2025-09-29:
..外的に起こった現象すべてが“夢見”である
-と仮定するとき, 再び ‘私は’(夢見られている)側となる。
[ “現象”とは,一瞬であっても語られる段には過去として認知されうるものだから,現在夢見の可能性とはならない。] もはや?
謎を必要とはしない。謎は(砂漠みたいに)寝むりすぎた。
用語カテゴリー: 私?+
以前 “ 仙道 ”などのワードで少し読みかけたうち“ 道教の養生術と呪術( 坂出祥伸, 1993 )”..これもコピー紙に綴じてあった部分,“ 存思法と「気」”という章節が遇ったので,読み直してみたら( “ 内なる治癒力( ロックとコリガン著, 邦訳1990 )”や“ スリランカの悪魔祓い( 上田紀行, 1990,2000-
)”というような,むかしも-面白そうなタイトル等が紹介されていた )
“ 道教の- ”の歴史由来説明的な内容には,私として殆んど実践的に読み通せるようなところも無かった( ..その一文例には; 『荘子』では、ストレスから解放された状態を県解(逆さ懸りからの解放)と呼んでいる。これは、「時に安んじて順に処れば、哀楽も入ること能わず」..きわめて平静な心の状態である。)
しかし,身体とイメージの領域とは( 心理的ではなく, )量的な捉え方であって,これが一致点をもっている
ドリーミングの可能性( 今では可動力というべきか )であるから,夢見の顕能よりも先んじて現れている。
照合カテゴリー: 身体とイメージ
2025-09-27: 過去の(総体を)食べる-?
なぜ私は自己イメージの夢化をやめたのか,
“私”は? たとえば“国民”.. “国民”は狭量だ。“国”の子ども,
支え,出資者? テレビに映ったもの.. 写った?( 観念そのものが扱われるとき,憑依は量的だ。 それは常には逆の相かのように間違われる。)
貼りつけられた?-“自分”と一緒に居るのは増々不可能なことだ。
夢?
[ 先週末,めずらしく夢精のような夢が遇った( その自動的な瞬間-抑えようとはしなかったので,出るにまかせた。
私は他の男子には知らないのでわからないが,“夢精”といっても,先ず寝ていたあいだの性的な刺激で起こったという印象ではない。“偶像活動(性的なイメージ)”の高まりは直前時期まで遇った-が,今回私は放れていて,(私の原理ではないが,)ヒステリー的な挙動は再び通路上少年グループらに(突発的な動物的声上げといったパターン?)なにか反したみたいである。)
久しぶりだったな-と,私は起き上がり下着を脱ぎかけて “あ”
“夢”が先行したわけではなくその射精の瞬間だったのであろう。
このまえ“ テストステロン ”半分まで読みかけて返却期限だった。 DHT(ジヒドロテストステロン)が生成されると脱毛などが増える-と書かれてあったので,あるいは最近また脱け毛多くて頭髪も空きかけている?原因はテストステロン系か?と,今更偏向との影響に考えさるを得ない。]
2025-10-02:墓地メタファー?
..読書のあいだ不図に考えながら( その図書が内容的にもページ文字等の体裁にもこちら更年遠視がかった眼には読みづらい. )片手に置きかけたところ,光景的な,あたかも銘も刻みも無い長方形の墓石等が円形劇場の( その視点側に近い位置に低い円形面 )同心円状-何段上かに等間隔で並んでいた。
それは,なにかの集団性か(中心のある)ものを表したのかもしれない..象徴的には。
補記 2025-10-06;
中心に何も立っていない墓場には,従来あった性象徴的な見方では,“鼻の無い顔”同等という意味だ。 -犠牲になったものたち? それとも,ある部分等..?
あの印象では,“墓石”等は無名の平面だったけれども( 私はあの記録日記に付けたあと,(私の)閉じた片目蓋側が不図にも“死んだような顔”みたいにみえた鏡像について,英訳タイトル見出し風に翻訳してみようとしたが,“a deathly face (faces)”などと宛て字をつけてみても適当なトランスレーション見当たらず,あの“ 青い影 ”という日本語題名で聴かれた“ A Whiter
Shade of Pale ”といった言い回しが合うのでは?と思った。-先週何度かユーミンの古い“ 航海日誌 ”などプロコルハルムが想われるような歌メロディと遇った。)
もし古代の円形劇場に“オーディエンス”という歴史イメージがあったのだとすると,聴衆は居なくて死んでいるといった意味合いになる。
関連カテゴリー: 象徴夢,夢-象徴
2025-10-03:
( 再起;)一挙手一投足ごとに‘ 夢見 ’意とをする。
2025-10-05:
晩..私は寝むりきってはいなかった( 居間. )ところが不意に,浴室の戸を開いてその室外に出ようとした( 足下そのスライド型の戸だけが視え- )次に,薄緑色タイル地の“浴室”面だった。[ それはそれ自体であるかのように少し違っていた。]
あたかも狭い視野にその一瞬のみ( -が,私の両足は映らなかった。)ちょっとどっきりとなってすぐにそれきりだったので,もしそうして戸を開いては次の間へと見るたびに“浴室”だったら面白いだろうな-と私は思った。
白い室内からの“夢”- :2021-01-11 / 明晰夢への遡行
その一瞬性の“落ち”みたいな心象のせいか,そのあと,私がこのまえ偶然インターネットで読んだ凪さん“2コマ漫画”の方が連想にあった( 凪さんの明晰夢例など描かれたマンガでの話題であった。私はその話とは一見関係なさそうな2コマものの方が深いと思った。)
読めない文字:2025-07-18 / 明晰夢の記録とは-?
2025-10-18:
..一昨日すんなりと自転車のチェイン部品を掛け直した( 夏はじめのうちに,その一部片側金属断裂していた部分を軸-削り抜きで取り外したが,その切れ端の分だけチェイン自体が短くなったので,後輪の車軸をぎりぎり可能な位置まで前方移動させなければいけなくなった。
-だが,それでも長さは足りない。それだけではなく,以前からのチェイン用ジョイント部品に対して同じ雄型の部品どうしを並列で継ぎ合わせられないので,その元ジョイント部分の次に一個だけ(切り離された部分から更に取り外して)ジョイント部品2つの間に挟んでみた。ちょうど前後カム等に掛けられる長さとなった。)
これは何のための時間か?
その“継ぎ合わせ”作業自体は7月か8月のうちにできて置いてあったのだが,なんでかこの日まで一度も車体“修復”に乗り気になれなかった。以前述べた“面倒さ”について( 私は理性的にはそれ自体の問題ではなく,たとえば,両足や身体-身心にとっての重要性だったのだろうとみなした- )健康面からみれば先ず自転車よりも直足で歩けという意味となっていた。
..昨日,久しぶりに自転車で移動してみて身体とのバランスに少し不安が遇った--が,実質的な感覚としては( 歩きのあいだに右足の意識的-増幅をやろうとしていたこともあって )以前よりも左右の均等バランスを取り易かった。
2025-10-10:
私が観念的な“統治”しなくなった- それらは空気同然な,不可視の“働き”を過ぎない( 今更たとえばタコ焼き好きだったのはわたしなのか別の子だったのか問うてみても? )
..右足まだ憶怯かのような弱さがある( しゃがんだ体勢から片足で立ち上がりかけてみると,よくわかる。)
この何年間か日記してみたような,“右足(右半身の)離分”から,私自身のものとして戻そう-としていた。 それらは異性イメージ等と自動対象化したかのような,私からは非-意図的あらわれであった。
“ヒステリー”とは言わないが,もし左側との感覚-通じに等しくない(,常に動線の不調整な-麻痺しているみたいな)はなれた部分が原因の末端なのだとすると,ここから中心確認できなければいけない。
2025-11-01:きこえるなきこえ?
..先週私は排便しゃがみの体勢から片足のみで立ち上がろうとして非常に難しいと初めて分かった。 特に右足でそのように立ち上がってみようとしたとき,その膝の高さ以上へと体重を支えるのに無理があり,いきみすぎると脳血管にきそうで危険を覚えた。 しかし,大腿等を鍛えるによってエイジング衰えから生還するためには,このような労作を超えなければならない( 私は動こうとしない“
昭和老人世代 ”には何よりも立って歩けという例の台詞がもっともだと思った。動物両足を要しないのであれば寝たまま死ぬ以外無い- 身心は用いられなければ生物的には不要となるのが自然の性であり,生の目的なくては不可能となる.. “ 夢 ”とのこれもまた- )
私はこの片足の一方足首に近い上側をその足首後ろへと添え掛けてゆっくりとその片足でしゃがんだり立ったりしてみた( その添えた足の踵側が尻にふれる体勢から,体重バランスとともに立ち上がってみる.. )すると- 比較的に上下しやすくなった。
私はこれを外部支え無しに最初片手を横へと上げたりしながら倒れないように試みたが,片手か両手で掴める柱か何かに軽くつまんだりして転倒の危険を予防している。 -膝などに負荷がありすぎるなら,両腕側との持ち上げを( あたかも,児童用平行鉄棒で,両足着地した体勢から両腕と体の角度によって懸垂の重量的加減調整できるのと同様に, )応用できる。
..または自分自身の投影として働くものだ。
それらは何年間も異性イメージのようであったが( 単純な自実? )いまそれらの像なしに私の元の感触として戻ってきた.. 感触自身。
集中した一点は秘そかに見えなくなる。