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みいら( 関心の正体 )

2022-11-09:
朝方3時まえに私は疲れのような眠気を覚えた。私は眠らないでアミノ酸になりそうな物だけを幾つか食べてみた。そのあと眠気は無くなり少し戻ったが,ノートに向かう気は起らなかった。寝床に着いてみたら,しばらくのあいだ,なにか七色の宝石群など一瞬毎に眺めているような印象だった。そのまえに,“ クワタ-マミの遺体が上水道で見つかった ”という,意味不明のおはなし遇った。

2022-11-07: “感情-惨めさ”と明晰点
“コウちゃん”と,左側の端から親類のような顔で呼びかけ遇った。
私は立ち上がって即座に“(私は)先生です。”と言った。“ 明晰夢見の実践というコンテンツがあります(簡単な説明,)..お読みください。 ”
..私は新郎新婦への挨拶よりも配慮無しに自説明だけを優先したのだ,と[ ぼんやり空白にみていたかのように,その“席上”にはなんの姿も無かった。 ]思っていた処,右側から若い外見の男性ひとりが歩きかけながら,“医療関係のある方ですか?”
“いいえ,私自身の記録からの説明だけです。”
[ そのあいだ,未だ気がついてはいなかった。

夕方過ぎ,私の動的な“夢見”できなかった原因を考えてみたかったが,その夢の筋書きはより記憶的な反芻によっていた。( “私の作品”がそうであったように,“夢見の実践”には一度も親類関係は無かった。先ず主体的にアルゴリズムの改善をという意見は当然だったが,紙製看板に“(まぼろしの)本舗”表示する必然性,ワード上位でいっぺんも宣伝されていないばかりか,お代わりしているかのようだといった,この20年間の問題だった. )
[ ある帰り道,月は暗がりの真上に遇った。今朝おはなしでは私はその予定の皆既月食を視ないだろうと言った。(その堤防上では既に“今夜”と間違っていたのか)ああ,やっぱり見過ごした,もう影と月面との外れたあとだな..と思い込んでいた。 ]
その夢がそのときであったように,それは単なる予定調和だった。しかし,その愚鈍さ一方にも,ある夜道のそれまで遠回りになっていたような繰り返し( 以前それらが夜間うんどうルートだったときの記憶か, )今晩ひとつずつ改められていたし,あの“音楽”みたいな妄念にも無関係に,明晰の意図は自動的に働いたかのようでもあった。

[ 普段の思考(まよい)パターンにではなく,
毎回新しい‘ 発見 ’条件に換えてみる。

ある(目を惹くような)印象が,どの記憶に基づいているのかを即に特定できるかどうか[再度;]夢見の重要である。

2022-11-06: “ボロット”の復活?
晩に起きようとしたが,またあの感じられない頭痛のように,なにも見えなかった。昨朝“最後の-1枚”食べたあと,電子マネーも残り少なく,夜中ショッピングの機会も無くなった(“ファントムメナス”もきこえなかった。)だが,これは却って(あのニセモノではなく,)中心現実である。
先週後半,夜のあいだに,あるスーパーマーケットに寄ってはそこでなぜだか警備員たちと一々“様子見”みたいな振りに遇ったり,ある普段通いの店舗では,店内従業員たちの一度も“いらっしゃいませ”もいわれなかった。地元の図書館では,以前,ある班長役みたいだった係員女子が,受け答えの直後に私の顔を見ないで“くさっ”と呟いたりといった,不思議なラストウィークだった( それらもひとつの“反射”だったのだろう。まるで他人など存在しなかった“世界”幻想のように? )
同じ記憶の繰り返しや辿りみたいな対応はまったく無意味だ。私は最早“かくせんそうのきき”を持たなかったけれど,それでも若い(という先年の自負だった)日の,あのグレタTのようだったら..と,“地球”みたようにおもいたくもあった。

(上記のあと,)空に赤く斜めに立ち昇ったキノコ雲を想わせるような光景。おはなしは“ それはヴェトナムのようなところだが,別の- ”といった。そこでは“食物”の吐かれたあと,そこからまた“目”が出る( そこにはその食物だけ )だという。

2022-11-03:
“彼らが何を言いたいか?”よりも,“何を言ってほしいか”が(赤ちゃんともいうべき)第一であった。[ この点は療法的にははっきりしている。 ]
私は一度も人物向けには言っていない。

2022-11-04: あの名前で呼んだひと
“ <レジリエンス>を育てる ”12章は(引き続き)ミルトンエリクソンの用いたバインドの効果について説明していた。
そう言えば,ある映画の文句に,“名指されなかる彼(名前で呼んではいけないあのひと)”というようなジョークが遇ったが,あれも逆接的な綴りのひとつだった。エリクソンが患者の原因自体に直接せまろうとしなかったのは,そもそも情報の共有は有り得ないという態度だったからかもしれない( まえにここで引用したシドニーローゼン著には,エリクソンたちが超能力研究のJBライン教授をカードのトリックで騙してみせたという逸話が書かれてあった。先日テレビ再放送されていた“刑事コロンボ”の一エピソードに,あたかも“リモートヴューワー”のような,能力者と自称し研究所でテストされていた男が,奇術ネタの詐欺師だった,という話が遇った。因みに,その舞台奇術師の元仲間役で出演していたのはアンソニーザーブ(の顔だったという記憶になっている。犯人役のアンソニーアンドリューズは“英国王のスピーチ”に出ていたそうだが,)私の印象には無かった。 )
..今から何十年もまえ、アメリカで堕胎が危険で違法な行為だったころ、エリクソンはある若い夫婦を、早まって予定していた中絶を実行してしまわないよう説得しなくてはならなくなったことがある。しかし、論理と理性では到底ふたりを説得できないと見たエリクソンは、最後には同意し、面談を終了するに当たって、「何をするにせよ、まだ生まれていない子供に名前はつけないように」
..ふたりの結婚が双方の両親に認められていないこと、それが結果的にふたりの互いに対する欲求を高めていることが、エリクソンにはわかっていた。( 第12章 利用( Utilization )より/ )

私は人物的なキャラクターを私の評定だとは言わなかったが,“ それらは一度も私に‘これは夢だ’と言おうとはしなかった ”と想像できる。