夢からの分離 〔‘ 夢の論理 ’と発達 〕

2018-04-11:
夢は私の体から分裂したものだ。

私は自転車として私の両足をこの両手のように伸ばそうと( あたかも下の上と )用いる。{ 両足だけを動かそうということは、あたかも噛み合わせだけを修整しようというように、心理的に発声しにくい者と,その鞭を持つ講師役のようなものだ。 }

2018-04-12:
今朝にはまた夢見が無かった。さりとて強いての努力も無かった。午後、あの‘ 蝶の羽ばたき ’の語源にみようとして、その一般的象徴とのありがちな説よりも、私には身体の動きそのものとしてみる。そこで不図( 微かな線画のような )‘ 折り紙 ’のフレームが遇った。その形態と‘ 直線性 ’という表れ。これの性質、どう折られた[ 直線的の-象徴性? ]

2018-04-13:
御飯が無くなったので( 自転車の用意だけしてそのまま寝た )夜7時頃~1時過ぎ。最近、通常夢でのパターンとして、なにかに注意が起こりかけるからか‘ 私 ’のレヴェルが上がりかけるとその度に夢は自然にか途切れる。セットアップが無い。

- 再び‘ 夜道 ’うんどう,珍しく星が光条にみえる。26時間スーパーで買い足して私の口に含んだ筈のチョコレート1個が、酸っぱい。
〔 チョコレートと言えば、このまえ“ 素晴らしき放浪者 ”の1カットに、古書店の女中アンヌ=マリーが戸棚からガムの包みみたいにもみえる物を取り出してその包みを剥いてかじりながら視点正面向きに両眼開いて無表情にも両肩を数回すくませるというような絵が遇った。私はチャップリンのあのようなしぐさはマイケルジャクソンからではないと思った 〕。

睡みまどろみ ’が私自身なら私はこれに‘ 私 ’を注入することもできる・
- 私の身体はどう表れている? 夜道にかつてのようにみようとしても、もうなにもみえなかった。赤信号?白信号? ポール?それらは歩道の右縁に近づいてきてはみえなくなった。路面-左斜めに2つの長い影、それは私の両足かもしれなかった。私はふたたびを知らなかった。私はまた忘れかけては忘れたと思う度に憶いだした( この体の線と。 )

今朝、あの“ 未解決事件 ”の逮捕者があるという突然のニュース。私は不可解と条理には“ 世田谷一家事件 ”自体にも犯人側の言い方が表れていたんじゃないかと思う( “ 宇宙論 ”と同じで、科学的捜索に優る方法は無いだろうけれども )。2014年頃からの私の関心が、本当に私自身のものだったかどうか? 

○ 午睡直後,私の‘ 手 ’にちょうど触れそうな小さい箱か立方の物として変更イメージしたときに、不意に、それが〔 昔、椎茸-生菌付き樽にみたような、白っぽい生地と薄茶色まじりの質感に( この絵では生地と菌糸との色合いが逆転しているけれども )〕変わった。そのようなマテルには‘ 夢の論理 ’と可塑性がある。

2018-04-14:
睡みまどろみ ’が私自身なら私はこれに‘ 私 ’を注入することもできる・覚醒のためにはこれ以上の記念的な言い方は無い。私自身すべてを‘ みる ’なら眠りは有り得ない。

考察・飛んでいるボール
知覚と行為の認知言語学 ”めくり読みしてみた( 私は5年程まえ“ メトニミック ”と言いかけたときでのように単にメタファーの類いを私自身に的確に読み分けるというような文法更正的の参考書の方が佳かったのだが - )。
“ 私は ”が他への身分けだというなら、“ 私 ”を予め用いない楽な日本言葉は‘ 割れない ’が第一というわけだ。( 私は私の本体以外にはスペースを持たないと言い、これを実践している )。私は決してぶれはしない、外部に分身など求めなかった( 仮に私にまた“ちゃん”付け“くん”付け呼ばわりがあったら、私は‘ これはなんだろう? ’とその分離に理由を考えようとした。
{ もし他人の名を言うときに変なイントネーションがつくようなら、自身に用心しなければいけない。私は10年以前この問題に関して何度かかつてのアルバイト先に私の疑問のままとして[介入的とも思わずに]書き送ったことがあった。しかし、私当人がそのミュータントにも意図的でなければ、私はそのもとが自分自身による投影( 他の名称等による綴り替え )なのかどうかをきちんと辿ろうともしなかった。 } )
前提の焦点化 ”と言えば、私の例文では‘ あの笑う振りの子どもたちに政治的ベクトルを問うたりはしなかった ’といった場合のように、否定形でない部分それ自体について‘ 私の前提条件 ’として逆に正を述べたも同然だという点だ。( 否定するために敢えて示すという、私自身にとっては古い手法で、それ称するもの自体の難しさ、予め清潔なひとに比べれば、先ず利害-被害があった。然し、私は“ 分身 ”を消そうとしたのであって、本当に他人の分をそれと言及し告発できたか?という点では、純粋にの計算が必要だった )。
だけれども、本多さんのその本にも“ 物事が,”または“ 彼らは、”という他称-主格化が当たり前だった( メタだという宣告無しに、設問に )。私には一層不思議だった。 - もし“ ボールは飛んでいたが、落ちていた ”というように、物事が、それ自体として有り得るなら( 私が物自体の論理性からとを問わなければ、観察視点には物理法則に不可能とも言えないが )幽霊のようだ - ( 私は“ 夢の体 ”に反している? )。
私は“ 私が ”という文脈からの語り以外を私自身として述べるような言い替えにはしない。詰まり、私は私の視点以外を原理化することはできない。だから‘ 夢の論理 ’が起こるときには確認が必要だ。

- 前述・観察( 観念化をやめる,2016-10-20:)

朝、寝床に付いてみると青紫色の残像のようなぼやけた点が遇った。その直前まで映画“アメリカの夜( Day For Night )”ヴィデオ途中みていたが、それには相対色のものが焼き付くような画面は無かった、不思議だ。
青い羽根付き人影? :2019-07-12,

( どれが夢自体の論理? )
自転車で飛ばすように走るという場面だった。夜の郊外方向への自動車道-坂道に差し掛かったよう( しかし片側に公団住宅地にあるような石畳かブロック敷きの歩道みたいな通り道があった )。もうひとり中年男が自転車で一緒に越えようとしていた( 昔わたしがアルバイトに同じ所で働いていた、ある年配男性の顔に似ていた )が、私が上がり切れないで引き返すときに、彼も危険を承知していた。

[ これに書き出すまえにナンシーウィルソン“ Never Will I Marry ”のイントロが遇った。 ]
“ アメリカの夜 ”からの連想だとすれば、むしろ( 私はこの夢の時点ではその映画の後半に未見だったが、ジャクリーンビセット演じる劇中劇の女優が一室に閉じ籠ってたらい一杯のバターを所望しているというので撮影スタッフたちが仕事再開のためにと皿に一盛りにしたバターをトリュフォーの監督役に渡して彼女の室に届けさせるというシーン )“ 未知との遭遇 ”でのラリーとのくだりに連想される。

私が路面に‘ これは私の夢だ! ’と思っていたとしたら、私は‘ 敷石ブロック等 ’を見ようと引っ張り剥がして( 滑稽にも,タイルが調べる? )視たかもしれない。観察不足だ。

2018-04-16:
午前4時少しまえ,例の公園北から下るときには“ モツマンプロフェシー( The Mothman Prophecies )”映画出だしのあの“ カラーン、”という音が再現された( しんとした夜道での作動するものは信号機等だけという印象からだろう )。今回きちんと眼鏡も掛けて左右-墓地と暗がりにも私の眼を向けながら行くと、一瞬( 記憶的にも )‘ オケダ先生の海苔の時間 ’と言い始めたが( 張りつく? 剥がれる )視界との心象が在れば( 昨年あの雷の夕べや私の印象点けた夜-路地でのように )あとで寝床で憶いだすにはちょうどいい。
- 私は私自身に純粋に‘ 在る ’か‘ 無い ’かを見分けなければいけない。
朝のうちにバリカンで髪と髭とを直して、セーター着て、寝床に就く。

午後、私の両半身を均等に寝床に落ち着けようとしている。このまえ“ 赤信号・白信号 ”と書いたときには私は自覚を伴わなかった。私がこうして左と右との感覚差をみていると、私の左腰に近い位置に一瞬ルビーのように赤い少し縦長の玉のようなものがあった。そのあと、“ 僕、知っている ”という男の子の声のようなものが私の体-左上にひとつ、それから真ん中に映画“インセプション”に用いられていたあのエディットピアフの歌い出し部分だった。
“ 白 ”の側は身体的にできない。或いは本当に記憶との解消が必須なのかもしれない。的確に‘ 動かそう ’とすることは意図的だが、部分的‘ 発声練習 ’だけをやろうとしてもその全体として動かすことはできないだろう。

2018-04-17:
私は‘ 私-系統 ’以外の思考を一切持たないと決意した。私が原理だ。
あの19-99年にはいまだ‘ われわれ ’が協調に在って解離されないひとつのときである。私はこの単独と‘ 夢見る ’だろうか。

素潜りの夢。急にダイヴァーが来てわたしを引き揚げようとする( 引き上げられる瞬間,わたしがいたその深さにまだ誰かがいて、彼らも同じように引き揚げられるのだろう )。私は水中そんなに速く引っ張り上げられたら潜水病の危険だと思う。

私が一度あの鶴舞公園内-図書館側に視た〔 私は実際その場所での記憶だと思っていた,記述 〕古いコンクリート庇と薄い白カーテンの掛かった入口扉について、おはなしには‘ それは( ある婦人が知っている )“ 外科 ”で、そこで私が習字の練習をしていた ’という。
私が一時期‘ ふせんへいわ( 不戦-平和 )’貼り紙にするための字体を私自身あの図書館内にて辞書参照用デスクで繰り返し筆ペンに書いてからの幾つかに選んだのは事実だ( 歴史上どうして漢字からの平仮名化が日本語の子音表記に用いられてきたのか私は知らないのだが、その観点は単純に合わせてその当時の私のベースであった )。
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{ 私は“ 彼女を意識する ”から私がきちんとみるときにだけ私のPC端末文字キーボード打ちが素早くなるのと気点いてはいた。私が物事を素早くできないのは発音確認本位だったからで、私が脳のPC側を上手く使えないという煩いわずらいだった。言わば、“ 片手だけによって六面体パズルを揃えよう ”というような題-問であった。 }

2018-04-19:
私の右-真ん中近くには未だに踏査できないポイントがある。