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表出する現実

2020-03-05:
- 私の間隙(自身)無くす。寝ている時も起きているときも,常に‘私’として行動しつづける。

寝床で‘集中’しようと私の頑張っていたあいだに(あのまたたきみたいな表れが,)白い枠線付きのような印象として一瞬みえた;それには“映倫”という文字が遇った。無論,映画のスクロールにはそのような一瞬だけの表示は無いので,寝端によく遇ったあの遠雷の瞬きのようなものとの合成的な表れか,潜在的な“いたずら”の類いかもしれない。
そのあとの一瞬“夢”みたいなイメージは,初めに私の自転車を普段屋内に見下ろしてそのチェーンの回っているのを視ているときのようだった。次に,それから別のイメージに変わったかのように,その回るチェーンが(それの自体幅が大きめに)小さなボックスの隙間を通ってその外側一方に(あたかも大型機関銃の弾送りみたいに)滑り出しているかのような。
私は自転車に一度も“武器”という言い方が無かったので(“彼女”の頃には‘性的なツール’という言い回しを用いて書いた。)なんでそんなたとえがあるのだろう?と不思議だった。
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昨日今日,視界室内に偶々金属箔の反射のような面が映る度に,その光-知覚感受性が強まっているかのよう。生理的原因なのか,神経的なのか。

‘私の右手にペンを持ったままイメージにそのペンと私の手で書いてみる。’と思い付いた。私は偶々英和辞書に“ineffable”という綴りを視たあと,私の(イメージの)手にペンを持ってみた。ところが,そこに表れたのは“ef”という2文字だけだった。これはあの“ar-”の表れた夢と似ている。私の観念に遇ったのはその特徴的な2文字のみだった。

2020-03-07:
例の半ば両目蓋-視界にみたような画面:
ある幅の鉄板(白っぽく塗装されてあるかのような,)一定間隔に留めボルト頭か凸の部品等2つずつ,地面直上に敷かれたかのように低い位置。そこに左側から男が頭をもたれかけたようにその板に着けている〔その後頭部,あたかも鉄道レール上に頭を置いている“コブ(インセプション)”の場面のよう。〕視点自体がその“レール”沿いに退いたかのように急にバックした,そこにまたひとつ後頭部がみえる〔連想される,ある有名だったシュールレアリスト画家の自画像に,後ろ姿の男が鏡に向いているのだが,その鏡に映っているのもその同じ後ろ姿であり,そのまた鏡に繰り返されている..という絵があった。〕
視点が更に退いて急に画面の半暗い外に出たといったかのようにその縁と表れた(四角いスクリーン投影された映画の1フレームみたいに?)私はその画像がいやだったので変えてみようとした。が,それは変わらなかった。その“鉄板”は画面左側に向かっていた。(不意に)その右に向かってその両側-草地の,緩やかな上り小径のような“分岐”が現れた。

2020-03-09:
夜中のうちに,光景よりも粒子状みえる。昔よく“オーラ放射”視ようとしたときのあれのようだ(物理的な物や私の体-周りに。)
私の両-目蓋を閉じて視ていようとすると寝入ってしまう。私の起きながら‘視る’には(たとえ目蓋下りていても)両目開いてのみる。この“粒子状-線状”観察は夢見にとってのアンカーとなる可能性,-カスタネダ氏がこの用法の直接的な掛かりにまで気付いていたかどうか? 
身体自体との感覚的なフィードバックが高まれば,再びノイズ-振動感覚が増幅されるだろう。拒否-対立しないで(一身に)ただ流入させる。
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朝方このまえのように浴槽-上蓋に寝てみようとしたが,その下が適温ではなかったので,案外冷えた。寝床に入ってみた処(私の右側を動かそうという意図が効いているのか,自動的に熱を発生させたかったのか,,右足と左足とを互いに押し合う動きが起こった。この右足の“伸ばし”は,これ自体といったものだ。[ あたかも前夜-昨夜再放映されていた“エヴァンゲリオン”19話にて,初号機の左腕を裂かれたのが,その自ら“使徒”の部分と継ぎ足して修復するという場面,リツコの台詞にそれ“彼女”と言った。しかしその“エヴァ”は吼える動物だった。)私にはその形容は前期“左側”のものだったが,私の今の右足に関して言えば,これ自体の発動は逐次的である。 ]

夢記録:縞々の論理
〔..ある長方形-コンクリート敷きの空き地のようなスペース。黒髪ドレッド巻きの男ひとりが寝ていた。私と妹とは起き上がってから町内に歩きだした。すぐに(-あの男が“12時に起こしてほしい”と,わたしたちに言っていたのを-)私が無視したという理由で,妹は私を責めた。私の反対に文句を言いながら歩いた。通り向こうに,岩石みたいなロンドン塔のような形,その右,低いひとつとがみえた(その高い方は少し右側に曲がっていた。)すぐ右側-角にうちの家屋みた,そこに入りかけた..〕
わたしは中に入るやすぐに驚かされた。何も無い,剥き出しの古びた白っぽい壁のみ〔剥がれかけたというよりは,シャーベットかジェラートの削られた面に表れたかのような,〕室から室へと移動してみたが,どれも同じ壁ばかり,なにも置かれてはいなかった〔..そこでの私はうちの家屋内にその間取りをみているのだと思っていた。が,それは実際には違った。そこでは‘これはまるで夢だの場面みたようだな,’と私は思っていた。もしこのとき‘夢だ’の意識が予め潜在的だったとしても,解離されていたかのよう。〕
ある室に入ってみた処,そこだけ様子が違った。正面には,行き止まり〔窓か障子戸のような,その暖色系の光が半ばブラインドされたように射していた。その“光”の滲み方は穏やかなのだが,それの具合がやや不自然に強いような。〕室内左手-小さな隣には食卓用の物品等か,台上,なにか立方型に縞柄のカヴァーがされてあるのがみえた。
〔そう言えば,わたし30代には一時期“マルセイユ”などといいながらあのベージュと紺の縦縞をみたりしていた(たった今おはなしには“マルトン”と言ったが? -殉教させられたの意味か?.)あるショップで扱われていたそのような布,わたしは少しばかり持っていたのを,あとでうちの室内保温のために戸-下側などに張り付けてみた(実際には白と紺だったのだが,上記のイメージに変わっていた。)
然し,それに依って“物品”を覆うという意味合いは(わたしがあの布を買ったときに“靴下にする”と言ったのであって,)存外である。もしその場に‘夢だ’と私の自覚になっていたとしたら,その“箱”,なんなのか,先ず視ようとしたであろう。〕

2020-03-21:
もう背中の海苔は剥がれなくなった。[ 夜道ルート(データ消失)..墓地公園への上り下り,]

2020-03-26:自身に収斂する(再)
夢見できなさ,また夕方。寝床,私の両目(-左と右との明るさ違い)みようとしている。不図,半ば暗室内であるかのように,白衣の男性が黒いスクリーン前-左側に立って“では,こういうのはどうでしょう?”と言いながらその学生か誰かになにか示そうとするようだった。
その足下に近い,黒いスクリーン下部に,見覚えの若い男(おそらく私の横姿からのイメージ,自転車の最中か)が,うっすら青っぽい燐光のような輪郭で表れた。‘これだ!’と私は思った。私はイメージ投影に何回か‘白いスクリーン’を想い浮かべて利用しようとしたが,なんでか毎度できなかった。私は一度も“黒いスクリーン”を使おうとはしなかった。

2020-04-13: 表出する現実
幾つか本当の夢のような夢があった。私が今想い出せるのは‘円い池の中,羊一頭’という絵だけだ。
本当に,私が夢から醒めたと思う,だがその次に,もう下らない“言い返し”みたいな何かに晒されている。夢こそ本物であり,日常とは偽物なのだとわかった。私は“影”には住まない。

2020-04-16:羊と花
夢の場面に,また“羊”というイメージが遇った。どこか別の町,ある男の子が試合かなにかの関連で,教員のような者から“おまえひとりで勝手に出掛けるな”と止められていた。駅構内の自動券売所みたいな場所に,なにか羊か牛のような動物の象られた縫いぐるみ何個か,それらと子どもたちの間に,ある婦人がブラウンカラーのひとつを抱えてその通路に現れた。その婦人は先生とは呼ばれないで“あの女”と称されていた。わたしは“白い羊と,黒い羊か”と連想的に呟いたが(その場面には,なんでか“白っぽい”方のそれらは映らないか,そこには初めから無かったかのようだった。“黒い羊”は台詞上だけで,そこにはひとつも無かった.)
屋外,車道の向かい側になにか,羊2頭が繋がれたかのように建物か壁側に向いていた。(その左手の一頭,背中後部に金属製の台が据えられてあり,その最後部“回転灯”黄色のひとつ回っていた。)そこに,道路右手より車両一台,荷台に,大きな緑色の垂直-幹に白い花など満開な南国植物のように咲いていた。その白い花びら等には金色の縁取りがみえた。わたしは“あれをご覧,”と(こちらの傍にみている者に)それを指差すようにして言った。
〔もし,ある特定記憶やそれの印象が(別の第二者的な視点から)利用されるとしたら?という見方になる。わたしにとっての“白い羊,黒い羊”とは,昔,ある軽い知人の言葉として一度わたしが聴いた台詞だった(2001年とそのあと何年かのあいだに,英会話関係者との実際の会話や関連イメージとして遇ったもの。このまえ“argo-”という綴りが表れたあの夢にも,その頃とからの連想的なイメージが遇ったと思われる,,前述。)
その“羊の?縫いぐるみ”には私の記憶的な焦点が無い。たぶん,前夜テレビ番組に“雪男の写真”と称された,黄色オレンジ色っぽい四足動物のようなもの何頭かが山斜面に写っているという,おかしな印象が遇ったからだろう。私は関心しなかったのだが,その印象は二重に利用されたのかもしれない。
“喫茶店前に留められていた羊”の屋外場面には,台車や車両と花にも私の連想が無かった。ただ,(今思えば,黄色い回転ランプが“お店”看板を想わせるという,ギミックのようでもあるが,意図不明,)私の関連として言うなら,私が最近私の自転車に点けているLED光(黄色フィルターに因り,自粛警戒の促し,)それに相当する。

2020-04-17:
ある並木道のような所,桜の木を想わせるその花盛りの,枝ひとつに,(一見そのベージュの花色に同化したかのような,若い婦人用セカンドバッグか大きめ財布みたいな,編み生地のようにもみえる,升目パターンの表面)あたかも長年月そこに掛かっていたので,枝が育って花などが咲いていた。それについてか,ある女子が“あなたは語り口がある,”と言われた(-それが“語り草”だった?),ところが,ある男子がそれを意に掛けないといったかのように枝ごと外してしまった。

2020-06-14:“体外離脱”夢
〔 久しぶりに“ 体外離脱的な身体感覚 ”の夢だった( 但し,私はその室内に寝ていた処から,急に起き出したかのようにその隅に移動したのであって,肉体そのものよりの“ 離脱感覚 ”ではなかった。)〕
私はその身体感覚を保ってその室内-隅に這い上がった〔 漂うようにではなく,わたし自身に拠って。〕その壁面等の一方側に,“ Kの手紙 ”が封書の形で,簡単に筆ペン書きされたようなその苗字とともに貼られてあった( それには,ある英会話スクールに関する事情説明が書かれている筈だった。)わたしはそこにその態勢を保ったまま封筒の中身だけを抜き出した。わたしの体はあたかも重力的に感じたかのように床上に降りた。わたしはその“ 手紙 ”を見ようとしたが〔 その折り畳まれた白い紙の表面( 書類の印刷文字が数行分,なにか半分だけ四角く切り取られたかのように,その上下に横と縦と文字等の入れ違いにみえた。)〕
だが,わたしはそれを開いて読むよりも( まるで‘ 見てはいけない ’と言ったかのように, )急にあの‘ 夢から醒める ’が実行された!
;私は室内に横たわっていた。私の体は冷えていた( 雨降り,朝方。)すぐ傍にテレビ音声などが遇ったのにも無関係に,まるでわたし自身であるかのような夢場面が可能だったのかと,不思議だった。〔 その夢の直前にショッピングモールのような所にいたという別の夢場面が遇ったのだろうが,私は憶い出せなかった。
“ Kの封書 ”がなんであったとしても,私の明晰さ実験第一のためにはメンタル製キャラクターからの“ 情報 ”は無為だったという意味であろう。〕

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2020-06-20:
寝起きのあいだに,ある道端に家屋のブロック塀みたいな部分の光景が遇った。それは住宅街というには疎らな印象で( 実際どこかに存在したかのようでもあり,あたかも私の記憶とは関係無いもののよう, )私はそれには直接意図しなかった。一度私はそのような光景の一ヵ所に能動的に近づいて入ってみようとした。が,それらは一瞬毎の静止画像のようで,続かなかった。