ベクトルを掴む

2018-07-19:
午前中、居間のすぐ外側になにか重い金属を弾いたような物音が何度か遇った。なにか父の植木等に触りに来ているものがあるのかと、私は一度陽射しの中に出てその辺りに視たが、動くような気配は無かった。

小さなダンゴ虫のような、茶褐色のもの。私が指で弾くと次の瞬間それは硬そうな渦巻状の貝殻のようで( 暗褐色がかった )、冷蔵庫下へところころ転がった。そこから物凄く大きな、甲虫というより芋虫というか、頭と胴体にオレンジ色の模様付きの長いもの。それが父の寝ているところに向かって動いたか〔 その父は実際の姿とは違い、ほっそりと長い両足に丈のある赤っぽい柄付き短パンツみたいな物を履いていた 〕その父の右上腿後ろに噛んだ。‘ 痛っ ’。虫は後じさった。

- 両足自体で噛む。

○ 午後(A図書館にてIT端末と)休憩しているうちに( そのような別の屋内環境では久しぶりに, )“ さざれ石 ”といったような砂利状の金と銀との鉱石みたいな印象が遇った。

- 片足に支わるのをやめる。

2018-07-20:
私は‘ 私の両足 ’を一旦リセットしてみる,私の古い記憶を解放する。

2018-07-21:
正午頃、起きだしたが、また体の右側だけに不調があるのか、喉か鼻奥の右だけが痛い。例によって鼻水も片方だけ。昨夕私の帰り路にこの両足自体の動きで(かつてない速度で)歩いてみたが,そんなにくたびれたという感覚も無かった。このような症状,ひょっとしてなにか感染したのではと思う( そう言えば、一昨日小便に赤褐色があったので私は“ 血尿か ”とひやっとした。おはなしには,時間的に“ それは次の日まである ”とは言っていた。“ 家庭の医学 ”-尿の異常項目と見たら、“カボチャ食べ過ぎ”が原因? それにしても食べた分量と比して毎回そんなに濃く出たことは無かったので、私がまえの夕方暑気にやられないようにと帰り路ヴィタミン飲料を補充したのも同時に作用したかもしれない。濃いめの尿が出たのはそれから数回分だった。 )
鏡みたら右目蓋だけが下がっていた。一度おはなしには“ 彼女の扁桃炎 ”だと言ったが、仮にそうだとしてもどうしてこういう形になるのか、わからない。また今夕うんどうすれば進化するのではないか。

2018-07-23:
昨日一日中わたしの両目蓋は奥二重に戻らなくて若い頃の顔と同じだった( “私自身”はこの状態が2週間は続くと言っていた )。昨夕また私の両足をいっぺん解放しようとしたのが原因だろうか? 

夜、私の顔面は修復されつつある。私は“ 2週間 ”という潜在的自己規定には縛られなかった。私が本気でやれば“ 明晰夢 ”できないわけは無い[-ただそう言ったがゆえに. ]自身のどこかにまた‘暑気に負けた’と思い込んだだけだ。

2018-07-24: 青い星と砂浜
たとえば私が自身に“ うちの母 ”感覚だとおもっていたものが、どのような成分であったのかを走査してみる。それらは違う組成かもしれない。“ 父の匂い ”であったものが、別のもので、別の名前でさえあったかもしれない。
私は一時期なぜだか私自身に“ お母さん ”と呼ばれていたと思っていた。だが、それが実際の対人に影響作用している部分かどうかには判らなかった( 当時私はユング心理学の“ 元型 ”に関して私が云ったようなマターあるいはメーテルというようななにかを信じていた )。しかし、これが家族に措ける母性の( maternal )ものとは無関係だというのも私には自明のことだった。メターナル-ファンタジーが在るというなら、ここには同時に対象化されるものもあるわけで( 私にとっては99年頃の明晰夢的な場面が私の視点としてのこれだった )“ 息子から ”と規定することは普通の男子には難しい。‘ 夢見の実践 ’は一度も家族的な話題にはならなかった。
+‘ おかあさん ’と“ 外界( を消失させる )” :2019-04-13
‘ 夢 ’について語ることは私自身をビッグとおもわせるが、[ 世間的な相には, ]ひ弱な微塵であり( ビットの分子のように,それでも街通りの中にうろうろするニセモノみたいに“かれら自身”を請け負うよりはいい,夜風に鈴の音が聴こえるとき. )まるで個人名として存在することすら?

午後、例のFアステア映画“ 恋愛準決勝 ”一本だけ持って“ スランプトップ ”と交換してみようかと判断しているうちにまた夕方は無くなった。
今更なんでか三島の自決に想うものが遇った〔 これも冗談ではなく右脚との想起かもしれないが、確信は無い 〕。私は一度もその本を読まなかったが、私はただ‘ 作家生活の終わり ’と言ったんだと思った。それがみじんな小さな虫のような境遇かどうかは分からないが、でも私なら“ ふんし ”という形ではなく、本当にひとりで体現できれば。
そんな風に思った瞬間、再び私の右脇腹に線状に小さくひきつるようなあの痛みが2回起こった。( 私が先日ここにも記したように )私は右足のどこかに未だに“ ヒッ×ラー ”と言うようなものがあるのを知ってはいたが、おそらく2007年前後までの情動か記憶の条件だろう( 名前名称というものは自身という文脈に於いてはどれも象意言語であり、本当に他人を付き指してはいない。あの路上笑い-拍手の少年らがまぼろしであったように。私が路傍の少年グループを“ 嫌った ”のは彼ら自身の問題かもしれなかった。彼らが私や私のような者に何か言いたがったとすれば、それらは“ 自分自身 ”に対して逆の言い換えをしたということだ。私は最早“ それら ”をつくらないで無に帰した )。
ワーグナー“ パルジファル ”には、若い主人公がクンドリという女のようなものの再来と次第にその懊悩を知り、彼女と誘われるが、あたかも王アンフォルタスのくたびれ倒れる寸前の“ その傷 ”であったのかと覚え、その名を呼ぶ。その劇はまるで無邪気な日の再生は不可だと言ったかのような疲れたラストであった。

22時過ぎ、軽装にて速足歩き。が、N城公園東側まで行くまえにお腹が下り痛くなったので、YH商店街通を上がりかけてから41号線沿いに戻った。その歩道を直進する,私と自動的にこの両足を動かしていても、ひとりでいられるひとつの瞬間が何よりも良かった。
ぎりぎり間に合った帰りのあと、この六面体を両手にと苦心しながら新しい論理を発覚しようとしていると、いつのまにかこの右目側がすっきりしている。

2018-07-25:
朝、私はフロイトのアナルエロティークに関する論稿を読んで、その合間にフライパンを動かしながら私の両足に女の子たちに言いかけるように言うとしたのを思いだした一瞬、今度は昔“ナチ×”関連歴史概説本に見覚え遇った、ある若い女子隊員のモノクロだがおそらく金髪の両分け三つ編みに朗らかそうな笑顔と一見大柄にもみえる制服姿という写真のイメージだった。
これは前夜私が‘ 記憶-条件的? ’と書いた所為でそこから更に連想が働いたのかもしれないので、直接両足からのリンクだとは決めつけられない。
女の子像が若過ぎる?

2018-07-26:
私は私の両目を洗おうとして‘ この両目は湯を避けないのに、右眼はこれを避ける ’と気づいた。私は使いかけの丸められたティッシュペーパーを私の左眼と右眼とに同じように軽く跳ばし接近させてみたが、この右眼には私はそれ自体を真っ直ぐに投げることができないようだった。
こちらの眼に受けること( 当たる )を避けている。だが、なぜだろう? 私は歩く最中にこの体-右側を引っ込めないで左側と楽に張っていようとしたが、なぜだか萎縮したようにこれ自体を動かせなかった。私自身‘ 怖い ’が原因だろうか( 想起されないなんらかの記憶に因る? )と考えてはみた。が、わからない。
私が‘ みよう ’としなくなったのは本当だ。

夜中、私がフロイトの論稿を簡単にメモしたとき、私は、ある図書館に関する別の記憶自体みたいなものが絵的に同時進行しているかのような不思議な印象だった。
そういえば、昔カルロス-カスタネダの本に“ トナールとナワール ”といって、日常として知覚される現実と、非日常的現実とが、あたかも並行する別々の( 普段の生活には認知下の,呪術師たちに拠るもう一方の )記憶であるかのように述べられた場面等としての描写があった。彼には普段それは不可知の領域であったもう一方の“ 現実 ”が、あるとき不意に甦るのだという説であった。
私はその図書館に関してあたかも私の知らなかった別の印象を持ったかのようだったが( まるで私の起きたままの状態で進行している不思議な夢みたいに )、ところが、なぜだか私はその直後にもうそれらを現実的な記憶のように再現することができなかった。続いて私がこれを記している最中にも進行中であるかのように場面のようななにかがあった。
私はその図書館に一定期間通ったけれども、私の通常の小さい意識上にはその施設やなにかに関わったという言い方ではなかった。

午後、私は出かけるまえに私の体を洗っていて、この頭の表面右側( 私が左手でこの記録を打ち込んでいるからか、また“ 左側 ”と言い間違いがあった )額に近い左右対称に安全カミソリを充てようとして、この右側だけに直接に触れたがらなかったときのように、私は私の手を休めて、私の両掌先を両側こめかみに充てた。私はこの“ 右側の触れにくさ ”には記憶的問題があると思っていた。
そうしていると私自身というよりもなにか堪え難いといったようなものがあり、児童用のグラウンドに設置されているような水平の黒い鉄棒がみえた。私はそのような物で私の顎を打ち突けてしまったりということは過去当時の記憶にあり、印象化されたこれらは潜在的因子とはならないだろう。むしろ想起されないか忌避されているものが不可解なのである。