2017-01-18:
私は対立無しに‘ 私先生 ’だといった。
‘オバサン’? ‘ほかの子’? ‘あれら’?( どれも無用な私自身の分離的プロジェクションだった! )
‘ 私 ’の外になにが要る?
すべては私の( 回収可能の )まぼろしだった。
私は私に影響する欲の元型化を消した。
私は‘ 夢 ’を試す。
2017-01-19:
私自身一致すれば‘ 夢 ’を観察するのはそれ程難しくはない筈だという理の一点である。私は寝床にも枕を高くしながら胸を張って今ひとつになろうとした。私は確かに‘ 夢 ’の始まりのようなイメージがあったのを一瞬みた。それは道路上の車両入口に向かってコンクリートっぽいガード左側に太い斜線等の標識という印象だった。しかし私の特性は観察であるから私があるときには‘ 夢
’主体の誘導にできないのは当然だ。