私の身体の夢

2022-12-01:
私は右手の‘ 身体 ’に明晰夢見の意図を任せるとした。元々これは私の身体であり,目に映った写し身に変わったりしたものだ( こう言ってみたとき,あたかも幼稚園の室内にみたような若い婦人の姿がみえた。 )

おはなし予言では,来年1月後半から2月まで私のページ名が更に“訴え”の為に動いている。

2022-12-02:
3時過ぎ,前日からの冷えにまた動けなくなりそうだった。縮こまらないように,漸く寒さ対策として自転車で動かしてみようとした。やや風邪っぽい鼻水と,見えない頭痛のような感覚,例のチェーン間隔未調整で急な坂の度にガチャンガチャンいう(ちょうどペットボトル等が目に付くので,“転倒”防止の為に,その傾斜の途中に止まっては,勢いではなく,歩きよりも遅い。)

平和公園北から出口までのタイムを測ってみたら,5分も掛かっていた( 地図では約2.2km,下り600m分だから,走ってない。 )

2022-12-04: “我慢”の意味-?
体の冷えについて,ある程度“ひんやり”感覚の方が(寝床にあっても)私の意識を保ち易いのでは-,思い込んでいた。ある体の感覚に強いられる(尿意といったように)だからそれを“ 私の意識性 ”という問題同然にできたか? 時折トイレの場面として遇ったという意味では,その“夢”自体ではあったのだろう( 但し,もし‘ 夢だ ’の機先が働いたとしても,すぐにも実際に起き上がらなければいけない点では,焦らないで“夢”観察し続けられるかどうか。 )
不愉快でなければ,ある程度“ほんわか”の方が良い,少なかっても“悪夢”に堪えるよりは。..昔“ロマンと我慢”とを掛けて言う教員が遇ったように,どちらかの利用するといった言い訳も。

引用-例のピエールジャネ著(第二章-IV)に,
..感覚の喪失がそのまま記憶の喪失であった。感覚の持続あるいはその回帰がそのまま記憶の持続あるいはその回帰であった。
「感覚の活動が思考の基礎である。それをなくすと思考もまた消退するか眠りに入るかである」と、バスティアンとともに言えそうである。

;と,観察的に仮に述べられて遇ったのだが,私には示唆的であった。私は一度も私の室内に“これは夢ですよ”とは貼り込まなかったし,だれかの私に言いかけたりも無かった。( むしろ,夢の側からの(-わたしの?)動作や感覚といった観察であった。 )
私は‘ 視る ’という行為自体には条件点けできるが,Pジャネの患者リュシーのような,辛うじて視覚的なものに限定された“ 身体感覚麻痺 ”状態にては,視覚的要素のみが触覚等を誘導可能としたので,(たとえば,私が“夢”の状態不明に敢えて“ 夢ですよ ”暗示するためには,手製看板みたいなサインの必要も遇ったのかと)まどろみに,なにも囁きかけなくても,自ら手前に惹起できる方法があるとしたら,自動イメージとの条件点け以外に無かったのだろう。

2022-12-05(1):
私は“ 心理学的自動症 ”を読みだしたときに“ もし著者当人が初めから繰り返しの文節を編集できたらそんなにページ数を取らなくても良かったのに.. ”素直に思った。翻訳文では遇っても,未だ整理されないまま書き出しているかのような(おそらく元の文法自体からの問題もあるが)30代くらいの文章だと判る。私が来年この日記を読み返せるとしたらたぶんまた“へたくそ”だったと,打ち消し要約しなければいけなかったように。
それでも当時その観察推論の重要性だったのだろう。“ 夢遊(病)状態 ”に関して読んでみるだに,通常の夢見のひとにも示唆したような点は幾つか見当たる。例えば;
..ただ放心による忘却は、その程度が軽微である。ちょっとした機会でそのときのイメージに注意が向くことがあって、そのイメージは失われているというより気づかれていないと、いったほうがよい。H…という若い青年は、そのような形の夢遊病状態に入って目が覚めたときすべての記憶を失っていたが、その日のうちに一つずつ夢遊病状態の記憶を取り戻し、翌日にはそのすべてを私に話してくれた。このような人たちでは、注意を集中させ、わずかな努力を促すだけで、記憶が戻ってくる。(第二章-VI.,)

ジャネの本に関する予知的な偶然-? :2022-11-21(,戻る)

2022-12-08:
Pジャネ著の例(第二章,続き)ある夢遊病状態に関して; 催眠術者からの影響としての第二人格存在的と思われるような状態。だが,依然,覚醒時の記憶を保持している。
..リュシーは、最初の夢遊病状態でも、まだ数多くの面接を経た後でさえ、つねに同一の人物であったし、いつも「それは、私、リュシーです。でも先生が私を変えたのです」..もちろん、この変化が気づかれるときもあったが、それもわずかずつ数えられないほど多くの段階を経てのことである。この緩徐な変化に馴れていって、自分の同一性は保持していたことになる。ローズの場合も同様であり、三、四種類の夢遊病状態時にその点を質問しても、「いつも私です。ただ、まったく同じ私だというわけではありませんが……」
;但し,その第二状態での記憶は第一状態に於いては憶い出されない(不可逆であったかのように?)-覚醒時に麻痺していた感覚や運動性が,それらの第二状態では限定されなかった。
私はその記述に読んで,私が以前(左半身側に)“彼女”といっていた頃の,同一的な,この身体との作用だったのを憶い出した。それはイメージよりも体の一致した活動となる。その活性させて以来,度々“彼女”との表れであるかのように(私の視野に,その一瞬)青紫色の小さな長方形のような印象として映ったりのこと。そして,右側にはこの同一活性体のようには起こせなかったのだろう,私はそのような積極性をここにしなかった。-この質問自体,既に繰り返されている。
私はこの右側自体には未だ甦らないが必ず表れみえるような印象のもとがあると思う。

2022-12-11:
私は彼女に向かってあたかも眠りに落ちるようなモードにて‘ これは夢 ’意図してみた。ちょうど読書中の例のジャネ著(第三章に入り,)..本章ではまず、もっとも単純な暗示現象、つまり患者が暗示を受けた直後にその暗示された行為を遂行する現象、しかもその間患者の心理状態に変化がなく、意識のはっきりした状態で暗示を受け取り、それを遂行する現象を取り上げたい。次いで、患者が覚醒後あるいは彼らの状態が変化した後に遂行される暗示をみてみることにする。..
一瞬そのページ面左側に小さな青紫色の点のようなものが光った。
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夢見のための(循環した)ノート:
[ その位置には無関係かもしれないが,“磁気術者”メスマーとピュイセギュールに関して書かれた一節だった( ジャネの当時に拠れば,磁気術者によって注目された暗示現象は-軽視され忘却されたが,その反動からか-数年過剰な程に重視されるようになっていた, )
ピエールジャネ;(ピュイセギュールは,)..この暗示現象について「患者の考えがよくない効果しかもたらさないと判断したとき、私はその考えを止めさせ、患者に快適で陽気な考えを吹き込むようにした。そのためには、さしたる努力をする必要も無かった。満足げに患者を眺め、自分が富籤に当たったとか祭りの中で踊っているとかいった想像をするだけでよい。そうすれば、この私の想像が患者に伝わり、患者たちをその椅子の上で動くようにさせることができた……」..
私の付けたファイルでは能力研究-読書ノートに簡約したように,それらは感応やセンシングといった問題として表している( “スターウォーズ”のジェダイが時に命令に弱い者を一方的に誘導したように,仮に意図に拠ったものかどうか? )“磁石”が非科学的な時代にとって神秘的な効力自体であり,“磁力”という直接的媒介の可能性であったなら,“魚と釣り”との関連とは限らなかった。 ]
それから,(第三章 II,続き-)ある与えられた暗示と夢遊病状態での表れに関して;
..たとえば,マリーに「私が手を叩いたら、あなたは立ち上がって部屋の中を歩くでしょう」..私が手を叩くとはじめて立ち上がり部屋を歩きはじめる。..時計が鳴ったら蝶が部屋を横切ってゆくのが見えます、窓の手すりに小鳥が見えます、とマリーに言えば、彼女は、時計が鳴るときだけ蝶を見ることになるし、窓の手すりにだけ小鳥を見ることになる。
..マリーの場合、夢遊病状態のどんな時期でも窓を眺めれば小鳥が見える。この窓を眺めることと小鳥が見えることとの結びつきはずっと持続する。..ある夢遊病者に、白紙の一枚のカードに肖像画が見られる、という暗示を掛ける。そして、そのカードを多数のカードの中に混ぜ込ませる。その患者は、必ずといってよいほど指示されたのと同一のカードに、しかもそのカードの同じ位置に肖像画を見いだす。
..レオニーの場合であるが、暗示した幻覚が出現するのは、暗示を掛けたその人が彼女の身体のどこか一部に触れるときだけである。..別の人が触れたり手を引いたりしても無駄であり、幻覚は現れない。再び私が彼女に触れると、それがほんのわずかでも、また何の予告をしなくても、レオニーは喜びの声をあげ、また花束が見えるようになったといって嬉しそうな表情に戻る。
[ そのあとの何節かには,“両側性幻覚”と称された現象,ある患者の身体片側感覚と異なる感覚幻覚の出現に関して書かれて遇った( “電磁気の力”が信じられていたら,磁石に因ってその感覚を移動させたり,ある感覚麻痺から戻したりも起こる。)暗示されなくても心理学的に現れる現象もある。
..患者が右手で行っていることを左手で行っているとみなすこのアロヒリー現象〔allochirie 感覚側転移現象〕..私はレオニーが夢遊病状態にあるとき身体の右側(感覚がある側)に針を刺してみた。そのとき叫び声をあげたが、それは左の手に向けてであった。そして、自分の手はもう自分のものではない、誰かが変えてしまったのだ、という妄想を抱き始めていた。実際、これまで感覚麻痺状態だった左手に感覚が戻ってきていたのである。ここから、まだ十分にわかっていないにしても、心理学的自動症というものが存在しており、この自動症が身体の両側にあったイメージを、左右いずれかの側で目覚めさせたのだ、ということが想定される。.. ]