身体的変成

2019-02-03:
特定の指爪を伸ばせるがように、私の両足だけを伸ばす。その部分だけを特に動かす。

両足付近になにか感じられるので、私はそれを私の両足に一致させてみる。なにか重い金属のものが震えたような(-感覚)、微震動を捉える( 時間を一致させる )。右肩に近い鎖骨より奥に感じられる痛み、なぜだか、ある通りからガード下に向かう手前の( ある晩の自転車時,何度かの )光景のようにみえた。もう一度行ってみれば解消する? しかし、以前の原因なら擬似的再体験は喚起のためで( 状況再現できるという可能性以外は )無意味だ。

私の両足が最も長くみえたのは‘ 留まる処をしらない ’自転車うんどう( ある初回達成 )直後だった。私は夏のあいだにそうやって距離をのばしながらひとり海水浴にいこうとしていた。

2019-01-20:
私自体の理想を持つ。私が原文である。
〔 私は‘ メンタルには何も要求しない ’。目や耳に写るものがあるなら、それは要求に過ぎない。最近また路上婦人2人組による変が増えていたが、私は“ 能力 ”的に難を排して確証するだけでいい。[ 当時,私-自身とのアピールがどのようにか外的に影響したかもしれないといった見方での研究にはならなかった。私は単に排外していた。 ]〕
○ レンズ上に歪んだ( 風に白く霞んだような,長く引き伸ばされた )私自身の像であるかのような姿。ある“ 霊 ”を通して視たかのような。

2019-01-19:
○ 〔 私が手洗いに立っての最中、光景イメージみたいに, 〕右側-窓から非常にあかるい日光が差しているような室内( その窓側とのすぐ左,あたかも図書室の部分か,開架,その向こうからひとり(女性)がちょうどこちら向きにみたような処. )私が次に視ようとすると,その開架に別の手が本一冊の上辺に掛かり( その女性的な指でその上端を傾けたかのように, )一旦途切れた。が、次のイメージには黒っぽいB5版サイズ程の表紙が傾き出されて,その表紙-真ん中になにか四角く図画の部分がみえた。
〔 しかし、あるイメージであったには違いない。普通に図書室の開架が窓と陽射しに直接照らされるような角度に向けられることは先ず無い。半分だけ抜き出された本にも小さな図画デザインだけで,それにはタイトル文字は無かった。
私は以前そのような本を抜き出すには私の人差し指をその上端に掛けて手前に傾けるようにしていたが、無理にやると背表紙自体が傷んだり凹んだりする場合があるので、去年私は図書の両側を軽く摘まんで棚から出すようにしていた。 〕

- 薬指を動かしてみる。

湯船に私の背中を着けるようにして両足を開くと、私のおしりに感覚があり、ふと‘ 産湯のときではないか? ’という。こうして不明瞭だったひとつひとつが純粋に私の記憶になればいいと私は思う。

2019-01-13:
夜,はだしの路面に両足が生えてくる( 生えかわる )。
私は中心に近づいている。

2019-01-12:
・動かそうとする。
+ 動かそうとすると熱がその部位に発生する。

2019-01-10: 性源域を確-証する
右眼は私のものになりつつある。私は今回これを“ 彼女 ”とは称さない,この背筋に子ども時代の体温のようであれば。
児童の頃には何かと我慢するが多いというのは( 特にそれらが“ 親 ”の問題に依っていると信じこまる時には )後々辛いこと! 真摯な務めを? -
〔 ‘ 右目側では視れない ’という“ 引っ込み臆病 ”型-説には私はいよいよ感心しない。以前の路上少年らに拠るバカ笑いにも、私の“ ヒステリー ”反転だったかもという見方は私個人だった( 単純に、私の素足が反響を招いたという観察も; 私は前年夏にはスパッツ-タイツをすっぽりと履いて一度も欠かさなかった。私はむしろ昨年末-今月に半袖シャツ短パンツで歩いていた。 )が、例えばBイングリス著“ トランス ”を読んでみると、ストレス解消と肯定化のための“ 両足で笑う ”という言い方が喚起されるのも確かだ。 〕
私の先日‘ 左側 ’に関して,‘ これは先年一旦貫通された足 ’と私は勘弁した。それにより右足側が‘ 未-貫通 ’であるという差異が生じた。私は今回までの右足が相変わらず‘ 力み、強張っている ’と観ていた。
しかし、肉体は観念の道具ではない。私がこう歓待しても肉体には及ばない。“ 彼女 ”が私の身体上へのいうこじつけであったように、これは誤謬ごびゅうだった。おそらく‘ 力めないから表層的に強張る ’という無理強いな慣習の部分であって( 対外的にも, )右足には肉体的鍛えが必要である。[ 物理的な肉体の差異は,そのように記憶やメンタル面からの障害かもしれなかった。 ]却ってこの余分な‘ 強張り ’は妨害だった。
前回‘ 左足 ’強化以前に一度検討されていながら、なんでか?〔 これもまた“ 軽度なヒステリー ”と無縁ではないかもしれない,私はおしりで鍵盤を弾いたりPで電気-弦を鳴らしたりはしなかったけれども。あのフロイト先生の説に遡行すれば“ 性源としての特定領域,キャラクターとアナルエロティク ”,及び“ 本人よりもその兄弟姉妹の方がよく覚えている、糞便での不躾ないたずら ”など。 〕私としてこれら理解することは“ 動物を手懐ける ”よりも優先の事項だ。
性源域,それらの興奮量の一部だけが性生活のために使われ、残りの部分は性目標から逸らされて別の目標に向け変えられる。
( 私の以前フロイト論稿とのメモについては,下段-カテゴリー表示か,ページ上部に“テーマ”表示される場合,“ 引用文あり ”に連関が在り、必ず関連話題と辿れるようになっています。 )

読書ノート:能力研究-(2),“ 不思議な度忘れ ”

発端点をみる ;2019-02-04 -

2018-12-24:
私はチャーハンをしようとパン上のご飯に細かく匙を入れた( 長いあいだ私は私の左手を使っていたので、これを今回右手に持ち替えて左右対称の動作にしようとする度に、ぎこちない不慣れな力みが伴うのだった。そう言えば、チャップリンのスケート“ The Rink ”彼がバーテンダーの振りをする場面が遇って、私は彼の両手にシェイカーを持つや反対にその両腕だけを小刻みにシェイクできるというのを不思議にみた。それが実際の動作から半分スケール程に短縮された映画だとしても、彼のスケートリンク場面での背後にひっくり返りかけたように両足だけを蹴りだしながらいっぺんも背面に倒れないという動作などは、却って難しいだろう )。
私は左手でしていたのと同じこの動作を右手でするにはこの部分自体を小脇にやや内転するように近付けなければならないと気付いた( 右手は不必要に力んでその肩よりも前に出るように感じられる )。右足もこれと同系統で( 私は以前一度‘ この右大腿の付け根を体の中心軸線に沿わせる ’と述べてはいた )修整するだろう。中指が前方に掛かると言えば気安いが、薬指が直接これに掛かるには難儀であった。
〔 翌日再び試してみた処、この“ 内転 ”が先んじたのではなく私の手で匙にどう握っているかにその力加減の原因があった。私の左手-左足は既にあの自転車うんどう時の強化に拠って小指側にかなりしっかり握れるのだが、右手側にはこれが不十分で、グリップに確かさが無い。この線の不確かさは顔面等にそのまま片面に‘ 動かなさ ’と表れており、この右側だけが生えにくく白髪が多い。( あとで視直したら白髪は左側に偏っていた。むしろ左が老けている? ) 〕
+ 薬指を引き、親指を前に、中。