正体

2022-11-21:
両足の着地位置(感覚の点)から顔の部分にも影響できるのではないか?と,私は思い付いた。無意識な着地(この中心)の作用に因って,顔面にも無意識にも意識的にも表れるという可能性。
テレビの“チャリダー”番組にハリセンボンの箕輪さんが出演していた頃に,数回そのやつれの無さそうな顔を見れるのが好かった。私はそのお笑いの筋を知らなかったので,“このひとインテリかもしれないな”とウィキペで履歴をみたら,その思った通りだった。若い体で居ようとするなら,頭が要る。
そう考えたり,‘ リフトアップの根本とは ’いおうとしていたあいだに,不図,女性というよりは昆虫からの擬人化された顔のようなものがこちらにみた( 頭は平べったく,その真上にひとつ小さな触覚か何かが先端の丸い形に出ていた。両眼は人間のそれみたいに瞳に分かれていて正面向きだがその小さな顔の両側に半ば(車両後部のテールランプが両横に出たような形に)出ていた。視たような顔でありながら,昔アニメなどのどれとの記憶にも無い絵だった; )おはなしによれば,“ 元は蛾だった ”という,
私は自我像の一種だと思い,“ なんか予言したりする? ”
“ 予言って..ええと.. ”(なんの意味か判らないようだ;)
“ prediction.. 先見,と言えばいいのかな? ”(直訳ではない. この“ 先見 ”という語自体の文脈というべきか。私はこのときには単純に私-自身との何かだと思って未来を訊ねたのだが,あとであの“モスマン”のたとえか?思いだした。前の話題に“AI”の主演俳優その後に関しても検索してみたのを書こうとしたが,本筋に無いのでできなかった[ -あの映画の質-調として言えば,暗い低調だったので,もっと上の調でも良かったと思う.,ナレーションの声は本来ダグラスレインだったのでは? ]私がその映画等をビデオで視たのはちょうど2002年頃であった。今度のウクライナに関しても“蛾人”予言されていたかもしれないが, 私は追っかけなかった. )
“ ああ,それは..明日のことがわかるというような.. ”
“ うん,..明日って ”
その直後,私は以上のお話まるごと不意に憶い出せなくなったかのように,1分間程その直前の文脈から辿って憶いかえそうとした。これも,使われなかった筋肉を起こそうというのと同じことだ。

[ 2022-11-21 _付記:
私がこのまえ読みかけたピエールジャネ“ 心理学的自動症 ”には,ある患者たちの“ 麻痺 ”状態に関して,次のように書かれてあった;
..リュシーやレオニーのようなヒステリー患者は、夜に見た夢が視覚性のものなら目が覚めてもその夢を覚えている。しかし運動性のもの──たとえばベッドから起き上がるなど運動感覚が介入しなければ暗闇では何もできないもの──は覚えていない。..その記憶が運動感覚の強まる夢遊病状態でしか再現しないのは驚くべきことではない。最後に、感覚型を決定する優勢な感覚が突然変化することによって、覚醒時の記憶の奇妙な喪失が生じることも理解することができる。
..催眠やいろいろな技法で誘発される感覚のこの変化は、患者の失っていた感覚を一時的に取り戻させるだけなら、それ以外のどんな方法でも引き起こすことができる。..ヒステリー患者に電気がすぐれた効果をもつことも知られている。有名なルイ五世は「電気風呂ですべての感覚を取り戻した……。その脳が開かれれば彼の人生のすべてが思い出されるであろう」。/( 第二章,VI 夢遊病状態後の覚醒時における忘却、その解釈より., )
ところで,ブライアンイングリス著“ トランス ”に拠れば(“ 懐疑主義 ”項目の前後一節 /4章,)ピエールジャネは催眠の現象に関して例の驚異的なものがあると気づいたが,恐れたか,上記引用のタイトルなどには記せなかったのだという。( -“トランス”現象の概観に関しては,能力研究-読書ノート(2018-2019,)に若干の引用等とメモが残してある. ) ]
-
私は以上を書き込んでから(翌日夕方)再び“ 心理学的自動症 ”を借り出してみた。( -先の“ トランス:”例のジャネに関して少し書かれて遇ったページには,フレデリックマイヤーズという“現象研究”の名が出ていた。私は再度そのコピーを読み返した時点でマイヤーズとシャルルリシェという名とを関連的に意に留めた。 )
私は帰り着いて“ 心理学的自動症 ”返却期限の挟まれていた頁を視た( その紙札は図書館係員が偶然に差し挟んだものだったが, )まさにそのページにそのマイヤーズとCリシェの名が同時に記されていた( “自動書記”に関した部分, /第三章 III 心霊現象をめぐる数々の仮説.,巻末-人名索引に拠って見た処,その名2つの1ページ開きに記されていた確率は,数えてその後との3ページ開き分であった。 )
これはあのCGユング的“偶然の-”というよりは,私-自身の“予め”といったべきだろうか?

(..第二章-続き)催眠術者による“人格”付与? / “彼女の色あい”について; 2022-12-08

2022-11-22:
うんどう不足解消のため,暗いあいだに自転車で通り慣れた18km程を走った。直後朝方室内では裸でいられたが,また“ロスト”したのか,風邪気味だ。夜まで寝床にいた。
教室のような室内-背面壁際で,男子たち暴力団みたいな者どうしの一触即発のような状態。わたしは他の銃を抑えながら一方の前にいた。
わたしは対面の男に“ アメリカもソ連も(と,言いかけて,時代の違うという意識は遇ったが,)どんな小さな空き地も,結局だれかの土地というわけか.. ”
( 台詞のように一度に言ったが,同時に,それ自体の不自然な状況だ-という意識も遇った。 )
対面側のひとりが突然緊迫したかのようにピストルを取り出した( 慌てていたが外見的に痩せた年齢のようでも遇った。一瞬その大きな拳銃のグリップ下側手前に赤いテープ状が短く貼ってあるのがみえた。 )その周りの何人かは急に跳び退いた。わたしは背後の者たちに“(彼を)撃て ”と言ったが,だれも撃てなかった。

また無駄な“もの想い”に時間を労費している。徹底していないから“妄想”に左右されている。単にそれらに対して意識的であるというだけでは駄目だ。
[ もしこれの直後に同じ場面が繰り返されたとしたら,私はその場に‘ あっ ’と言ってみただろう。 ]
( その場面では私は憶い出せなかったが,“ダイハード2”の青いテープ赤いテープの弾倉といった文脈だとしたら,ある“ 事前の仕掛けによるウソ ”が暗示されていた。 )
現代人はテレビなどの“リアル”と捉える癖に慣れ過ぎてそれらが生活習慣になっている(といった一般論自体でもある。)単に無意味な映画ドラマの場面よりも,実際には“欲求的な”ものについて(その脈と)気づく機会の方が条件化の度合いとしては強いのだろう。たとえば(私には)男子たちの暴力よりも“異性との対面”のほうが夢見条件向きだったのである。

[ 最近2週間程のあいだに,以前テレビ放映の映画で視た“ ウインドリバー ”イメージが再帰していたが,それも原因不明だった。私はあのとき後半のクライマックス部分だけを偶々視れたので( BS12だったか,今度NHKでも是非ともドキュメンタリーの放送機会に合わせて放映してほしい, )先住民女性行方不明事件の捜査に関して,お助け人役のジェレミーレナーが(その捜査者たちの命の危機に間に合わせようと)ひとり離れた雪原を全速力で走るといった後日感動的な文脈に過ぎなかったのである( 当時日記したように,その事件の発端が客観的映像として挿入された行には,スピルバーグ“ミュンヘン”犯行場面の連想となった。 )
私にとっては“ ある時に(完全に)間に合わせる ”ことの象徴であった。 ]

2022-11-24:
“他の対象”のうちには純粋な(身体的)夢見は不可となる。

2022-11-26: 両目でみる(再)
私は普通に右側視界へと目を向けようと振り返る瞬間にだけ‘ 夢見意図 ’の途切れると気付いてはいた( 先述.,-以前私は“ 右側を見れない ”なにか記憶的な原因の問題として書いた。 )これ自体との心理的問題であれば,無論,これは‘ 夢見の意図 ’自体でもない。“そこ”に見えない何かがあり,一瞬あたかも(右の片目だけ)それの為に閉じてしまうといったかのように,夢見の脈にとっての障害と等しい。
これは“ 過去-現在(あるいは未来からの)”問題と言えるのか? 私は再び夜道に試してみようとした。
朝方また暗いあいだに小雨のなかを自転車で走った。先日チェーン外れ無いように後輪を更に後退していたのだが,またゆるんだようだ( 以前も名古屋駅方向から真っ直ぐ伏見駅前を広小路通りに走り抜けようとした時に,同じ箇所で外れた。心理的に言えば,そのような大通り交差点での走り込みには“ 慌て(させられる)”だった。何年間か,あの周辺では3時過ぎにも大声を発したりする数グループの歩きが遇ったりしたので,私は毎回こちらに声を掛けられないように敢えて速度を上げようとしたが.,もし変速ギアつきだったとしたら,雨の晩の跳び出し猫みたいに反対に撥ねてしまったというべきだ。 )だが,私の側がいつも“バーカ”と言っていたのかもしれないように,そのような分離も,じき終わる( 理解の範疇になる。 )
しかし,戻りコースではどうしてか‘ 両目の一致して視る( 左右の視野に分かれないでワンサイトとして視る )’ 実に久しぶりに自動的再起した。これは‘ 身体的一致 ’としての全的一体であれば若い夢見の体そのものとなる。

客観的様相と,無関係な“怒り自身”-という見方。なぜ2008年の終わりまでにそれらを高めなければならなかったのだろう?
“強迫する感情”自身のベクトルは別もので,ある神話のように(後のものと)合成され利用されたというべきだろうか?(あるいは,それらが)常に現在の様子であるかの如く,ニュースに綴り変わっている。
ある“年数期限”に依っていれば,先ず“ 幼時からの自身 ”だったとは言わないだから。

2022-11-30:抵抗 ’である( すべてのはじまり。)

寝際に“ イーゴリ.. ”と言ったが,その作家名?には私は読んでいないので,“ ここの潜在能力の持ち方.. ”が,そのなにかと似ているという意味なのか,わからない。

夜,急な冷え。なにか夢の最後には(こちらに嘲笑したような,)白シャツ眼鏡姿の中高年男性とその一員みたいな年下の者たち。それは一瞬だったが,私は冷静にして(観察的に)それら自体には対峙しないでおこうとした。

偶然みた短いテレビニュースは“ 火星最接近 ”の話題。もし占星術で見れたらその“位置(座)”が戦争流行りを表していたかもしれない。そう言えば,12月は私の生まれ月だった。だが,おはなしには“(わたしは射手ではなく)その周りにいるんだよ ”言った。

2022-12-03:
最上位からのノート( これ-視点 )再度夢( 視る )案件
自動的な記憶回想のたぐい( 想起-感覚されるものとしての- )すべて‘ 夢見 ’条件化してみる。