視点先行,意図的意識

(“わたしは信じない”からの改題.)

2020-10-04:
中心から動く。
- 的当てには“ 一発必中 ”という言い方があるが,ちょうどその逆。昔あの“明晰夢”Sラバージ氏は,Cカスタネダ著書に関してわずかに“ だれもそのひと自身を弓矢の的にすることはできない ”という例内的な言い回しで述べた。

夜,血糖値コントロール兼行,自転車で図書館2つに返しにいった。帰り道,K警察署前を過ぎた交差点付近,向こう歩道にか急に男子の一斉大笑いが起こったが( 昼間夕方,久しぶりにうちの近所に突然子供たちの遊び吠える声が来ていたので,またOさんの家辺りが可哀想かなと私は思った。去年うちの壁面に無遠慮にボール遊びをしていたグループには私は,被害者の私が警察署から逆に咎められてまで何年も“ 首吊り ”的にひとり苦慮させられるような辛い因縁は無かった( 特に,外部での女の子からの不潔そうな注目やいやらしい声の態度がなんなのか,私はいつもわからなかった。
-
)今夜ここには私の負い目や“ 匂い ”は無かった。

路上の私は漸く完全な無関係だった( 明晰さの問題は私自身のもので,“彼ら自身”という求めや自負の理由は純粋に自己分離性であった。ちょうど,私の“父親”や“母親”とされたものが,いつも睡眠-夢同様に偽もののヴァリエーションだけであったように..,あるいは,“ 自習室内にブンブンいう蝿 ”がいつまでもそこに羽音をたてている,あれ,,いなくなった-とみたら,まだそこにいる- )しかし,偶像-外見的に気にするの問題,外部に自己性-器的にみるようなやり方は,余計なレセプターつくったというだけで,中心には立てない。
思えば,路上の私に向かってなにか言うような振りが始まったのは,いつだったか,ちょうど私が“おともだち”の類いを必要としない,ひとりでパソコンやれたらとおもっていた頃か.. 然し,そう言うなら,元からだ。だが,私の夢見研究には私の存在性はどうでもいい。わたしは信じなかった。

2020-10-05: “ サムウェアー ”と,視点先行
老化と言うべきか,刺激受動のひとは,なにもトップしなくなる。私の行動にトップが無いとしたなら,先程この頭にあった筈のキャップがまた不意に無いと,下から拾っては着け直そうとする。先んじて行なう私の可能性が,年々難しい,と?
‘ 夢見 ’もこれと同じだ。通常のひとは‘ 今これが睡眠中の夢だとしたら..? ’とは疑わない。この視点の先行は難しいだろうか?

2020-10-06:
(今)意識的である,ということ。

なにかの売り場みたいな屋内一角に来た時に,( そこには直接階段みたいなものは見えないのだが, )物置などの間に“ 下への通り道 ”が見つかった。

おそるべき,無
私は図書館へ向かうときにも( なるべく大通り沿いにではなく )信号機の無い町内通りだけをえらぶ。併し,分離帯が隔てている大通りにはまっすぐに突っ切れない,仕方無く大きめ交差点に出なければいけない。今日夕方私は偶々“ 浄心 ”交差点に掛かったが,私が再び一本外れの路地に入ろうとした処,学校制服姿の一群がなにか例のような“ げらげら笑い ”だった( -そのとき私にはもうオフコース“ たそがれ ”は無かった[ また憶いだしたように“ 君が、嘘を、ついた ”の音響が再生されていた。 ]
私は現象的には単独者が私にげらげらをしたことは一度も無かったという点から指摘できたのだが,私自身なにも他への関心にはならなかった。私から“ 笑ってくれ ”と頼みはしなかったので,あれらは彼ら自身のなんらかの原因-理由だ,と.最近若い子たちの自殺が多いとニュースに読んだ。私からは街頭で彼らに手を退いて永久にやめてほしいとは思うが,私から“ し ”とは二度と言えない。正直,私は姪には一時期“ 若い子のアルコール不正はその親たちからの害毒である。”というお説教をおはなし側では徹底的に言ったが,一度も“ し ”とは言わなかった。私の側からはもう“ もしや ”や感情的ベクトルの類いには一切乗らない。)
昔,小学校に“ 通っていた ”ある時,同級生のひとりがわたしに向かって‘ あなたは自身を卑下している ’という意味の言葉をした。わたしは彼の単語がわからなかったので‘ 卑下するって,なに? ’と彼に訊ねたのを憶えている。その時に“ 卑下 ”していたのは彼自身のなにかだったのだろうと私は想う。また,彼があの時そう信じているかのように平然とわたしに言えたのは,今思えばおそろしい。なぜなら,わたしはあの頃ただ単に“ 無力 ”な,いつも内心しょんぼりしていただけで,他の子たちとなにも関わろうとはしなかった。
このまえの,私への“ イケダさん ”呼びも,英語という彼ら自身の嫌がらせも,他の子からだ( -誰でもわかることだろうが,本当に学の者だったなら,わざわざ他の前でそんなふうなどしない。黙って勉強できない? 私はできないのは私がニセモノの影響を若いうちに払拭できなかったからだと思う。私は未だに六面体パズルへの全面的なイメージができない,-ああ!“ IQが足りない ”-が,が,それこそあのぶりっ子そのものだったとしたら? )ともかく,私からの理由は無い。私の“ 受け ”にはならない。今の私にはそれらは虚-無だ( 本当に. )私が後悔するのは,それらが“ ウン,がんばる! ”というのと同じく無益な労費だったのかと,私自身あの時おもわなかったからだ。そうだ,今度-能動的に‘ わたしは笑われている.. ’と,かえって意としてみよう。

〔 一時期“ 彼女 ”のために走ろうとしたことは,私には老化のはじまりだった。私はもう利用しなかった。 〕

2020-10-08: 私は失敗している。
-+ ふたたび‘ 身体的アウェアー ’を。私の両足どうしを( 顔面右-左との引っ張り加減と )応用してみる。
顔面研究-
眼鏡をどこに置いたか“ 憶い出せる ”ようになる。

私の命は私自身であり,“ 誰か ”にと言うことは無い。これは私の時間だ。

右側の萎縮をやめて筋活量を増やす。

2020-10-09:
寝床から起き出して直後,私の体が自然に走りだしたかのように家事の速度が( 一瞬も勿体無く )いつに無く素早かった。私は“ コミュニオン ”のヴィジターに関して昆虫みたいなその動きというあのおかしな描写を想い出した。彼は甘味依存について警告されたというのだが,私はこの素早さは先程寝るまえに生肝マヨネーズ和えを食ったのが原因かと思った。そこで,六面体パズルにも素早くできるだろうか,と( 私は常に全面-各中心とひとつも揃いピースの無いようにシャッフルをしては室内に置いてある.. )
このまえ自粛期間の過ごし方というテレビ番組等の時期に,“ 例のペン回し ”世界大会系のひとが,人差し指でペン軸を弾いて親指側に回すそのやり方について“カージオイド”と称していた( ,私は英語辞書にそんな語あるの?と探してみたが,“ 心臓だめし ”というような心理的意味合いの造語なのかな?と- )私は人差し指を使えなかった。私のについてはこれも左手と右手とでは動かし方が違う( 右手には未だ“ 他人行儀 ”があるのか,難しい。)“どうしてそんなことができるのかわからない,だってそれは誰かの偉業だから.”私がそう思っていたなら,この両手に六面体パズルを合わせたりはできなかっただろう( 私は未だいっぺんも解いてはいない。)
だが,私はこの“ 単純なペン回し ”という一瞬に,果たして私の夢見を集約できたかもしれなかった( かつてCカスタネダが“ 夢-中で自身の両手を見つける。”という文法をその自前の“教え”としてしるしたように? )

2020-10-11:
純粋に私の論理性に拠って‘ これは夢 ’と目覚めるは可能であろう。
意図的に意識されたことは必ず記憶になる。

2020-10-12:× 予言されるひと。
× 私のもう一方に“ 明晰夢見 ”を教える。

2020-10-13:
意図的意識にしたことは必ず記憶-現象する。

2020-10-14: “ 彼ら ”は揺動されているか?
今夜( 今朝, )私は路上に“ 手 ”を出さなかった。何晩か,試しに,HY大通公園の再整備された散策スペースに行ってみようとした。それというのも,その度に,その平面化された北側広場の暗がりから,私は姿を視ないが,疎らな“ 拍手 ”や( 私が反対方向に市役所側への暗い道路面に渡った直後,突然背後から )また変な“ 高笑い ”の類いが遇った.私にはあの辺ぽつりスペースというだけだった( 私は40年代以前の花まつりには知らなかった.20くらいの時に,一度ちょうどそこに並木の上端辺りになにか形は不明だが“ 建物 ”みたいなものがあったという不思議な印象みたことが遇った. )まるでなくても特定ヵ所というものも無意味だ。私は今夜予め心理的に備えて行った・( 意図的意識にすればこれは必ず現象する。無論,これは即-夢見のための試みである・ )
今夜そこにはなにもいなかった( 私はここ何朝か暗がりの道をいき,陽の出るまえに24hスーパーマーケット数店舗を回っては値段等や同一商品での消費期限等みくらべたりしていた。最近“ オモニの旨辛キムチ ”という商品が辛くておいしいので,ちょっと塩分は強いが私は毎食に少しずつ足している。今朝,ある店では,キムチの棚に他の商品等が売り切れか,なんでかそのパック4つだけが置かれてあった。)
..あるいは“ 遊びたがり ”のマインドボールが私の深層にではなく別にいて( あの“ 笑い子ら ”のように )いまでも個人格自体の脆弱な者たちに彼ら自身であるかのように影響しているか,それとも一々アンビヴァレントな心理的反応を起こしているのでは? 私はかつて“ THE EXORCIST ”のあの神父たちに近かった( 私はそのプロセスには直接通じていないが,一見,説伏的であるという面に, )おそらくリーガン自身とその“ 親たち ”との問題にはなにも無関心だっただろう。
私はもう私-自身には対立的“ 外因 ”を持ちたくなかった。私が優良なひとつきりであると今一度自信できたかったなら。“ ああ,あの子らはただ無関係に笑いたかっただけなのだ。”..と,私は脚力の続くかぎり私の先頭スピードでいった。しかし私は思う,明らかに,“ 人類 ”と言いながらなにか別のものにすっかりおかされている,“ 思念 ”すべてが,単に“ わたしの ”なになに称されているだけ,と。

2020-10-15: リフトアップ自体( 常 )

小鳥たちの沈黙
夜道,私には“ 笑い ”側からの誘いは無かった。私自身なにも惨めになりようが無いのに,なぜだか“ 惨め ”だと。私はあのフランシスレイの旋律“ 白い恋人たち ”が自然よみがえる度,おもいだされる( -映画未見. )今日そのメロディと一瞬おそらくお風呂の場面みたいなものが遇った( -5才というよりは2才ごろか.古いアパート部屋には風呂場が無かったので当時銭湯だった筈だが, )..なぜだろう? たとえば,このまえあのキリシタン処刑場の海辺に(なにも聞き入れること無く)とび込んでいった姿-場面に(眺め,)端からロドリゴのように泣き喚いたとしても,ゲラゲラ笑って拍手したとしても(,どちらも同じなのだということが)私は解った。それは“サイレンス”の意味ではなかった。
(私は求めなかった。)すすりながら食べるラーメンの味といったような。

“不安”からのピント( 不安の正体 );2020-11-20