夢-象徴

2017-04-26:(前掲-整理済タイトル“ 墓石と彼女 ”よりの抽出.)

自転車備品等リペアーに手間が掛かってほぼ1日間。古いブレーキシュー等を削ったり研いだりしてそれらの高さや面の角度を再調整しては間に合わせてみた。
やかんにお湯を沸かしかけて再びその自転車部分をみたとき、‘ お湯の加減はいかがですか ’。私はこれ以前におはなし側から教えてもらうことは無かったので,これは便利、夢見や六面体パズルにもこれができたら。

午前中,夢には不思議なイメージがあった。その光景自体は普通にどこかにありそうで、千鳥格子か一定の粒々に分離したような( 敢えて似たようなものとして言えば画像フィルターに施されたような )中心にその画像面自体に対してなにか反射があるかのように白っぽくみえた。

‘ 両足自体を伸ばそう ’と送りだすようにしてみたら、墓石等のイメージ( 普通に日本にあるような立柱型に薄灰色っぽく表面磨きがある,複数 ),次に‘ 彼女 ’のあの髪型の印象。
リビドーその対極にあるかのような墓石等とがあらわれるといえば、高藤さんの夢見トレーニング本にあったような表現。〔 これらは生殖シンボルと再利用とを同時に表しているのだろう 〕。
私がこれらをメモしていたら私自身の口中に先月あの公園付近にあったような匂いがあった。

彼女の髪型 (イメージ・彼女,2016-08-04;)

昨日夕方( 5時代 )にもおはなし側に変な‘ 介入 ’があった直後、家の前の路上,女子グループがわざわざ大声でしつこく言い合うような振りがあった( 私は玄関内で自転車整備の最中だったので、もし近隣への嫌がらせなら直接彼らを聞いておこうかと。しかし私の請け負いではなかった。学校側の責任でもない。私には心当たりは無かった )。
そのとき私は‘ 今日“ われ汝に呼ばわる ”のオルガン曲を一度も聴かなかったからだ ’。私自身が潜在的にぼうっとしていたのかもしれない。
BWVの600番台はとてもいい。6つのコラールのうちの速い曲もおもしろいオルゴールみたい天使来たように可愛らしい( 昨日には、このようなバッハの曲はおとなしいひとにはまるで発-興したかの色彩的のようだという派手めだったという印象もあった )、これらは“ いざ来ませ、”や“ 人の望みの喜びよ ”旋律等とのアレンジにも聴こえる。あたかも3つのパターンだけのものを60のヴァリエーションに変えたとでもいったかのように。

夕方再び自転車への取り付け。リム面にブレーキシュー等をフィットさせるために微調整を繰り返す。

2017-04-27:
私は“ 路上の掛け声 ”を否認したので子どもたちの要求という形で反映したというわけだが、問題は私が“ 夢見の実践 ”を死守しようと言ったところにあった。
私は私の両足自体を伸ばすためにはそれらをやめて放任するべきだと言った。私が単身のつもりで背丈両足が伸びなかったのは“ 我慢強さ ”の所為だと、例えばつるま図書館の向田さんは“ けんか ”という一言で私のその“ 分裂 ”に言ったのではなかったか。

2017-11-09:
{ 夜2時過ぎ頃、( 実際には無い )一瞬の振動のように何か箱か容器の倒れてその一定の重さのある物品等-中身が散ったというような“ 音 ”の感覚だった。 }

ある街-光景。建物等-向こうに、茶色い多角形の古い教会建築物に視たような上部尖塔スタイル。〔 この夢-直後に“ エチミアジン ”というワードがあった 〕。
( なにかの室内,素手こちらに殴りかかろうとするような髭面-太った男,壁際に半ば腰掛けたままうつむきがちな青い顔にサンタクロース衣装姿という青年,キャップは無しだがその右手にあったのかもしれない )。
エレベーターで下りる? 
施設内と街-人通りとの間。
吹き抜けロビーのような所,向こう出入口からその光景自体に無視して神秘的に歩き来るかのような姿( すらりと高い、教会シスター礼服のようなスタイル、顔無いかのよう )と、その右隣にグレーのややゆったりめのローブ姿。

2017-11-11:
街-夜空にオレンジ光点幾つかとブルーの光点それぞれ大きめの星のような( すべて輪郭の無い )放射状光としてみえた。その右側、ブルー光ひとつがゆっくり水平に動いていた。なにか都会でのお祭り見物といったよう。〔 直後の非連続的なイメージではあたかも新宿副都心ビルディング等上空に視たようで、ある上空イメージには白い楕円形-線に直角に目盛り等が付いた一定幅スケールのような表れが掛かっていた。
( 朝方みたいにやや薄青い大通り交差点の一角という視界。わたしの傍に傘差しの男性ひとりがその道路交差側に向いて立っている。私はその左側から話し掛けた。傘越しに振り返るその頭は無毛,何気無く話し掛けられたというよう )。私は夜に視られたあの不思議な未確認-移動光を言い( 交差点その斜向かい歩道上に地下入口との囲いなのか、黒い和風木造模型みたいな三面だけの採光窓等付きその外観 )、
‘ ── 結局“ 夢 ”だったんです ’ 〕。

{ 私自身‘ それら睡眠夢などの合間にはリアル状況その場に“ 夢 ”とは言わないただぼんやりみるのがその夢-条件だったのかもしれない ’とも思った。私が‘ 夢だ ’と言えばそれらの前提は否定されると? しかし、私の前例等では‘ 夢 ’と私の実験とが決して同時に不可だというような条件付けは無かった。
( 今回の記録作業では“ 夢-象徴的な表れ ”という見方は後天的な義理で、私は“ 夢からのサインを比況に読む ”というような分析にはしない )。
モティヴェーション落下?という言い方は当然なのだが、これはまた私に拠る条件付け=可能性でもあるという活況なので、いよいよ頑としてみたい }。

憶い出す → 意図する
○ ( 無言に )‘これは夢だ’と身体的一致してみる。

・私は私がどういうときに‘ 夢 ’と記すのか( 見落とすのか )推敲してみる。例えば、私の手で室-灯りを消すとき。だが、これは私のフォーカスではなく、以前からの条件付け-効果だろう。寝床では完全消灯してこのひとつに戻りたいというだけだから。私は度々“ わらいの少年少女たち ”に私自身なにか事前に潜在的に言い掛けでもしたのだろうか?と路上にではなくここに問いかけた( 私には見当たらなかった。私が仮に“ グループ ”に分裂させられたら‘ 私 ’ひとつの現在は無くなってしまう。それで私は私が必死にと言えないので毎晩私のひとつで在ろうとした )。
私が本当に必要とするのは、ひとつ読んだり書いたりする具体的時間が有ったように、ひとつ記して実行できるか。

○ 私全身‘夢見の実践’発達する。