ねむり(注目)無意識?

2022-01-30: それとも振り
なにかに見入りながらの“ 夢だ ”という注目点けには,なぜだか怖ろしくなった。
寝際も起床も無く,“宇宙大作戦(STAR TREK)”の曲が途切れ無く遇った(-3才頃?)怖かったのかもしれないが,言い訳がましい口調みたいに,根拠は無い。いや,怖いから逃避的な言い逃れを必要としたのか,それとも?
( 私が未だ本当の“おののき”聴いたことは無い。“彼女らは”ごまかしていた。それとのロコモーション? )
[ しかし,私はずっと人工的な制御があったし,依存にも馴れなかった。そうでなかったら,早いうちに死んでしまっただろう。 ]

なぜ“ 見れない(直視できない)”と(何度おなじ所をぐるぐる回り続けても)答えにはならない。
[ たとえに言えば,顔面が垂れ下がりかけるのは骨や筋肉が衰えるからだが,“顔がやつれるから動かさない障らない”といったのは本末転倒だ( 私が最近試している両目周りアップは,ちょうど疲れ目にあてがうように両掌-手首に近い部分を眼窩付近に優しく沿わせながら,その触れている側の顔筋で押してみる。このやり方なら互いに感覚し易いし,ぴったりしていれば弛みと緊張に因る小皺の癖もつかないだろう。 )]
私が一度フロイトなどを読んで参考にしたかったのは文字通り3才までの問題を現在自身に明らかにしたかったからだが,別の処方が私の事象に当てはまるという訳でもなかった。“抑圧”が嫌ならぜんぶを生かそうとするだろうが,どれもそれ自体となるだけだ。“ 現象 ”には応力がある。

2022-01-31:
無論,“ 現象 ”の表出内容にではなく,“ 現象 ”の発生に(これは夢だ!)きっかけとしている。
導体と観察者(;ページ名,または連携カテゴリー)

2022-02-01:
( 今朝最初に“ 夢だ ”注意喚起が無くなった- )ある“全国旨いものまつり”広告にみていた瞬間。しかし,それが“(味覚的な,系統的な)記憶 ”再生に依っているのもわかった。“ 見入る ”瞬間に(観察可能の)意識は在り得るのか?
〔 例の“ もうひとつの視覚 ”という本が,感覚と知覚とのプロセスに関して,例えば抽象的な要素が何らかの形にみえる(“月の模様”に図されたかの絵など)視覚的に表れるものは既存情報との比例だという見方が示唆されている。
私の連想は( 抽出と言ったべきか )記念対称された像や名前などの性格的なたとえであった。 〕

加担する,すなわち動物として終わることの欲求に負ける?( “夢”そのものに私の目的があるだろうか?[ それとも,“宇宙”そのものは裏返しで,“終わり無き理性”がその上を動いている..? ])
未だに“ すべては夢 ”だと見れないのは,今ここにいると信じたかったからだろう( -過去からのメンタルや自己反応に信用する必要性は無い。 )
私みるものすべて“幻覚”である

2022-02-03: “予測”機能?(自発と)
例の地図どおり(間違い無しに)完璧な“ 辿り ”ができるかどうかといった試しに於いて,実際-道なりには私の想起といっても( 狭い小さな範囲等との連結であって )逐一次々に“ 予定目印 ”や“ 何番目の交差点 ”という形で憶い出すわけではない。
例えば路上,ある鉄道踏切に差し掛かったら,そう言えば,地図に表記は遇った.,だが,予期のレヴェルには必ずしもそれと想起されてはいなくて,ただそこに視覚的な表れた物を(その場では照合の無いままに)とおったのみ。事後認知,後でもう一度地図に見て“ああ,これか。”
ふつうゆめに意識的の追認が必要とされる問題--重要なテレビっ子や自己追跡ハンターになるではなく,自発できることだ。

ひたすら身体感覚を強化し(時経化されていた宙空を)収中する。

[ 右足に自力が起こった瞬間,あるとても古いアニメ番組主題歌の部分,あたかも聴覚的なその音印象自体かのようだったが,なぜそれだったのか( 右側が身体的に生きていた時のなにかか? )わからなかった。 ]

身体的本意( 夢の体 )という念。
昨日“ ぼんやり状態と意識的焦点 ”について簡単に書いてみた。私は路上では安全のための視覚以外には先ず注目しなくなっていた。そこには( 意識的焦点が )無い。詰まり,例えば自転車で動いているあいだには私は身体的でいる。このように先ず身体的注意だけでいるとしたら,室内にいても一々ナイヴみたいな問題に煩わされるという理由も無い( “ものおもい”に比べれば身体的の方がずっと強かだ。脳との方向から見れば,生物の機能かもしれないが。 )

2022-02-04: 最適の回路に適用する。
-( 見入るまえに, )敢えて知ろう(視よう)としてみる。
[ なにかに自動的に見入るは“見入られる”のと同じ( 見つめる - 見つめられる,分離の原則. )]
夢だ!を( どんな特徴的な像・象徴的な表現・状況にも )徹底してみる。

2022-02-05: “ 夢 ”自身に試す。
なにか違った点は無いか?と視てみる( -これは夢だろうか?