しろい塑像

2017-08-04:
人工的な石製のテラス広場のような所に学校生徒女子のような者たちがいた。私はそのうちのひとり( 昔の同級生,ポルターガイストに関して )に‘ 誰かの思念がこちらに向けられるのが原因かな? ’と尋ねた。〔 彼女が答えたかどうかは記憶に無い。そのあとそこを離れたように一方に進んでみるとその先に数人が緑色の背景か暗い中に去っていくような姿がみえた 〕。

両足うんどう帰り路で一度‘ 白い頭部塑像 ’みたいなものがみえた。〔 一瞬それはマーティン・スコセジ監督“ 最後の誘惑 ”に1カットだけ写るローマ人-彫像・顔面のあれだった。( 後日ビデオに視認し直して視た処、その映画では灰色の石像のような顔アップとその武将姿を想わせるような格好の絵だった。私の印象では石膏像のように白い面で、もっと頬の痩せたような顔だった。私はそのイメージとは別に先日そのビデオにデヴィッド・ボウイのあのピラトの一見平然としてみえる台詞部分の横顔をきれいめにみたのだが、そのことは誰にも書かなかった )。私は最近‘ 夢 ’意外の場面でこのような素材とのイメージみることは無かった。先日私は私自身の統制を執ったという意味でローマ側だったと思った。しかしそれも象徴像であり、遺物であった 〕。
・前回までの‘ 白い素材 ’-夢・イメージ記録等: ( または、‘ 明晰の夢記録 ’ページにて )。

午後、全身の神経に集中してみる。

2017-08-05:
自転車にも気張らない。
今夕もう一度うんどうに出かけた。ルートもなにも面白味ではなく、ただ私だけがひとりでいられればいい。

2017-08-06:
一切“ 外界 ”に持たずにルートできるかという課題は、‘ 私の夢見 ’にとって更に重心である。

夕方、私の帰り路に今度は名城公園沿いの“ トナリノ ”傍でなにか拍手で通り掛かりに空買うような振りの部活ウェア姿の集団があった。歩道上でのいきなりな“ 拍手 ”や“ 唾吐き ”などには私は一度も前兆は無かったので現象的という言い方は無かったし、私には心当たりはまったく無かった。ただ、それらが私の傍で繰り返された時期があったのは本当だ( 私はひとりきりのジョギング・ランナーたちと同様に路上での一方的な挑発には一切無視している。私のひとりをかち割ろうとするのは‘ 夢見の実践 ’を破壊しようとする側だというのが従来の主張だった )。
地元はもう鎮まっているだろうなので、他の地方からの練習生たちかもしれないが、私は彼ら自身に私への問題があったかどうかは分からない。

2017-08-07:
結果的に私は私の右こめかみに未だに動かない部分があると認識した。この部分には強く触れるに抵抗というか恐がるのようながあり、私はここにタオルやブラシや私の右手で( そのこめかみの抵抗感に確認してみるように )触れてみると同時に,別の記憶-問題があるならそれが解放されなければならないだろうと思った。

2017-08-08:日食
明晰夢にはならなかったが、ひとつ夢らしいイメージがあった。旅先( モンゴルかどこかの古い小バザールといったような界隈 )で、どこにも連絡が付かない、どうしたら良いのか分からないという状況。不意に絵に描いたような( 三日月のわずかな端が光ってみえるときのような形 )大きめの日食なのかその丸の輪郭も周辺も黒だった。
〔 未だに一体感が欠けているのだろう。それとも先日‘ 私ひとり ’という言い方では不潔の域だったので‘ ひとつ ’でなければいけない。完全な“ 日食 ”のときに起こるのだろう 〕。

(2017-08-09:)
私はすべてがニセモノであるとしった。
今再び‘ 内圧 ’を高めよう。しかし太陽に曝されるよりも太陽自身であるほうが痛みにくい。

2017-08-09:
夢:今朝の夢の場面には理解可能な点がひとつも無かった。
ある邸宅の中に歩きながら視ているようだった。薄暗くて無人だったが、屋内の調度などはかなり高級な印象だった〔 その場ではそこが世田谷事件の家だということだった,似てはいないが 〕。
外に歩き出てみると黒い年代型リムジンみたいな乗用車等が( およそ20台程,前後2列すべて黒 )こちら向きに停めてあった。その路上の反対側-右から白いハンチングみたいな帽子と白いプリント柄シャツの若い男がその少し長い肉質あるような両腕を変な風に両側に振り上げながらその後のもうひとりと急に走り込むように迫って来るのがみえた。私は走りだしながら彼らを避けて住宅地をどう遠回りして元の所に戻れるだろうかと考えていた。
ある所で彼らの代わりに萎れたような長髪に黒っぽい両目の若い女が私の前に近づいた。私は‘ Aさんですか? ’と繰り返したずねた。彼女は私の左側-壁面に浮き彫りの横並びに少し太い文字みたいに“ ア二一二三四五… ”と片仮名・漢数字等-連続しているのを示した。

ブログ更新帰り,久しぶりに午前中からほぼ晴天のまま午後4時過ぎに暑気もかなり、自転車上で不意に私は左胸になにか着いているような感覚があるのを‘ 小学生の時の名札バッヂだ! ’。夏の暑さ( Tシャツ感覚 )記憶だろうか。しかし、冷静に見当を付ければ、名札バッヂなどは通常-右だった? 

2017-08-10:
私がこのまえ述べた私の右眼付近‘ 動かなさ ’は原因不明だ。右側の‘ しくしく ’感とでも言ったろうか( 実際に右側に痛みがあるなら神経的原因かもしれないが )、こちら側だけが張りが弱く、それゆえに心理的問題があった。この‘ 萎縮 ’がずっと以前になんらかの理由で感覚されたもので体の記憶化されているとしても、原因がわかればリセット可能だろう。例えば幼少期にだれかに無理やり体を引っ張られたり強く掴まれたりするとそれ自体が痛みや後遺症のように残るのだとすれば?憶いだすか少なくともそう想い込むような理由があったと思い至る。
しかし私は小学生の時には( クラスメイトには‘ 自作のルービック・キューブを作りたい ’などと言っていたが )一度もルービックス・キューブがやりたいとはおねだりしなかったように、自ら‘ この両足は伸びたい ’とは言わなかった。

今日うんどう中に私は‘ 哀切 ’と言った。しかし私自身に哀切が無かったのか、やはりいやらしい目線を向けるような婦人らがいた( それなくて私は漸く一度も私に妨害無しに帰った )。このような自転車うんどう家はなるべく車道を行くしか無いので車両との事故が無いように慎重でなければいけない。

2017-08-11:
雨降り午後、詰まらない。私はこの右脚を左右対称に動かすには腰-右側-端( 腹筋の下 )を引き締めないで楽にしなければならないと気が付いた。右脚の力が抜けたようで歩きが多少ぎこちなくなるが、ある型の為に無理に力むよりはいい。顔筋等が左右対称にこの真ん中に一致するまでやってみよう。