読書ノート: 能力研究-(2)

2018-12-24:
当然のようにユリ-ゲラー“ My Story( 1975 )”読んでみる。日本語タイトル“ わが超能力 ”一見ポップな字体は如何にも焦点合わない( 安っぽい )その当事エンターテイメント側の問題とも想われる。おそらく“ 超能力ブーム ”という非情な歓び方が必ずしもユリ-ゲラーさん本人のネーム印にならなかったというわけで、“ あの念力 ”と言っていたようなひとがそのスポット現象の何なのかをわかっていたとは限らない。
( 私は予めこのタイトルも借り出し候補にリストアップしていた。ちょうど前掲Mマニング著ラストに当時のユリ-ゲラー氏に関する話題があって、彼もスプーン曲げをやってみてと彼の母に勧められてやったりしているうちに科学者などの実見対象になったという,
.. 父が部屋に入ってきたために私の集中力は散漫になり、私が父に話しかけるとすぐ私の集中力はスプーンから離れました。その瞬間私はスプーンの柄に何かが起きてくるのを感じました。なんとなく柄は、もとのようには硬くないのです。‐“ 霊の呼ぶ声 ”第7章
;巻末には“ Can We Explain the Poltergeist? ”著者でありマニング宅の物体移動現象等にも直接観察しようとしたARGオーウェンさんに拠る簡単な概説が付録されている,
.. 私はこれはクラシックなポルターガイストの事件であってその家に何かが出没するのではないということにますます確信を深めました。( 中略 )ポルターガイスト事件の大半は事件発生から数日あるいは数週間後には結局収まってしまいます。ごく稀には、関連のあった人が後日精神的あるいは念力的タイプのいずれかの心霊的能力を発揮することがあります。
無論、そこに述べられたように、オーウェンさんはマシューMの“ 霊能 ”的なパートには関係しなかったようだ。私が思うに、マシューさんの体験談は、むしろCGユング氏がボーリンゲンに邸宅を建てようとしたが霊感か何かに依ってその地下に古い遺骸が発見されたというエピソードを想わせるもので、もしマニング宅での現象等が単独に始まるなにかの介在だったのだとしたら、マニング宅に関して彼ひとりが歴史的にそのもっと古い時代の様相など知り得たりしたというのには、説明付かない。 )
ユリ-ゲラーさんのマイストーリーにはその初めの“ 物体への働き ”について書かれてあったが、そのまえに興味深いエピソートが書かれてある,.. 父は帰ってくるたびに、私をよろこばしてくれた。( 中略 )
ツキと私はいつも一緒だった。例外は私が学校へ行ったときだけである。学校は家の近くにあった。ツキは毎日バルコニーで、私の帰ってくるのを待ちかまえていた。私の方もツキに会うのを楽しみにしていた。
その頃のことだったが、私より母の方が先に私の異常さに気がついた。母は昼間は針子として働いていた。私が非常に自由だったのは、近所の人に私のことを注意してくれるように母が頼んではいたが、ひとつにはそのせいである。
母の主な気晴らしは友だちとトランプ遊びをすることだった。すでに小学校一年生のときから、お休みをいうために、トランプ遊びから帰ってくるまで私は起きて母を待っていた。どういうものか私は、その日に母が勝ったか負けたか、しかも何ポンド何シリング勝ったか負けたかまでわかった。( 中略 )
そのうえ、母がなにか言おうとすると、その直前に、母の気持ちを読んででもいるかのように私は思っていることを言い当てた。母はそれでよく驚いたものである。

2018-12-31: “ テーブルが動いてほしい ”
また私よりも“ 大晦日 ”に押されている。
不意に、私のものではないと思われていた“ 匂い ”が実際には私からのベクトルで、私のベクトル自身と思われていたものが私のものではなかった、と見る.. 新事実への衝撃? 通常‘ 心に浮かんでくるもの ’こそ偽ものだったのである。
LLワシリエフ教授“ テレパシーの世界( メンタル暗示での実験等,1963 )”,端的に“ 暗示に拠る感応 ”が可能だと示している書類のひとつ,
..2章で述べた自然的テレパシーの事例(79)では、受け手は自分の父が死ぬのではないかと感じ、父を捜しに出かけなければとても我慢できないような体験をするのだが、この場合、彼の父が無意識の送り手だったわけである。この種のシチュエーションは、‘ 送り手の誘い ’といわれる思考暗示実験でも作り出せるのである。
たとえばジェリコフスキー教授( 物理学 )、ノルマルク( 化学 )、コトコフ博士( 精神病専門 )の3名のソビエト科学者が、1920年代の中頃、ハリコフ市でそのような実験を行なっている。受け手は19歳の女子学生。言語暗示にも、思考暗示にも極めて感受性が強い。コトコフ博士は私宛ての手紙の中で、その時の実験の模様を次のように書いている。
‘ わたしは、ジェリコフスキー、ノルマルク両氏と厳重な時間の打ち合わせをして、その時刻にこの女子学生をノルマルク氏の部屋に呼び出す思考暗示をするわけです。自室にいて、“ 成功の勝利の絶頂 ”が始まると、わたしは実験を中止し、ノルマルク氏の実験室へと入っていくのでした。彼の部屋に行くと、もう女子学生が来ている時もあれば、私より少し遅れてやって来ることもありました。なぜここへ来たんです、と質問すると、彼女は平静さを失い、ややどぎまぎしながらこう答えるのが普通でした。
“ わかりません……ただなんとなく……来たかったんです…… ”と。 ’

ワシリエフ氏のその引用文あとには、超心理学者Rティシネル博士が( ある女性を受け手としての思考暗示実験に )“ ハサミ ”という印象を当てさせたと書かれてあり、それからワシリエフ氏自身も妻を相手にやってみてやはり正答をさせたという( どちらの例も最初にずばりと当たるのではなく、“ 栓抜き、ネジ回し、..先生の姿 ”、または“ 蝶結びのネクタイ ”というように、どうやら受け手がその送り手自身のものを連繋-印象混じりに言ったかのようだ )。

〔 私としてはそのような“ 暗示 ”を承諾-同意無しに異性や他人に用いるようなことには全宇宙的な影響があると思う( 世の中には私を“ 誘導 ”側だと思い込んだようなひとも遭ったようだが,単に私の思考を他の誰かがまるで私の言うよりもそのひと自身であるかのように先に口に出して言ってしまったりという“ 小鳥 ”パターンではある。私は影響されている側を示すために、度々私への変な呼び方や他の名と合成された発音などその伝播を例として挙げる )。
然し思念暗示が可能であるなら、私が先ず私自身に有効化できる。私は“ 霊 ”現象の行使という面には私の自己研究としてを述べておきたい。すなわち、私が先ずこれらを私の‘ 夢見の実践 ’に一致する。 〕
“ The Geller Effect ”に落胆?( 外的クレーム扱い,12,1-2019 )

2019-01-02:
LLワシリエフ教授に拠る“ 思考暗示実験 ”についての説明に、暗示効果そのものとは関係無いと思われるがひとつ重要な点が記されてある,
.. 被験者は徐々に自然発生的に( 睡眠の思考暗示無しに )催眠状態に入り、また自発的にその状態から抜け出してしまうという傾向が‘ 発達 ’していくのが認められた。( 中略 )またこういう実験では、眠りや覚醒への条件的信号の意味を獲得できるような、いろいろな音声刺激が生じることにも警戒しなければならない。その種の条件的刺激の作用については、パブロフ生理学者、とりわけ実験用イヌや被術者を使ったB.N.ビルマンの詳細な研究がある。
私がその一節に読んで即思ったことには、私の一時期‘ 明晰夢への試み ’が私の意識または意識下に常に求められたときに、これがきっかけを必要としたが為に‘ おはなし ’常用化したのではないか? ( 例の街路-少年たちの騒ぎ声には、私は一度も私の求めとの刺激-要素というようには見なかった )。私の以前には‘ 私として( 記録-説明的に )言語記述することに依る必然性 ’が一因だったのだろうと単純に思っていた。例えば“ 明晰夢 危険 ”と言ったようなひとたちには、私はただ‘ それが“ 明晰夢 ”であってもスポーツか宣伝活動であっても、特にその自主的な試みがリアルな( ある程度の対外性に依って保証される )促進-相乗効果とみられなければ、自ら“ 低迷 ”と言い,至らない環境とみなされるというのは同じではないか? ’と言ったであろう。
“ 明晰夢の試みはいけないか? ”ではなく、‘ 私はなぜ未だに明晰夢を私として常用化できないのか? ’という質問こそ適正だ。

2019-01-08:
朝3時過ぎマックスVに買い物しに行った。直前‘ そこのひとが補充ができなくて ’というおはなしが遇ったが、何のことか私はすぐに忘れて例の軽装に裸足で路面に出た。店内、珍しく牛乳パック等の棚その左半分だけが殆んど無くて空だった( そのときにも何も想い出されなくて、‘ 寒いときに牛乳が欲しくなる( 同調 )..? ’だった )。
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朝ニュースに,日本での“ 必ずしも結婚の必要無し ”が統計中7割だという。意外に多いなと私は思った( むしろ私とほんの少数方あるかないか? このまえ××中央図書館-奉仕課が答えなかったものだから、例の如く私のような単独の者たちが未だにそのように‘ 一市民代表者ではなく極-少数派 ’と逃げられたようだのと同様に? 私からは昨年末そこでの能面カウンター越しには言わないつもりだったが,昨日には‘ その鶴図の関係者たちを地方裁判所行きに ’と言っている追及側があった( それが私本意のリフレクションだとしても、私が再び裁判沙汰になれば図書館の反省態度みられ無さに対して駅前-玄関看板持久やってでも何しなくても後々波及-話題にできる部分があるわけだ )。
これらもあの統計結果と含めて‘ 個人個人か、それとも( 無意識-同調的に )思念感化されているおそれ ’も十分考慮されていなければいけない )。

2019-01-09: “ 不思議な度忘れ ”
ブライアン-イングリス著“ トランス -心の神秘を探る- ”,一見雑多な( とまどり無い )変な体裁。“ 現象 ”百科ではなく、概略等ばかり、人名( その簡単な事項 )本位。“ ヒステリーは二次的な潜在的心理状態 ”といった略語のように、むしろ必然性自体に拠れば、私の点々を読んでいける。
合間に、私は“ The Geller Effect ( 1988 ) ”日本語版に“ シンクロニシティーの不思議 ”という一節を読みかけて、その数ページより辿ってみたら、ちょうど“ この本に名前が出てくる人物の何名かは、あとになってブライアン-イングリスが‘ 認識の不一致 ’と呼ぶ、ある矛盾した症状を呈した。”と書かれて遇った。

その数ページ間に、ゲラー氏が飛行機内で隣に乗り合わせた男性がフロイトという姓で( 以前ゲラー氏の母はあの精神分析家ジグムント-フロイト氏は遠縁の親類だったと話していたという )、実はそのフロイト博士の孫( イギリス自由党員兼タレント? )だと。
そう言えば、私は昨日図書館に“ トランス ”と偶々“ フロイト全集7 ”だけを借り出していた( “ 度忘れ ”に関して原理的的に読めるような何らかの手掛かりがあるかもしれないので。 )

観念は肉体には及ばない,性源域を確-証する ;2019-01-10

読書ノート: 能力研究-(3) 2019-01-14
読書ノート: 能力研究-(1) 2018-12-09