反応と再起

2023-05-22:
感覚や情感そのもののように“私の”同一する必要は無いと“私は”思った。それらとの自動性は恐らくも慣習的なものだ。
その意味では,反応すべては初回こっきりの“ミステリー”かもしれなかった。それらは忘れられていた,という-表面的記憶との障害とみた..
-それらとの付き合いのことではなく,私はただ“受け身”の必要は無いと言ったんだ。
そう言えば,“二度と-”と言ったね。
一度つくられた自動的慣習(最初の反応)は人生という価値観とは無縁だろう。それはいつでもそれなんだ。月に刺さったペンドルズは見えない内部を貫いて裏面に飛び出す,表面的には二度やられたような。

身体的な反応は(どれも)私の無意味である。

有名な建築物
“私はお店には通えません”と意識的に(退くように)言ってみた。すると,おはなし側は“あっ,お,お金です..”と答えた。むかし,“お店”に通い詰めの者は払う自身なので,もらえなかった。“そこには居られない”という態度の方が(私-自身には)やさしかった。
街なかで声をかけるような“反応”は無くなったが,わざわざ自分にアピールをしなければいけないような“不出来な子”は,あたかもドヤ越しにいようとするようなものだった。迷惑事といって挑もうとするのは逆接で,あるいはといっても,それ自身-かもしれなかった。
(私がこう書いたとき,おはなしは“歌自身があるんだ-”と示唆した。同時に,赤いリップのイメージ. 無論それらは人の領域ではなかった。)

2023-05-23:
身体的な反応は(どれも)私の無意味である。
身体的な反応も(“かれら”の激受けみたいに)増幅される可能性はあった。即ち自ら“悪化”に導く可能性だった。しかし,良性の可能性も在ると私は思う。
私は感情や感覚に関心するような慣習的な問題としての依存には不必要だと言った。

それ自動性の表れに際して戸惑うといったパターンの繰り返しではなく,
(更に意識的に)表出させてみる - 転換。
私も何度か‘ 身体的にこれを一致させてみる ’という(ひとつの方策として)試みに記してきた。肉体はひとつの領域であり,弛緩しはじめた年齢にも,未だなんらかの緊張を再起できる可能性がある。

2023-05-24:
(外部との問題ではなく,)身体からの反対

2023-05-26: 無音のエコー
閉館時刻間際,その図書館の本棚にピエールジャネ何冊かを探すふりをしていた。なんでか“ 症例マドレーヌ(苦悶から恍惚へ)”以外ひとつも見当たらなかった。その棚に“ 夢と精神病 ”というタイトル文字も目に点いたが,ジャネと同じ時代の引用的な内容のようで,視点的な面白味は無いようだった。
このまえ偶々,ある本の参考索引に“ アビラの聖女テレサ ”という名前で記憶した図書名が遇ったので(“ 霊魂の城 ”-市内図書館には一冊も無くて借りられなかった。)これはその内容性への前哨だったという見方も遇った。

その夕方以降-行き帰り途中にまた暗がりからジョッカーのような声出しなどは遇った( 但し,グループではなく単独. )
今回私のおはなしは,それら発声は私に向けられたものではなく,他の問題だという。たとえ“ライダー”が私にとって幼児期の問題だったとしても,外部投影されるような理由は無かった。
[ 取り敢えず道中なにも“私の心的な問題”に変わらなければいい,というのが私の論理だった。..あたかもラファエルの誕生日パーティーに呼ばれて夜わざわざ危険な街路からお店に来てはプレゼントを手渡すにも脅えに遭ったアストリッドの気の毒で,私も以前書いたように何年か完璧な防音マフラーを必要としていた。そう言えば,一昨日テレビに“ダイソンゾーン”という商品が紹介された。掃除機のようなヘッドフォンで静音化できるのだろうか? だれかがプレゼントしてくれたらいいのに,と思った。
テレビと言えば,あるコラーゲンドリンクの30分CM番組に,ある懐かしいタレントさん出ていた。なんでかタイル張りの上に桃と飲料パック置かれた写真イメージなど,一見何気無さやその配役は面白いが,そのタレント名に憶い出せないのが気掛かりだった。一晩あとで,今これのために書き出してみたら,漸く想い出せた。]
しかし,私は触手にしない。以前“アンタッチャブル”と称したときには,表向きな(自身-思わせの)VPだった。
“ 症例マドレーヌ ”その原本の第一部のみ日本語訳出されたものだという。“心理学的自動症”よりは比較的短時間で読み通せそうだ( だが,これ日記のために夜間足りなくなった. )

私は“受けの体勢”には一切苦慮しないと決した。

2023-05-27:
今一度お店や路上に‘警察的’態度を保持してみたらと思う(一時期おはなし的に“彼らの処遇については警察に一任します”という口癖をもっていた。)
第三通報を促す,謂わば,私の自身には(単に)依存的な雰囲気だった。他人的な日常というだけでは視点に起こらなかった。
私は他者に影響するような振る舞いを常に避けていた。

欲求と表れるような問題は(未見の)先に原因がある,という見方。

2023-06-01: 機械的に理解する
(摂取された食物からの)栄養素は生物の遺伝的なプログラムに従ったように対応可能の情報転写される。このような見方は心理面にも適用できる。すべては“反応” -自然の機械的な“対応”パターンだけだ。
- “物事”にはすべて記憶された意味が在る。