見えなかった抵抗( 前編 )/ 2022-11-30:
[ 私はアドヴァイザーやパートナー役を持たない。古い宣伝方式は自主的勉強の側からは飲めないであろう。先ず目的をきちんと明記するべき。
私自身の記録類について言えば,一度もだれかに“これは夢見に関して非常に重要なので毎日必ず欠かさないで読みましょう”などと唱和促進したことは無い。そんな押しつけで夢を見れる- たとえ百万遍“ 明晰夢見の実践を- ”と唱えたとしても,それがそれ自体の夢だったとは気が付きもしなかった。

幾らこう言ってみても,わたし自身に“性”を認めるかどうかといった問題のようでも遇った。 ]

2019-03-27: “ の ”と本質,‘ 私と夢見 ’とは
私の文章作法として、なんでもかんでも“ の ”に依って接続できるものではないといい、事象本意に表せるような合理的表現の必然性だった。
“ ~の ”とは何であろうか。例えば私は“ 夢見の実践 ”と言った。なぜ“ 私の夢見 ”というタイトルではいけないか。“ 夢見の実践 ”にも土台アマチュアらしい依拠-典拠は私の一からの個人発想ではなかった、と? 
私がこのまえスピードスケーティングK選手が“ 表彰台 ”にもくたびれたような様相で遇ったのをテレビニュースに視て、あたかも私に拠り‘( すり減った両足を )伸ばしてあげよう ’と書いてしまったとき、私は未だあの‘ からかう少年ら ’と違わなかった。最近NHK番組にも“ 筋肉両足 ”という眼-骨に表れている。しかし、北欧のような理想と化されるためには( 一見こぎれいな健康スポーツテレビなどには‘ 路上物乞い ’は映らないけれども )、資源エネルギー化に前方後円-投資をするべきだ。
私の眼前に注がれたグラス中身が水でもワインでも、価値の違いと言えば、今更同じことだ。私は手を付けない。

ところで、私は私の試行しながら拵えたリンクボタン-デザインなどを少なくとも3年間NHKニュースの見出しにそのまま流用されていると思われる件で、もし私の名にきちんとリスペクトがあり私のコンテンツは全国的に保護されていれば、個人制作者としての私自身が他のだれか側とは誤解されるようなことは無かった筈だと思う。
私は“ 公益性 ”と書いたが、いっぺんも私の著作権を放棄したり譲渡したりはいない。2016年3月末までの当時、私がこれらコンテンツに引用した部分に関しては一々それらの出典元( 出版社-年度等まで )明記していた。
〔 :ここのプロファイル頁にそれらの夢見関連のみ“ 資料ファイル編 ”として繋いであります( 夢見の実践f:)
主にサン=ドニ氏の夢記録“ 夢の操縦法 ”に依る引用比較等とCカスタネダ氏“ 手を見る ”との修整式ファイル2枚は、私の直接記録からの併せ作業として、私の読書引用資料集“ 石の階段 ”に収録してあったもの。 〕
私の以前サイトでの私のオリジナルについては当時の読者たちからの誠実な証言が必要である。私の正当性が長らく“ 反転 ”されていたことが明らかになった今,宇宙のことわりとは?
代金ありません。

2019-01-12:
ユリ-ゲラーの反撃( The Geller Effect )”読みかけて、彼が世界のために思念操作しようとした側だといい、彼が色々な報酬として受け取ったという、その額面に( 彼自身の“ 俗人 ”という言い方 )、それがして“ 不潔,罪深い ”と言わなかった、彼のお金だった。
私の‘ 祈り ’は自己のもので、私がそれと知られないうちに他人を動かしたり誰か自身の意思を変えたりするためではなかったとしっている。だから、もし誰かが私に‘ あなたの物想いがこっちの問題になっている ’と言ったら、私はひと言‘ 私からは申し訳は無い。私は誰にも意図-誘導などしないから、たとえ“ 世界平和 ”のためであっても( それは精神操作したり無意識に動かされたりであって良心的生き方ではないから )。もしそちらの感応の問題なら、私は感知できない。’
私はむしろ感情というものを愚かしいと考え、それが私の観念自体と同一視されるような間違いを、一切避けたい。
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さて、科学者たちも“ 能力 ”や半-ポルターガイストのような現象等に、未だ科学的に解明できてはいない。ユリ-ゲラーさん自身は“ マイストーリー ”1章に述べていた,
それらは、未知のエネルギーに対する科学的な研究心を育てあげる一助ともなる。この点が重要なのである。
そうした力は私から遠く離れた外界からやってくるもので、自分はそれらを送り出す管のようなものだ、と私は感じている。

2021-08-05:
なぜだか判らないが,昨夕( T図書館からの帰り道に )あの辺の路上女子たちの素振りが一々なにか気にしたみたいに変だった。私は知らないが,もし勘違いした裏ネットワークでもあったら危険だ。一時期,K図書館内の子たちが妙に気にしたみたいな素振りが遇ったが,それにちょっと似たところが遇った( 私は私自身のここに記している注意-意とだけで,他人事には意味が無い。再び貼り紙を用いてでもボイコットさせることはできる。私自身が他のところから警告票に拠って言い続けるという以前の方式に関しては,今回私からではなく既に他からの良識的クレームとなっている可能性がある。なんにしても自己自身の“ 自殺 ”問題になりかねないという言い方があればいい。)
第三者が欲求をしている?( センシングされたものが二重に影響する- )という見方も無くは無かった。単に内的な不満を投影する者があるとしたら,例えば施設館内で“ 女 ”がどうしたと言っていきなり声を上げたがるような者には,誰もし“ それはあなたの自己原理です. ”と覚さなければならない( -そのような者は先ず探求心を持たない,少なくても他で二度敗戦している。)
第一私からはどこにも関わらないという原則( 一生エッチにも生殖活動の類いにも加担できない。)これは純粋な夢見の研究だけであり,今後も他には拡充しない。

2019-10-06:
今日偶然テレビCMに,タレントIAさんが縁側に例のセーラー服姿と眉-黒塗りで、その隣に武士姿の俳優MMさんが座していて、その台詞最後に“ まゆ ”と呼ぶという落ちが遭った。
私からは‘ 無関与だった ’という含意で、今回も一切沈黙していたい( 集合的な笑い拍手にも爪先蹴りにも咳払いにも私はどういう事情とは知らないので,私が私として以下以前に述べたように記す )。しかし、2001年“ おけらま ”日記に一時期わたしがアルバイト先でのYMさんに“ まゆ ”と呼び慣わしたり、私からの断り方がそのひとのSGIには誤解とされたかもしれない点には、私の責任上である.,( 私は後年テレビのあのIAさんの顔自体に“ いかにもマユを想わせる ”とは言い難かった。当時笑い者にするような“ 芸風 ”には私はいやな気がしたが、これ以前にはそのテレビメディアという論理的-怪しさに対して、私は単に断定的には書けなかった。
だが、そのようなテレビ放送等の中に、人権侵害となるような無遠慮な表現があったのは事実であろう。“ コウシロウ! ”と呼びつけるようなやり方まで公然化されていたのだが、その当時私は既に‘ ふせんへいわ( 不戦平和 )’と言っていたし、完全に無-戦と言えないなら、自分自身がいつでも徴兵される危険はあった )。
私には“ まゆ ”呼ばわりがそれ自体のベクトルであったのかどうか、あるいは別の誰かや別の時代からの“ 精神感染 ”であったかどうかには,研究余地が残されている。私は自身“ ~ちゃん,~くん ”をやめようと言ったのであり、最近“ 結婚しないという日本人の割合 ”と同様に.,個的な王道だとしても,更に科学的な方のスタンダードになるだろう。 )
お茶かなにかのCMのようだが( 商品コマーシャルとしては認識されなかったので失敗 )。例のSB白い犬CMシリーズなどに一家のプライヴァシー履歴を散々利用されたという側には、そのような“ 劇場型の笑い ”とみなされるような類いは,決して容認されないであろう。
当人たちの安全を優先し給え。

2019-07-28:
〔 以前の、少年たちに対する、手厳しい注意喚起と反発とは、私自身の下手なラポールとの問題でも遇った。( しかし、私は誓って言えるが、おそらく誰かが私のしらないところで間違えたような北野武の役ではなかったし、よく自転車少年らが発していたような昭和テレビ時代の戦隊もの敵役-手下たちのような声にも、私は一度も私の中には聴いていない,不明である )。
兎に角、もし過去に私が“ 自ら笑いを取りたがっている ”というような風評の伝播が遭ったとすれば、1984年頃までの中学校での問題を別とすれば、私からのそのような一般的意図は無かった。時折特に女子グループが路上に歓声のような声を上げたり、英語の振りをするような変な振る舞いも遭ったが.,私は私の文体がきちんと在れば良かったというだけで、私からは一度もそのような振りには誘わなかった。私は理由もしらされないまま被害者にされただけだ。
仮に、私の自身への注記-態度にかれらが感知したのだとしても、こうして私の第一についてきちんと書き述べたのだから、かれらが非礼を詫びなければいけないのは当然だ。 〕

2019-04-19:
私自身を“ 路上生たちのバカ笑い ”にするような残酷な世界観というものは、人助けや本当の支援だけが必要だという幸福的の価値観には無意味だった。私は今も彼らの原因を知らないのだが、私の経験上から言えば、それは排除的な態度ではなく、実際的な求めに基づいている。スーパーコンピューターの助けが欲しいのに、なにか別の振りをしている。
私自身には“ 家庭( 内 )裁判 ”というワード、要するに、家族的な問題( と咎め貶められていた )。それは自我に因る自己撞着であり、現実的にはいつでも私自身だった。
もしあの路上生たちが“ 笑い ”の理由をその場で口頭で私に教えてくれていたら? 私はこの何年間か私自身に何度も訊ねてはみたが、まったく要領を得なかった。私はちょうどその年頃の一時期に“ 笑い ”振りをしたことがあったが、私からは( 自虐的だと言われたように )特定他人向けにはしなかった。
〔 劣等感などは表面的に否定されても‘ 周囲の挙動 ’として投影される 〕“ 一発芸人 ”ではなく、私のコンピューターが必要だった。
自ら対立と矛盾を導きたいというひとがあるだろうか? 自ら呼び捨てる子たち、自分自身に受ける振りと? 中傷するような連鎖が信じ込まれる、とは。

2019-01-29:
今日私の今月初め頃からの日記等を読み直してみて、早なんだかわからなかった。フロイト氏の‘ 性源域 ’という見方は、私には‘ 身体上の或る部分的な問題 ’がすなわちそのキャラクター自身であるという、( 観念というよりは‘ これ自体 ’の主張とされる )身体性との関連で語られる。
なにが、T中央図書館の係員たちを“ 解雇 ”させようとしていたのだろう? “ 訴え ”を? あたかも別のなにかが( まるで自身“ 先生 ”と言わせるがように )私にそれを強いたかのようだったが。 記憶,“ 匂い ”、どう言ってもピンとは来ない。[ 2021-つい最近も,T図書館のカウンター業務女子に向かって度々例の“ ××をきりとれ! ”という文句をどなりつけている男がいた。それは“あの”カウンターのひとつのタームのようなものだったのかもしれない. ]
私にはいよいよ‘ 性別に因る障害 ’は無い( 私は男女という問題を要らない,私は一生交接をしない,純粋に研究者でいたいという意味で./ フロイトさんも指摘していたが、ある“ 幼児ぶり ”という対称的なわけを解くためにも )。

2019-01-16:
T中央図書館2Fのカウンター的にも無い方がいい( たとえばあのフロアに‘ 警察官を導入しよう ’とする側自身の問題は、先ず“ 職員が来館者を無能呼ばわりする ”という点に遭った。私は昔わけもわからないのに私の質問に対して黄色い腕章の女子係員からいきなりそのカウンター越しに居丈高に怒鳴られたことがあった。私は奉仕課や教務課がどういう人たちなのかはわからないし、そのような暴力がさも日常的にあの場所にあったのにも御存知ないかもしれないが )。
むしろ昨年私が清潔に通い続けた方が無能の援交-不倫グループや若いものみたさのような可能性を早々に切り捨てるための更新作業を、もっと的確化できたかもしれなかった( どちらにもドヤ顔を入れない )。KにもTにも以前私に関して児童に偏見口をしたような側がそのあとも一見平然と小奇麗な( 更生したかのような )済まし顔をしていた。
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私は昨年‘ 私の右半身-復活しよう ’との一環で、私の不慣れな方の手で“ おしり ”を拭き取ろうとしても意外に難しいと判った。私は特にこの右側が肉体にも気体にも‘ やろう ’といわなかったので、私には‘ ふれる ’位置に持ってくること自体に難があった。
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今朝私は“ 入れ替え ”にはされないだろう( 私の身体,右側反転は収-中しつつ在るから )、それはむしろ違反の側に起こる。

( 以下,私のクレーム記述は昨年のものですが、私がT中央図書館の担当宛てに送った封書に関して一度も通知がなされなかったので、私は今後も引き続き提起のためにここに掲載できるものと判断しました。 )


名古屋市鶴舞つるま中央図書館 宛 クレーム( 苦情 )続き / 追記 2018年8月25日,2018年9月12日あり

〔 2018年8月,申し訳無いが、以前から私が私の名と‘ 夢見の実践 ’名義で渡してきたクレーム等に関してきちんとした対応がみられない点があると思われたので、この場を割いて書き出しておきたい。本来これらは手渡しか直接申告されるべき内容で、その市立図書館等での私の難しさを再三に続いて( 少なくとも7年以上に亘り )述べている。実名等かどうかは判らないが、そのまま書く。
今回私はこれらを予め手書きにする手間ができないので、本来の夢記録との読者たちにはかなりの失念と言うべきだが、これによる反響を確かめさせてもらう。 〕

以前、私が2Fで別の利用客に関して口頭注意をした件で、向田さんというひとがオオミタさんというひとと一度その受付カウンター内の“ 第一保健室 ”と称された部屋で私に謝りました。
しかし、私がその後ウェブサイトや外界配布の注意書きに拠って提起しようとしたことについては、表向きにも私自身にも沙汰されてはいません。私が最近提起したのは、例えば以前から受付係員の名札に当て字のような変な名を用いたりした女子が居たことでした。このまえ“ 中谷有也 ”という男子名の名札を着用していた係員もいました( そのひとはまだ2Fのどこかに居るでしょう,私がみたところ、彼女は時々利用者との応答に自動的“ 口写し ”のような状態があったようで、そのようなメンタル不詳や不安定さは若いひとには当然かもしれないが、不慣れな利用者は戸惑わされる( ある利用者に対して押し返すような口調やおとなしげな口調を使い分けるような差別的態度にも、甘えの原理がみられる )。もしそのようなオートマティズムの障害ある係員を接客に置かなければいけないのなら、その利用者たちに原因説明が必要だと思います )。その名がそのひとの本名だというのなら異論はありませんが、その係員は以前別の名札を付けていたと私は思います。彼女は私が久しぶりに訪れたときにそのカウンター越しに来て“ わかります ”と言ったが、何も説明しなかった。
図書館は、そういう何にも説明義務を果たさない者たちが雇用される資格や館内ルールがありますか? または別の名義を使い回したり、不本意にも私を利用してなんらかの内部事情を書かせる? 
今度お答えをいただけないなら、私はこれを“ 風評 ”ではなく、街頭で来館者向けに配布したい。
私は“ 第一保健室 ”という名称にもそれらの苗字にも心当たりがありません( これには“ 国民保険第一 ”というそこの利用係員たちを示して言ったものだという見方もあった。いわゆる子育て支援が本当にあったのかどうかも、私はしらない )。だから、それらは図書館利用者としての私には、館内だけの問題でした。

私は私自身については必要な事項はすべて私の実名タイトル日記に書いている。詰まり、私からは個人名義として、図書館利用者側からの情報も渡せるが、図書館側からはなにか返答できなかったという、不審の環境と思われる。

私が他の人たちの代わりにこのような質問に再起しなければいけない( また、私が再びヴォイコット側を代名とすれば、どうしても鶴図つると以外の他館を利用し続けなければいけない )。

これ以前の16年余り、市立図書館等で私に偏見のような顔を向ける受付係員も何度か居ました( 昨年私は愛知県図書館のAV資料等を毎日のように利用していました。そこで偶然一度ずつ以前鶴図で見かけた顔の女子係員がいましたが、いずれも私にぱっと不愉快そうな顔をしたのが印象的でした。 )

しかし私は婦女子からの問題かどうかは知りません。
私が昔から他所よそで告知的な活動をしたり一時期ヘイトそのものと間違われるような言い方をしていたことが影響したかもしれない( 私自身はそのあと何も無かったように晴れて楽観的だった )。このまえ配布予定だった私の文章には、たとえ受付係員の名義が“ チャンさん ”でも“ キムさん ”でも“ ゴメスさん ”でもきちんとした方なら私は一向に構いませんと書く予定でした。
また、女子係員たちのピンクや赤のリップ塗りたくりにも私はフロイト的な語で対処しようと試みた。
しかしもうそういう自己限界の枠も必要ありません。

2018年8月16日 桶田幸志郎


追記:
鶴舞中央図書館には昔から20才代~30才代位の若そうな男子の利用客にだけいきなり横柄な口調で言い返すようないやな係員たちがいた( その人の係員への態度に関係無しに )。私は鶴図つるとの例の向田さんというひとにも一度この点を問い質したかった。
私は今年50だが、一生独身主義である。既婚者たちの問題ゆえかどうかは不明だし、カウンター越しに特に妄想か障害が影響したのかどうか、私からは見当つかない。改善がみられなければ、今後私はフロイト博士のヒステリー理論等を全面的応用してでも全館に必ず全部を届けさせる。特に他人の言葉を口写しするのを応対というような子が係員側にいたら、更に利用客たちの足が遠退く。
〔 今回有効の先日クレーム票は私の‘ 夢見の実践 ’インターネットサイトに張り出ししてありますので( 鶴図からの報告がありません、私は現状判断不可です )ご回覧ください。 〕
私としては当事者間で大人しく話し合い理解を促進できることが理想です。しかし、これまでの係員たちが私に沈黙しているような状況では、個人的にスノーデン式の情報公開を求める以外に無いでしょう。
2018年8月25日 桶田幸志郎


追記 ( 2018年9月12日 ):
私が他館との経由で鶴図に返答を催促した処、郵便で9月8日付“ 鶴舞中央図書館 奉仕課長 ”からの一文として“ 個人の方が書かれた感想や意見について、図書館は個別に何かお答えすることはありません。 ”
私としては( うちの電話は不調なので一方通話になるおそれがある )クレーム文書であれば“ 投函 ”ではなくまとめてその図書館の奉仕課や市役所宛に郵送するという手順もある。

2018-03-12: 不変のとき
[( 私は昨日も台湾国民党-前回総選挙時看板にそのまま張り取られた私の色合いイラストレーション(:私が作品集に2011年以後掲載していたうちの一枚 )と、 NHKニュース番組に流用された私のサイト上リンク部ボタン( 青い縁付きズーム )デザインについて、いま再び‘ あれは何だったのか?( いったい何が起こったか )’考えようとしていた。どちらも‘ 夢見の実践 Stretching ’が一旦データとして消された直後だった。そして今その2つが淡く組み合わされたかのようにレインボー枠の表示が使われているのをちょうどテレビ画面にみている。
〔 私がこれらについて表沙汰に言わなかったのは、私は宇宙的見地からみればこれらにも理が在ると思うからだ。
しかし、私は私の製造作品を一度も誰かに譲渡したような覚えは無いし、どこからも私への権利料は支払われていない。これは一国の名義で色んなことが正当化されている彼のように、例えば図書館利用サイドが各著者にその利用回数分を支払ってないという問題と同義かもしれないのだが。 〕)

2018-03-10:
以下の記載は私が昨日図書館利用者として不可解だった点を投書用紙に手書きする予定で綴った全文だが、もうペン書きが手に辛いので、私の代わりに誰かがこれを切り取って送付してくれたらと思う。( 私がそこに寄ったのはバーバーの有名な曲コーラス付きを含むアカペラ聖歌集が一枚あったからだった。 ) - 名古屋市東図書館向け。
これから心理的なものと見当を付けようというひとにもこれらは参考材料と提供するだろう:
今日,東図書館で私に受付した係員が、まるで幼児相手にするような口調の対応だったので、私はこの文面に於いてはっきりと解消致します。その係は魔女マスコットつきの席にいた太った眼鏡の婦人です。
先ず、以前からこの東図書館の受付にはいつも“ どうぞ! ”の言い方を投げやりな流れ作業のような口調で言うだけの若い婦人がいて( あたかも動物の行列かなにかに不機嫌な顔でいやいや応対してやっているとでもいうような )見下しの態度が続いていました。私は型通りのいんちき態度や“ あれ? ぼく,お家に一枚借りていますね ”というような子どもみたさは、50の公共施設には相応しくないと思う( 数年前から北図書館での偏見一方的な態度が続々コピー配布されていたこともありました )。
紳士方にはきちんとした言葉が無い? 男子係員と比べて傾向的に見ればあきらかに偏りがある,そのような対応のまずさを人事として放置するのは適当なことだろうか? 
その東の同一地域には集団行動なのか路傍で一々げらげら笑う子たちも遇ったのですが、私は一度も理由をしらされておりません。概ね去年の安全通行が害されるというおそれでした。その子たちにもあの係員たちにも何らかの風評があったのかもしれません。しかし私の自由が誰かに関与するわけでは無いのだから、私の側が受けることはあっても度々こんな風に払いたいとは思いません。