かれらを吸い取る

2023-03-14: かれらを吸い取らせる
今週に至り,再び右半身は感覚的に見えなくなった( 私はこれを言葉で述べようとした処,例の如く“左半身は-”と言った。)
夕方過ぎ,私が自転車で行きかけたところに,なにか黒コートの一団が向こう横から歩きかけて止まった。私は一々気にかけないでただ真っ直ぐ行く。何年間か広小路-伏見の交差点付近で( 夕方そのような“陰の一群たち”の通りかかりに )不意打ち笑い声あった. “なにか集団,私個人に嫌がらせ?” 従来の観念であった。謂わば,あの“げらげら中学生”に一定型みたような,一個人に連続的に向けられていた“大量虐待”であった
( 私は私の心理-観察者だった。私自身にも他者にも社会的に改革していこうという課題は本質的には無かった( 仮にこれが押し通されれば“全体主義者”である。が,一方に従うだけの“おとも”など有り得ない。)私の当初目的は夢見の明澄化,反に,私-自身の問題としても‘世事’には一切対処しないという,避難の傾向は在った. )

今夜そのような対処は無かった( “外界”フラージュ?には, )一度でも私-自身のイマージュだという見方に徹するべきだった。私の同一視していた‘自身’に,“かれらの振る舞い”を認めるのは非常に難しかった。私の中で引っ掛かった理由にも否定できまい。だから私は(回収しようと)かれらを吸い取ったのである。
これだが,未だに“私の”対処的だった。

[ 翌日,頸部の右後ろに少し不愉快な痛みが遇った。先週左の鼻孔に傷のようにかさぶたになって,鼻の先端片側にも(やや赤く)腫れていたのが,その痛みだけが右に移ったかのよう。右半身ストレッチの必要性が夜中-朝まで持続していたのか( 前夜,私は右胸を収縮しないように張ろうとしていた。)]

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2023-03-13: “この生活”
“女の子に背後から気がつかれる”ような能力には無用だった。仮にそのような“霊の力”が存在するとしても,おそらく動物本位,古来。人類の特質は自発的思考や明晰さ,でなければ,かつての類人猿?
{ ..1980年代頃までに語られた“超-新人類”という進化的のメタファー,一方に“滅亡”を問うようなフォームだった。}

[ 生物と心理的に視れば,ある生理機能が果たされれば,それとの自我存続の必要性ではなくなり,器官は衰え,生命維持の消極に変わる。]

すべては“元”ならなかった。

2023-03-16:
午前中,私は寝床で目覚めたが,私の右手にはその寝床に就いたときのままボールペンを(親指-人差し指との下に,書きの持ち方で)持っていた。その瞬間,私は“寝ている”あいだにも一定の意識は在ったのだろうと思った。
睡眠時間としては普通の長さだった。“起きて”いたのが私なのか,“寝ていた”のが私だったのか,夢などのあいだにペンはずっと右手にあったのか,それとも傍らに拾って持ち直したものか( 毛布下ではペンを指から指へと回せないので,寝際に私の意識的ストレッチングするには,私の腕を開いていなければならない。)

2023-03-17: 連れない車内
[ ..ある男との会話( 姿は無かったが“おはなし”声だけ,武士役人のような? )それから,横方向に,電車内-移動中みたような空間. こちらの正面に写し出された,なにか時代調の光景との,平らな地面と木製箱形のしっかりとした-暗い金具付き,..“厠”かもしれない-と“わたしは”言った( あとで,その光景の絵柄自体は無関係そうだったが.,私の推測に思ったには,便意の我慢されていた状態からの自動的なたとえかもしれなかった。)]
..わたしは左右反転したカタカナなどを書けるのだと( その声に向かって言った. )前面に白い文字幾つか浮かんでいるようにみえた。わたしは“ セ ソ( 直後その2文字は“ 拙速 ”の意味だとわかった )” ..“ 本質の- ”など(いずれも鏡文字のように)漢字表示された。
[ 不図,こちらに近い座席( 横に一直線の乗客用シート )黒髪ショートヘアーのちょっと見憶えな若い女性顔,そこに隣り合った学生か男子-白シャツ姿のよう。]
私は(意識的に)その女の顔に向かって‘ これは夢だ,と言ってくれ。..これは夢だ,と言ってくれないか? ’頼み言葉にしてみた( 私は既にそこに人間的なキャラクターとして視てはいなかったので,否定の場合もと思った- )彼女は応えた。その言葉に男は頷いたが,その顔は困惑か,陰ったような,汗ばんだ顔だった。“彼”が目覚めているのかどうか( あるいは,こちらを見ているのではなく,“彼”だけの妄想みたいなものをみているのかもしれない )..

[ 私は一度も“ 拙速 ”という単語を用いなかった( その夢との直後,私はその語をいつどこで読んだのか想い出せなかったので,霊感かしら?と思った。昔“大器晩成型”といったひとのあれで,むしろその対義-?との理想観であったかのような. )
例の如く,“女性”の顔は昔みた印象のようだが( わたしに気にしたことが遇った )実際には特定の記憶絵に全然似ていない。幾つかの顔と合成されたかのようだ。
以前“ これは夢です ”と(相手に)言い出すといったパターンは毎度同じ,あたかも私の不意に起きたものなので,それ気づいたきっかけ自体には不明だった。今回(おそらく)文字などに関して考えかけた処に在ったのだろう。]

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2023-03-18: “フェイク”の意味を問う( 反転夢 )
..居間のような室に通りかかった瞬間,Dボウイの歌は遇ったが( そこにテレビ画面のような )昼間の屋外で明るいスーツ上下姿の若い男が女の子たちのあいだを歩いている絵-( その顔は似ていない,その役を演じている映画だろうか? )
[ “レッツダンス”だったかどうか( 起床?直後にはその歌の部分が繰り返されていた )違う歌だったかもしれない.. 前日,私は“..HAL,応答せよ?”あのボウマンの台詞場面と,“..こちら地上管制,トム少佐へ”あのボウイの歌部分とが連想した( “応答-呼び掛け”といった点. )
私はこう書いてみて(つい今)初めて“ 自己の応答しない部分 ”というメタファーかも知れなかったと思いついた。
“若い俳優の絵”には憶え無かったものの,それも“フェイク”という意味か,わからなかった。]

道路上,なにか物品等の( あとで想起されたイメージでは“ 明るい色合い文字の本一冊 ”だった )みえたが,それらは実際にそこに在るのではなく,なにか疑似的なものである。[ その場面のあいだ,こちらとの左側後方( あたかも一定間隔にある,だれかのような )みているかのようだった。それは例の“分離”かもしれない。
たとえば“そこに(従来だれかと結びつけられていた)ある心象”については,以前“イメージノート”の話題として繋いだ覚えだ。
2012-10-10, ]

2023-03-18: 予定されている夢
前日あの“夢”記録に私の書き出す直前に,夢の主要な出来事のうちにも“自動的な-繰り返されるだけの(状況的な記憶)パターン”に因っている,という観点は遇った。如何にも,実際には思考能力に基づいてはいなくて,自動性の再帰したものに“これは私の夢見だ”言いますおそれも遇った。

私は“夢見”との動的な印象の心的効果にも夢自体の論理性かもしれない-と( 特に“夢”直後には )思わざるを得なかった。自覚する夢見こそ初めなり--思ったときもあったが,もし“創造の夢見”に取り掛かればそこには問題性的のミステリーも生殖官製との危機も現れただろう( 例えば,自称モラリストが,ある振る舞いの為に一斉非難されたように,観察者が直視できないとしたら,それらはもっと辛辣であったろう. )
ただ,あの電車内での“女性”にも何らかの像だったとは言っても,私は既に“自身との性向”という目的ではなかった。反対に,もし私の記憶に一度も無かった顔であったなら,その場で確認できていなければならなかった( 今回私は予め“彼女”に関する質問を覚えなかったわけだ。)

私は“夢場面のフィギュア―”に身体的に重なってみるというあのやり方が( 正体確認のために )合理的だったのかどうか?と考えさせられた。言わば,夢自体のその形,フォームドといったべきか,そうしなければいけない状況に際し-私の選択肢は無い-といったかのようだ!

夢見-条件的な状態-後退? :2023-03-23,