あのいぬ | 暗がりが先か,

2017-04-05:

昼間、私は帰り道の途中で神社の傍に小さな排水溝にそのストラップ付きの犬を歩き進むがままにさせているような初老の者をみかけた。私は‘ そんな所にはどんな生物があるかわからない,そこに犬を歩かせるなんて ’と思った。その犬はその溝の中に黙々とまっすぐ進んでいるようだった。
私はそのまえに“ 八事霊園 ”出入口その通路をグーグルマップの合成画面で少しだけ視た。こんな細い通路にまでその先の画像がある? 霊園。
あとで私は‘ ああ、あの犬だったんだ ’。わけもわからないままに飲んだり食べたり言ったりするオートマチックの真似-人形。

夜,消化液が出過ぎるかのようにまた胃の辺りが痛んだ。私は再び‘ 解消策 ’を募った。自身おはなし側は‘ 母のと同じ ’と言うが、その元が辿られなければ原因は見えない。
私は殆んど寝ずの番で‘ 私は揺るがない ’と言い続けたが。

次の( 4月6日 )午前2時前、まだ体に液が排出されるが、うまく‘ 夢 ’にもっていけそうなので再び寝床にと思う。

寝つけない。
橋の欄干のような上部局面の形に並列している溝2つ,その左の溝に水が滴り流れたようにひとすじ。それ‘ 源流 ’と思われる。

朝までに私の‘ 夢見 ’を敢行することには失敗した。欧米の博物館のような施設内部を団体客たちの後に歩いていたが、わたしはドル紙幣を持っていなかったので、もし入場料金を請求されたら困るなと思っていた。わたしはすぐに出るか料金の細かなお金が必要だった。
どこかわからないが外国の町路地のような所( わたしはその光景を2回みたが、まったく同じだった )。その右手に分岐・カーヴの短い下り急勾配があり、わたしがそちらに下りて行こうとすると、観光客か、若い女の子たち数人ずつの歩きが対向に上がってくるがなにか含み笑いというよりは半分おふざけみたいだった。

2017-04-06:
‘ 夢 ’導入部を視ようという試み。

2017-04-08:

無駄に食べない( 言い訳無し )。再び糖尿病-危機は回避される。

発電( 自己発水 )の原理。

朝方、寝着きは無かったが、左側にコンクリート橋梁のような古い鉄道線下にみえるような形。

まえの夕方の自転車走行は速やかだった。それ回想には、なんでか“ 美しく青きドナウ ”,私は“ 2001年宇宙の旅 ”その絵を想いだした。あの“ 宇宙 ”には星空がみえるかみえないかという微妙な処だった。

2017-04-09:
私は自転車うんどう時や就寝時に体の右側を‘ 起こす ’ようにしている( 以前記述のように私は昨年一時期に私の左足を強化したので相対的に右足が弱かった )。この右半身は強くなりつつある。私が意をしてこれを動かそうとしたからか、私の顔面の右半分も少しずつ左右対称に修理されつつあるようだ。筋肉等はこれら自体で発達しなければならないので、表面的強制からは動かせない。

2017-04-10:
ある図書館の女子従業員ひとりがいた。そのひとは私の名を知らないようなので、私がやや表面の粗い壁に直接私の指で書くように先ず‘ Kohshiroh ’とペイントしたところが、‘ i ’の字が無かった。‘ あっ、ここにはiの字が入る ’と私はその字間に書き足した。私は続けて‘ O ’の字を書いたつもりが、それだけが薄ピンク混じりにソフトクリーム状にその壁に少し垂れた。私はあの綴り通りに書いた。

〔 夢はそこで終わったが、私は‘ あの図書館の人なら私の告発文を読んだに違いないので私の名を知らないわけが無い ’。しかも私はその毎回末尾に私のページ名・参照URLを付けていたので、その場にと‘ ゆめみのじっせん ’と書いた方が私の名前よりも簡単だったのだが、夢での私はこのタイトルを想いださなかった 〕。

“ファットクラブ”の浮き出し文字-? ピンクの戸板 :2018-03-10,

このまえJ.S.バッハの曲としてBWV1056の第2楽章・ラルゴを例としたが、私の記憶的印象ではチェンバロ演奏だった。図書館のCDリストに探したら確かに“ チェンバロ協奏曲 第5番 ”中のラルゴとして同じ曲がクレジットされていた。私の印象にあったのはこの曲に似てはいるが私が10年前にau“ うた ”サンプルで聴いていた“ フランス組曲 第5番( BWV816 )”・サラバンドの方かもしれない。私の借りて聴いた盤にはグスタフ・レオンハルト演奏というそのラルゴと“ ゴルトベルク変奏曲 ”のアリアも収録されていたのだが、そのラルゴは割と機械的なテンポでの演奏だった。私にはグレン・グールドのあれみたいに( ピッチ無しに )ねむりそうにゆっくりと弾かれていたらよかった。

私は次の‘ 夢 ’でこのようなバッハの曲どれかを想いだしてみるという目的としてみたい。

2017-04-11:
‘ ゆめみのじっせん ’というインターネット上のページ・タイトルです。
私は朝寝る前にこれを‘ おはなし ’側からあらたまって私に正しく言う( 逆接的用法 )おもいついた。“ バカ笑い ”の人たちは一旦これをおもしろがったのだから今後正しく言い伝える責任がある。( 私はアリアの曲には“ 幸せ ”だったので“ 泣きもろ ”線を奏でなかった。私は“ ぶーイング ”や打ち鳴らし型デモのような猿-真似をしない( 毛を持たない )タイプだった。だからトランプ氏のように一定の信任・グッディネスがある )私の一生の儲けだ。

2017-04-12:
前日中に‘ 夢でのあの白い素材に注目しよう ’。それが意になったのか、( 前回の‘ 白い壁 ’とも同源かも知れない )今度の‘ 壁 ’は( 一見ブロック塀にもあるような )少しずつ不規則な凹凸面,それが前回の‘ 壁 ’同様に私の視界左側に近くその奥に向かってあたかもその小さな一室であるかのように別の面と天井とがあった。
私は以前‘ 曇りガラス越しの影 ’を一連のイメージとして追及することにある程度成功した。これのように再び今度は‘ 壁 ’を見るという試みが可能かも知れない。

私は一時期‘ 地域的な問題 ’などにも圏内を及ぼそうとしたが、これはむしろ私自身という感情的な逸脱だったわけで、それがあるなら( 再び,昔そうしたように )自己との‘ 夢見 ’を可能とするために夢見の実践を私の身体に充填しなければならない。

しろい塑像 :2017-08-11

‘ 白い素材 ’または‘ 壁面 ’の夢・イメージ-(3)