見れない焦点

2023-06-17: - 衝動的行動は記憶された行為である。

精髄をつかわない。気がつかないみたいにしょっちゅう蛇口から水のほとばしるままにしていたら破綻する。
両目は見るものだとは云ったが,労費という意味では“受容”です。
一見やさしいといいつつ(なんか)尽くしている。
うんうん受容するものの-器量だといってしまおうと..
しかし,お風呂を精髄だというようなひともいないわけ。
むごいな。
“運動会”みないとき(音声はグラウンドのだけ,わたしはひとり上の教室にいた.)女子2人がふらっと来たんだけど,わたしは彼女らを不良の奥さん方だと思わされていた。当時“りんご”あげるというのではなくて,氷一個みたいな。
当時,ハンバーガー屋でお喋りなんかおもいつかなかったね。
あのとき図書室にいたら..とは思わなかった。
謂わば,忘れられた古代建築の遺跡の中で,発見されていない地下室への入り口を探している..みたいな..
むしろ,これから遺跡の中に未知の空間が在るのはすてきなことでしょう。
-“見つめよう”としたが無理,不幸のはじまりというわけか。
物自体を見つめようとしては.,特に物相手に焦点しようとするのは不可能の問題で,私は間の若いものだけをいう。これ自身で呼吸するようにね。

2023-06-18:
なにか2つドラム型の容器のような(見えない)印象だった。(私は)意としたかのようにそれに対して‘ 夢見 ’といい続けたが,どうにもならなかった。その2つはウクライナへと送られるなにかだった( おそらく,そのように合成された-自動的な表象. )
白い紙カップに満たされたコーヒーひとつだけみえた。

[ “もの”が何であったか-というよりも,“2つ並んだもの”を(意とと視るための)アンカーとできるという意味合いになる.. ]

2023-06-21: 青いクレープ状,体での跳躍
..テレビ番組の収録に使われたスタジオ内,その床に区切られた一部分[ 半ば子ども向けか遊びスペースのように作られた屋外風セット。]その土色に,なにか白く大きな“ こ- ”ひらがな一文字の形。番組出演したゲストがクイズに答える形でそこに並べ置いたもののようだ[ こちらの視点はその左側から右側へと歩きながら眺めたような。]
次に,天井側に幾つかの四角升目に仕切られた[その四角の面ひとつひとつに青いフェルトか綿生地みたいな布切れ一枚ずつ,どれもやや不規則な輪郭で真ん中に少し垂れ下がっていた。]こちらから真っ直ぐジャンプしてはその布の真ん中に手で届いてみようとした。繰り返し跳んでみると左足と比べて右足は力の足りないかのように弱かった(わたしはもっと右足を強く跳ねるよう着地の瞬間に力を合わせていった。)そしてわたしの手がその青い柔らかい生地に触れて掴んだとき,もしこれが夢ならわたしは落ちないでこのまま浮かんでいられるだろう..
[ わたしは単純にその面と自身に“夢だ-証明”できたのだが,それだけだった。]

上記のあと,(不図みた)今夜放送予定テレビ番組の写真付き広告に,何年まえにかテレビに出ていたタレントの顔にそっくりだが一度あのタレントの名前ではなくなった顔をみた。その顔自体の,ある役割,心象的な役割の形-,そう思った。そのなにかを想わせる“笑顔,” あの“戦地”のことも,私には無意味だった。わたしは悲しくなった(だが,これも過去の心象-どれかかもしれない,夢の論理と同じ)- なにも私として証明できてはいない。

これのあと,久しぶりに“ わたしの手に物品を取り寄せる ”衝動が起こった。そのような“外界”に働く方向性はトランス現象的だ。;わたしの手に物品を取り寄せる夢(:2018-10-27,身体と影 )
( “気の空間的”にいうと,物自体の動作は在り得ない。)一方-いわゆる“他の物音”にとらわれる状-態は委譲的すぎる[ それだが,実際的に見れば,無論なにも“こちらに”求めてはいなかったわけだ。仮に“それ”が人称であったのなら,先ずわたし自身といった方が良かった。]わたしは以前あの路上うんどうルートでは“周辺気配”によって(いわば,自ら視る的にケツ応援する)坂道での至らなさに利用していた。内的にいうと,先週このまえ対話式に述べたように( 意識と観念:2023-06-12 )夢見のために擬似的な二重構造を必要とする場合がある。
[ もし-“物品”に関する心理的な相関図を一覧に書き出してみたなら,それらは地図に見たように比較的に読まれ易かったであろう。]