並列思考を意識化する

2022-01-02:
久しぶりにショッピングスペースに出歩いては“他の目線”を気にかけている。それ,ある商品を見ようと立ち止まり手に取りかけた(が,こちらの右手?には既に同じ系統の商品と混同されそうなプラスティックケースの持ち物が遇った〔 その中身は4つか5つ程,丸い暗い色の人工的な玉みたいな同一物と,なにか細長いプラスティックのようなもの.,あとで,何の象徴か?と考えてみようとしたが,わからなかった。 〕
まるで午後の陽射しが直射したような箇所に,私は日焼けしてしまうと意識した。)コンクリート敷きの,ある屋上かのような平面。その長方形の開いた隙間下に,離れた階の床が遇った。ちょうどその空間の上,庇のような出っ張り部分から何色かの金属パイプ等の垂れ下がったような形に,一束ずつ同様に遇った。夫婦者か,2人がそこに覗き込むように見ていた。あたかも,そのパイプに体でしがみついてその底に滑り下りてみたら..なので,“ この高さでは,もし(あなた方が)落ちたら骨折しますよ ”と言ってみた。その2人が下りかけた処に(その高低差自体が変わったかのように,こちらとの印象的の間隔は狭まった。)2人に続いたように下りてみた。

〔 そうしたので私は後悔した。その“ 無言で下りて行った(顔の無いかのような)2人 ”との何なのかを思うだに.. そして一見その夢とは無関係に,ある女子店員の顔が想い出された。“ひとめ”が当然だった頃の象徴,しかし私はそれらの“生活”とは否定したのだった。
“ 色分けされたパイプ等の錆びかけたような付け根 ”といった印象も,象徴的に読めば,ツール自体であった。
[ 遡上の方向性であった筈のツールが,さるすべりだった。そのパイプ等の下端は接地してはいなかった。それは重力と不可逆性を暗示するが,その物象自体に於いては宙空のものである。 ]
起床しながら(私は)その“顔”と,“夢”の意味合いと,私の目前にみえる(見えない)もの,もうひとつとを同時に並列した意識として留めようとした。 〕

2022-01-03:
起こるすべてに対して疑心を先立てる - これは夢か?
[ 軟化( 依拠したさ,記憶性の- なにかと共同一致しようとする )問題。 ]

夢見の視点からの長期記憶化? 課題。
[ 感情的反応の“ テレビ人間-ラジオ人間 ”からではなく,“-自身”これの視点との監視を常在とする。
“ 身体 ”は何にでも(興味のままに)変代したがる。“ 私 ”の無い状態。 ]

2022-01-09: 転結との移行点
今再び“ ものおもい ”との変移に常在的な監視を試みてみる。(私が“ 軟化 ”と述べた分解モードに)一定以上の意識的視点を常に置けるかどうか。
“空腹”などと反応したかのように憶いだされる条件反射があれば,手掛かりになる。私は以前一度“ 注目 ”との条件-点けをしたが,日常的欲求との注目には離れつつあった。しかし,いつでも気づきとして関知される意識的レヴェルが在り得るとしたら,たとえば視たい,読みたいというような関心-注目主体の必要性に際して,どのように認知の条件を点けるか( セットされた記憶的な再生よりも,現在進行自体に。 )

2022-01-28: “夢”はどう捕えるのか?
ここでの質問は,いつになくても,“夢”自体が私をどう捕えるのか。
(私の子どもっぽさは“抵抗”ゆえだった。だが,感情そのもの(であったこと)が,捕まえていた。昨夕久しぶりに路上の2人組が歩道上なにかあの自転車少年たちのフー!という掛け声を発したようだった。当人たちの問題とはわからない。私-自身の“捉え”に変わらなければいい。なにかに観念的であればそれの現象的でもあるのだが,わたしの夢見といえば,それらの存在理由にはならない。)

2022-02-09:
私は“絶対の個人”という信じを持たなくなった。ある形とは無関係に,導電性質であるかのように,すべては不特定のラインからで,それら刺激性の電波などがあらゆる反応原因となっている。メモリーの点灯は象徴された形や意味に変わる( 偶然に意味が見出されても )それら自体は考えない。
[ “獲物を捉える(獲得する)”は生物の目的ではなかった。 ]
私の本質は夢見のとき以外には存在しない。言い還れば,夢見は私の本質以外には有り得ない。
[ あのCカスタネダの師匠は彼の“私の夢”と名付けたノートについて一笑したが,それは“蝶のみた夢”というよりも(私が“道路上の通行者たち”と言ったように,)難しかった。 ]