新しい夢見のために

2021-07-27: イマジネーション?
久しぶりに( 私の寝入らない状態で )“ 夢 ”みたいな映像が遇った。〔 その直前まで私は“ 明晰夢見の実践というタイトルを正しくお伝えします ”と自身に何度でも途切れ無く言い直していた;〕イメージ( ぼやけてくっきりとは見えない ):なにかアパートの建物外観か,その窓のような中に(その少し上から見下ろしたかのように,)テーブル上その小物類が置かれてあるような。色味も形も淡くぼやけたような,そのテーブルへと向かって視ようとした処( タイプライター? その瞬間までは,なんでかその映像に関して“ アドルフ・ヒ×ラーの物 ”といっているようだったので,“ ヒ×ラーの書斎 ”というのだろうか?と私は視たが.,)次の一瞬には“ 窓越しにみえる室内 ”自体が別の印象に変わったかのように,かろうじて写真立てなどの可愛らしい小物類がそのテーブル上にみえる( どの輪郭もはっきりとは視えなかった )近づいていった。

〔 “ 能動的想像と明晰夢 ”というモティーヴィエーションでは(先日予告どおり,現在また,ここと今後への)繋ぎがある。お唱えのように特定の夢見ワードをできるだけ繰り返してみたのが,眠りに落ちない(呑まれない)ためには利いたのだろうか。〕

2021-07-26: Do I?
私は“ 夢 ”だけを信じる。
今朝,私は明晰ではなかったが,ある町の出口にだけ“ DoI(ドゥー-アイ)Street ”という特徴的なロゴ化された看板が掛かっていたのが(繰り返し,何度か)みえた。その度に(なぜだか)はっとさせられた。“ o ”の文字だけが暗く塗り潰されたような形だった(と憶う.)
私の解釈では,それは“ 私がその町から出ない( 穴から外へと向かわない )”という暗示だ。私はそれの何なのかを(挑まれた謎々みたいに)調査したかったのだろう。
英語圏のひとは“ May I-? ”と尋ねる場合がある( これもひとに依っては変なおかしな言い回しだと思うかもしれない。“ do, don't, never ”以外に私なにか要る? )

- ある筋肉自体が本当に緊張しているならその部分は痛まない。私は知った( 言いかかりは“ 虚弱 ”の側からだ。)

2021-07-22:
“ 女の子 ”は(冷却されて)無数の雨粒しぶきに変わった。微かな青い閃き(遠雷のような。)

・ 自動的なイヴェントに入る瞬間,必ず両目を寄せて‘ みる. ’

2021-07-23:
昼,休憩中. 映像的な(一瞬の)イメージ: 正面に女の子用タオルみたいな物( 薄ピンク,赤い花の模様ひとつ )掛けられてあるような。その下端片側が(何も触れられていないのに)少しだけめくれ上がりかけたかのように動いた。直後“ チェリー ”というワード。
〔 私の部分は未だに“ 花とポルターガイスト ”という(2002年度,あのテーマを)忘れていないのかもしれない。私-自身が他にアピールしようとするときには(私にとっての,目撃できるような)現象は起こらない。〕

2021-07-24:
早朝,視覚に色調が減じたよう( 色味が無いみたいな。そんなに内的なカラーが遇ったようには記憶に無いが? )

2021-07-25:
・ centerからの明晰夢を( 周縁化されない。)

- 私が‘ 明晰夢見の実践 ’というWebsite名を。

2021-07-21: 特定の形をやめる
午後,両目を閉じてみると,なにかが見える。( 一瞬,急速な眠気とともに )光の扇が半ば長方形等として折り畳まれたかのようにひとつの人影みたいにフラッシュ-収束した。
( 淡い粒子状の集まり,次第に明るく )一点“ 光 ”の欠片かけらのようなもの。

2021-07-18:
関心性-欲のはじまる処(-忘れるタイミング,動能から“乗り”への自動的な移行に注意してみる。)

私はもう死んでしまって“ これは現実だ ”という価値観念の夢をみているだけの,夢かもしれない。
“ 惨めさ ”の(あるいは“ 不安 ”の)原因?

夜の道路上,雨降りの水溜まりに(どれくらいの深さか)私は両足を踏み入れて渡ろうとした。ある屋内,私が他者たちを無視して手洗い場に入った処で,彼らの数人が責めるように近づいてきた( 私の一方にあった鏡がその一瞬-反対側に移ったかのように,そこに,ある男子たち数人のこちら向きの顔が映った。それでちょっと判断が働いたのかもしれない。)すぐに目が覚めた。
直後,私はあたかも“ 彼ら ”に言いかけるようにして“ 明晰夢見の実践(オリジナル)と,ご検索ください ”と(意識的に)ワード化してみた。これは重要な点である。次回,もし同じような状況場面が繰り返されたら,そこでメンタル自身のワードとしてこれが有効なる。
“ 鏡 ”反射した姿というメタファーとしての表れだという解釈が(その場に遇ったとしたら,)私のレヴェルで‘ 夢だ ’と気が着けた可能性。

2021-07-13:
・ 両目を交差させないで寝る( + “ メンタル ”に関係ある。)

2021-07-10: 内心がどう呟こうとも,先ず必ず‘ 夢だ ’と言う。

私は未だ“ 昨夕 ”と言っていた。路上,また影のように(口々に,)そして悲鳴のような声 - “ 悪い夢の中 ”に要請された,まるで誰にでもできるような喋り型。

2021-07-11:
“ あらゆるメンタリック ”の無為。

2021-07-09: 明晰夢できない?
まさに“ 良いひと ”という評判の最中に“ 悪く ”なり.,“ あげます ”と言ったひとが“ ドロボウ ”呼ばわりされる. 私は読み解かない。“ アブノーマル ”などと言った者たちが,彼ら自身の評だったのかどうか.,私については未だに(“ パニック映画ブームメント ”の因も。)

休憩中-室内に置かれてある物-幾つかその場の光景的なイメージとしてみえた。が,それらは実際の光景とは少しずつ違っていた。例えば衣類用ハンガーに掛かっていた私の黒いタオルマフラーの編み-隙目が(物理的なそれよりも)更に開いているようにみえた。
ラジカセみたいな(開閉-板の付いていないそのカセットテープ型の凹み,見慣れない)白いボックス。

2021-07-05:
記憶物()を注-意する。

2021-07-06: 総体としての現在視点。

2021-07-07: 私の目で意図する
日記ボードへのカテゴリー付け足しのために,系統的に私の夢記録等を読み直していた。( 夢見への試み:2019-01-22, )“ わたしが鳩のような鳥の首をチョップした ”という,不思議な自覚の伴った夢( そのあと,私の腕に膨れたような感覚が遇った。)私この夢記録に読んで‘ そうだ,両目にも,凹ませたくなければ自発的に押し開くように動かしてみたら ’と思い付いた。普段に‘ 両目でなにか叩きつける ’というのは物理的に難しい。私は姿を見詰めるというあれを何年もしなかった。あれは一種のハンティングであって,受け身にならない筈だった。むしろなにかを“ 見ないように ”するという行為は逆接的で,抑圧というよりも,もう一方に表れたかもしれない。
身体機能が必然的に亢進する( 使われなければその部分はただ衰える )と同じく,注意-意図にも必然的な機能性や活動の意味が無ければ不注意に忘れられる。
両目自体で視ようとしない時の“ 自動的なもの思い ”とは,受けの状態に過ぎない。(210707a)

2021-07-08: 正しい私の像
時折私にとても不機嫌そうな顔をする女子受付係員が偶にある。私は係員たちの変な態度にも関わり無く以前クレーム等を各図書館宛てに書いたことがあった。私-自身に一々理由を尋ねようとは思わないが,心理的問題として扱うのは面倒臭い。
後々このようなことが私の中で増強されれば,あの“ 少年たち ”のタームと同じように,外的な対立として投影増幅される。私は“ 少年たち ”自身だった( 単に若い子たちといって一方的な“ タメぐち ”のような態度をとられるのは-なんで?と不思議に思うだけだった. )
今朝,私はそのような“ 変な状況 ”場面という再現を持ちかけた瞬間に( だれかのいうのではなく, )私自身の像その外側から視ているかのように,そしてその像に本当に‘ 先生 ’と言いかけてみた。すると,おはなし側は直ぐに大人しくなった。この方法には矛盾が無く,無用な外的投影や訴えに逆-利用されるのでなければ,恒常的( この場に,リアルタイムに )なれるだろう。