合成をしない.( 性-源 )との問題

2019-04-21:
霊体-取り戻す.( ‘ 彼女 ’として消化?一致されていたもの )
‘ 彼女ら ’性-源にしない( 合成しない ).

・ ‘ 抵抗 ’利用する。

2019-04-22:
‘ 背中に海苔が剥がれる ’と言えば、あの“ 夢見の実践 ”時間帯ではなかったものの.,墓地まえ暗い路上-前方の不意に灯りのドアみたいなものが開いたのとみた、そこから人のような姿が下りてくる。そう言えば、ここは市バスの通り道でもあった。
あの北口への前,左側にみえる‘ ダークピット ’( ある灰色平面がかってみえるような )薄暗い私だった。
‘ うんどう ’前日( 暗がりの道 )

私は‘ それ ’をみた。
PDウスペンスキーのグルジェフしは、“ -‘ 私 ’と発音するとき、それが体のどの部分で響くか ”というように述べた。併し、それは“ どこに ”であって、“ だれに ”とは質問されなかった。“ 私 ”とは何であろうか。
“ -‘ 彼らは ’夢見の実践を知っている ”と言ってみたが途端、こちらの右手が自動的に猿のそれのように( 言うが度に,2回ずつ )振り上げられた。

2019-04-24:予前予期
私は昨日‘ 私だけの ’にいた。私は図書室にいても‘ 外部 ’ではなかった。純粋に私自身のまぼろし-“ 他者 ”。
この図書館にいるとき私は‘ 開架や高さをものともしない跳躍( 猿の行動? )と、高所不安 ’について再び考えた。“ 高所( 感覚 )”は身体性の問題であり、“ 高所( 落下墜落までの距離 )”そのものであり、それらを予-前に保つ、自我欲求の象徴であった。たとえば駆け上がりとは、‘ 死を持たない( あるいは- )’自由。
けれども、私は“ 書架に登りたい ”と言ったのではなかった。このまえ私が端末機に向かいちょうどこの‘ ひとり ’いられる試みでいるあいだ.,その開架前通路にひとりが独り自分に呟きながら( 周りのしんとした無関係にも )ごめんなさい!などとまた声に出してはそれも無視されてはいたが.,案外それが一時期の私に関するイメージそのものでは?と私は思い至った。緊張か緊迫か、それは自身とのアピール行為( たとえば‘ 視線ほしがる ’が自ら目線をする )の本質、求め要請である。
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この右半身は純粋だ( 押し出さない )。本来的には“ 笑い ”は有り得ない、といったGの台詞は正しい。

2019-04-25:
連休に予期をする( 夢見の実践のために )。成長期の体として。

2019-04-27: 白い砂の平面
( いやがらせを消すために )私自身にメンタル一切をころそうとしていた。“ いちじくの木は枯れてしまえ ”?だが、そんな木‘ は ’跡形も無し( あらゆる単一否定形は反対側を固定している.私は発するだけで受けはしない )と。
[ 朝方,私はアリゴーとフリッツ博士に関する素敵な話を読んでいて( 彼が最初に“ 手術 ”したルシオ-ビテンクールという上院議員が事故死された時、“ 黒い十字架 ”がみえたという。彼は親しいひとが亡くなる時にそれがみえるのだと言ったそうだが、だれのこととは予知できなかった。 )この行に読んだ一瞬、だれかの手に十字架がなにかの平面にそっと置かれるという、半ばイメージ化されたような印象が遇った。
午後にも“ 十字架 ”の偶然が遇った。私は数日来フライパンに魚の骨など煮込まれたものに更に材料を浸しながら箸で摘まんで少しずつ食べようとしていた( ブリあら骨は口中に刺さるの巻 )。私がアリゴーに関する話を想い直したその瞬間に、私が持ち上げた箸の先にその魚小骨2本が、そのちょうど長めと短めとの直角に交わったまさに十字架形であった。]

‘ 小鳥の鳴き真似 ’コンテスト
もしや普段の私がトランス人格で、かれらのニセモノこそが本物だということもあったのだろうか? 私は“ 激しやすいひと ”の為に毎回死ぬことを避けたかった。だが、何に傷つくという言い訳が遭ったろうか? いつも通報したのは私の筈で、彼らとは無関係だったのに?( 私は実際というには一度もだれも呼び出さなかった )。‘ 理性そのものを拠り所とする ’という方式に至るには、あらゆる依拠“ アイドル ”は労費だった。路上の声掛けアビール,私は‘ 小鳥の鳴き真似 ’とみなす以外に術が無かった。私から何か言う可能性があるとしたら、これらページという発信源だけだからだ。
私は‘ 声まね鳥 ’を無に帰した。
- 小鳥たちの沈黙 ;2020-10-15.

〔 昨日か一昨日の夢か自動イメージ等どれかに、ちょうど高い展望台を想わせるような形の鉄塔と、その少し離れた所にその塔よりも低くみえるビルディングという絵が遇った.
この印象は、私の自転車最中にみえた鉄塔とビルディングというその光景に拠って、不意に想い出された。 〕

2019-04-28:
かれらの“ 笑い ”は性-転化( 転訛 )だった、という見方。そう言えば、Cカスタネダのドンファン師匠にも性欲-転化の表現と思われる振る舞いが遇った。

- 私のどこに意図するのか。

[ “ あの有名な方を言いたい。”という敬意,“ 先生!”と言ってみる。]

自転車での別ルート,花の木2_若宮南_南山_自由ヶ丘2_砂田橋と経由して( 地図上では29km弱,名古屋大などの高度不明に付き傾斜分には計算不可,要サイクルメーター )だった。私は交差点以外では立ち漕ぎだけなので、私の両足底には古い靴下等を丸めてストックする。前夜のうちに側面ダイナモの角度を浅くしてみたので、坂道では久しぶりにキューキューガラガラと音がするのだが( おそらく雨降り時にはその回転部分の刻み目が滑って点灯しない場合があるので、単一ライトだけならタイヤとの接触を軽過ぎくはできない )。

私は路上男子の一々咳払いには気に掛けなくなったが、忘れている。
+ どこから忘れているのか、おもいかえしてみる。

性-源との問題( ページ次 );2019-04-30