イメージ自動

2017-11-22:
私はフロリンダドナー“ 魔女の夢 ”何年か振りにその続きページ読もうとしていた( わたしは昔カスタネダの対話法式には入り易かった。過去時制だけの原文部分と比べるとそれら全体がかなり読まれ易い日本語風に意訳されていたようで楽だった。 )その“ 魔女 ”には導入-語り口が足りないのか私の関心にならないのか、ぜんぜん乗れない。それで私はページ開いてそのまま私の目を閉じたように遠退くと、どうしてかその度そのあいだ私の頭-傍にその本が開かれてあるのも喪失されたようだ。その状態4回目,私は漸く‘ 読みかけのその本 ’と在るのがおもいだせた。
これメモ付けてあとに今その読みかけページ間に私の指を挟んだまま傍らに置いて再び私の両目閉じて少しあのカスタネダ本などに想い返そうとしていた。と、急に“( じゃあ )これは? ”と言ってあたかも目の前に金属製ネックレスに十字架ぶら下げられたようにみえてちょっとびっくりした。そう言えば映画“ THE EXORCIST ”の聖人メダル落下映像は( 壁紙模様背景に )ハイスピード・スローモーション画像だったが、十字架像みせつけとはいきなり過ぎ。やっぱり“ 魔女 ”いうのが嫌なのか?

2017-11-23:
フロリンダのドナー“ 真夜中の発掘 ”まで読んでいると両手-人差し指等に拠るクロス,こちらに向けられたかのようにみえた。

2017-11-26:
前回22日付の話題に関して,
“ 9. 真夜中の発掘 ”読みかけに( 不意にイメージとして,私に )ネックレスと十字架が振り下げられたので、私は映画“ THE EXORCIST ”メダル落下画像に連想したと述べた。
私はその本には昔そのまえの第I部にだけ読んだのだろう微かな印象だった。
今しがた“ 10. 悪魔の仮面 ”読んでみて( クリスマス晩、不細工な男による“ 仮面の踊り ”に女たちがお祭りみたいにふれるという場面などは、まるで嘘のようだ。私のお話ではそれは言い返られた“ オバサンらの魔法 ”という訳だ )。しかしその次の章ラストに、“ 魔女 ”ペラルタが金メダル付き鎖を満月に放り上げるという( しかしそれは落ちてこない )朝のお約束といったようだった。

2017-12-09:
結局フロリンダドナーの“ 魔女 ”には( 後半に読むに連れ,私のその前回‘ お約束のイメージ ’と述べたように )私の言った処の“ 生殖-腺 ”という印象だった。例えばカルロスカスタネダの文脈には“ 谷間での彼女,ラ・ゴルダの飛翔 ”というアイディアが遭った。それも生殖-力からの利用面ではソーサラー( 呪術師 )であって、ドナーの“ 魔女 ”メルセデスペラルタに拠る治療という( その肉体自体の用法に性-活させるかのような )人間本位の“ 魔法 ”という言い方とは違った。〔 カスタネダ氏の“ 呪術師たち ”は、むしろ映画“ スターウォーズ ”に於けるフォースの導体という言い方みたいだった 〕。
“ メダル ”に象徴されていたように、ドナー女史の文脈では魔女には“ 夢見 ”に相等するような“ ちから - イメージング ”転換という記述は無かった。一冊の本として場面的な魅力に欠けていたのはその点( “ 呪術 ”的なショーアップ )だったので、決して夜のホウキ自体に乗って飛び回るというような絵ではなかった。だからややラテン系の文節であったのかもしれないが( 私はカスタネダ氏のその序文に“ 民族誌と共通する ”と述べられていたのには彼自身のシリーズ初期からへの批判そのものだと思う、彼はドンファン自体として語らなければならなかったから )、この本には“ 金属製ツール ”ではなく最初からのノートが先進だった。

生殖-欲からの併害として読み直す ;問題解消のために( 現在-非表示ページ )
‘ 金属バー ’のイメージ-(1):15,6-2016