入眠時イメージ?

2022-01-13:
夢=観念物〔 目的+形態? 〕

2022-01-29: 内容記憶無し?

2022-01-30:
覚醒時には殆んど残らないが,なにかでたらめな(それとも合成された)抽象物のようなものひとつずつ現れては,なんだかわからない( 私の覚えに無い,それ自体であったかのような. )
だが,それらに見分けの付きかけているのか,注目自体に因るなにかなのか,意識のために“眠り”をやめるという題に,進行中である。

昨夕“ 眠りと無意識? ”というタイトルが既製に遇ったら,と図書館に探してみた。できるだけ新しい脳生理学のデータに因る見解が付いていたら。だが,私の目星に最適な本は見つからなくて,偶々“ もうひとつの視覚( Sight Unseen )”という翻訳の題名だけ借り出してみた。“ 事故に因り,視覚上の物の形自体が認知されなくなった ”というような症例に関する説明の試みらしい。ちょうど,私の現在“ なにか意識されている筈なのに,なんだか判らない ”といった追及の方向とも思える( 無論,私がその題字“ もうひとつの視覚 ”との最初連想では,あの“ 見えない筈のものがみえる ”という能力研究読書からの問題であった。 )

2022-02-02: 圧倒された午後
このまえ以来“ 自覚の瞬間 ”には私の両目視野を寄せ合わせるようにして“ 夢見 ”意ととしてみたが,今回その関係点けの反転にしてみる。ぼんやり状態( 両目よっている )から今視ている( 現在-視覚化“ 夢 ” )という切り替え。
ふつう眠っているあいだには意識との焦点されなかったので,この関係点けの方が睡眠と夢の自然に近いかもしれない。

2022-02-04: “ まぼろしの同級生 ”
先月30日付,なにかでたらめな(それとも合成された)抽象物のようなものひとつずつ現れては,なんだかわからない( 私の覚えに無い,それ自体であったかのような. )
昨日そのような例のひとつに“ ある同級生 ”といった。中学生時代わたしには良くなかった男子たち何名かといった連想だった。そのひとりの顔イメージが遇ったが,いや.,そんな顔貌の子は実際にはいなかった!(と,一瞬後に)想い直した。昔,ある同窓生たちが特定の同級生を“ 知らない ”と口々に否定したのでその場わたしが戸惑いながら言い直したことはあったが..
無論,追憶すべては私の像で( あるいは記憶から自動的に合成された,擬似の )イメージだった。だが,もしそれが逆の関係であったとしたら? 今更“ 入れ替えっ子 ”のようにいわれるのには明解に断るが,これら全部を計算で導けるか?

“ もうひとつの視覚 ”の一節には,たとえば、私たちは夢のなかでも視覚的な体験をするが、これはもっぱら記憶から呼び起こされたトップダウン的プロセスによって生み出されている。( 視覚の起源/ )
要しなくても,主観的な“ 夢 ”は知覚現象である,という意味だろう。私にとっては“もの”自体がそこに認められるかどうかの重要性ではなく,私が視ているかという点だけである。
( 知覚の対象に定義を施そうとしても無意味,“物体の親”になることが夢見を促進するとは限らない。“今ここ”という夢だの現在が無いとしたら.. )

2022-02-24:
“ 表面張力の水面に浮かぶもの ”みる,という(身体的)メタファー。