· 

現象の明日

2019-03-30: 清潔第一
( 私はN図書館に“ 女子振る舞い ”クレームを書こうとしていたが、以前のT図書館への書き方では駄目だと私は考え直した )。
私自身に“ クレーム ”出す。私自身に“ グループ ”無い。私の清潔第一
私が寝床にこう言った途端、不意に、室内の板などがパチッ,パチッと小さく鳴りはじめた。それは1分から2分程のあいだ続いて、そのあとひとつも鳴らなかった。それは一箇所からではなく不特定だったが、比較的に私の頭側よりも両足方向に偏ってはいた。詰まり、私の頭はクッションに多少起こされていて私の視界にはその薄暗い室内半分がみえるのだが、その小さなパチパチ殆んどはその視界側に遇った。もし鼠ならばそのような単音ずつではなく、ゴトゴトと動き回ったような物音が伴う。
それのまえか、あとだったか、私の右耳下クッションが敷かれてある部分に、なにか急にそれ自体の素早く縦Z字に引き摺り動いたような( 私の耳に半ばその音がズズッと起こったかのような )妙な感覚がひとつだけ遇った。( それは“ 水色 ”ではなかった )。
〔 以前の“ 物音 ”等に関しては私のイメージノート-記録等( 頁 )を参照のこと;
物音

私は右半身を動かすには同時に左半身を使わなければならないと気が着いた( あるいは反転する )。私はこのまえ心因的に見るよりも肉体的課題だと考えていたが、体( 脳 )の結線その仕組みに因るのかもしれない。然し、私自身一昨日記したように、強制や観念付けには立たない。/
“ 頑張る ”をやめる

昨日の( 夢場面 )だったのか.,なにか年輩婦人から手渡しで( 下敷きに留められた細かい枠線等付きの一覧表-紙,手書き名簿みたいだが、その筆記自体にはばらつきが無く同一のようだった )見せられたという印象が、正午まえに甦った。その場に具体的に読んだのかどうか私は想い出せない。

メンタル化された外部向けクレーム票( 頁 )

2019-03-31:
胎息に戻ろうとしている。
マスターが‘ 使われない ’と( 偶像対象という形が無いからか )ヴィジョン化するだろう。私は20代頃一時期には“ 両性具有 ”という亜種の夢想に遭った.これからの“ 中性的 ”ヴァージョンに収めるという帰結に於いては、“ もれ ”を無くするのが先決であった。

例のAV資料室に,私は今度もなにを借りるという考えではなかった。が、日本語歌謡曲の棚にやはりなにかの気配みたように私の手を伸ばしてみると、“ ザ・ピーナッツ ベストアルバム ”だった。
私がその県図書館を出て横断歩道前にいたあいだに、歩道上に歩きの男性ひとりが女児を抱えていてちょうど私の左横に近づいた。その子が“ わたし50歳 ”と何気無いような口調で言った。その父親がなにも言わないですぐに離れたので、私は振り返りもしないで動いた。その直前その後ろから婦人が歩いて来て私の顔に目を留めたので、私が走りかけるときに‘ それ( その女の子の言葉 )はその母親の方からだ ’というおはなしになったのだろうが.、私はこういう観念的なコネクションはただ自動的なだけで、これがそれ自体に発したと決め付けられるのでは、未だ早計だろう。

面白味無さでは“ ヒポコンデリア ”同様だった。私の任意で選んだ“ 心と耳にのこるCMのうた2 ”に、“ My favorite things ”合唱が遇った。私は聴きかけたときに( 私は女声とは意識されなかったが )それがわずかにぴくりと反応したのは、意外だった。わたしが最初にジュリーアンドリュースのあれを視聴した晩と関係あるだろうか? その時には生理的ではなかったとはいえ、歌や映像に精-化されていたのだろうか。

“ 心霊の科学( The Haunted Mind )”ナンドーフォドーという著者名では未見の本と思われるので、“ あとでその書類自体行方不明になった ”という毎度の危惧に因り、借りてみた。“ 心霊現象体験 ”感想録といったような形で、久しぶりにいきなり読み通せそうだ。精神分析方面からのアプローチとして“ 霊媒 ”に性的要素や抑圧だと問うというのは当然なのだが、どうしてかフォドー氏にはかなりの反発に遭ったということだ。その反対自体の霊現象かもしれなかった。
〔 ここのメインメニュー‘ 明晰夢実践のために ’より,引用文( 自記含む )付にて,フロイト精神分析論考からの引用参照が相等する。
カテゴリー:右側を動かす.,‘ 右側の動かなさ ’という私のカテゴリーに選り判別される傾向として,私の身体( 外的 )投影が先行していて、あとに分析的態度に移ったと思われる。〕

翌日、私は偶然11:25頃に起き出してその直後“ 新元号 ”テレビ放映予定時間と知った。変わった夢が幾つか遇ったが、その最後の印象が残っている。( 緑色がちょっと爬虫類みたいな )女裸体が私の真正面に宙にロールしたかのように接近する.,わたしが右手を伸ばしてその迫る乳房に掛けるとそのリアルな触感が,あたかもこれ自体の上がり気味なサインを映したかのようだ。
〔 今放映中“ グランブルー ”にイルカとの遊泳場面が映っていて,私はその男がイルカのひれや口にちょうどその片手を掛けて水中を回るという絵をみた。私は先程寝床ではその放映予定に知らなかったので、これにもその前後との順が想われる。 〕
その映画みていると89年~90年頃だったのかなと憶う。携帯電話など無い( 先だしずかな )世界だった。
/
〔 そう言えば、このまえ私自身‘ 自己催眠 ’方法に関して,..水中にダイヴィングして逆さにどこまでも下りていくというような‘ -身体感覚 ’として試す方がうまくいけるという気がする。と書いてはいた。このとき既に私の予兆かリンクがあったのだろう,
能力研究-(6) 2019-03-21

2019-04-01:
昨日も‘ 左右反転的な表れ ’は遇った。うちの母が台所にいたのだが( 私はそこから離れてその左に向いた )、その咳音だけが無関係に私の左に聴こえた( 布団などが置かれてある,障子側 )。通常“ 霊現象的報告 ”にも、そのような生きているひとの幻姿-幻声の類いが( 別の箇所に視られたりする場合 )珍しいことではなかったそうだ。
- ‘ おかあさん ’という呼び声の偶然 :2017-12-18

今夜夢の中でおまえの両手を見つけるのだ ”と言ったドンファンとCC先生に拠る簡単そうな夢見への導入は、予めこれが設定意図されていなければ無効だった。私はともするとこの身体を失い易く、身体的一致を熱感や夢見に繋げるという試みがいよいよ難しいかのようだ。寝るまえに意図するのではなく、( もし両手を‘ みる ’なら )この両手に身体的に保たなければならない。

+ 余分なポテンシャルは全部‘ 霊体 ’にまわす。
- CC先生の例の“ 記憶アルバム作業 ”について私が前回記しながら失念していたのは、それら記憶等自体の重要性にとってではなく、それにまつわるその場-感情などのエネルギー的な残留を解放し回収するという意味合いだった。たぶん精神分析的にみてもこれは正しい処理だろう。