依存と中心

2023-07-17:
依存と中心

中心からのもの以外ニセモノとみなすこと。このことは完全であった筈なのに,また失われていた。

直に右半身で支えようとしたとき,もはや像的なイメージは起こらなかった。それに依拠していた如く,半身の緩みは妥性的だった。( 私は長らく右手や右足の力ませ具合から半身にこれを調整できると思っていたが,単に末端からは無理だったのか,一度も通せなかった。- 左足“ 貫通 ”時 :2016-09-16
直後,右手での頭や鼻への触れ方は違った。

2023-07-18:
左手のアプローチと比して右側は拒否的だった( 未だ右手自身に付与してはいなかった. )
-右半身自体への拒否だったのだろうか?( あたかも“産湯で落ち葉の付いた部分が彼のウィークポイントになった”といった伝説のようにか,肉体そのものを避ける理由が遇ったのだろうか? )
中心の意識しないものだとしたら,逆に感受の側が必要であったという見方にはなるが..。

2023-07-23:
夜中,健康の本を読みながら( 先週,まえに読んでみた著者名から“水と体の健康学”を探してみたのだが,K図書館での検索には見当たらなかった。しかし,ちょうどその開架に“水の教科書”というタイトルが遇った。)私の右足で立てよう努力の最中( 肌質は相変わらず改善されないのだが,取り敢えずも“挙上筋”をアップし続けるような体勢を作ろうとしていた。このまえ“アストリッドとラファエル2”のラファエル役もちょっとだけ“あの挑み顔”の振りをしていた。)そのとき‘ 夢だ ’といってみる
もっと鼻の通りが良かったとき-おもいだした。呼吸さえもそんな表面的な惰性に変わっていた。

2023-07-23: (続き)超硬水のこと
例の“教科書”は簡単本だった。読みかけたあと,近所の薬局に偶々コントレックスが遇ったので,一本買ってその晩と次の日にカップ一杯(一口ずつ体の許容する分だけ,もっと呑めたとしても,安直にやらない方が良いと思う)試してみた。
“硬水ではお腹がゆるくなる”というのは迷信だったのか,翌日のあいだいつもの下痢のような便は一度も無かったし,その次の朝に漸く排便が起こった( 普段よりも暗く固めの便であった。)
[ 連想語か,そのとき“血便”と言った。以前一度書いたように,わたしは鶏卵の殻をミルで粉に挽いたのを飲んだ所為か(それから丸2日間,排便が起こらなかった)冷や汗のような不安とともに漸く固すぎる巨大な便を何本か手で取り出したのだが,少し血も付着していた。意外な恐い体験だった。]
暑くて発汗量は多かったものの,一昨夜以来,水分量も増えたので,これは硬水のかもしれない。
[ 午後,近所に出かけたあと,不意な吐き気と(珍しく)嘔吐が起こった。消化不良。]

[ 上記からの翌日,私は例の本と何ページかメモしていた。“ ..体内は中性もしくは弱アルカリ性 ”と書きかけた処,なんの具合か“ 弱 ”の字で突然ペンのインクは吹き出したみたいな,その文字だけ滲んでしまった。pH高いと嘔吐の怖れもあると書かれては遇ったが,私はそんなに飲んではいないので違う原因か?思った。因みに,アルカリイオン水の(飲水)上限は体重の5%以内だという。
今日も便の状態は昨日のと同じだったが,その最後少し軟便に戻った。あの以前のように固くなってしまう程だと,腕など肌の表面は変に乾いたみたいにカサカサ状態になる。取り合えず食事時には超硬水を飲まないように気をつけてみる。]

2023-08-01:
体の右側は(謂わば)“外側に開いていた” -それは必然“要求される”問題になったゆえに,動きだせなかった。何らかの外的状況依存的だったなら,単に主体は存在できない( まるで“周り”から欲する-嫌うというのは変なこと,-すべて要求だと言えないとしたら. )
外的考慮であったものをこの体と再一致する。

2023-08-10: もどりの真相
“わたしは全国的に有名でなければいけない”といった言い訳は,謂わば,自己自身の完璧な主人公でないなら私はここに存在もしていない--分離ゆえの望みだ( だから私は信用しきらなかった。)
私は本当のラインを見つけようとしていた。喋ったり言い替えたりはできない。私にとっての価値あるものは( 言葉に依ったり性格的な相手をするようなニセモノとは無関係だった- )徹底しなければならない。

2023-08-13: 枝葉と果実
昨日も昼間の最中に自転車を動かして自習に行った。
“(わたしは)卵の中にいる.. ”と言った。それは“出たがり”の子どもには逆接的な,酷い言い回しだったのだろう。仮にそう言いたがる者がいたら,いや,あなた自身のこと( 私のではないから.. )と,昔あのオバチャンらに(会社を使ってでも,このひとに何か私物的に言いたいのか-と)言い渡したように,私は完全自由だと言うべきだ。[ 私の水中を泳いでいるというひとに無闇に引っ張るようなものこそ,危険なニセモノだった。
しかし,たとえば“カワイイ”の原理は(おそらく)生殖本能であったように,そこにはなんらかの“外在-余地”が遭ったのである。]
私は栄養素に関して資料を読みはじめてから,名前の“有効成分”(ひとつずつ)試してみようとしたが,何年かコラーゲンやヒアルロン酸について言われかけたように,目的の成分を得るがためにその結果だけを外側から殊更に取り込むようにして飲食するというのは“信心の問題”と同じだと。それで,私は食品として“卵”の栄養的にも金銭コスト的にもベストだと見なした( わたしの好みはしばらく生鮭だったが,もはや刺身の最後いつだったか憶い出せない。)
卵はそれ自体で生命の元に最も近いわけだから,原理的だ。鶏が最初だというひともあったが,口は常に成長するとは限らない。“アンチ-エイジング(抗-加齢)”という言い回しは,後半生の(消極的な)否定形であり,成長が本意だとしたら,第一そのような逆説は有り得ない。( それらの本は,“ 卵は一週間に6個まで ”と推奨していた。)
“ 老化はなぜ進むのか ”や,“「老い」を遅らせる食べ方 ”といったタイトルから読んでみようとした。どちらの内容にも,ある科学者たちの推論や一般の“常識”などは次また次と,新しい発見や否定に代わっていくのだという点,枝葉から果実へと辿る旅のようである。 [ ..果実から枝葉? ]