感覚された“私”

2023-10-17: アイドルと自由
食の中身を検討しはじめて( 海藻の物や種子-豆類を増やす,但し矯正のストレスにならないように. )動物利用の問題をやめようとしたからか,頭髪が抜け始めた。少年期以来の力めなさ- 冬までには“修道士カット”復活?
私のアイドルといったものは在り得ない.,しかし特定成分の名称的な利益というものも,すでに汎用的な売り手と自己錯誤との問題であった。
昨日なんでか右わき腹が急に緊張できた。私は以前外側との強制的な由来が右側のメインだったと見なした( 右側を動かせなかったのか,自由に動かさないからそんな“強制”の不自由が遇ったのか.. )“分離”も終わりつつあった。

私は“あのオバサンら”は自分らをころしたのだと悟った。あの放射状線[ 先ページ- 感覚される“私” ]に書き込むまでも無く,中心人物のいない,反転された状況では,空白容易にニセモノが主体のように振る舞う。あるいは,階層的なレヴェルを設定してみれば..[ 私の場合,左と右との対称的な関係みたいに,内転と外転との違いとして捉えることもできた。仮に外的反側としなかったなら,もっと“自覚”にならなかっただろう.
フロイト時代風に言えば,“性機能の麻痺”という言い方も,かえって現象的ではあった。]
私は時間栄養学入門に読みかけてみて,生物的にみた夜/昼( 栄養吸収と活用との )リズムにも,放射状線を適用してみたら?と思った。たとえば,内側“睡眠中”としたなら,外側は“活動(の因子)”となる。ひと昔まえには,副交感神経/交感神経というワードはよく遇った。即“呼吸”や“気の持ち方,使い方”と当てはめてみても同じかもしれなかったが。

2023-10-21: 放射状線上-“過去”
(中)現在,
-
(あるいは)“未来”からの感情?

既成事実化する :2023-10-19,

2023-11-01: ( 注記 )これらの過程;

ここには( “受け-対立”の問題は )逆の反転だと示した。
私は以前“センシングされている”と書いたものの,それは対称化された“向こう側”があってのことだった。
(..想定されたものがそれ自体の依拠となり,あたかも意味のなる“ひと”かのように言うとしたら,)それらは想像そのものを言ったに過ぎない。だから誹謗中傷型にも自画自賛型にもなりえた。
( クリエイターには,但しこれらが自己の中枢問題という認識でなければ自身として成立しなかった. ここに秘訣があった。)

[ 私にはこれらが今回右側に一致しているかどうかが重要である。]

2023-11-01: 右目に見る-?
夜テレビに,スパーリングをしていた女性ひとりが,以前つき合っていた相手に暴力を振るわれてそれから“格闘シーン”の時にはそのことが想いだされる.. と語っている面が遇った。
私はテレビ画面を視るには眼鏡が要るので,傷の付いた古い眼鏡の両端を鼻マスクのゴムバンドで留めたのを,いつものように鼻の上に掛けていた。( 何年ものあいだ,その視野の左下に反射してみえる眼鏡のレンズ縁だけが白っぽく映るのに,右レンズのそれは対称に反射していないかのように白っぽくみえないのを気にかけていた。明らかに右の視野になにか問題が遇った。しかし,一見視覚的には左右単眼での差が無いので,障害とは思えなかった。
私は物理的に左目よりも開いていないからだと思って,度々目蓋の開きやその眼鏡の位置,私の頭角度を照明に対して加減してみたが,一度も左右対称の反射光にはならなかった。)
..あの女性が話している画面のあいだに,私は不図こちらその右レンズ縁の反射光が映っているのと不意に視た。不自然な点は無かった。

[ 私は“心理的(不明な)障害”という見方でもあったが,テレビ番組の内容自体とは関係なさそうだった。それとも“右手でパンチを繰り出す”という仕種が身体的な古い記憶を喚起する-といった意味合いも,偶々無かったは無いだろうが..( そんな想像も無かった。)
この途頃,この右側に再一致するという意と的の“解決”を持とうとしたので,今回右手自体であることが有効なのだと思う。]

2023-11-03: 発散と介収
“同一物(同一化されたもの)”が見るときには,私は最早‘ これは夢だ ’という惹起を持つことも忘れていた-と思う。( 私が“彼女”に能動的な役割を持たせたころ,それが“夢”自体の報せとして私に表した。)
私自身が,(外界に対して)唯一のきっかけであるという初心を失ってしまったら-( あの放射状線上に示したように, )外界自身が“私”を夢見るだから,それらが“私の理想”を夢見なければならなかった.. ( たとえば,おはなしは今“私のパンツがそれだ”と言った. )
それよりも,いま,これは夢なのだということを,第一条件とする。

( 前ページ;)感覚される“私” :2023-10-03,

‘ 夢 ’意識と‘周囲’の問題 :2021-05-16( 忘れられた感覚 )

気力は前進力である;
身体的にでも気力を創るという作業は前向きだ。(夢見者にとって)これは身体的に一致した感覚表現を意味する。
そんな言葉では駄目だ。

2023-11-11: 外気との(温度,表出-)差?
昨日のうちに顔面よりも額の膚がまた暗くなったのは,(そんなに紫外線量は無かった筈なので,)あるいは室内に毛糸帽着用で寝ていたからではないか?とも思った。
私はまた“受け”について何かしら思わされていた。ここのところに欠けていたのは,明らかに,自発性だ。一旦“ 自発夢 ”と記したのに,自身にこれを自任し切れなかったとは.. いや,前述の-観念的なものすべてを否定しよう-と-こころみて,駆逐するよりも解消すると言い(,根本的な反動かのように,)それは古いやり方で一々私を困らせようとした。[ 町通りの人々やドライヴァーが“不礼”だったとすれば,その一因は一々“私”の側だった。それらはファントムメナスだった。先々週,私は昔の自分のようにジョンウィリアムスのウィーンやベルリンでの指揮演奏内容を聴いては,あの“スーパーマン”マーチの今更ノリの無さにがっかりしていた。私は“A.I.”を入れたかった。( むしろ私は“映画を知らないでおこうとする,あるひとたちのベクトルを信用しない”と述べたことがあったように,私はその二重性を持たなかった。)
例のオースタッド著に,あと2章分として,いよいよ“400年生きるサメ、”の部分に読んでみた。その“長寿”のサメは外温性動物で,冷えた海の中で秒速30cm程度の動きだという。( 今週“ ブルーゾーン(2nd.)”が図書館に返却されていたので,つい借りてヴィヴァルディの無伴奏-曲など聴きながら,いっぺんに半分だけ読んでみた。そのまえに,“それは軍人の話みたいだから..”と,おはなし側は遠慮していた。沖縄の話題があることは図書検索時にその目次の表示で知っていたので,当然のように戦争当時の話が語られるのだろうとは予想される。その沖縄の長寿者に関しての記述は,なんだか古い異国人観みたいで,この際そういう紀行もののような述べ方も合わないな-と思った。この本が余り有名ではない理由かもしれないが..
それよりも,私は“模合”という語を知らなかったのだが,その本を借りに行った日の早い時間か前日に,偶然テレビの商品CMかなにかに,沖縄の人だったのか,“模合”という語がひとつあった。
このあと私は一度“私はムアイ像の方だな”と冗談のように書いてみたが,詰まりが無いのでやめた。)]