断片(abroute,)

2022-01-05: 不安
また何晩か,3時-5時のあいだに(不慣れな夜道ルート設定に依り)おそらく心因性な不安との普通自転車うんどうに拠る試し。
ルート自体に依拠することは(まっすぐ行きたくても一々迂回しなければいけない)物理的な障壁に“迷路”と見立てるような問題だ。私はわざと河川堤防際の路を進んだり( 片側が町内家々であっても,非常に狭い高架線下みたいな箇所を抜けたりで,ある心理的な不安が起こる )車両も来ないような暗い堤防上を近道にしてみたり。
何回か同一ルート予定でやってみたところ,毎回同じ場所で予定外の方向転換してしまっていた。ある高架鉄道コンクリート支柱等みえた途端に,(私は以前昼間そこに差し掛かった際の記憶との原因では?と思ったが,それだとしても反対方向からだった。)地図上では確実な目標への行き当たり予定だったが,“途中で道が違った-”あるいは“見えなくて通り過ぎた-”という誤-見当だった。その場に地図で再確認できたら,目標施設がその先すぐに遇ったのに?(但し,その先は直線から少し角度が変わっていたので暗い中には直接視認不可だった。)
その時点で既になにか慌ててしまったかのようだ。以前の“ うんどうルート ”について,真夜中に暗い河川沿いから渡る際の“ 怖さ ”に関して言及した。
だが,私はルートそれらへの検討-見当中に未だ“ 夢見である ”と言ってはいなかった。

2021-12-06:不安感情との条件点け
私の“不安”状況には未だ(夢への)注記-条件点けができていない。“不安”自体が意識の本質ではなく既に“夢の侵入(浸入)”かもしれなかった。

2021-12-07: 侵襲しない-理由夢
(私の)一挙手一投足に(夢見)条件点けてみるといった以前記し,現在の身体的ミーニングという点で,必ずしも有効である。借りに“場所”が重要であれば一時的なでも身体的な主意は失われた( “周りの存在”が無くなれば不注意の過失は免れないが.,)
普段侵襲しない夢という概念に拠って,現に‘ 夢見 ’支える。

2021-12-06:
(うんどう時-)両大腿の内側主体にペダリングしてみた。上体アップが足りない( 胸上部が弱かった点には,どうも肺活量が伴わなかった。この何年間か,肉体の鍛えはいつも最小限だった。 )
坂道トレーニングから方向転換して町内通り見覚え無い所を(このまえ一時休館したというNM図書館との,地図上近道)行ってみた。最早なににも注目しなかった( この夜-朝のあいだに路上で行き違った人影はたった数人だった。 )以前のルートから外れて偶然入り込んだ町内沿いに“N区主婦事件”あのアパートメントに似た建物が不意にみえたので,“あれっ?”と声に出してしまった。だが,昔グーグルマップ画像では実際の路上よりも狭くみえたのだろうとはいっても,路面の形や印象が違ったので,道路が変えられたのか,その町内の違う側道だったのか。( 直後“イクオ”という男性名のような発音を聞いたが,わからなかった。 )
やはりも無く,急に予定地図上からその場のなにかで変更してしまうと,思いもしなかった。

2021-12-07:
3時過ぎ,ある図書館へのルート視認のために自転車だしかけた途端(その瞬間に)雨が強くなったので,行くべきでないと( おはなしでは“6時頃ならいい”とは言っていた。もし先に出掛けたら私がそこで“ ×違いめいた顔をする ”という。なんのことか聞けなかった。私のその場所では“ 不安心理 ”見つからなかったのだろう.. )

2021-12-08: 昨日のわたし
2週間いっぺんも外出しなかった時みたいだった。4時過ぎ,“そこへ行くのには失敗する(その図書館を見つけられないだろう)”-おはなし,そう言ったにも,たった3-4kmだからと,軽く出てみた。地図通りに行った筈が(ある一本道以外,目印などには一度も観念的にならなかったように)まったく見当が無かった。ある神社外側に狭い歩行者用のコンクリート通路かと通りぬけようとしたら,視界に側溝が見えなくて前輪ごとドボン落ちかけてまた声を上げてしまった。[ あとで地図上に見直した処,道はひとつ違っていたのと,目標箇所に1kmも足りなかった。私は例の“パニック状態”のような心因かと思ったが,それ退行か,未然なのか,わからない。近隣地域だから,こんなに迷い込むわけ無いだろうと思っていた,あの河川等に隔てられた地区との間には行き来可能の線が少ないという環境条件の所為?..などと,しばらく言い訳していた。 ]
まるで(灯りの無い)普通夢のようだった。私“ 記憶に依らない, ”と言っていたのでは。

先月“ もの忘れの脳科学 ”には殆んど読めなかった( ACC,前部帯状回皮質と言えば,“ 現代催眠原論 ”に催眠と大脳生理との関連?として幾つか説が述べられていたものの,やはりも私の読み漬けなくて,第2部分までのハードコピーも未だに放りっぱなし. )
“ もの忘れ/もの覚え ”に関するあの棚に置かれていた“ 覚える技術(アルベルト・オリヴェリオ著,記憶の技巧,1998)”など,記憶する方法系,今夕ようやくその一冊だけ借り出してみた( 先週おはなしでは“火曜日にはその本があるだろう”と予告していたが,“終日雨”で一日遅れ,予定外だった。 )

0時前に,もう一度“K図書館”を探しに行ってみた。同じ通り道で,初回感ではなかったが,光景記憶とともに前夜あの冷えや孤独が遇った。本当にメタキャラクターやおはなしの類いを持たなければ,再び“本来の真っ暗中”という怖れに震えるかもわからないし,なにかその辺に感じた気分みたいなものかもしれない(-おはなしは,“河で泳げなかったスガイさん”というひとだと言った。)
昨夜その“図書館”という看板は見えなかったが,一度その通り道の端に見かけた地点がそこだった( あのとき私はその囲われた角に視ながら横道へと入ったので,建物は直接見えなかった。そのあと別の道に引き返して(うっかり)止まった所が,1km離れだった。 )

2021-12-09: “笑い”の動物?
路上になにか言う振りもいなくなった。もし過去からのなにかと言うようなら,“自身の罪?”という最終質問。

オリヴェリオ氏の“ 覚える技術 ”は先ず(習慣化された)手続き記憶と(言語・概念的な)陳述記憶とを対比していた。私はここに述べてきたように‘ 夢見の習慣化 ’に至っていない。確かに,これらに記されたに依って(二次的-副次的な)サブジェクトの課題となり,それゆえに“私の自転車を走らす方法”以上のものにはなっていない。対象物が存在するときには“夢”の可能性があり,私がテレビラジオ受けに終わらないように自由に観察対象できる可能性であった。

欲望-対象化に無関係であろうとすれば,それはあたかも対称-対抗したかのように表れる。
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今夕,不思議な文具店の夢があった。店内は明るくきれいに陳列されていて,店員たちは皆にこやかだった。(わたしはその場なにかお義理に買う必要があるかのように感じていたので,そこの比較的高い位置に立てられてあった筆などの一本をわたしの手に取り上げた。それは太くてその穂先が切り揃えられた物みたいに,その断面内側は弱い茶褐色だがその周縁には使いかけの墨がついたかのように黒っぽく分かれていた。わたしは細めの一本を選んだ。それの穂先にはたっぷりと墨が漬いていた。わたしは保護キャップを棚に探して透明プラスティックのそれを筆に被せようとしたが,合わなかった。わたしの傍にいたひとりが,わたしが以前に筆書きの練習をしていたのを知っていたかのように言いかけた。わたしは愛想に答えてその店員たちに振り向いたが,)歩きかけて不図“ ..そんなわけ無いだろう! ”と,わたしの声に出して繰り返し言った。〔 おそらくその瞬間から判断が付きかけたので,そこで途切れた。 〕
直後には,あの“店員たち”がにこやかであっても嫌そうであったとしても,どちらも同じだったのだろうという思いだった。わたしが一時期妥協した,漫画や筆文字といった“表現”メタファー,“笑いの動物性”と言ってしまったときに。

オリヴェリオ氏がその初めの章“ 覚えることの意味 ”にて,ひとは自身の経験的な記憶には“役者の視点”として振り返り,他のことなど客観的な記憶には“観客の視点”で振り返るので.,(ある心理実験に関して)自身の経験記憶について“観客”との視点に変えるとしたら印象も弱まるが,感動や感情の無しに,異なる方法で再構成できうるという。
この一節には,ここでの文脈では,ねむり夢と明晰さとの違いに通じる,未研究の点が残されている。

2021-12-10:
- 記憶(再生の)全部に条件点ける。

(途絶された“夢”)そのパターンで繰り返される。

性的焦点(との回避)という注意条件。

2021-12-12:ベアット
2時過ぎ,読書の続きか自転車うんどうか。また少し風邪気味でもあったが,坂道(丘)ルートに向かってみた。あのN寺裏側に接着した高架橋への昇り口が光景として遇った。瞬間,おはなしが“ 今朝,そこへは行かない(届かない)”と言った。私は時折西からJヶ丘まで上がる際にはそこを越えたりしていたので,夜道初回の不安というではなかった。
行きがけに,ある道路上に黒っぽい長い毛の四足動物が速足に横切ったのが,“変な大きめの猫というよりは,熊のような”形にみえたのが不思議で,“ベアット”と称してみた。それはそれで,見慣れない品種の犬みたいだと思えば不思議は無い。
あの陸橋よりも北側の上り道から行こうと決めたが,そこに至るまえに急にお腹が下りはじめた。冷えの所為? 直前に食べたものが合わなかったのかもしれない。すぐに引き返しても5kmという中途半端な距離で次第に圧が高まった。
戻り道には滅多にしない連続疾走でなんとか間に合うかといった一瞬,あの行きにぬけた路の入り口に,まるで黒い小さな動物というよりもそれ自体静止したまま路面滑走した( それはあの“ベアラット”よりも少し小さめだったが,毛足が路面に掛かる程に長ければ四足動作が隠れるので,あたかもリモコン操縦の黒い車模型みたいにみえたのでは? )
室内には間に合うだろうが,ちょうどサイクルで出かけた。
( 次回もし,またあれが横切ったら.. )

2021-12-14: 夢-幻聴?
今夜も冷え込みには少し不安だったが,昨夜からの予定通りに行ってみた。左手に墓地を見上げながら曲がり道に上がる。その暗い方すぐ近くで突如雑音か“くすくす”笑いの女子声のような音が遇った。このまえ“靴タップ”の瞬間以来だ( あれ以後,同じような状況で坂道右側からなにかパタンパタン音が来たのかと振り返ってみたが,それは右ペダル自体の引っ掛かりが反響しての音だった。その響きに因ってはだれかが間近に追ってきているように聞こえた。 )
Kヶ丘に上がればあの墓地公園の間を下りるだけなのだが,私の直観的にやめた。