一つの夢見( 推定夢見 )

2022-10-23: “(明晰夢見のための)みみせん”?
街路には一度も“ 表現 ”しなかった。自閉症のアストリッドのように防音用イヤーマフラーで両耳を塞いででも歩けただろう(誕生日のラファエルに指ぬき一個をプレゼントしたのをパーティー参加者たちにからかわれたのがショックだった。そんな情動的ストーリーは記憶回路の刻み易い。)
自転車で走る道路上からの注意だった( 数個グループの歩きみる度に,遊び半分みたような不快はおこった。こうして書くのは関心目的ではなかったので, )そんな心象にセンシングし気がつくとしても,どんな再認識も通行の危険だった。

例のミルトンH.エリクソンの療法に関して著わされた“ <レジリエンス>を育てる ”には,次のように簡潔に記されている;
..外在化(externalization)は、患者が自分の問題行動を外側から見られるようにすることによって新たな方向づけリオリエンテーションをするテクニックである。たいてい感情の衣をしっかりまとっているその行動がなんらかの形で自己から切り離されると、患者はそれを評価しやすくなる。自分の行動は理に適っていると思っていたのに、他者のなかに自分と同じ行動を見て初めて、外側のその観点からだと、その行動はまったく理不尽に思われたという経験は、たいていの人にあるだろう。子供が自分の悪い行動を真似ているのを見て不愉快になった親も少なくないだろう。リオリエンテーションに用いられるその他すべての方法と同様、外在化は思考への刺激であり、その結果としてまったく新しい情動的現実をもたらしうるテクニックである。..いずれの患者も自らの魅力的な信念体系の外側から自分自身を眺めはじめ、自分の見たものを快く思わなかったということである。外在化の重要な利点のひとつは、自らのアイデンティティを再考する機会が患者に提供されることであり、たぶん別のアイデンティティを試す機会も与えられるということである。( 第11章 新たな方向づけより,そのあと,ある患者に関して,暗示に依って“水晶の玉”に(ある子どもの姿として)視るようにと催眠が用いられた一例が示された。-“ 水晶球幻視 ”)
..必要なのは自己観察ができるちょっとした道、いいかえれば、自分が自分として存在しえないときに自分自身を見る機会である。その道、その機会を利用することによって、その行動と既存のアイデンティティをつなぐ通常の刺激を迂回するのである。
たとえば、自分の非友好的な行動に関する批判はいつも無視してきた人も、自分が他者に与えている不快な影響について誰かが正直に語っているのをたまたま耳にすると、急に気になりはじめる。そのとき彼は自分自身の外側に立っている。というのも、誰も彼に向って話してはいないからだ。自分の行動の描写を、その行動が自然に発生した情動的コンテクストの外側で聞いているとき、その人は何が必要で、何が適切なのかを考える機会が与えられている。これは日々普通に生じている非公式なセラピーのひとつである。

“水晶球”にみる? :2021-02-22

(読書引用, 続き)みいら :2022-11-04,

2022-10-21:
なぜ従来メンタル的なキャラクター相手の対応をしなければいけなかったか?という質問( 自身付与のために。 )-なぜ“ひとびと自身”の持ちである必要?
“ひとびとのイメージ”止む,というのは,昔Cカスタネダの本も述べた“ 世界を止める ”に等しい。
ハングリーかそれともハグリーか( “欲求”のつもりが抑圧だった..? )

ひとにころされなかったカミのおはなし
午後,ワクチン接種に出た。陽射しは辛かったが,リフレーミングの可能性は在った( 以前,陽に当たったような憶えも無いのにその晩にうっすら焼けたような状態に気づいた。抵抗がどう働くのかという観察は意図的でなければならないだろうし,意図的観察であるなら“ぼんやりとしたような(抵抗感?)”といった受けにはならない。抵抗感の利用が本意であったなら,自ら“過去の苦痛”と申し立てるのは無駄だ。 )
私は左手でも左右対称の作業は可能なので,今度は具体性のために右腕に打ってもらった( 左腕初回のときのように,痛まなかった。 )帰り道,制服中学生たちに通り過ぎたが,今期は女子生徒たちの方が慎重なのか,私の姿に笑い声を上げるのは10代前半までの男子傾向。年少の女児などは“なんかこわい”と一見口癖のように言ったりもするが,わたしの外的な刺激にはしないでおきたかった。( 一度も“通りすがりの笑い”を私自身に許容してはいないし,この点には“特徴的すべては自己イメージ”という説とともに,明瞭でなければいけない。 )..左腕に(以前の記憶からか)ちくりとした“感覚”遇った。
帰りの直後,右の下腹-足側との筋肉が釣りはじめた。うんどうに拠って喚起されてきたのだろうか。日没後,いつものように20時までの図書館に自転車かけてみたが,その途中には憶い出さなかった( 昨日カレンダーにみた時“次回インターネット端末での確認作業は土曜日以後”としていたのに., )その消灯している光景に一瞬どっきりとなった。
健康寿命のおかげを思えばラッキーだったので,うんどうで良しとした。しかし,身体的‘ 未来 ’は人間的な“面倒”にはまったく無関係であった。

2022-10-22:
朝,急な寒気と震え( あたかも,寒気の意識されかけた途端に., )接種の時刻から14時間目だ。おはなしは“ 14時間目から18時間目まで ”というように予告した( なんでか“ 普通16時間だ ”とも言っていたが.. )
..ちょうど4時間あとに睡眠から覚めた。体温は36.9度Cのままなのだが,寒気も感じられない( 暗示効果か,室内温度差に因る? )
フライパンで目玉焼きを作りかけた瞬間,私の無意図に,おはなしが“(ロシアの元大統領Mが)地中海に行く.. ”と言った。

2022-10-19:
すべては連想に過ぎない。
すべては観察の対象となった
( 過去や未来との同一性ではない. )

2022-10-20: (逆説的)白鳥の歌
路上“少年らに因る(不意な,けたたましい)笑い”は増加している。例のサイコセラピストであれば,私がその“げらげら爆笑”から臨時に逃避しているのであって,その不愉快な衝撃的な感じ方そのものと(未だに)処してもいない,といったであろう。私が“彼ら”といえばそれは“彼ら”であって,わたし自身の形を当てはめたに過ぎないのだが,そういう限界だ。
テレビニュースに,ある女優たちの断髪を示す画面は映されていた,それが何のアピールになるのか私は分からなかった。(私は同調的な仕種には乗らないし,そういう勧誘の目的でもない.)生殖機能を放棄したという私自身の言い方でみれば,彼女たちが“女性性”を辞したといったようにみえる。その見なしと同じように,私はあの“児童公園から笑いだす少年ら”には一度も考えなかった。
“ぼく”といった(祟り,)それとも“-くん”呼ばわりの要因は(私のおはなしに依れば,)うちの母との“におい”にあった。仮に,“子ども欲しさ”という反面的な望みとして働いたのだとすれば,私にとって遊びの彼らは望まれないという二重の否定であった。わたし自身の過去といえば,かつての騒ぎ声に私の気に障ったが為に彼らのなにかがそれに気がついてやり返した,といった見方もできなくはない。
[ 内的には“マザーボード”よりも“外国船の船長”というヒストリーの方がまだよかったのかもしれない( “UFOで来た者”といったように。 )生殖ラインとの問題は“ツール”欲求に象徴される場合がある。 ]
(私自身の笑い要素とは異なるが,)なんらかの被害者利得ではなかったのか?という勘繰りにもなる。むしろ,私から責められたり批判されたりした側が一方的に被害者だと称するような場合はあったのだろう。
ここでの問題は,私自身に“なにか”を認める理由が無かった(外的には,何ひとつも)といった点に遇った。私は如何にも関わらないで‘ 明晰点 ’だけで在れたら,といった。

2022-10-17: 抵抗の発見
(‘かわいい’と“かわいい子ぶる”のとは違ったように,)身体運動と身体的意図との次元は違う。だから,ここの意図は具体的である。
-しかしも,ただ“性的”であるよりも( その本質だという見方もあるが, )抵抗の働きがある。
[ “同一”よりも抵抗自体であったら“不潔”という意味合いにはならない。だが,“抵抗性”は( たとえば注射を拒否しないといったように, )未だ可能性に過ぎない。
一度“ わたしの表面は引っくり返ってその玉の内側に人々のような姿 ”といったイメージが遇った。普段そのようなイメージは反対側に投影されていたのであろう。あるいは身体上の“ 熱感覚 ”でさえメタファーかもしれなかった。 ]

ミートゥー支援?
ようやくマイナポイントは電子マネーとしてチャージされた。
昨夕21時過ぎに,あるイオンスタイル-マーケットに出掛けた。食料品フロアーは既に閉業時間まえの片付けに入ったようだった。遠くのものは存在しないし,最近のものには見えないといった如く,私は見当たらない物のために歩き回った。棚との間にひとりずつ制服の女子従業員たち何人かが歩き来たが( それぞれ一々なにか私の姿に気に障ったかのような変な意味ありげな目つきで )こちらに視たので,私は途端セクハラみたような印象と化した。( 以前,昼間-夕方そのフロアーのタバコ売り場みたいなカウンター内で女子2人が始終お喋りしているようだった。その2人も一々気にしたかのように清算レジからのお客に目を向ける,好色そうな印象はそのお店の新装当初から遇った。
[ -そのような特定複数の同時表れには“あのげらげら中学生たち”との特定地域的な関連かもしれないという不審も起きた( ある自動車販売店のお客-送り出し口で若い男子従業員たちが,自転車歩道上の私に笑い声を発したりした。
私から個別のお店名で言うのは簡単だけれども,そのような人権非常には地元の明確な証言や,本当の良心的態度は必携だ。 )10代の学校生やその関係者たちが一個人としての問題を隔絶しようとしていたのでは..?(引率役の学校関係者たちですら,その登下校の子たちからの一方的なげらげら笑いに際してなにも言わなかった。)
妹たちが時折私の言ったことを自分らの記憶上のお話みたいに間違っていたという障害は遇った(-その娘の自殺に関しても私は未だに知らされていない.,)“彼ら”がそれだったかどうか私からは分からない,私は確認可能な“受け”の能力は無い,仮に他の“匂い”との裏返し状態という問題なら,私は一生同調しない徹底した主意だけでいい。 ]
そのイオンスタイルの場所は昔ダイエーだった所で,道路に近い角と東海銀行との間スペースに狭い円柱型の檻があった。わたしの小学生頃にはそこに孔雀2羽が閉じこめられていた., )
そのような障害は人の領域には目立って変な様子なので,おそらく他の従業員からの告発になったり,主任のレッドカードになる場合もある( 私は2009年までには既に“浮気主婦たちの陰険な妨害活動に遭った”というセンテンスで会社等宛てに訴えていた。わたしは強迫的な言い方をいとわなかったので,当時SNSなどがあったらもっとブラックリスト化させていただろう。 )
( 数年まえ,つるま中央図書館の受付カウンター越しに“(婦人の)××を切り取れ!”などと,ほぼ毎日来て怒鳴っていた男は遇ったが,私は彼の非本質的な言い回しだとは思ったもののさりとて止めようとも思わなかった。わたし自身,女子従業員たちからの一方的な不愉快な言動に対して“ 人権 ”主張するのに苦心させられ,何度か折れかけたからだ。不慣れなお客の立場で本当に案内できるのが良い案内人であって,施設係員から“えっ,知らないんですか?”といった口調を使われたら,そのうち係だけの独占する公共施設になってしまう。
しかし,それらの順序は逆に表れたかのようでもあり,ふたたび“仕返し的な拒否”に及べば,それこそ人類の退去とみなされる。 )“異次元”の表れに際して手当たりに言うことは,取り戻せない。

2022-10-16: 違和と同化
-ある“対象”自体が即なる(“こちら”)場合の問題;
(その辺,手前からの投映-映写なのかどうか?)
同化に先ず‘ 夢見 ’第一としてみる。
〔 ある‘ 夢見 ’目的との同化は可能だが,それ自体から新しい視点を起こすには,その意図とする。‘ これ自体 ’であるなら不可能は無いというべき。 〕

2022-10-15: インスタントな訓練
‘ 夢見の意図 ’(注意に)くたびれたら

(-以前ここで述べたように)ぼんやりしてみる。
(これ-から-も?)もっとぼんやりしてみる。
高度の‘ 集中 ’は(すべての一集約であり,)拡散の対極である。

[ ある“星座表”に自分を見い出せるとしたら,それらは投影されている。そのような“反映型”の方が観念的な夢見がちには向いている。
{ モーティヴァー(モティヴァー)が在れば,理屈不要である。 }
( もっと若い物語自身であろうとしたら )このような明晰夢見の試みには読めなかったであろう。 ]

‘ 推理 ’の機会に条件点ける。