夢見のための3(仮題)

2023-06-23: あるイメージ,3要素(分離,身体+)
朝,なにも憶い出せるような夢の特徴は無かった。再び寝床にて印象的に表れるようなものは無いか-と思った。..不図(目の前に)即席ラーメンの袋ひとつ遇った[ あとで,ある特定の商品に少し似てはいたが,そのものではない. ]それに対して,半ば自動的にこちらから手を伸ばしてその四角の角に指で触れてみた〔 昔わたしは四角い板などをわたしの手に取ったときに,この両手の人差し指や親指との間にその頂点等に押さえながらその対角-軸に回転させてみる-という癖が遇った。〕スーパーマーケット内の商品棚,売り場-通路にみたような。
..一見のこと,何でもない一瞬毎の表れだった。このイメージには3つ要素が遇った。ある物-要求された-,(手で)触れてみる,その連想的な状況(場所)である。この順序は“物に,触れる,それの状況的に(在り得た)場所-”となる。
但し,わたしは一度もマーケット内で商品を“菱形回し”してはいないし,それが単品ラーメン袋でもそのように触れる動機は無かった( 私の手に4個包装つづりのチーズを指から指へと伝い回して戻すあの動きとともに精算レジへと歩いたことはあった。一度ペットボトルで“ペン回し”もできたが,売り場ではしない。)
無論,ある夢場面のはじまりといったかのように,自動的であった。この“モビールまわし”は身体機能(確認)的な一種のトランスボディー作用だと見る向きもある。ここでは身体的といった意味で“分離”カテゴリーにも敢えて付録してみた。

過去記述参照; 3つめの夢見(:2021-12-10, 下記カテゴリー夢実践にて )

2023-07-07:
夜のうちに“視覚的粒子状”の兆候が遇った( 微かにあの“ノイズ”も聞こえる.. )言えば,“夢”が接近している。
[ “症例マドレーヌ”に関しては後半に面白味なくなった,期限返却したきり。マドレーヌ自身の語りで一節だけ“幽体浮上体験”のように述べられた部分は遇ったが,殆んど宗教的ばかりの観念や“神秘的”の意味は彼女以外には分からなかったようだ。
そのあとウクライナに関する歴史ガイド本を少しずつ読んでみた。帝国から独立という新たなる希望との繰り返し観になる。これも半分読みで期限返却。
昨日ようやく昨年版の“腎臓が寿命を決める”一冊だけ借りてみた。リンなどに関しては三石さんの分子レヴェルでのお話にも何か書かれてあったと思う。薄らな記憶として一応作用してはいるだろう。
無理な状況的ストレス読書のために,ある本来的方向を不活性にしてしまうのは良くないし,また“健康”のために良識的な取捨選択が(一時的に強制されて)必ずしも合っていたとは限らない。]- 一晩のあいだに読み切れるかと思ったら,案外抵抗が遇った。
-両目視界を寄せてみると雨が降っているかのようだ。

夕方,曇り空だったので比較的に出かけ易かった筈だが(このように面白い記録もできない,)体から硫黄臭,男子の3日目だろうか? 今から出かければ20時まで1時間分というところで,やめた。体力的な問題ではない,単に“外(向きの)気”に変わっていた。

2023-07-08: 実験
私は以前にも一度“ 身体運動しながら(同時に本を開いて)読書集中し理解するのが非常に難しい ”述べた。あのときは床側に腕立て伏せか両手に本を開いてその両腕に身体を支えるだった。体に負荷の掛かった状態での(特に慣れの無い筋肉運動中)読書という経験は無かった!
[ これこそが当にも‘ 私と明晰夢見の難しさ ’だったのである。これも記憶との障害であろうか? ]
そうして,夢見言ってみる。
-“ 体のぶれる向き ”観察.

2023-07-01:
昔“ 気 ”の実践領域には,“ 気 ”の力で外気を清浄化するという概念があった。そのような“受動”の対極ともいえる発身の関係は,中心力からの自在として(不潔な“外的”や“おはなし”をものともしない-)すぐれている。
私は“明晰夢見”自体でいようとする試みが難しいかそもそも不可能だとするそれの問題に対して,‘ 自在夢 ’といったワードに戻すべきか(既製とのワードに委ねなく)主要ファイルのこれとして在するといったが。“怪我したすべて”はリセットしなければならない。

2023-07-06:
“到達できる速度”
“落ちていくボール”には( 一見 )自由運動のポテンシャルがある。

Q&A式 15. 更に“これ”を追究する - ボールは止まっている? :2022-06-04,

2023-07-12:
再度‘ これは夢である ’自身を利用できるか。

2023-07-24:
私が意識的(を)はなれると自動的なおはなし側は優勢になる。“ ..夢,分離され ”
しかし,私は身体的(焦点)に拠って私のこれを保持できる。

2023-07-25: 見えない舌
朝めざめていると,なにも無いようだった。私は“見つめ質問する”従来の関わり方とはしなかった。私の本質的な意気は“ 投機-している ”であり( “感受する”世界の意味というようなあれには )無かった。

私には“トイレ最中の処を見られる-”と“路上の視線に迷惑だという”とは,同じ位相だった。だから,それらはただそれだけだった( -時には,それが二重あるいは三重に投影されたかの如く,いっぺんに増幅された. )私は本来の意味で他のために-することはできなかった。