“影”に視る

2018-07-04:
私にはこのまえから“ 振戦 ”というワードが懸かっていた。私は以前“ ヒステリー ”に関して例文などを読んでみた。私は今度“ フロイト全集9 ”を借りた。
私には門は“性愛”生活ではなく呼吸のためと同じだったので、どっちが表側でもクラインの壷みたいに違いは無い。小児の頃から体のクリーニングがきれいにできなくて[?]いつも不快感が遭った( 伸び盛りのときが清潔かつ健康であれば。少年期の私は自己生来というには環境的に抑圧されていたと思う,理由のために )。それで、ある時期に私はできるだけ洗うのを慣習化した( “ 刺激 ”感覚に拘りすぎると足長さんにはなれない。肝心なのは器官としてではなく、直接一体性と機能するかどうかだ )。
- 私は帰り路面になんでもないポール(支持柱)の“ 影 ”その薄暗さと境い目にさえ,私自身との生気をみるようだった。夜道 ”の本質はそこには無い。

2018-07-05:
ウィンブルドン女子テニス試合放映,私が眠気にうつらうつらしかけたとき、
○ やや不揃いなヨーロッパ風の石畳にマンホールひとつがみえた。先程の“ 穴 ”(の無い)話題となにかあるのだろうか?

- この体の右側-通じにくさに原因遡及をこころみている。かりに指に負傷があったとしても、神経的な脈絡に直接原因となるわけではない。
右腕-腋下からその首の付け根-こめかみ内側付近までの微かな痛みがある( この下半身にも )。これはその途中に怪我があったとしても( 負傷の場合には )おそらく心理的なものが原因だ。しかし、痛み自体のその部位の訴えではなく、( 以前一度私自身と問題にしたように )いわゆる頸椎と神経との物理的な障害かもしれない。
身体的にイメージされにくいが故に、このような推察は忘れられ易い。また、“ 頸椎ずれ ”だとしてもその発生自体特定されてはいない。
私は春頃一度“ 彼女 ”を身体的の匂いと復活しかけたあと、あたかもそれが原因であったかのように、私の体の乳房等がふっくらとしていた。うんどう不足かもしれないが、このようなことひとつにも私自身のベクトルとして作用し得るものだろうか? 自己霊現象だろうか?と意外だった。
今なら私は私自身の特定部位を感覚的に動かせる( 敢えて‘ 右目で視る ’ようにして )と思う。

午後、脳みそのどこかが少しリラックスしたのか私の体の右側が急に効いた。本格的な夏まえの小雨-夕方、昨日にはもうそんな空気は存在しないかのようだった。

2018-07-06: ・四肢を繋げ、ハードの中核に‘ みる ’。

次号・ ヒステリーと夢-研究,07,7-2018