読書ノート: 能力研究-(7)

 

2019-03-25:
昨夕、県図書館に“ 錆びたナイフの奇蹟( ARIGO: Sergeon(Sur-) of The Rusty Knife, 1974 )”があったので書庫から借りてみた。
〔 その直前、私は用も無いのにAV資料ルームに寄った。私が入る途端になんでかなにかが( 誰かの軌跡でもあったかのように,その見えないなにかに )まっすぐクラシック音楽CD棚までいってその端の一枚を迷わず手に抜き出した。“ ヒポコンデリア ”というタイトル,見覚え無い作者名。そのCD表紙にはブリューゲルの戯画を想わせるような絵の部分。私には統制の執れない散漫な曲調だった。 〕
その本-前方から読めないので私は( 昔そうだったように )その後部から読む。“ 自動車事故で亡くなるフリッツ博士というドイツ人 ”が憑依して治療を行う。“ 自動車事故 ”? 

そう言えば、このまえ私がノートに少し引用してみた“ サイの戦場 ”という本; その注記のひとつに、古い都市伝説みたいな話が書かれてあった.ある中古外車の所有者がそれで走ったとき不意に霧の中でひとを撥ねてしまい、その次の乗り手も同じような状態でまた撥ねてしまった。その2人がその車に関して辿ってみたら、元の所有者がやはり同じであったという。
〔 私の側には“ 高速道路催眠 ”に関する資料は無い。一度“ 特命リサーチ200X ”というテレビ番組だったか、上記のお話に似た“( いつのまにか自動車前部が凹んで人身事故の痕があるのに )その記憶まったく無いドライヴァー ”という再現場面などが遇った。 〕
“ 濃霧の中をドライヴィングされる ”という事故車の文脈が無いので一見“ 手遅れ ”とは言えなかったという場合だろう。

“ 霊現象 ”自身の作成方法を考えてみよう。私のこれは普段私の身体や環境的事物に‘ 気化 ’している。私の身体自体に一致しようとするとき、私は‘ 振動 ’を覚える。ここに夢見へのヒントがある。私が私の中に“ 他からの嫌がらせ ”を持ってしまうと、それは私からの良くないものとなり、否応無しに悪循環の環境を形成してしまう。これを法則的に適用してみれば、私の身体自体にも対立項をやめて本来の形に戻せる可能性がある。若いひとの身体それ自身に敏感で覚え易い方が“ 分離 ”しにくいので( その“ 分解 ”状況だもしれない )、夢見のような試みに素早い。くたびれてやる気が薄れるとこれは心身の依存環境と変わる。

2019-03-26:
完全な中身のあるひとは、“ こする ”必要が無い。私が自身に“ こする ”をやめること( 私が他の肉を必要としない ),自動的催眠をしない。私はこのときこの直後に‘ 鈍麻 ’が起こるの原因に見なければならない。発見するには( 主意の )自己誘導が相応しい。

“ 近代庶民生活誌 19 ”の後半に“ 心霊科学研究会実験記録 ”という題が収録されて有った。浅野和三郎氏が当時余り知られていなかった亀井三郎さんという霊媒を連れて主要都市等で交霊会を催したという内容。その最初に2人が名古屋に下車して東外堀町K氏宅に案内されたと書かれてあった。後日談では実験が八重小学校の理科実験室にて行われたという( このまえ私の自転車途中どこかにその名の彫られた石面を視たという印象が遇ったのだが、どの通りだったか憶い出せない。文中には東区と書かれてあったので、都市地図を開いてみたが、反って見つからない )。時間の都合により名古屋を抜きにしたとも書かれてあった。しかし、天秤の支えという言い方も無かった。
その頃の“ 有名霊媒 ”に共通したような由来として、先ずその一家や親類がインテリで,治療目的などに特殊の催眠法を試したがった.,そのような機に“ 能力 ”開眼したという。メスメリズムのような“ 療法 ”では、いわば、予めそれ自体の効力である( 目に写らない原理の )永久磁石のような物が用いられた。私の中には予め“ 才能ある師 ”というひとはいなかった。霊媒はいつもそれ自体の“ 守護霊 ”を必要とする。
詰まり、どちらにしても、“ 天才 ”は自ら育まれなければ成らない。( この意味では、私は他己無い“ 読者 ”として著者たちを犠牲にした )。私は再度‘ 独自の領域 ’を生きるである。

2019-03-29: パンの耳を買った話
“ ユング超心理学書簡 ”読んでみる。有名な例の“ 物音と破断されたナイフ,部分裂断されたテーブル ”に関するCGユング氏自身のその状況的説明( JBライン教授宛,1934年 ).
その手紙での先生自身に拠ると、私の考えでは、これら2つの事件はその頃私が或る若い女性と知り合いになったことと関連しているように思われるのです。( “ いわゆるオカルト現象についての心理学と病理学 ”に記された,実験台とされた“ 霊媒性の ”プライスヴェルク嬢 )..それは彼女との一連の交霊会が始まった直後のことだったのです。彼女が私に語ってくれたところでは、あの破断が起こった頃、彼女は、それらの交霊会のことを強く心に思っていたということです。彼女は家具とか壁にドンドンという物音を立てることが出来たのです。そしてそのような現象は、彼女がいなくても、約4km離れた場所でも起こったのです。
私は手紙それらを読んでみるに、ユング氏の語り自体が、“ 現象 ”に対して観念的すぎるよう。“ 現象 ”に関して示唆される点としての,
.. 超心理現象は精神×の初期段階に於いては非常にしばしば現出するのですが、病状が進展するにつれあまり現れなくなるようです。
〔 その巻末には.,..ハンスベンダー博士は強度の鬱病患者の周囲でこういう現象が起こり易いことを観察している..( 湯浅泰雄 )付録“ 現代社会と共時性の問題 ” 〕
JBライン教授宛( 1945年 )解答から最後には、“ 元型的事象の共時性 ”一例と称された,,
..私は或るとき、或る女性患者と森の中を歩いていました。彼女は私に、彼女が人生で初めて見た夢、いつまでも強い印象を彼女に与え続けた夢の話をして聞かせてくれました。それは、幽霊のようなキツネが階段を降りて彼女の両親の部屋に入ってくるという夢です。その話を聞いていたが矢先、本物のキツネが私達のところから40ヤードと離れていない木々の間から姿を現わし、私達の前を数分間静かに歩いていったのです。キツネはあたかもそれが人間のパートナーであるかのように振る舞いました。( ひとつだけの事実ではまだ信憑性はありませんが、しかしそういったものを幾つも見ると、それはにわかに信憑性を帯びてきます )。
パン切りナイフはまだ私の手元にあります。あの裂けたテーブルはどこかにいってしまいました。

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資料ファイル編(夢見の実践f:)3. 夢を嫌う > その“ 霊媒 ”に関して,ユングの初期に書かれた“ 心霊現象の心理と病理 ”に読み直してみた。( 別紙,プロファイル頁 > リンクより )

[ 偶然現象? ] 私はこのまえ“ ヴェニスに×× ”という映画を視たときにの偶然を書いた。私が昔児童向けの本に読んだ,“ 客船上での、ある母娘.,その母が体調不良を訴えだしたあと.、その娘の知らないあいだに、母は船室から消えた.その娘が捜して船員らに訊ねるのだが、誰もそんな乗客をしらないと言う ”.この話は一時期知られた都市伝説系のひとつで、元は“ インド,あるホテルでの ”というお話だったそうだ。映画のラストシークエンス直前に、夕べ,レストラン内に3人連れの不良バンドみたいな者たちが闖入してきて演奏しながら、ワハハと笑い声を発しては一々客席等に歩き寄るのだが、なにも言わないで侮蔑的に立ち去る。
私がこれを書こうとしていて一瞬、このまえの宣伝カー音声によく似たスピーカー女声が町内どこかに遇ったが、同じアナウンスかどうかと私が聴き取る間も無く、途切れた。
( 前回 2019-03-20 - 最下段 )

2019-04-04:
CGユングはADコーネル宛手紙に,
.. ‘ 救いの手を差し伸べる神的存在 ’という元型が人々の祈りによって布置され、ついには予期せざる強度あるいは予見不可能な救いの衝動をもって介入してきます。そして最後にはその危機的状況を逆転させるようになりますが、それは本当に奇跡的にみえるのです。
.. 私が観察し部分的に分析したことのある患者の中に、本当に超常能力を持ちそれを意のままに操ることが出来るかのように見えた人間がいたことも事実です。 .. 彼らは共時的現象が可能になる、あるいはその確率が高まる聖なるものヌミノースに憑かれた状態( 神的憑依状態 )にいたのです。この能力は明らかに宗教的態度と結びついていて、それによって彼らは自我が元型に服従している状態を知覚し、それを適切に表現することができたのです。

,いわゆる職業的な霊媒たちに関して幾つか読んでみた処、霊媒者こそその何なのか“ まったくわからない ”という。

‘ 溶融気化 ’について
私-周りすべてが“ 夢見()実践 ”に再吸収-化される。このとき盾無くして( 外在者とみなされていたがそれ自身 )その目的に応じて素に同化する。即ち“ 他者 ”とされていたそれ( 別のひと )に溶け込んで( 自身 )、私の目的ひとつきり-了解されなければならない。

2019-04-14:
“ ポルターガイスト ”者が、心理的に抑圧されているのか半-自動的に利用されているのか,という従来の見方は、変だ。
私は西図書館内カウンター付近に置かれたままの色紙張り鎧仮面みたいな物が気味が悪くて、夜中のうちに“ 現象 ”で跳ばしてみようと思ったが、方法が無かった。私は昨夕そこでは想い出しもしなかった。
そう言えば、一度だけ、そこでのインターネット席-卓面にその記名用紙の紙箱部分と置かれてある短い鉛芯付きプラスティック柄を手に持って私は、あたかも叩くようにそれ自体をパチンと跳ねつけるという動きとみた。私が触れるよりもまえだったのか、触れてからだったのか。
そう言えば、それ以前いつだったか、私はその自転車置き場と出入口との間にその黒い柄一本だけが落ちているのを偶々みたので、私の手で拾っていつもの箇所に戻した,だれだろう? 後日私はもうそれを触れても何も覚えなかった。〔 私の記録文中に“ ポルターガイスト ”の原理は必ず表れているだろう.例えば,‘ ハードと自在 ’:2017-08-25,

読書ノート: 能力研究-(6) 2019-03-10