湧出する夢

2023-07-20: 張り合わないのこと.
ある屋内の一隅,灯りの弱い-少し暗い壁際( 直角の右側その面は )わたしの為に割り当てられた展示スペースだった。ところが,2人女子そこに来て先に壁に何かを取り付け始めた。わたしの視ている前で2人ちらっと不審に振り返りながらもそこを占拠した。
[ わたしは黙って視ていた。それは従来の“陰険な”状況だった。あるいは私はその場で普通っぽく言葉で言えたかもしれなかった。が,言い返しに遭うのは馬鹿げているとも思った。]私はこちらの手に持ち物をまとめて( それは調理人の白帽姿イメージと包丁ひとつ,金属製平行網の空いた籠みたいな半球型の物だった )その場に張るのをやめようと素早く引き揚げた。

夢直後には一見他人の状況めいた場面では遇ったが,最近までの“感情”観とこれに付随した思慮ができつつあるようだ。漸く私は膠着にしないで退いたのだった。
たとえば先日“検索上での私のサイト順位をトップに!”といったが如く,あるアピールの優先性を肝心要だと決めつけた( -質的でない,“メディア”本位というよりは )ニセモノ感覚そのものだとも言える。ある展示会場の場で “私の作品”を多重に示すという,代理業だった。

今日わたしが食べたパンは美味しかったが,パンとは酸っぱいものだったのだな,と-あたかも最初にパンを口にしたときにそう感じたかもしれないように,その意外な気が付かなさであった。おはなしは“(こちらの体自体の)酸っぱさ”だと言ったが..。

2023-07-22: 存在感?
私自身の存在感,いよいよ薄れている。もし私が従来の如く“性的な像”に依ったが為に( 単に食欲の為に食べようとしたように )お腹を満たせると思うなら,対象物に費やされ,消えるだけだ。
私は先日“P”がどのように分化して(これ自身の偶像としてみえるのか?を)見ようとした。-“異性”といいながら単に“P”からの分身的な像であった。それらがアピールであるとしたら,先ず“声掛け”しているのはこちら側だと見るべきであった。
[ 昨夜,ある買い物の途中,その閉店時刻間際の店内で,私は他の客たちがどれも変に薄ぼんやりとしているか素早く動けないかのように思えた。単に暑気中りの兆候かもしれなかった。]
仮に刺激に依って“動く”ばかりだとしたら,私としてできることは無い( 杖が無ければ歩けないひとのようだったなら,私は歩かなかった? )

あらためてじぶん,ぜんぶ(きおく)といってみた。

私-自身の“影”?:2020-05-29(UNDO,)

2023-07-23:
分離(同一感-距離感)の度合いとして測ってみる。( むしろ,こちらからのサーヴィングでは-? )

2023-07-24:
感情に先制する( 予知する,捕らわれない。)

2023-07-27: ニセモノ-以前への注?
“思いつき”は大抵の場合( 記憶,または不認知の )モノマネ - 繰り返しである。
仮に他のだれかだったとしても,それもニセモノ - 以前かもしれない。
[ 最近あらためてカルロスカスタネダ“ 意識の暗い海の旅(自覚のその暗い海を通した旅路 -?)”からの引用がmeisekiyumeminogihouに置かれている。私の着目としてはその著者の“シンタックス”といった語に関して,ある“要求されたもの”という意味合いの(翻訳または意訳された綴り替わり-語りに)変わったと思われる点,それに対する視点先行こそ私の第一記述でなければいけなかった。]
単純に言えば,例えば同級生から“ -だれ? ”と訊ねられた時には,私はそれがパターンだと(経験的に)分かる。[ 私からは二度と“だれ”自身の質問には答えなかった。]
あたかも視野狭窄に気付けなかった時のように,自動的なセンシングに因る思考や思念の限定化された状態-方向だとしたら,一体どのようにこれ自身を識別できるか。

‘ 投射 ’が無くなったからだ。