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第一明晰夢見

2023-05-11:
‘能力’と自動的な表れは対称的なものだった。あらゆる欲求-行為は過去性の参照なので,個的な未来の意味を持たない。
生理含意身体とは(利用酷使しない)表現の元であって,分離対称されたような状態に於いては( 一の夢見身体には )足りえない。

2023-05-13:
日常的に眠りを反復しない。

心理学的“幻肢”( 失われた心理的体験の幻覚 )

なにかの屋外観衆みたいに,一群の家族連れのような者たちが何段かに座っていた。(わたしは)その左端上段に寄った( 子どもたちの“情報”をもらおうとしてその何体かの頭の中を潜ってみたが,なにも起こらなかった。)わたしは最上段の一見少年のようなひとりと話しかけた。そのときその上の空中に“魚”が泳いでいくのがみえた。わたしが言った直後,それは羽根飾りの付いたやや小さい漫画っぽい形に変わった。それは降りてきてこちら向きに着地した。“それが近づいて視たら,見られた者は死ぬ”と(予め)伝えられていた。それは男性の声で一言なにか呟いたように言った。わたしは聞き取れなかった( なんでか“ケンジントン?”と尋ね返した。)
[ そのあいだ一度も“夢だ”の自覚は無かったが,夢-自覚の起きた以前からの対処( そこにみえた“者たち”の体を潜り抜けてみる )に似ている。]
(夢記録)療養所:2022-10-25 - 地下街にて:2022-11-18

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2023-05-14: “思い出そう”とする(ことの)難しさ -(1)
日常の中には私に“夢だ”というように気付かせるものも無い。それで-時計の秒針が刻んでいる時のように-不快感に戻っていくような....
一度-“ぼんやり”に条件点けよう-と言ってはいた。みにくい,おろかしい,こわい,さむい,べた.. それらは毎秒針の片側と同じ。それがタマネギを刻んだとしても不思議は無い。
あるテレビタレントが-タマネギを子ども向け料理用にカットするには-と横から言われかけた瞬間,彼自ら-ええ,なるべく細かくみじん切りに--と注文されていた。
“酸っぱくないトマト味に”なら聞いたことある。
なぜ日常に於いては“夢だ”と気付かせるようなものは無い
..“夢だ-”といえば,即(インスタント)メタファーかもしれなかった。
従来‘すべてが現実だ’という見方ででは..
物理的現実に依拠したのなら,心理的事実も二の次。でも,“それは-”と言っていた。
外的な“来たるもの”に依存していた。
すべては居住来訪者であり、ここに“夢だ”気づかせるために生きている-?
これの意味はただひとつ,純粋な‘ 意と ’と思念とに拠る。
以前の話し合いと結論とでは,記憶に因らないなら何も起こらない..
いや。
記憶との想起でなくてもどうして夢見であるとは可能?
純粋‘ 意と ’が可能であったとしたら..
見かけ上の時系列には乗っていない-これは記憶ではないから-という,言い訳かもしれなかった。‘ 意と ’は記憶性ではない?
過去のものだと思うなら,それは過去のものだ。なにかの時間を持つとしたら,なにかの時間に拠っている。
“間”の問題ではない。
では,タイム&スペースは必ずしも現在時点を表している?
奇問。
まだ観念的すぎる。
まえにも一度言った。
今? 物理的な存在に影響しているかどうか-を論じていたのでは-ない。
予知の法則が可能だというのなら,予めその時は存在している。その事象は過去や未来に自由に跳んだりはできないが,少し先に既に存在している可能性はある。
不明な原因は未来かもしれない。
未来だとしたら,これは想起させる(ものごとの)難しさだ-とは言えない。それらの次元ではなかったのだから。

2023-05-15:
[ 他の施設内に歩きかけてみたような,なにか雑多な物品等のイメージ。掃除人がいた( 親切だった。)前夜私は再び“ もし私が以前のひとびとに更に無関心-清潔であったとしたら.. ”と,一旦きれいに書き換えた場合のブログを部分的に想定してみた。
上り階段の傍に白い仕切りの本棚みたいに詰め込まれてあった。不図,見憶えの光景に繰り返してみているような印象が遇った。“ 明晰- ”と私は言いかけたが.. ]

2023-05-16: 反応と意と
再び自動的な表れ(反応)に条件点けるという方法は失われていた。私の場合これは身体的な注意との(みるための,環境的な)ここ感覚に拠っていたのだろう。
[ 単純な夢見者にとっては外在主義の方が楽だが.. ]
私は“他との”メンタリティーには理由付けにならなかったので,対処的でない(自前の)源泉が欠かせなかったのだろう。

2023-05-17:
(朝-午前中)なにか-絵の表れに見かけては“夢だ”と言いかける-中断の繰り返しだった。

ある患者施設のような屋内(室内-中央に向かって)黒い輪の何層かに分かれたように厚着の者たちが立っていた( 私だけが暑くて薄着なのに? )その右から別の何人か,カーキ制服になにか胸バッヂの付いた婦人がこちらに歩きながら“おひとりですか?” 私は無視したように避けて左に見た。左-近くに,長年の入院患者らしく,ある婦人-写真みたいに若い時の顔と現在の姿との一瞬に表れた。

複数人の輪,“秘密集会?” -? :2016-09-18

2023-05-18:
私は“物憂さ”との同一をやめた。
“キャラクター的”性向の意味不明であった( -“他己”としての自画像に今再び見る。)

(心身に)なにかが足りない条件に‘ 夢見 ’の動機-点けてみる。

[ “スケッチの衝動”?
一呼吸,“写真欲”について考えさせられた。意識的であるというのと“外的投射する”というのとは同義にならなかった。
空間的な投射欲だった。]

2023-05-21:
私は‘ 明晰夢見の実践 ’以外には処さないと決めた( 他事一切-無意味. )
意識的処作と意識的な処作以外.