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光と水

2019-12-12:
・ 夢に先んじる。

“ トランス ”人格化に乗らない( -人的投影しないという原則. )
私は自己心理学である。外的な繋ぎにならない方が霊的現象には向いている( 実際,私が“ 子どもたち ”を断ったときに,あのラップ現象が起こったりする。)
私が以前に悪循環だと言った点 - 無論,私が自身として投影されていないかどうかという,条件的な“ もれ ”との問題であった。
空間として投じられている私-自身が,人格(-対立 )的な要素であるか,それ自体であるのか,虚無と戻り得るのか。

・ 機先に制する。

2019-12-13:
私は例の自転車ハンドル用小型LEDライトを点滅に切り替えて読書しようとした( 電池節約のため,発光部品1つきり )。私は予めその明滅に‘ 意識性 ’を結び付けたからか,( その点滅の照明とともに )読もうとすると,私には難しい。睡眠-夢自体には私が存在しない( 解離の状態 )と同じように,この試みには一瞬との断続に私の‘( 視る )見れない’がある。
以前,私は普通まばたきにも‘ 夢見-意と ’結び付けようとしたが( 単に開/閉どちらかではなく,そのあいだの動作と意識性にも- ),これ自体としての一度も覚わらなかった。
〔 ある一定の光点滅サイクルが脳波に誘導-影響するという説もあるのだが,ここでは私-実験者の直接意とについて述べるだけであり,例えば夢見にどんなヴァイタミンが有効かというような外薬成分的な問題に関しては私は扱わない。通常肉体のアップに貢献するような食品成分等や運動でなら,当然,先ず脳機能のアップに繋がるであろうから,私の場合,夢見に特化されるような摂取のやり方は無い。 〕
“ 繋ぐ ”という意味合いでなら,私はここでも‘ 一次線,二次線 ’という言い方をする。私は今ちょうど例のモートン-プリンス著に; ..人為的にもたらされた水晶幻像は、そのような幻覚の発生に光明を投じるがゆえに、非常に興味深いものである。.. ビーチャムにひとつの対象──この目的で用いるガラス球──を凝視させることによって、幻像をひきおこさせることがわかった。.. [;私は読もうとしたのだが( この点滅ライトの光で )慣れなくて集中しづらいのと,私はその本に開きながら私の左手にケータイ持って同時にこのメモと引用文を打っていたので,誤操作で一段落が消えてしまって手間だった。]
〔 “ 水晶幻像 ”というワードで私が憶い出せるのは,先日私が‘ 浜辺 ’想像したときの,あるイメージ自体の“ 変化 ”であった。その最初私は左右に一直線な水辺のつもりだったが,次にそれは水越しに濡れたような玉の面に映されたかのような印象に変わった,
:2019-07-10
ビーチャム女史が“ 水晶幻像 ”にみたのは過去の場面等で,その当人は忘れていても“ クリス ”はそれらの詳細等を説明できたという。 〕

( このまえ“ 誕生日,15才 ”に, )私の右手指が急にぽかぽかしていたのは,私の何晩か寝床などに於いてライト装着-点灯していたの神経的な効果かもしれなかった。


私は私の周辺的な印象自体一々に先ず‘ 夢見の実践のための注記 ’自体として先に条件点ける( 私の意とを先んじて周辺的に‘ 夢見 ’固める。)
-身体と周辺に“ 擬人の匂い ”があるなら,こちらから先制的に私の意図する( 私のこの条件化に利用する。)
+同時にイメージ側の利用してみる。

〔 -私の身体を“ 擬人化 ”しないという肝心な点であった。私は普段の“ 感情 ”面をやめるに拠って,純粋な身体という主義を確立できる。〕私の感情を利用しないのは本来の特質というべきだった。

2019-12-14: リニアーな‘ 意識 ’
朝方,また点滅ライトと読書してみた( 点滅間隔-短いに切り替えてみたり,もしボリュームつまみでの微調整みたいに,リアルタイムにちょうど良い周波数に自由可変できたら )。読み方に慎重でなければならないので,進まない。私がそれに対したり遅れたりしないように,更に意と的に。
“ 対象-ぜんぶ ”やめて( この身に,本気に )回収するということ〔 前記のように,あたかもすべて私からの‘ 匂い ’で遇ったかのようにみなして,私の寝床傍に再びあの微かな板の鳴る音などが遇った。 〕そのあと数時間‘ 私の意識 ’途切れなかったが,さりとて“ 眠り ”も無かった。

昨日,私は早めの時間帯に図書館へと出掛けたので,その帰り道( あの稲生いのう町付近,“ 未解決事件- ”その後不明, )偶々下校の小学生たちが歩いていたが,男子数人の笑いなどが例のわざとらしい口写し業のようだった( そのとき横断歩道向こうで“ サザエさん ”歌いながらその合間に“ 戦争!”と繰り返し言う男の子ひとりが特に変だった。 )
今度まるで女子がおとなしい( わたしにとっては一部の騒ぎかける男子に対して優等生っぽいという,昔ながらの様相かしらと想われた. )
私は一度もそのような横からの子たちわからなかった。仮にわたしにとって彼らの突発的な振る舞いがなんらかの意味合いであったとしたら,それが私の記憶としての対応部分を持っているというわけだが.,私としては過去のそういう自分に対する自戒も無い,私は既に何年も‘ 永久無戦( None-war, forever )’と言っていたのだから,私の“ 子どもら自身 ”という形容-投影は無い,私の身には響かなかった。
〔 ちょうど,たった今テレビ画面に,成城署の副署長が“ どんな些細な情報でもお寄せいただけますよう宜しくお願い致します。”と言っていた。 〕

( ミス-ビーチャム例に於けるBIIのように )私の潜在的には,ある不明な場面の理由かその間接的な由来を知っているという。ミス-ビーチャムの場合には,ある分離されている引き出し自体がその機能自体でもあるといったかのような,本来不可分でありながら関係できない自身の問題であったのだろう。
“ 見分け ”は探索側の論理であり( 必然 )、私の場合には,両目蓋まばたきにさえ自覚ができないと私が言ったように,睡眠-夢に表れたものが私の論理からは即に見えない,という問題である。

2019-12-15:
+ ‘ 視よう ’と‘ みない ’との間。

今日私が図書館から他館へと向かうときに,また背後にけたたましい笑いの男子グループが遇った。私は関与できないとは言っているし,実際私のおはなし側には彼らの情報は無い。彼らが私の通行に際して一々なにかバカ笑いみたいに発するという.,ここで言えば,彼らにはなんらかの情報があるのだが( それらが‘ 夢見の実践 ’の高いレヴェルに対して間違っているか,別の情報ソース側が無関係なうわさかなにかを私に関連付けている為に, )私の側が常にひとりきりで対処を迫られるという点にあった(.私からはきわめてだれかのベクトルを私の名前で書き込むような物真似にはしない主義である。また,私はこれからは宇宙的なコンピューターが理想だとおもったので,私は旧人類的な感情のヴァリエーションには極してしない,路上の他人に対してアンビヴァレントやアップタイトな態度をすることも二度と無いだろうと述べた。 )
私がこれから孤独にして更に有名であるかどうか。彼らが私の知らない情報ソース側を敢えて退けさせるような目的があるのなら,誰に対しても予め通知が必要であろう。仮に私が他者かなにかのソースを間違えてピックアップしてしまうが為に彼らの障害となったのなら,それにも解説は必要だ。どちらかだとしても,私からは一生この‘ 夢見の実践 ’以外には人たちにも関係を持たない。私が今‘ 夢だ ’と言い続けるかどうかが私の真の生死である( -私は自察の危機を持たない。 )

2019-12-16 (1):
すべてに先んじて‘ 私の夢 ’という。
私は私の意とが失われるような瞬間毎に前置きになっている。
私はこうして‘ すべてに先んじる ’を実践し( あらゆるものを‘ 消せる ’ということを, )おしえる。今これ以上は無い。

昨朝,私は図書館寄るまえに‘ 梅森坂 ’行ってみた。あの交差点から感覚的には3分間くらい,あとで地図上には私の出口からちょうど14km程だった。予定通り牧野池-北側を通ってみた( 地図上スケールとの比較では,そのような池などの殆んどが視覚的には小さくみえる。)
あとでグーグルマップにその南側-散策路を覗いてみたら,私が一前日おはなしに聞いた通り“ 水に浸って通れないような ”というのが本当みたいだった。今言うには,その南側“ 緑地 ”もっとひどい( うっかり足を踏み入れた子が... )と。
〔 もし夜中にその路を歩いてみるとしたら,‘ 泣き声がきこえる。’ 〕

読めない本,自身のわたし :2019-12-16 (2)