時間を動かす

2020-02-01:
私は自転車ルートに“ 逸脱 ”を見分ける( 他への要素には一切 )-“ 偶然 ”に依る遭遇を回避する.ほかの匂いに乗らない( -求めない。)もしちょっとでもその辺の自身に言いかけようとするようなそれがあるなら,その辺にはいかない。これは消極的な一方の正しい道だ。

“ ぼんやり ”は記憶との問題なのか。もし記憶自体なら,再現できるのでは? 

右半身は自立しつつあるのだが( 今回ファンタジー無しに,, )また夢自体は詰まらなくなっている。先程起床まえの夢には,私の言い方や素振りではない不審な受け答えや仕草( その場に私が違うと思った-)幾つかが遇ったが.,起床直後,偶然のテレビ画面音声,私の初めてみた映画場面に,それら出演俳優たちに拠る数個が遇った。なんと,記憶だけだった筈が,先のそれだったとは?
〔 “ 予知 ”?イメージまたはワードについては; ザ・メンタリスト:2018-08-12,バトウと海:2018-08-23 .. 〕
脳が弱ってしまったかのように,数日うつらうつらしている。夜中-朝方に軽装で人目に付かないで自転車するはいいのだが,居室のあいだに頭を風邪にやられているかのような。
私は外的な意味での自己拮抗値を持たない( 外在-対象化しない,, )純粋にポテンシーが発生するような試み方が必然だ。

2020-02-03: 巨大なピラミッド
NLPは心理療法家たちの実践等に基づいて要約された,セマンティックスとの構築( 本来そのための )関係で.,私のここで計ろうとしている“ 霊感 ”という領域ではない。私は“ リフレーミング ”を読んでも一見人面-関わりたさの方法論だと思ったし,そもそも神経分離的な読み分けや役割パーツというような扱い方をここの自身に了承できる訳ではない( 私には未だ神秘的な存在の、“ を ”するひとというエピ-カテゴリーであるなら, )私自身の了解を得るのは難しい,と。
〔 私は99年8月迄の“ 個人神話 ”を忘れていた。いつでも“ この身体 ”に拠って空中回転できたのに.. 〕
自己的な“ 神との対話 ”に戻るだろう。私はもう目の前にみえるものに“ 本質 ”とは言わないだろう。

2020-02-04:
赤ちゃんの習癖。

朝,“ リフレーミング ”読んでみている( “ 本当に嫌な部分パート ”とのコミュニケーションについて ),
わたしの合間に,地下鉄道の右方向カーブ,坑内左側にコンクリート柱等が一定間隔に立っているのがみえた。私が察するに,それは回帰願望のレール道である( 円軌道の。)昔わたしは“ 地下鉄のドジ ”に象徴をみていたのかもしれない( 人形劇だったか,私は場面的には憶えていないが,主人公がなんでか最初の駅に戻れないといったかのような.. )
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明晰夢って?
ところで,NLP用語等とそれら日本語訳にも一読には解りにくい語の宛てが多かったように.,ここの例で言えば“ 明晰夢 ”という既成の訳語が真に適切だったかどうか( 実体験者自身のアプローチとしても,語の意義にも。私は“ 清澄夢 ”の方が本来の意味合いに近いと思ったが.,どちらにしても古い曖昧な定義だ。私は一度も“ 明晰夢研究 ”をここのメインタイトルにはできなかった,それが私のワードには無かったからだろう。)
あたかも自然界に( 結果的な )環境適応-淘汰が遇っただけなのを,人類が未だ“ 進化/退化 ”と言い換えている如く,“ 明晰夢 ”という宛て語にも,誰のどういう視点でなにを?という質問であった。

かんがえる・夢見の方法 :2018-03-07,

2020-02-05:
わたしは便所を探して通路との扉を開けた。その中への狭い真っ直ぐなスペース,両側-奥まで〔 壁際バーカウンターに向かっているかのような,ゴシックスタイルみたいな椅子等( あたかも金属製と黒革のものみたいな,ビザールとでもいうのか, )〕若い男たちが掛けていた。わたしは他の場所に探した。扉開けてみると,便所だがやはり狭く,若い男らがたむろしているかのようだった( -かれらは一々振り返りみた。)そんなことが3回程繰り返された。
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〔 少し暗い薄白っぽい,教室内のような所。高校と思われたが,全体に静かで夜のような印象。右側-窓際に何人かがいた。私はあとでそこでの台詞等に憶い出せなかった。〕わたしはそこに招かれたかのようで,ある学生の若い男が( 歩いて来て左側から )わたしに好意的に声を掛けた。ある年輩男性が正面( -わたしが“ 校長 ”と呼んでいた。他の者たちも )横長のテーブルに着き,あるひとまとまりの( なにも書かれていない,白紙 )冊子みたいな形の物ひとつそこに遇った。〔 それはテーブル上-左側に斜めに置かれたかのようだったので,学生が何か言いながらそこに置いて私にその何かを示したのかも知れなかったが.. そのあと( わたしは彼らの姿を見なかったが, )なにかお唱えのような何人かの揃い声とともに, 〕100円硬貨が10枚程おかれた。

2020-02-06: 古い“ 仮想-自分 ”観.
私は“ 彼の受けた難癖,からかい ”には先ず自己リフレーミングの施しがあれば良かったのだろう( 私は外的には誰とも“ 関係 ”とは言っていないから,私きりの対処である。)詰まり,“ わたし自身にからかっている. ”と思いたがる側,“ わたしはからかわれている. ”という側,応じさせればいい。
併し,私がここに“ 感情( 自己欲求 )受け ”と認知したよりも以前のわたしには,“ 妨害される ”というメンタル論的な前提があったわけだ。だから,核心的に,“ なぜ妨害したいのか? ”という尋ねが必然だった( 但し,ここでのこの質問自体は純粋に,他人称無しで,完全一人称で良い。バンドラー氏たちは完璧にやれなかった部分があったようだ,-“ ひところし ”と言われたのが分離利用の所為だったのかどうかは判らないが。)
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・6段階リフレーミング( アウトライン )よりの翻案-簡略:
(1) 刺激と反応,
(2) 反応に尋ねる: またこの反応? 自身やられている? 
(3) 刺激に尋ねる: 自身やりたい? 具体的に何を? 
(4) 刺激に尋ねる:( わたしの妨害したかったこと( 本当にやりたかったこと, ))理解する。
(5) 過去に,それやった? 自身いやだなら,どうする?( 呈してみる。)-
(6) 刺激に提案する( 新しい試す。)
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あきらかに内的不一致の場合,外的に誰かと対立するような問答なんかしなくても( 予めその対立するものと明らかにするという方向で,“ わたしの言いたいこと?( ここでは‘ 私の ’と言わなければ不自然。)” )これが繰り返されれば,答えは出る。

“ リフレーミング ”のその章節は,予め情報と結果が先にあるなら目指せる.,と一文に述べていた。私は未だ私の右足底に‘ 左右対称に着くように ’と力加減やコントロールを促していたのだが.,( 私が上記に書いている途中, )この両足を少し左右に踏ん張ってみようとしたとき,不図に,私のp-に働きかける( 右足底から )という逆向きのアプローチが欠けていたんだ!と思った。これがリフレーミング的な処方からの“ 神経アクセス ”かどうかは解らないが,神経言語に拠る応答の問題という見方ででは,これ以前‘ それが排除されるべき ’と私がみなしていた部分にアプローチを施すという点で,似ている( “ 繋ぐ ”という言い方が可能なら,これは在る。 )

私はこのまえテレビに“ ジョンウィック ”2まで視たが,キアヌリーヴス氏がああいう映画で本当に再アップできたかどうかは別として,私は彼の( 鍛えられたかのような )鼻翼筋に感心した。このまえ井上あさひさんがニュース画面に復活したときにも,頑張ったいう兆しの良い印象だった。私は未だ肉体をきちんと動かせないのだ。顔面若さを保つには筋肉等アップの必然だという理だが,適当に動かすためには部分的では難しく,身体的に対応するラインを見つけるべきだ( 結果的に面もリフトアップするという体のトレーニングが良いかもしれない。)
私は今朝‘ 人差し指 ’との対応を見つけた。ウィックの場合にはたぶん“ 引き金を引く ”という動作( その回数が )これに相当する。然し,私の自転車ブレーキ等には人差し指が使われない( むしろ開放されている? )意図的に人差し指を伸ばしてみるか,グリップの体勢を適応とする( 人差し指以外をグリップとすると,手首が反対角度になる。 )

もし“ 私のなにか ”が悉く無意識的なウソか写しだとしたら,‘ 夢 ’は本来であり,その記録等としての以外には無意味となる( -再び。人間としての私は詰まらないから、私はそれを無に帰すだけ. )
これこそ‘ 夢見の実践 ’の当初だった。:2020-02-09.

2020-02-07: “ 焦点 ”
私は男性×というものは文字通り‘ 受け ’の要素でもあるのだと昔一度どこかに書いたと思う。純粋に,これ自体が,一切‘ 対象 ’無しに在り得るかどうか? 単に既製その辺に性的な疑似体とみえるものを“ 愛人 ”と言ったりメタファーの類い,ただ自己確認の為だけに利用されるという,逆接的な保存性の問題であった。
私の右足との‘ 共感覚 ’生起が未だ遅れているのは,私が今回“ 彼女 ”という疑似対象的な要素を元型的にも身体的にも私の一体には利用できなかったからだ。表象としての“ 彼女 ”は比較的強い‘ アンカー ’に過ぎなかったのだが.,私は性的原理とのつくりをやめた。それは自己分離と疑似対象化だったのであり,その対象が何であっても“ 焦点 ”というだけだった。

仮眠最中( 私は未だ睡眠には無かった. )眠りの質が外在的であろうと無意識的-無受態であろうと,私の“ 焦点 ”は常に一致していなければいけない,と私は気づいた。

視野と視点
私は先日‘ 店舗( 名称 )看板 ’などに視た( -‘ それ,夢だ ’といっている最中に, )あの“ 子どもたち ”が表れたような場面での,私なりの調査が行われなかった。私は当にそこに尋ねたり質問したりするべきだった。未だ私は‘ 夢 ’自体に圧倒されたも同然であった。-‘ 夢 ’は偶像であり,現実であるから,そこに視野と視点との( 二重の )私的な対処が無いと言えば,‘ 研究 ’は進まない。確かに私は一度“ あれは何? ”と指差すようにして尋ねてみたが,少年の答えに対してあたかも普通の否定形一辺だった。問題は( その場に於いては )分析のやり方ではなく私の対処に在った。

“ 音楽 ”と夢
私はなぜ音楽が恣意の導引に掛かるのかと考えてみようとした。ある夢の最中にバッハの速い曲が掛かっていたのを,私はあとで日記にそう書いたという憶えがある。然し,音楽そのものに対しての‘ 夢だ ’という条件-点けは無かったから,私はあたかもそれを夢の部分とした。予め見分けのための“ 音楽 ”というセッティングが無ければいけなかった。
動物の夢? :2019-07-04
( もし昨日映画“ インセプション ”視たひとが夢にエディットピアフのあの歌を聴けば,‘ ああ,あの映画の.. ’とは想い出せるかもしれないが,そこで明瞭に‘ 夢だ!’と言えるかどうか? )だから,先ず“ 音楽 ”がなんなのか,原理的に見極めるのが早いだろうといったわけだ。
ある特定の作業に伴う自動的な記憶参照というものは( その何だったのかが‘ 私 ’の単純な意識上に無くても )常にある。敢えて‘ みる ’ためには,‘ 私が視る ’という条件-点けのアンカーを先に置くのである〔 この点ではシューティング志向のような,先行的な注意が当然。〕ところが,目前なにかに掛かって直接対象として見る触る考えるなどに移れば,途端この試みは中断される( 自動的な反応はどれも記憶に基づいている, )注意直前までの“ これ ”は直後には憶い出されない。これらは単に記憶され憶い出されるだけの適用でいい。
メンタルと私物化
メンタル言い返し,原因のひとつは,私物化-保有にある。すべて? 保有の私されなければ,利用可である。もし言い返しが止まないのなら,間違った‘ 私 ’がある( なにかに投影-対象-私物化され,適用されていない. )

2020-02-08:
〔 プリンス先生の第15章“ 意識の解離──健忘 ”,,私は一度返却しなければいけなかったので途中読みだった。私は今度は単純に‘ 夢に気づく ’というシミュレーション意図を私の一方に持ちながらその頁を読んでみよう;〕但し,私にとってはこれが先行するリニアーでなければならない( -解読的な通常思考だけではなく,‘ 夢見 ’の意を先に置く。これは行動自体に適用されるようになる。)
;例のB-IVはB-Iであった時期の特定記憶に関して“ 自身の心を固定すること ”に拠って断片的には正しく得られたというのだが,偶々B-Iとの知り合いをみたり言われたりしても,その経験はB-IVには無かったので( B-Iの経験に因る,B-IV自身にとっては不可解な, )強烈な情動など覚えるような状況だったという。
( つづく )

流入する :2020-02-09