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記憶と夢見:条件と状態について

2023-03-20: 分身無価値
[ これまでの(わたしの)発表的概要:
私は人間的な関係性すべてに無意味-無価値とした。従来すべてにとっての意味-価値という(特徴的な)採用,感情-感傷的な“拠り所”に執心する理由は無くなった。
..電車内で妄念のような“夢”みていたのは私だったのであろうか., ]

所在
私は寝床で久しく私の体に触れなかったようだ( 若いころの温もりが感じられることは殆んど無かった. )
あたかも体以外の参照点ばかりに転じていた為に,身体的一致に反して“外界”の理由づけと変わり,変なものが主体との認知に代わっていた( 私は“嗅覚”の有無に心理的問題みていた。単に関知されていない自動性は時折不意に再帰するのみで,私の状況だとはいえない, )
しかし,身体的表面という外的メタの転換が手前に完全に戻されれば,私-自身の“参照点”は消失する- 言わばも無く,“周辺”は解消され( いま一旦閉じてしまえば, )そのへんの存在に依拠した状態ではないからだ。
[ 先週“虐めのオバサン”としてこちら自身の引っ掛かった要素を見分けようとしていた。一時期,ある者たちがそのような“虐待”自任し-代行したのか( 私は関知しなかったが, )あるいは彼ら自身にとってそんな不幸かつ犠牲だったのでは?という見方も遇った。-否応な“世界”参照の犠牲者を..?
いや,すべては投影なのだ,他人など存在しない,私きりの孤独な世界認知,脳の壊れれば何も存在し得ない..と。]

今朝の夢にも象徴が現れた。
ある3人の体が動きながら互いに均等の間隔となり,その終わりに一致したかのように右膝をその中心に向かって揃い上げた姿勢で( 両手もその足とは互い違いに前後に上がり )きれいに止まる。その動きの真上から視たような絵で,一様に膝下丈の白いハイソックスみたいな(3足の中心向きに止まった形に)なにか刺繍の文様が付いていた。
私は前夜まだ覚醒していたあいだに私の肉体にその体勢自身と感じたものが遇ったのを憶い出した( そのあと私の寝床に着いてから-あの前記したような温かい一体的な感触であった。)

2023-03-23: 所在,感情,状態
不意な感情( 不意な反応-動静 )注意条件点ける。

..なにか複数人のひとかたまりにいる場面(ひとりはセーラー服姿の女子だが10代にはみえなかった。“わたしは”それらを通信のグループだと見なしたのだろう。)わたしは“あなた方が言えなかったことを今ここではっきりと言ってくれ”というように切羽詰まっていた。またこちらから頼んでいた。
普段の癖であったかのように,“世田谷一家事件”に関しても私は聞こうとした。(私は以前“ヴィジョンの例”には書かなかったが,“赤い洋酒のボトル”というイメージが遇ったのを憶えていた。)今度のおはなしでは“それは社長からもらったバカラックだ.”
今回新しかった点は,(朝)娘ひとりが洗面台の前に立ったままで( 事件で亡くなったと言われていた, )2006年に一度そこに戻ったことがある.. あの“ファイル”に書いたのとは別の話だ..
無論,私はこれらが象徴的なヒストリーの類いだという見方で検討するが,一々意味不明で( 今週,偶々古いウィスキーボトルの香りを嗅いでみたりはしたものの,アルコールを必要とはしていない。)私-自身の“生存説”だとしても,現在の文脈に与する処は無い。
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私としてはそれらの内容自体には捕らえない。“感覚-感情”自身のように振る舞うのは危険だ。私は敢えて最もむかつかせるような記憶を憶い出してみようとした( 私は“ミルク呑め!”と言われたことが無い- )が,その私には,なにも起こらなかった。
記憶と感情に関して書かれた本には,“ある記憶からそれの感情が喚起されたとは限らない,感情自体の原因かもしれない。”というような言い分も遇った( 逆に言えば,ある記憶は何らかの感情によって喚起される? )ある感情が特定記憶に基づく問題だというのは(無関係の)連想か思い込みに因ったのかも?
[ ..刺激に拠り-感情,それから記憶-?
( これも,無論,まとまった記憶の想起というレヴェルからではないので,ある感情の原因それ自体だという見方も! )]

-また忘れていた。

2023-03-25_追記( Q&A式:)未読.

自動的“見る”観察を及ぼすは可能か?
能動的想像と明晰夢との問題, )
明晰夢見は(“見る”は,慣習的に)後退している?( 前記-慣習-状態..と,自動的な後退させられている? )

2023-03-24: 自動性“明晰夢”不可能?
具体的な想起のあいだには一度も“これは夢だ”言っていない。それはそれだが,夢の最中に私として意識的に憶い出そうとする機会は先ず起こらない( -睡眠夢の自動性質からは本来“明晰夢”不可能だという意見.,それ普通夢に“私は”在り得ない-と。)

2023-03-26: “意識的に見分けようとする”
ある半分屋外テラスみたいな。箱から誰かのメモかスケッチのような紙を取り出しては(Mに似たひとりが協力的に手伝い見ていた)それらの何なのか見当を付けようとしていた。[ その場では“わたしは”明晰的なのだと思っていました. 長い、夢を、みていたような..
-“意識的に見分けようとする” が(今この場に)ただしい‘ここ自身じしん’? .... どんな問題もんだい.. ]
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