覚醒への試行

2021-03-03:
まだ午前中,寝床にいるが,読書中,私の両腕を持ち上げたまま(通常に寝入るのではなく,私の身体を常に緊張させておく。)疲労と拮抗しているかのような瞬間には,両目蓋視野になにか黄色っぽい跳ね回るちらつきのようなあれがみえる。

・ 外来的領域が“ぼんやり”させるとき(外来的領域との“ ぼんやり ”に)意識-条件つける。

私は本を置いてくたびれたように私の両目を閉じた。ある夜道での光景が(自動)再生されたときに,私は“そこ”みたいに他の参照基準を持たなかった(あたかもそれ自体の,実際光景よりも人影の無い別の場所みたいな,少し暗い印象だった。)私その場所では横断歩道前に信号を替わるのとみていた普段だけで,私の‘ 夢見 ’という意図は無かったのだろう。詰まり,その印象自体は違うレヴェルでの暗示物か,なんらかの関連的な再生であって,それが同時に“ 夢だ ”いう私の夢-条件ではないからだ。
ある印象や,もの想いにつけて‘ 夢だ ’と気づくように条件点けることが可能だ(これまで私は私の情況に際してそれへの一対象的な条件点けを‘ 私の意 ’と言っていた。)それがなんであろうと,たとえば私-自身にテレビ画面を視ながらただ“ ゆめ? ”と呟くような対称の関連付けだった。
私はもう特定の物を対象化してはいなかった(ひとつひとつに記憶-対象化すれば,それが次回“ 想起 ”となる-)
しかし,もし“テレビ画面”自体にではなく私の‘ 夢見 ’設定物がここに有ったら?

光景という幻影,目にうつる形-特徴とは(同一的な,精神的にみれば)病気に過ぎない。

(一面鏡の)ボール
前々回の“ 夢だ ”にみえた視覚的-粒子状が,そのアンカー自体として潜在的に遇ったのか,それとも私のそれへの条件点けが“ 夢-光景 ”に際して自動喚起されたのか? 私はもう私にとっての魅力的な対象物を持たなかった。外になにか働きかけるものがあるとしたら,それは同一視のためではなく,記憶-反復に過ぎない。
今更“ 心像 ”としての表れに対して私の立てるような魅惑的な題材が無い,不如意な状況である。
昨夕,ある図書館で検索用の端末に私の探し物をしかけたら,50音配列に切り替わっていた。私は打ち込めるかどうか試してみた。ん?“む”のキーが無い? ところが直後,項目枠に“ 心理学 ”と入れかけるとなんの引っ掛かりも無く,手指自体が動いたように(以前フロイト論稿で練習したときみたいに)すらすらと打てるではないか。これは文字通り“ 焦点 ”の問題かもしれない。ある文脈,ある系統(神経?)との繋がりが自動的喚起される。私は英語を自由に話すきっかけが難しいように,その“ひらがな入力”にもそのキーボードに依拠していた。両手指にタッチが無ければ,それは存在できない?

2021-03-05:
・(状況下にではなく,)先ず肉体コントロール取り戻す。

2021-03-06: 中心-焦点。

2021-03-10:
- 性(衝動)源を塗りかえる(“偶像”習慣-以前に,一芯化する。私の場合,夢見に向ける。)
中心( 元-気,フォース )

2021-03-12:
(外面-境界的に)未だ排除されている夢見,という維持(揺籃。)
“ 雨降りの遊具等グラウンド ”ながめてみているような。

私自身のログに付けたカテゴリー語すべてを読み直してみると(約150,)ある状態の表示としての名詞形と,動的な意図のワードとに分けられる。しかし,その両方を同時に表せる,ひとつ(中心)という意-自体の領域もある(動的であり,その状態が元の一致する目的自体である。)私の夢見-条件化のための項目等を集約-収斂してみれば,この傾向がはっきりする。

2021-03-13:
性衝動を塗り替え,未だ排除されている夢見という維持,“外界性考慮”無しで。

2021-03-20: 夢見る身体
〔 私は簡単な小型の計数カウンターを用いることにした。私の以前これについて書いたときにはその意とに関するためだった(“ 明晰夢のための実験-トレーニング試行 ”記録等では一瞬毎その時刻と私の状態を書き留めるだけであった。)
私の夢だ!と気づく一瞬のために1カウント。これは私の指にくっつかない。だけが,ここに連続する一瞬というものが(先に,前向きに)無いなら,無為。これには“ 遅れ後押し ”してみても駄目,今これだけ。
[ ・ 押して,今ここに‘ 夢見ている ’瞬間,-が,忘れ置かれてしまったなら,もうその一瞬は無意味(むしろ一瞬の空隙,私の意識にできなかった0ポイント数秒間に?)]
・ 一瞬毎に腕の振り(この動き自体で)‘ カウント ’してみる。修行? 数値の問題とは無いけれども,物理的にカウンターを留めたことに拠る,おや?ここにあるのは!と自動-付属的に憶い出される可能性は高まる。〕
私は始めてからこれを記しながら“ 38 ”で,もう押してみるのではなく,‘ この瞬間( いま )’にいる。これ意と的自体である。
・ これまでの視覚的な試みなどひとつひとつ併用してみる。
[ 未だにここに欠けている,覚醒夢実験の試み。]
-
私の計りはじめて今朝までに“ 50,” 一夜に少なくなくても50回“ 憶い出さない ”瞬間が遇った。えっ? “ 意と-忘れた ”回数って?
‘ 押す ’とき,意とこれ自体が念として留まるか。(もし“忘れてた!”が次のきっかけとなるなら,“ 夢 ”場面に於いて必ず“ あっ,忘れてた!”が在ればいいわけだ。)

2021-03-21:
計数カウンターが私の手もとに無いとき,私は“忘れた”憶い出せる数をただカウントしている。一瞬の‘ 空隙 ’が意味するもの(非-認知の,境界か,それ自体のなにか。)
一定の緊張との同時-留意は必ず運ばれる。

今朝まで-計測初日“忘れた”回数:175.

イメージ,“ 向き合わない鏡たち. ”

2021-03-22:
今朝までにまた100カウント超えている。しかしなく,これが“ 多い ”と言えるかどうか? なぜなら‘ 憶い出せた ’回数でもあるからだ。もし1日に3押しだったとして,あいだ8時間ずつも寝ていたとしたら?
私の以前自転車いきかえり最中に,どれくらい長く途絶無しに私の‘ 夢見のための ’注-意を維持し続けられるか?試してみようとしたが.,15分間がやっと,30分間も持てればまあまあといった処だった。
-持てる? 今? なにを?
むしろ“ 憶い出せない ”ではなく,‘ 私の今,忘れている ’と言いつづける正-効果的だとしたら-(必然“ 憶い出せた ”の回数となる。)この記憶が方向点けにならなければいけない。

2021-03-24:
-なぜ“ 忘れる ”のか(その目的)?

ある主要な単語が(繰り返し)想起に表れない場合には,それを現在の本質ということ。

2021-03-27:
“急激な眠気”は嫌気という表れか(読みが予定の為に捗らなくて,退行している?)