見夢晰明

2023-06-02: 光景?
左目の絵と右目の絵はどちらも立体自身ではない( 私は片眼ずつで見比べても張り付いた絵のように立体を持たない。視像に奥行きが生じるのは,見分けようとした瞬間だけだ。)立体の光景は疑似的な認識だけであり,たとえば立体物自身という観念は肉体的な想像(直接的な連関としての)身体であった。“ひとつの光景を物理的に視ている”というだけで,両目の絵は実際には完全に合成されてはいない。-視界との関係性? “現実感”同様に,思い込みだともいった。
身体的にそこに存在したいと思えば,崖っぷちに立つことも可能であろう( 実際には“高さ”を想像できない人たちもいたのだろう。そこには“目の前の死”さえ存在しなかったのかもしれない。)そのように“物理的”に委ねられる程に,自身の危険は増すだろう。

2023-06-03: 見夢晰明
あれは“ 明晰夢見の実践を-ご検索ください ”といっていた。私は掴まなかったが,その言い回し自身のように再利用していた( まだ乗ろうとしていた,エアーだった. )
‘無視する’と言ったからには,対外されたものが(依然)存在したわけだ。それらが存在しうるベクトルといったものを,どう否定できただろうか? 私が同一化しなければ,それらは外来ポルタ―のようにみえたかもしれなかった( ある霊媒が“あの子どもと母親のエネルギーが漏れだして利用されている”といった例の見方のように. )

連想のパターンを変更してみる。
普段の連想は繰り返しパターンに過ぎなかった。
昨夜,ある不明な夢の終わりに( 普通ならそこで意識の眠ったような状態だったのだろう )代わりに私は言葉に出して宣言したように“ 明晰夢 ”と言った。そのまま目覚めた。
普段私の言い回しはどれも逆順だった,と気付いた。“ 明晰夢見の- ”と改称した時に,私はその不可能性に明瞭なコンセンサスを持たなかった。それは予め題字であってその表記そのものがこれからの動機自身ではなかった。私には文字通り有名サイトの銘文ひとつきりに-と言ったようなものだった。
見 夢 晰 明.. ひとつずつその意味で意識的にいってみた。そのときにだけ,それらはタイトル文字ではなく,意として生きていた。

2023-06-06: 未来の示
未来へと進む道は過去を見分ける。
‘視る’意とは未来のものである。

2023-06-10:
役割の役割( 一方に任じている部分。)

憶い出すときには(全て,同時に)憶い出せなければならない
記憶の可と不可分とは衝立になる.

今,忘れている項目

2023-06-11: 魚影の群れ
私は私自身ひとつきりの態度を執ることは可能だと思う。過去に囚われる,過去との印象自身として自任するような慣習の無意味。
過去というものが存在するならね。

2023-06-11: “明晰夢”
自転車で(普段のように)行きかけたが-(不図,)鼻マスクも無く軽装だ!と突然気付いたかのように,わたしは止まった。
左に急な下り段(あたかも寺社付近みたような粗い石製の段,その縁に半ば舗装面がかっていた)わたしは自転車を片側に慎重に歩いて下りた。道路-右側向こう,女子2人の何か言いたげにけらけら笑いかけたような姿[ 私は普段できるだけそのような複数歩きの通りを避けてターンするか,目に付かないように無難に脇道に入る.,
それら屋外場面とは別に,ある室内も遇った。順序前後のはっきり繋がらない-( そこで妹のようなだれかに声をかけられた。この記録の直前に私はまた出掛けなければならないと思ったので,その想起中の室内イメージと予定とが混同されてしまったのだろうか. )
ちょうど屋内から出てきたかのようなわたし-と,そこへ来て入ろうとしたのか若い男の姿。わたしは振り向いたが,その一階分の低い建物(白っぽい表面)前面に並列した窓などは全て暗く閉じられたような(一様に茶褐色のスクリーンかブラインドのような遮蔽)明らかに無人だった。不意の印象で,ちょっと驚きのような。
こちらからその男の肩にちょんと呼び止めて“ 明晰夢見の- ”私は言った。振り向いた半分白人のような顔,なんのことか分からないといった無表情。(私は)もう一度その肩に指先で触れて“ 明晰夢 ”と言った。道路際にもうひとり,暗い服装に背丈の男が来た。]

[ この記録に付けるまで思い出さなかった; 前日私は施設フロアにいたあいだに(ひとたちの前で)“ 明晰夢見の実践 ”言いかけるという現場状況的なシミュレーションをした。それが一度きりでも実際的で真性であったのなら,効果的だ。
これら夢の場面には,未だに対象的な表れとの対処といった( 私は持たないと言った。)だけれども,“対象”に依らなくても私はこれは夢だと定義できるのが理想だった。
しかし,この夢に考慮するべき点は先ず,“石段”も“閉じた無灯の施設”も,こちら手前からの象徴性であって,その向こうには無かった。
( これの象意かどうか判らないが,ある晩私が図書館施設での用事のあと外側に出た処で,偶々その屋内に珍しくだれかが窓際にいたのか何かこちらに目を向いたが,私は視線の集中や特定のキャラクター的なイメージとは避けたかった。次回その前に通りかかったところ,そこは既に無灯でブラインドも掛かっていたので私は安心した - イメージ? )
無意識的な夢-,意識的に変わるきっかけが“路上での”自身への注意だった( これも記憶された条件かもしれないが., )半-自動の状態と,反転された要因は遭ったといったべきか。]

“青年”の肩に手を触れて言い掛けた(;2018-12-29 / 2012-10-28, カテゴリー:これは夢です )

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