目を気に掛けないで行こうとしたのだが,未だ若い子たちの変な反応自身も多かった。そのとき私はそれらの所為とは言わなかったが..)
これが右側復帰(私の一致)と関係あるのかどうか? 

2020-04-25: 表面をやめる
夜半,買い物のために出ようと普段通り動きだした瞬間,その自転車のとても小さくなったかのように感じられたのは不思議だった。物理的な大きさ感覚としての変化は珍しい。以前,私の身体自体が大きくなったかのように感じられたという例は遇ったが..(-もしや自転車自体という身体?負担の度合い)
体-右側だけ痒みが起きたり鼻水出たりなのは,単純に言えば“アレジー”等なのだが,心理的な作用と神経的な働きとがどう関連しているのか,発生自体なのか(“花粉,化繊やダニ”反応しているとしても,その表面的感じられる部分は左右に異なる。)

2020-05-12:
どうして私の右手側は未だに“億劫”なのだろう? じきに私の右足が必ず動きだせるというのは間違い無いのに。(小学校か中学校の校舎と,そのグラウンドとの間あのグリーンの網という光景..)“不自由な学校時代”という言い回しであろうか? これは,自発性の問題なのだ。

2020-05-14: body
坂道上り効果が上がっているのかどうかと試すために再びK市-K寺へと行ってみた。タイヤ等の空気圧は肝心なのだが(路面との抵抗値という点で,)私の上げながら何回かやってみたあとで昨晩,おはなしが“明日そっち行くまえに,後輪-注入口バルブの虫ゴムを替えた方がいい,,”うん,それもそうだ。今日昼間私がそうして見たら,確かに,そのバルブの根元に近い虫ゴム部分が破れかけていた。路上半ばで空気が抜けてしまったらまた手間だったろう。そうして替えてみても,装着が下手だったりキャップを締め過ぎたりすると(私はペンチを使うので,)挟まれたあのゴムがすぐに擦り切れるおそれがあった。

前回不思議に“見覚えの光景”だったのは,交差点名で言えばT橋南その手前,歯科の建物がある辺りだったようだが,これは私-自身との“予知的な場所光景”かもしれない(私は一度‘もしその右手側へと進んでS市方向へと直近で行ければ..’と単に地図上にみていた。)
今回私はK寺駅-北側へと抜けてIn台-Fy台へと東-西に回ってみた。初回時計回りだったが,いずれも下り道があったので一周6kmとは感じられなかった。(私はそこでは聞かなかったのだが,あとでその道なりに想い出してみているうちに,“その辺りは巨大な前方後円墳ではないか?”と言ったひとがあったという。)然し実際に上がったり下りたりしてみた処の印象では,そんなに段差が整ってはいなくて不規則な地形のようだ。)
(このまえ初回,)Fy台の西-縁に近い道路側,小さな教会のような建物がみえる辺りに,なぜだか私は私の以前夢での狭い町内通りみたいな印象が想い出された。そこの光景自体は違った(私のあの夢では,もっと狭い路地民家等のあいだに回ってみたら児童用か遊びスペースがみえた。古い区画には先ずそのような小広場の囲まれたような造りは無い。)
見慣れない路地の夢: 2017-12-16,

2020-06-02:
昨日までのあの“Jヶ丘”付近での自転車うんどうルート(なるべく効率的に坂道上がり練習ができるように,下り坂よりもショートカットの通り路を,私の見慣れた道路等に関連点けてみる。)
例えば“IN台-FY台”のような,一周の繋がりに脇道への連絡を要しない形が見つかれば,練習用に特定円周を巡るだけでいい〔..このまえその初回に私はFy台の方向から続けてIo台というパートに上がろうとしたが,例の如くマスク装着での呼吸困難と急な不安のような状態となって動けなくなった。私が思うに,それの動けなさ自体,私とメンタル自身との反転状況が遭って身体-リラックスと体幹とを難しくしたの状況?(,,たとえリラックスできていても,走ろうとする余りに頭の中がフワフワんなってきたら,その状態での走行には..。)〕
“私のマインド”と思われていたものが単なるメンタル-偽者で,それが私の身体というよりは“受け”に反転していたが為に,私のエネルギーをそれ無駄に浪費しただけ? 
-
私と出始めに“県図書館”開館情報を見に行ったつもりが,帰り着いたらその自転車うんどう確認ルートの2時間も掛かっていた。たぶんも無く,これ以前私は実質1時間も坂道練習しなかったのだろう。両足先はいつのまにか痺れていた。然し‘私の身体’として右側の“受け”畏縮しないといったからか,途中嫌気も起きなかった(主線道からの慣れない夜道,地図上記憶だけでデータ的に繋げるという,新次元。帰着直後には,疲労よりも,久しぶりに両足の柔らかいという感覚が在った。)
あの図書館の貼り出しには,明日日付の漸く開架というだけで,私の中では沈黙していた(-私の借りている本に関して,おはなしには一度だけ‘返却期限- 6月8日’と遇った。が,実際その貼り紙に拠れば,あの日付では月曜日休館であっただろうので,“6月7日”が本当のようだ.)
〔次週私の読解はどうしても7日中に間に合わなかったので,実際に私の返却日は1日遅れた。〕

2020-06-04: undo
昼のあいだに既に風邪にやられたような状態だったのか,自転車も余りに動けなかった。通り慣れなかった県道脇からの(なるべく人目に付かない,繁華街に近づかない)“最短”設定ルート。T中央図書館に関して“情報”が無かった。仕方も無く,T公園東側に直近できる道筋で,貼り紙みに行った。そこも図書貸出-返却だけで(座席作業無し,)先ず入場時間30分という制限。
“Hs町4”基点として上り練習の比較的安全な通り道ができたら,という推測なのだが,どうも今晩の体力が無い(-右側うごかない。)日没後の気温少し高く,湿り過ぎた所為か,途中3回もマスク装着時呼吸ができなくなった(今回私は無理しないで急な不安直前に止まって外した。)-また“息切れ”が?
帰り着き直後,私の濡れ衣類等を脱ぐまえに,なんでか背中や腕などの肌が急にひりひりと痛痒くなってきた(両大腿部には無い。)自転車途中なにか植物のようなものに触れたのかもしれない(もし特定アレルギー源であるなら,すくに反応が起きたのでは?)
そう言えば,昨夜か一昨夜,うちの台所にやたらとゴキブリが来ていたが,先程一匹もいなかった。

予知-?

2020-03-02:
前夜BS放送番組表を視ようとしているあいだに,不図,CS無料放送があるという直観で切り替えてみた処,本当に無料放映されていたが,それからあと6時間分も無かった(直前に私の関心が画面の偶々放映中に向いていたからだろうか?)
[ 通常CS無料放送日にはBSの特定チャンネル放送予定表も同時に“無料”マークが付くので,無意識のうちにそれと見たのかもしれない。]
バイデン”という名は昨年度々おはなしワードのように単発的に遇ったが,私は政治家には普段無関心なので,最近ニュースにサンダースの名が上がってきたあとで,再びバイデンの名が聞かれるとは意外だった。今後もっと重要な話題があるのかもしれない。

2020-03-10:
夕方,A県図書館へと向かった。休館予定が今月9日迄だったからだ。途中‘ 今日そこ無いですよ.. ’というおはなしにも私は信じなかった(私は先だ神秘的だった。)が,市立図書館と同じく16日までの休館と貼られてあった。気温があるのか私の顔は汗ばんできた。そして,私の右足はついに私のp-との××点,いや,正しい位置に一致しかけている(以前私の半身について最初に述べだしたについて,一度この‘雄の物に障るという併害(避難)’として私は記した。わたし10歳頃まで細い体つきだった。もしハードな運動が神経生理的以前に最初の噴出もれを許容できたとしたら,長年煩いにはなりようが無かった。これは“体操の”というだけではなく,心理的の稼業であった。)
要しなくて,右足ガニ股であったがゆえに右靴が比較的型崩れしたのだと私は認め(但し,内股にすれば直るというわけでもないが,)今更p-と“反応”するのはなにもセクシャルな要締ではないのだと,記憶-反芻の無意味.,この体と言うのみである。私の体は快適に動きだした。

2020-03-11:
BSと地上デジタル放送とを切り替えてみている最中,再び(不意に,)CS無料放送?とボタン押してみたら,野球中継が遇った。-‘うちの父の?’

2020-03-27:
あの頃のわたし一度も広い場所へは出かけなかった。それらすべてが追憶とともに距離と離れてしまい,私は年々ここに居られなくなる。身体スペースの小さいとき,若いひとの神秘的体験には有利だった,私あらためて20代のあれを思う。

再放映?
晩,NHK“ドラレコは見た”という番組。360度視界ドライブレコーダー映像のひとつ(偶然??うちの近所,M区,あるS線-踏切手前にて)踏切前に止まったその自動車前方右側に,老婦人かカートを押してその遮断機向こうにゆっくりと歩いている後ろ姿。自動車側から走り寄りながらの“おばあさん!おばあさん!”というあの台詞,その“おばあさん”のなぜだか動かない後ろ姿という(そのコートの色も,その踏切内での位置も,)私のこのまえ記録に書いた“場面”とまったく同じだった*。そのテレビ放映映像はTYさんというそのドライヴァーの名前とともに紹介されていた。良好な映像だが日時表示されなかった(表彰状の1画像には日付が書かれてあった筈?)

あの夢,老婦人(と思われた)が両手になにかを押していたという絵は無かった。もしこの“場面”が私の視聴覚-予知であったとしたら,たぶんその場所やドライヴァーさんの顔などの細かいディティールが予めあっただろうが,私はあれを書いたときには意味不明な“普通の夢”だと思っただけだ。
[ 昨年,新聞記事に,ある線路踏切にて老人が轢ねられて亡くなったというニュースが少し遇った時,あのM図書館に近い線路だと私は連想したが.,当時私は通わなくなっていたので偶然性には留められなかった。 ]
こんな風に,私の“場面”みたりしたひともあったのだろうか? 
* 踏切の夢:2019-12-28,

2020-03-28:
あの“線路踏切の夢”が他からのソースだったのなら,殆んどの普通夢(他人の場面状況みたような)の類いには,私の介入する余地が無い??.,それ自体への関わりと変わるおそれもある。乃ち,外部的状況と‘私’との見分けが付かないという事態なら(なんとしても私の‘夢見’と試みようとするので,)観察者としての視点を徹底していなければならない。
(私は前記既述したように)人間的な関わりや感情論的なものとの同一したような態度には一切否定する。もし殆んどの者たちの中身が‘わたしわたし’と言いながらパッチワーク同然だとすれば,Aが逆にそれを自身だと信じてしまうというようなオートマティック代理が遭ったかもしれない。

2020-05-16:
‘夢見の実践’ベクトル再捕捉する。

地図上にC区-J丘への最短ルート設定してみた(T医療センター南を通るおなじみの道筋で,高架橋_H池通1_J丘3など,なるべく上り傾斜-)‘あの声上げの男子グループがまた出てくる’とおはなし言ったのだが,私は‘それがどうした。ひとりランニングができないようなら私の試みは無意味だ,私はひとつ体験でいたいだけだ。’
〔実際にはその“予言”は,例えば(あたかもちょうど私の路上に)居酒屋内で急にあの小鳥の鳴き声を発したようなお騒がせ男子のことだったようだ。なんでか今夜それらが突然復活したかのように路上あちこちに遇った。私は何年も“からかわれる”のは単純にルックスの問題だと思っていたし,(あの東Ozの通行者たちに引き掛かった時期には,)私は私の内心的なメンタルとベクトルを問題視もしたが,夢見の論理が最重要なら,‘私自身のポテンシー’としてそれら自身に反転するのは,夢見の死を意味したのである。〕
+
私はまだ倒れてはいなかった。私の夜道はそれ光景となり,あのミニチュアをみているような印象が再び一瞬よみがえった。私の右足は帰り道での大津通にて遂に左のこれとに一致し始めた。私はあの木立の暗い影に溶け込むかのように,またしばらく消えていった。

2020-05-23: undo-
昨夜よりも少し早い時間帯に行ってみた( モリコロ記念公園前;)本当に昨夜のおはなしどおりに灯りの無い歩道その先,400m程? 例のように赤い後部点灯の男子軽快自転車が素早く上がっていったあと,(真っ暗い視界にその路面左右-白線だけがみえる,途中その左手間近に黒い案山子かなにかが一瞬すれ違ったようにもみえた.特殊能力のひとなら暗がりに誰かが紛れていても察知できるかもしれないが,)私はいっぺんには上がれなくて鼻マスク等を外した。“記念公園北口北”その交差点際から引き返そうとした処,車両フロントライト等が逆光になったので,その暗い歩道上ではいよいよ対向の危険が増した。
女の人形? -2020-05-24( 右目の穴を通る )

2020-05-25:
私の4月中おはなしでは今回のウィルス禍に関して“5月27日”が(終了の)目処だと言っていた。私の要請としては図書館のいつ再開できるのか?であったが,それ以前に‘再生’の問題であるという。“6月8日から8月まで生き延びる,”とも。

;2018-08-23(“イラ”の偶然-)

警告(予知?)2022-01-18,


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