自覚夢と明晰夢の記録 (前ファイル集よりの編集版)ページ2

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  • 睡眠の前の状況:

    前夜も毎日ぐっすり眠れない印象だったので私なりにあれこれ考えようとしていた。

  • エクササイズ:

    “私はしない”という。しない。

    “筋肉のぶれ”をやめて中心(中心に無いということは不幸のはじまり)。中心にあれば“金の響き”

  • 私はひとり座椅子に腰を下ろして両足を半分掛けてそのまま意識的に夢を見ようとしたが、なにも起こらなかった。

  • 寝床で久しぶりに欲があったので発射止め済ました。

  • 対立的言うこと止めて理性的に“監視”しようとした。

  • “私の人を改良する”と言った。

  1. わたしはある婦人とホテルにいて部屋に行くところだった。私は上り階段の途中の折り返し部分で、
    [あたかもその部分が外に出たテラスだったかのように、すぐ下に“街路の人々”みたいな姿がみえた]、
    私は人々の普通をみたが、誰も気づかなかった。私は“夢だ”と気づいた。

    うちの居間の障子戸そっくりの戸に、私は指先を潜らせようとした。簡単にすり抜けられると想ったのだが、私の指はまったく通らなかった。

    室内の一方の壁に向かっていた。(その壁の向こう側は以前隣家だったが、いまは契約駐車スペースで)、私は両手を伸ばして外側へ出ようとしたが、私の指を通そうとしてもどうにもならなかった。身体感覚に囚われている。私は身体で背転した(なぜなら私はいっぺんも“後方宙返り”を私の体でやったことが無かったからだが、夢の身体ではできると思った)。思いがけず私の身体は反対側の壁面に着地したかのようで、私は見下ろした。こたつの置かれてあったところからなにか白っぽい衣服の脱ぎ置かれたままになったようなものが出ていたのがみえた。
    [私はそれら自体を私自身だと自覚していたわけではなかったので]、
    “うちの父のものだろうか”。
    そこに“父”が寝ていた
    [もう少し若い顔形で、作業服姿だった]。
    “父”は少し血走ったような両目を開いて(私に気づかない様子で)どこか違うところをみていた。私は“わし(私)だ、わし(私)だよ、父上”と呼びかけた。 2013年1月18日

[ 寝床に直後、それまで意識の膜があったかのように私は急に目覚めた。

私にはいつも“私の指を潜らせる”という慣用があったのだろう。私はいっぺんも“戸”や“壁”に対して“開け!”とは言わなかったし、“それ自体”を私の指で触れずに変形させようともしなかった。(だが、それが“紙張り”であったことを想えば、私の指が通らなかったのはおかしい)。私は“人々”を振り向かせられなかったように、“それ自体”を妥協させることもできなかった。

それにしても、“室内”の様子自体が私自身であって、普段置かれている“父”の本棚などがそこにはひとつもなかったようだ。私が“単身後方宙返り”したらどうしてか身体は壁面側に止まった。夢の後で私は思った、私は前夜“創世記”の初まりを視点的に読んだことが“上から見下ろす”になったのかと。それなら私は真上から見下ろしたに違いない。私がその“創世記”の初めを読んでいた間に、うちの父が放映していたTVドキュメント“アメリカ2大政党的分裂といった感想集”をみていた。私はそのような対立抗争というのは天井からの一点に下がったモビールの“バランサー”みたいだと想った。どちらかが欠ければすべてのバランスは壊れてしまう。しかし、“絶対にどちらか”でいなければならないというのはおかしい。私が“しない”と言えば言う程に高まってくるものもある。そう思っていたとき、いつのまにか“左足の筋肉のぶれ”が収まったかのようにその中心に近い別の筋肉へと移り、私の両足は(股関節)内旋していった ]。


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  • 睡眠前に憶ったこと:

    心身に受けない

  • 睡眠時の状況:

    居間のこたつ内に電気の入っていない状態で、父親のいびき絶えない0時過ぎから2時間(午前2時にアラームを設定していた)

  1. 身体に気づいたので“普通にさっと起き上がろう”としたが、“立つこと”できなかった(1回目)。

  2. 寝ていた位置から普通に両目を開いてみたように室内の光景。“身体”で動こうとしたが、動かないので私はその“身体の両掌”を合わせて右回りにくるくると回転してみた(2回目)。

  3. 寝ていた位置から普通に両目を開いてみたように室内の光景(前と同じ)。今度も“身体で回転”した(3回目)。

  4. “ペニス的身体をつくろう(擬似的身体感覚による大きな勃起)”としたが、そこでどうやったらできるか思い付かなかった(4回目)。

  5. 朝いつも4時過ぎに新聞配達のカート移動の音が聞こえる。その音があったので、もう4時過ぎかと思った。(屋内)玄関の戸に近いところに何かに挟まったような黒地に白い水玉模様ワンピースの女のような姿が横たわっていた。“新聞配達の女の人か”と思った。

    直後に2時のアラームで目覚めた。 2013年2月7日


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  • 私が起きる前に唱えたこと

    “心象”を私自身の‘雰囲気’とみる。

    私の貴重な言い方を私自身に再確定する。

    ‘ Webサイト・夢見の実践、を、ご検索いただきたい。’


  1. [ 私がその寝床にいたあいだに、私の体に金縛り直前のような痺れ( 震動 )があった。私はいったん‘ 体から抜け出る夢をみるかもしれない ’と想った。( 日中だったが、雨が降ったり室内に風が吹き込んだりしていたので外気でひんやりとしていた )。が、そのような状態になる程には“ウォーミングアップ”していないのだろうと、そのままにしていた ]。

    突然、岩肌にいくつかの凹んだ筋みたいな部分のみえる壁のようなもの。直面していることに気付いたので、私は夢だと思いながらそれらをみた。( なにか簡単な造りもののセットみたように動かない絵だった。その正面の岩壁と、その両側の左右対称に開いたように立った2つの部分とがそれぞれ分かれていた。それはあたかも岩と岩で組まれた通路の行き止まりに面していたかのようだった )。

  2. 茶色い板張りに向かって落ちていくよう。( なにも無い )。最初は視点だけだったが、まるでベッドの端にいてそこから床面に落ちかけたので止まらなければならないといった場合のように; 私はつい‘ 私の両腕 ’でこの身を支えるようにその手前に安定しようとした。すると板張りからゆっくりと離れた。

  3. なにかの会場の外側にあるような屋内通路、人々。その左壁際の昇り階段から、その左側の扉を開いて中に入った。それはちょうど上映直前時間のように薄暗い、映画館内の座席等の間の通路の端のようだった。それらのすぐ右手には、なにか別の室内と人々のような姿がみえた。( これは夢だ )。それら者たちの顔でも私の記憶のためにみておこうと、こちらの視線を一瞬毎に向けるように私は少しずつみた。が、そこではすでに印象も不確かだったので、私はそこに女ひとりの姿に留めた。その“女”の両目はこちらに向けられていたかのようだったが、急にその目つきが豹のそれのように( それ動物的なものに )変わった。

  4. ほぼ透明な“戸”の向こうに“男の子”みたいなものが動かずに立っているのがみえた。私はちょっと怖かったけれどもその戸を引いて見ようとした。ところが、その“子”はどうしてか両目を伏せたようにずっと閉じていてこちらをみようともしない。( まるでその顔が一瞬別のものに代わったかのように、それは両目蓋を閉じかけた女の顔のようだった )。また、そこでみていたうちに、その両目の外側だけがだらりと開きかけたかのように垂れていた。 2013年5月29日


昨晩あるテレビ番組に“ウィギラード国定公園”というオーストラリアのある自然公園についての放映があった。( 自然の岩が水の流れの間で徐々に割れたような形になったので、そのそれぞれの下に通り路ができたという )。一見それらの岩々の隙間の上に丸い岩々が支えられてあるようにみえる。夢の絵は別にそれらと似てはいなかったので、イメージの関連ではないと思う。ただ、そのテレビ番組中に私自身がそのような岩のあいだの石段をちょっとだけ‘歩いて’みた。そこで身体的にそのような想像を持ったわけだ。

上記これらの4つの夢だとわかる夢のあいだに、もうひとつの夢があったのを私は何度かカウントし直したおぼえがあった。( 私はそれらの合間にほとんど寝床で自覚していた。しかし私は私の手でメモを付けようとすればもう次の夢をみることができなくなると思った。それで、私はただカードをひとつひとつ並べたようにそれらの順番に憶えておこうとした )。それでも“ガラスの向こうに立つ子ども”までのあいだに私はそれを憶い出せなかった。


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  • 私がその就寝前にしていたこと:

    私は私自身の全員に‘ 桶田幸志郎( Okeda, Koushirou )先生の 夢見の実践 Webサイトをご覧下さい ’と、私のこれまでよりも平静に100回程お唱えのように繰り返して言った。

    私の別の文章用資料写し作業がもう私には面倒臭かったので( 乾燥ならなかった )、私はこの数日私のやりかけていたその作業に私の手を着けずに寝た。私は何日も夜中に作業をしたので、私はその度毎に朝方から午後まで寝ていた。以下の記録では、起床14:32頃。

  1. 〔 私の仰向けに寝ていたところから私の視覚でみたかのように、岩の立面にくり抜かれた居室のようだった。私がそれらをそのある彫り跡自体としてみた場合にはそれらは一面にやや不規則と想われるが、すべて一体の岩の内側から彫られたもののそれであったかのように、それらの縁は割合連続したように残されていた。その“ 室 ”のその壁面等がその前後にあらかじめ分けられていたかのように、あたかも木造の場合の柱や梁の出っ張り等を想わせるようなそれら垂直水平の枠のような浮き彫り等があった。それ全体があかるい岩肌だった 〕。私は左側の面をみたときに、なにかその表面に少しずつ湿ったようにみえる個所がいくつかあると気付いた。それは外で雨が降っているからだろう、と私は思った。〔 その場では、どうしてか 〕私はその岩壁全体に貼られてあったはずの紙をすべて剥がしてしまった( その跡だな )と想った。〔 つまり、その壁面全体に紙が貼られてあったということだ 〕。

  2. ある朽ちかけたような家屋の戸の前で、その上に瓦屋根のある光景。しかし、じっとそれらがあるうちに、それら自体が特に朽ちているわけでもなかったのだと私は想った〔 その光景自体の最初から私がその屋根の方に向かってその玄関前に見上げているような視界だった 〕。が、うちの玄関前だとしても、表札が掛かっていない。余りにその光景が変わらないので、私はこれは本当に夢なのだろうか?と思った。
    私はその少し薄陰ったような室内を覗いたように、そこにひとつの鳥籠をみた。その中に白っぽいインコのような鳥が止まっていた。その鳥は動かなかったが、その顔がある痩せ細った( 顔色の無い )中年男のそれの相だった。私はその籠の右側の柵のような形の一部分を私の手でその手前に畳むようにして開いた。その鳥はその籠から出ていった。その向こうにもうひとつ鳥籠があったので、私はその前のと同じようにその鳥を逃がそうとした。
    そこから台所の見えないところにうちの母がいるのだろうと想ったので私は普通に歩くようにして覗きかけた。その曲がり角の向こう側から背の高い男子のような女のような姿が現れた( それは裸身のようだった )。その若い男のような顔それ自体が私の正面に対して斜めの角度でそのひとつ眼だけを私の方に向けていた。私は不意にそれをみたので“ あ、あなたは誰なんだ? ”と訊ねたが、私にはそれと同時にこれは夢であるともわかっていたので、私は“ 私なのか? ”と言った。それは“ ノムラ・サチヨの女の子 ”と答えた。私はこれと‘ する ’ことになるのだろうか?と想いながら( それは男子のようでもあった )私自身とやることになるのかと思った。( 次には )その小さな体が白い厚みのあるワンピースのような衣服に包まれていたのを、私は私の両手にその両側から撫でるようにその割合平坦な乳房等の辺りにも触れたが、なにも肉感は無かった。私の頬に触れたそのとても柔らかな頬。 2013年11月15日

(1) それは洞穴というよりは人工的に彫られた室内であった。私にはそのような岩の壁面の質感は私が以前カッパドキアでみたキリスト者たちの岩穴跡の様子みたいだった。“ それらの壁面等にはあらかじめ紙が貼られてあったが、それらは後で剥がされたのだ ”といった観念がどのように発生したのか。私が壁面にみたいくつかの“ 湿気による滲み ”その印象がなにか別の“ 張り紙があった ”という記憶と関連したかもしれない。私はそれらの滲みをみていた瞬間に“ 外の雨がそのように( 岩自体に )滲んでいるのだろう ”と想った。ここでは未だ夢だと気付いていない状態だったが、そこでは私が室内に寝ているという状況だけがあったのだろう。
この夢の直後に“ conparative ”という言葉があった( 英語の通常の綴り方では“ comparative ”,“ 比較しての ”というような意味に用いられる形容詞だ。一般的日本人は輸入語を英語発音とはしないので、通例“ コンピューター ”“ コンパス ”などをそのカタカナで言う場合にそれらの“ m ”を発音しない )。

(2) 私のこれ以前の夢に“ ノムラ・サチヨ ”という個人名もしくはそのイメージがあったのはこれ2回目。( その最初の夢では、私はなにか施設の建物の中に私自身でその階段を下りてあるフロアをみたところ、ある中年婦人のような姿がテーブルに着いていたが突然その口がある河馬みたいに開いた。それはなにか人形というよりは漫画みたいな変な印象だった )。一般には日本ではその名前はかつてのある有名野球捕手のその奥さんの名として知られていたが、私は野球にはまったく関心も無かったし、私にはある一時期TV出演者としてのその“ ノムラ・サチヨ ”さんにも私の興味では無かった。それよりも、私がその場にみたその男子のような顔の女のような姿とその名とがなにも関連していない点は、一見なにも私の考慮にはならない。私にはうちの母は外観的になにも“ サチヨ ”さんには似ていないし、それらの口調も連想されない。私の記憶のどれかがその名前またはイメージと関連していたのかもしれない。私自身は私の本人という自覚であって、私はいっぺんも“ 誰々の奥さん ”といったような登場にはならない。
 この夢から寝床に起きて私がメモを付けようとしたとき、まだ私のものは勃起していた。


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一度、濃い青の( なにか中心のあるライトのような )光が少し離れたところに斜めに差しているよう( 同時にそれから離れたところに赤 )みえた。そのとき私は私の両目を閉じて寝るというよりはある一定時間私の体を仰向けにしたように少し保ったままでいたが眠ってはいなかった。そのような青い色合いが久しぶりにあったので、なにかちょっと変わったものをみたようだった。
 私はまたひとりきりで私の下半身をすっきりとしながらこの上半身に感覚を上げようとした。私は昔やっていたようにこの背中( 脊柱 )に通じさせようとした。この体が失われた15年の後で、もっと熱が必要である。私が以前に記したようなあの‘ 背筋を上がってくるかたまりのような感じ ’は無かったが、それはおそらくこの体の底に起こるある種の電気的な感覚発生を高め続けることで上昇するのだろう。これらが単にこれらを起こすという意志的なものなら、私はいつでもこれを起こせる。私は少しだけこの腰の背面側にコントロールをしようとした後で、また家の玄関前のイメージをみた。それは前回の夢での印象と似てはいたが( あの夢の光景の方がこれよりもはっきりとしていた )、そこに掛かっていた木製表札には名が無かった。 2013年12月5日


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昨日のとても不愉快な事があったので(通常日記・201438日 - 迷惑事の地平)、私は晩のうちにまた“断る、断る、”と寝床でお唱えをしなければならなかった。そんな事で私は朝方まで寝付けなかったのだが、その為かその後久しぶりに私は‘’でみた。この朝の実質睡眠時間はたぶん3時間から4時間程だったろう。私は寝床に着く際に昨晩テレビCM“アナと雪の女王”の歌の部分がそれまでにずっと頭の中に鳴っていたのに気付いた。これは“ ことども ”に対する私の一種の抵抗だったかもしれない。

ある一室の片隅をみたように、私の前に木製のひとつドアの付いた戸棚のようなものがあった。私はその中を見てみようとすぐにそこに近付いた( 明らかな灯りは無かった。照明ではなく、ただそれ自体が暗くも明るくもない場所にあるといった様子だった )。その木製の戸のようなものに小さな金具のようなものが付いていたので、私は普通にそのような物を開く時のように私の手を掛けるようにして開けた。( この時もし私が‘室内’を想定しそれらを見回そうとしたらその光景自体が失われてしまったかもしれない。私はただ目の前のそのひとつのものに対して先ず私の注意を留める必要があった )。棚3段程に手提げ用バッグのような物がいくつも整然と置かれてあった。私はそれらの真ん中にひとつの革製( 薄い色の )の大きめの手提げ鞄みたいにみえる物を私の手に持つようにして開いてみた。すると、黒い婦人用の小型手提げ鞄のような物があった。私はその戸棚のすぐ左側にその外側からの外光がただ白っぽく差すような窓付きの簡単な扉みたいなものがあるのをみた。私はそれを開けてその外側を見ようとしたが、途端に光景は消えた。 2014年3月9日

( その直後のイメージは単に外側の高い所から見下ろしたといった私自身の連想のようで、なにか建設中に用いられているような非常に高さのある梁みたいなものの上からのアングルで地上の建設現場を見下ろしたかのようだった。これは絵としてはかなりはっきりとしていたが、既にその直前の夢からは切り離されたものなので、私には無意味だった )。

後で私が思ったのは、‘ 私はどうしてあのバッグやその棚の他のものをもっと確かめようとしなかったのか? ’。大きめの紳士用革鞄から女性用バッグみたいな物が出てきた。象徴的に見ればこれはごつい男性っぽさとは言えない。それらは棚ひとつずつに靴箱の中の靴たちというよりは何か黒っぽい箱みたいなものの周囲にそれらひとつずつが正面向きと側面向きに4個から6個立て置かれたような配置だった。私が最初にその革鞄を開いたのは私の焦りというべきだったか。


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私は二度と体自体に抵抗( 力み )を入れなかったように、“ 眠り ”よりも私は私の中にただ浮かんでくるだけを( 視るというよりも、それ自体であるかのように )そこにあった。私はあるがようにそうしておきたかったので、私の後天的なイメージをそこに一々想像しながら当て嵌めようとするのは無意味だった。それらは既にそのものの象ではなく、次の瞬間には既に私の後追いに過ぎなかったからだ。私のそのような想像描写は単に‘ 疑似的なイメージ ’だけだった( ある‘ 顔 ’をその記憶に基づいて次の一瞬に描こうとしても、それは元の絵ではなく、私自身だった )。

私が今日午前中の上記迄の記録をこのファイル用にコード化しておいた後で、未だ眠気があったので私は‘ 外出 ’も控えて寝床にいった。

夜道だった。私は帰途にあるかのように無人の路上にいて( あたかも自動車道を越えて反対側へと渡る時のように )暗い上空に一瞬目を向けたら、そこにひとつだけ離れたようにある薄い雲があったのだが、思いがけずそれはそれの真ん中からその縁までの一定の範囲に弱い光を照り返しているみたいに、その周縁よりも微かにオレンジ色っぽい光がそれ一緒にあった。通りのなにも無いところに私が出た瞬間に私はそれを視たので、急にその光景の中に身を曝されているという不安それ自体だった。
 私は路上から家の外側のある面を視たかのように窓のあるその黒いトタン板のような外装を視た。〔 実際にはそれは何年も前の表面色で、現在その面は赤茶色っぽい保護塗装に変わっているのだが、その瞬間には私はそれを想わなかった 〕。突然私の目蓋を開いて照明ある室内の光景の一部を視たようだった。〔 これも不思議だが、私はいつも灯りを消して寝るのでその時その室内には私がその一瞬に視たような照明は無かった 〕。その印象では、その直前までの夜の光景に対しそれが一瞬に別の室内の光景と前後したとでもいうように、急に灯りある室内に私の眼を醒ましかけたかのようだった。
私は暗い路上にあったかのように、その傍に一軒家を見掛けた。私はその玄関に近付いてみた。その一瞬その前の路上にひとつだけ小さな水溜まりのようにみえる面があった。私が動いた一瞬その表面に光が反射したかのように白っぽい灯りのようなものが差した。私はドア越しに開かずに入ってみようとした。かつての“ 体外体験 ”時からの繰り返しみたいで、我ながら低俗ではあった。やはり以前のそのような場合と同じで、私は押し入る事が出来なかった。( 入ってみようとした途端、そこで薄暗い一面になにか直線的に正確な線画のような十字の枠に2つずつの丸印等の並びがみえた )。物質的にはそれは堅くもなく、私の頭がわずかにやんわりと押し戻されるような感覚があった。

私の居室室内、扇風機の支えに本体モーター部の付いていないその台のような部分だけがそれ自体で回転するかのように動いているのがみえた。最初にそれは昼間室内での陰にあるかのように少し影の中にあるような印象だった。
〔 私はこれら最中に何度かあたかも私の目蓋を少し開きかけたように実際室内の光景をみたのだと想い込んでいた。しかし、私の寝ていた室内には昼間午後カーテン越しの斜光以外に光源は無かった 〕。扇風機一台と、室内それよりもこちら側に近い左面から中空に木製棚みたいな物がひとつ、その上に大きめの毛布か室内用マットのようなものが畳まれたように置かれてあった。〔 この場面では私は‘ 夢の状況 ’と意識してもいなかったのだろう、むしろ逆転していた。それ以前の状況はいわゆる‘私-覚’だった。が、ここでは( なにか分からないが )普通に室内だろう、うちの母がそれを一時的にそこに置いたのだろうかと、前後の状況等もみえない。そこでの私の居室との接点は扇風機から送られる風だけで、壁面途中の棚もマットもその部屋には存在しない。しかし、最後に私ははっきりと両目蓋を開いて目覚めようとしたので、この直後もう一度そこでその場に睡眠中だと私が判断し得たように光景があったのだろう 〕。
 詰まらなくなったので( 繰り返しをやっても面白くはないので )私はその最後に私の意思で本当に両目蓋をぱっと開いて目覚めた。 2014年8月28日

そう言えば、私は昨晩久しぶりに夜の人通りの無い路上で、雑じり気も無く、光景はクリアーだった。それらは何気も無い電柱や家々などの影であった。ある種の人工的なもの想いや注意不足への危惧に煩わされない一瞬にだけ、私はクリアーに夜の光景をみる。だから、これは今回の‘ 私 ’だと私は言う。
 私の寝床の傍に扇風機を動かしてあったのでその風が私の体に始終感じられたのがそれら場面等に‘ 扇風機 ’という形で現われたのだろう。このようないわゆる‘ 連想 ’は簡単そうだがいつも明瞭に‘ 私 ’から意識されているとも限らない。私は今日偶々ジル・プライス“ 忘れられない脳( 原題:The Woman Who Can't Forget )”を読むふりをしていた時、不意にアバ“ ウォータールー( ワーテルロー )”という歌の繰り返しサウンドが私の頭に鳴っていた。私自身はなにも歌うようなつもりではなかったのだが、私がちょうど開いてみていたページに片仮名で“ ウォータールー ”という名称が書かれてあったのをその直前に偶々みたのが連-引のきっかけだったとすぐに判った。他に原因と想われるような要因が他に無かった。しかし、私はその歌が鳴り始めた時点を意識にできなかった〔 私がこの原稿を最初に書いた時点でも、最近テレビ放送のある自動車広告にその歌の部分があったのを私は考慮してもいなかった。私は上記を書きかけた後で偶々そのCMメロディを聴いたのだが( それ以前にその同じテレビ・コマーシャルがあったのか別のコマーシャルだったのかも私は想い出せない )、私が先程本のページに“ ウォータールー ”と書かれてあったのを偶々みた瞬間それが同時喚起されたのかもしれない、と私は思った。詰まり、単にその名称と私の過去にその音楽を聴いての記憶からだけの連想ではなく、何日か繰り返し同一メロディがCM放送されていたとしても私の意識にははっきりと無かったがそれは確実に影響していたかもしれず、単独の記憶的要素だとも限らない。先の‘ 扇風機 ’の場合のように、未だ意識されている状況が‘ 私 ’に無いような場面でそれが形として現われていた。むしろ、それが‘ 私 ’に明確にあれば( この場合‘ 扇風機は私の寝床の傍にある ’と簡単に分かっていれば )、それは場面の絵としてそこに現れる可能性が無かったかもしれない? 〕


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路上に微笑みかけるような女がいた。その女は歩いてひとつの社屋のような所の出入口に入った。一瞬その入り口すぐ右側にデスクにこちら向きに就いたようになにか係をしている作業服姿で年配の恰幅の良さそうな男がみえた〔 この姿は視界に映るというよりもその入り口からの一瞬だけの印象といった風だった 〕。あたかも私がそこで私の手に取ったかのように、薄青っぽいゴム製凹面の楕円形底にみえる容器みたいな物があった。途端‘ これは夢のものだ ’。私は女に連いて歩くように移動しながらその物表面に数行分の文字等があるのを読もうとした。会社ロゴマークかなにか長方形の中に斜めに仕切り面が付いているような形〔 意味不明 〕。
( 彼女の薄灰色がかったような肌色の片手が一度こちらに女性的に近づいてなにか仕草をしたが、私はこのゴム印みたいなものにだけ一心にみるために情感的なものとは私の距離を保った )。
長方形の印の下には“ 信頼と実績が 〜 ”云々。その下には“ S42.〜 ”の日付( 私は昭和43年生まれなので、おやっ?とふしぎなものをみたようだった )。
2階の室内のような所に彼女と入ると別の男性社員かなにかが微笑みがちに“ あなた彼女のなに? ”とこちらに話しかけたりした。私は口先で呑気に言ったかのように‘ ── 彼女と、してるんですよ ’と言いながらも私の目の前のものを見詰めた。
その年号の下には少し太めの文字体でその部分的に“ カガヤ ”というカタカナ名入りの社名みたいな文字等。以前の例の如く私は繰り返しそれら全文を憶えてみようとした。 2015年10月13日

私は一度それらを文字等刻印として記憶したものの、私の中に圧が高まったようにその面が終了後、もう上記の断片等以上を想い出せなくなった。
もしそれが押し印用のゴム印だったとしたら実際には反転面に造られている筈だが、私はその場では考え付かなかった。また、最初の‘ 笑み顔 ’について、時折街の通りで私が移動中にそのような無意味に笑顔をするだけの若い顔もあったが、私は見ず知らずの他者からのそれを一度も面白いと思ったような憶えが無い。それらは通行ルール違反を問われての女の子嘘だろう。
しかし、私の課題は‘ 夢表象の由来・成分を読む ’なのに、またその表面にとらわれて昔の私の繰り返しだった( 夢の最中にも異性への欲に関心としなかったというのは私自身だが )。前回のひとつの問題点として・もし‘ 受け答え ’自体に関心としてしまうとその状況それ以上の分析を試みるのが難しくなる。
私は今回の表れ等にはひとつも解釈が付かない。私として重要なのはその場に表れているなにかを的確に読み分けるかどうかなので、表面に対して記憶術が使えるかどうかの問題ではない。


以上は私が` 夢見の実践 Stretching ’ウェブサイトに収録していた私の夢記録ファイル等から私自身がこのページに選択・再収録したものです。
( 元ファイル等: KO10_1.htm, KO10_3.htm, KO10_4.htm, kohshirohokeda1.htm, kohshirohokeda1_2.htm, kohshirohokeda1_8.htm )

自覚夢と明晰夢の記録 ページ1
自覚夢の記録( 再編集-収録 )a