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明晰自覚夢への記録( 私の夢 )

2019-05-05:
なにか街の施設。バス待ちの列にいた。乗り込む時、わたしは百円硬貨一枚だけを手に持っていてそのバスの料金受け口に投入した。アメリカの都市?( その街路の一角,あたかも低い位置にあって水辺にみえたかのように、近代的な建物角の面に古そうな白塗り木製-装飾スタイルが出ていた。そのあと、ロバート-モンローの名が遇った。そこで‘ 彼の記録には編集されたところがあり、彼がその最後の私記を全部公開しなかったのだな ’という想いが遇った。 )
〔 どのタイミングだったか、町は昼-光だが( こちらが見上げてみると )青く星空みたような光景.,それとは別に、宇宙空間( わたしは星々や円い染みのような薄紫青みながら‘ 外国にもワープできた筈なのに、なぜまた地球を選んでしまったのか ’と思う。 ) 〕
路上の歩行者たち.道端にカッターナイフ一本が遇った。わたしの片手と親指でそのストッパーの円盤部分を操作して刃を出し入れする.,わたしはその刃を収納したが( そこに置きかけて,)その刃先がほんの少しだけ出ているので操作し直した。白っぽい箱形-台上に置かれたそれは、( 黒い柔らか毛羽のような )筒形の袋に収まっていた。 〔 このあいだに、“ HS( 歌手 )”に関するなにかもの想い 〕。
私はこうして想い出したことが嬉しくて、振り返りみると、その路上に、女性ひとりがその両手に小さな子供たちみたいなものと歩いてくる。だが、私の左横に振り返りみると( その女の容姿が違っている ),長め茶髪はその頭の周りにドライヤーされたかのようにふんわりスタイル。その顔は日本人のままだが、やや丸く、頬などに少し赤みが見えて若い雑作。
“ あなたのお名前は? ”わたしは声を掛けた。彼女は普通に( 無表情に )“ ハヤシバ-ヨリコです。 ”
“ 私は夢見の実践の桶田幸志郎です。 ”すると、やや迷惑そうな表情。
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〔 あとで連想してには、“ 黒い毛羽の袋 ”は私の普段使っている冬用ソックスの一種かもしれない。“ カッターナイフ ”は、私が午前中に偶々みたアクション映画の一場面に、格闘技と小道具として用いられていた。詰まり、ここでの象徴性までの解釈的答えは,“ 私の手足 ”である。わたしは一度その刃先を出してすぐに収めたのだが、その先だけがわずかに出ている。
この夢あと、夕方、私は自転車でスウェットに出かけた。私の緩やかな坂道練習などして帰り道.,( 以前の‘ 夢-条件付け ’訓練上では、私はブレーキレヴァーを引く動作と連結させていたので、その同じ動きが繰り返されるときに‘ 想い出せる ’だった。自転車操作自体であるように、適確さはきっと身に着き、いつか本当に‘ 坂を上がれる ’であろう )。
私は今回‘ 私の手がブレーキレヴァーを放した ’タイミングで想い出した。私は‘ それ ’を放棄したといい、刃先は収められ、そこに置かれた。これが衝動からの象徴的表れなら、私の左横にみえた‘ ヘアー ’もまた同-源か合成のイメージであり( その名にもおそらく合成だったと思われる ).,“ 私の夢見の実践 ”と言ったにも少々嫌そうな顔だったという処に、不明がある。なぜなら“ 嫌そう ”は迷惑の意味であり、私自身として実質的に言えば、その場で今更そのお決まりの台詞を言うの意味合いは無い。もっとスマートな探索ができたに違いないからだ。
‘ あなたのお名前 ’という文句は、私が夢を保ちながら質問に入ろうとするときの典型的なひと言だ。もし私がその場に明晰であったなら、今一度“ 袋とナイフ ”に見ようとしただろう。その‘ 素性 ’に別の確認をしようと試みただろう。 〕

2019-05-07:
私は( ものおもいにではなく )この胸に私の意図だけであろうとしていた。
( -“ われ汝に呼ばわる ”BWV639が聴こえる。私に批難の矛先を向けようとした側、それ自身のベクトルがどこに発していたのか、わたしは見なかった。私は他人の名前ラベルに一々言うようなやり方は先ず自己修理が無いという最悪の欠点と思い。 )
私は‘ ハヤシバ-ヨリコ ’に質問するべきだったろうか? 私は刃先を収めた直後,なにも要素には無かった。もしそこに魅惑や可能性を求めたりしたら、私はなにも言えなかった。私が“ 夢見の実践の ”いうだけだったように、夢では( 象徴の世界には )それはそれ自身の表れから。
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( 私はナンドーフォドー氏の一章“ ポルターガイストと精神分析 ”に読み出していて )昼間からの眠気に疲れた体を横たえて私の両目蓋を閉じての粒子状ノイズにみると.,不意に、暗い小さな円形のように分かれたその部分に、星みたいなものが沢山みえた。その暗い円内は、開かれた目の瞳であり、次にその白目と目蓋との縁が割合にくっきりしたが( 久しぶりに“ ひとつ眼 ”がみえたので、ちょっと気味わるく )、その暗い部分には無かった。
そう言えば、昼間私が非常な眠気を堪えながら図書館のインターネット席に検索とデータなどを読もうとしていたそのあいだに、まるで( 粒子状の中に,微かな像として )別のだれかの絵が表れたかのように、ジャーマンシェパードのような犬がひとの手にその首輪と紐とに連れられているという、連続的な数カット分の印象が遇った。( 私は普段そのような犬には無関心なので、)なんの関連とは思わなかった。
私はそのとき半ば睡眠に落ちそうだったので、それと‘ 対向する ’という私の堪えが‘ 意図 ’の代わりに働いたのであろう。睡眠に移行させられるあいだ、妄念に依らないで‘ 私の観察意図 ’であり続ければ( 想像ではなく )ヴィジョンとの接点が発見できる。椅子に掛けて手に匙かなにか持って一瞬のイメージを視ようとしたという画家ダリの例なども、このような作用であろう( おそらくそのまま眠りに消えてしまうと記憶上の絵にならないから )。

( 前回記録への追記 ・
一昨日のあの夢には、‘ 私の手を使う ’という直接的な要素があったのが、私の‘ 夢だ ’のきっかけだったのと私は思う。しかし、私は‘ 私の両足 ’これに用いる夢見を試してみる。わたしは今偶々“ たるみ解消はダイエットより筋トレ ”という見出しでテレビに視られている。自己誘導にも周辺本位の依存方式にではなく、私の意図的なリードがベストだろう。 )

2019-05-08:
詰まり、私は日曜日のあの夢直前のように‘ おはなし ’側には無関係と無視した( 私はなににも受けない )。この‘ 無関係 ’は、2000年以前の私の態度としては‘ 夢見 ’本位に機能していた。‘ 夢 ’が神ならば、私は自社的な看板を再考して‘ 夢見の現象 ’とでも言い直さなければ修理しない。人間の領域や名前等は( ‘ 街 ’やメンタル-ピープルに対して殊更に告訴するということは、私の主体性を損なう )。若しくは私がそれらを無意味と無視しつつ‘ 夢だ ’に利用する。
黒い丸みたいなものどうしが空中に動き回りバチーンバチーンと衝突していた。私が注意を向けると、それはそれ自体くるくると垂直-軸に回転する黒面と白面との( オセロゲームの駒みたいなものに )変わった。

午後も私は‘ 夢見の実践 ’と言いつづける。眠気の中に死んではいけない。なにかの室内,こちらよりも少し低い位置にベージュがかった塗装の金属製ボックスみたいなもの,その正面に換気用の切れ込みみたいな水平隙間が幾つか空いており、その中に( 青く発光している )電子的な内部がみえる。
私は聴き取り易いようにゆっくりめの明瞭な発音で‘ -“ 夢見の実践 ”と御検索ください。 ’
すると、ボックスからはやや機械応答的な音声だが普通な男声のように‘ 夢見の実践ですか。 ’
‘ はい。 ’
‘ 少々お待ちいただけますでしょうか。 ’
その夢はそこで途切れた。( エアコン装置ではなくAIの一種であろう。あの青い光を想わせる。良識的だ。私自身に一々説得しなければいけなかったのである。 )

2019-05-09:
+ ‘ ここはどこ? ’と問いつづける。

2019-05-13:
私はトンネル内に自転車で進んでいた。トンネル内部は( 間接的な昼-光が入っているかのように )明るくて、普通に歩行者たちのいるアーケード型の商店街との通路を想わせる( 湾曲ひとつづきの壁面その中央真上,なにか直線-溝と左右に隔てられた隙間がまっすぐ連続していた )。私は進んでいるあいだに、ふと、‘ 夢だろうか? ’ 
私はその場に止まった。トンネル壁面-左側に老人がひとりでいた。
‘ 今、何時ですか? ’ 
老人は何も見なかったが、無関心そうに“ 4時半くらいかな。 ”
その傍-壁面にワイド画面の動画モニター,モノクロ-グレーややセピア画面にアニメか、円錐形( トップに玉付き )帽子姿の女の子みたいな絵。その画面枠の右上隅に“ 2:41 ”という表示がみえた〔 私が普段ケータイの時間表示に視ていたのと同じデジタル数字文字体 〕。その単色画面に白い液晶表示文字でなにか英語っぽいメッセージ表示みたいなものが重なっていた〔 私が以前使っていたDVDプレイヤーの設定確認上画面その文字等からの印象。“ Modthering - ”か“ Modelling - ”というような綴りだったかも,判らない。私は明確に‘ 夢 ’だと気づいてはいたが、〕
‘ あの、ここは、なんですか? ’ 
老人は答えなかった、既に居ないかのように。
私がトンネル前方に進んでみると、その内面天井その先に〔 そこでは列車-客室内に見上げたかのような印象 〕その進行方向に一定幅の天板みたいな長方形,その面に星空がみえた。私がその下に差し掛かったのと同時にその板面は( 乾いた,青と紫っぽい不均一な面に )変わった。
‘ ははーん、このまえの夢に遇った( 私の目を向けたらそれは急に別の材質観に変わる。 )’ - 〔 その場に私はそう思った。だが、その‘ 夢 ’直後にはそれがどんな別の場面との関連だったのか、あるいは偽の観念だったのか、私は思い至らなかった。
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あの“ 老人 ”は4時半頃だと言ったが、私が寝床に起きて直後みた処( 私が褪めたのが )ちょうど午後5時頃だと判った。私は午後1時からのテレビ放送映画に視たあとすぐにまた眠気と覚えて寝たので〔 その映画は今回夢には作用しなかったようだ。 〕逆算してみると2時間弱の睡眠だった。
‘ 夢 ’での私はそのときまでの睡眠時間わからないのだが、“ 老人 ”はむしろ普段の私に近い勘で答えたかのようだ( 私はひとり寝床で目覚めた場合には大体その時刻に言い当てる )。というよりも、その“ 老人 ”に向かっての‘ 時間 ’を訊ねるような振りが.,あたかも、このまえ( A区からの )私の自転車途中に行き先を訊ねる振りをしたかのようなニセモノたち。不躾なあれらが、私の転倒-表れだったのとは? 
“ 2:41 ”? もし午前中だとしたら、私がちょうど意識的に本を読もうとする時間帯( 3時まえ )だろうか。〔 私はこの段落を書いた直後に、今一度“ 何時? ”というあの台詞に考えようとして.,そう言えば、( 昨日私の路上どこかで )通行人男子が“ 今何時ですか? ”と他の男子に声を掛けたように聞こえたという一瞬が遇った。その2人が小声で話しだしたのとみえて変と私は思った。然し、その印象はこの‘ 夢 ’での文脈とは関連無かったようだ。あのモニター画面の絵が無関係だったように、あの“ 老人 ”も私には憶えの無い姿だった。 〕
これらにも私の反省点として示そう。私はそれらを‘ 読もう ’とはしなかった。“ 老人 ”と私とは主客転倒だったかもしれないとはいっても、どちらもなんなのかを言わなかったという点では、やはり私の‘ 夢 ’自体を解体しようと試みてがいなかった。

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