本体との遭遇?

2023-01-25: 本体との遭遇?(身体-,白いあらわれ)
(その一瞬,私は眠りかけていたのだろう)..夜道に小さな交差点,狭い車道の両側には一段高い歩道と横断歩道帯がみえる。私は普通自転車でのように左右-動き無いのかと見ながら進みかけた。その瞬間(また不安の繰り返されたかの,不図に,)その車道左側に来た-白っぽい前面(丸みの一面にフロントライト部分の互いに離れて円い,古いタイプ。)
私はその車両のようなイメージに(その隙に,再度)見ようとしたが,逆に,私の身体ごとそれの方へと急に“吸い取られた”ような感覚だった。
[ その直前“不安な一瞬”は(実際前夜までの)繰り返しに過ぎなかった。
以前“ これは夢 ”場面では私は何かの姿に確かめようとして合理的にそれに重なってみた。今回そのイメージに対して(能動的に視ようとしたとは言えるが,)私の取り込み動作ではなかった。その“白い車両”こそが私や自転車よりも本体だったのかもしれない。それは以前の“白い表れ”と同じ類いだったのか,わからないが.. ]

Q&A式 - 続き;

A: “意識的”といいながら日々ウソっぽくなっている。
Q: 意識的であろうとするの努力,それ自体かも。ぼんやりしてくる。
A: 実際に“他の人たち”がいた方がいいという意見も?
Q: 責任転嫁し合えるし。未だにランドマークなんかを利用するひとも多い。箱だけ作って中にがらんといる。
A: ところで,“個々の関係”って,信じる? ランドマークは具体的に人のように何か言ったりすることはできない。ある特徴的な写しでは遇った。
Q: “月”のように。
A: 月は暗がりの巨大な頭蓋骨であり,その眼窩に強風の流入するように,すべてを吸い込むだろう。
Q: 観音の顔とは言わなかった。でも,描写的なアイディアだ。..昔,暗黒といえば馬頭星雲くらいだったな。
A: 昔の名称さ。馬頭雲海ならしっている。白い雲の波のような動きから,まぼろしのように馬の姿が次々に浮かんでは走り去っていく.. あるイメージに(その何なのかを)直視しようと試みる,それだから-それだけに-難しい。あるイメージのそれはあたかも本物で,あらわれては吸い取ろうとしたかのような。
Q: もし“ぼんやり”の原因が自動的な動勢なのだと仮定したなら,“おはなし”の問題も同義に扱ってみては。
A: “おはなし”は確認作業の為だった。同一化されたのではないよ。仮に自己記憶に無い論理の発生だった場合,私はそれを見分けなければ無い。
Q: 記憶に依るイメージは合成-仮想される。
A: それらは二次的だ。連想だとしても,関連付けられるのはそれらの象徴的な意味であって,なんらかの観念にとらえている。
Q: 過去の記憶だとは限定できない。“おはなし”は予告もする。
A: 私は昨年“U情勢”について先に聞いてみようとしたが,“3月にはもう無い”と言っていた( 以前おはなし予告といえば,私自身の生死に関わることや,なんらかの印象的な強さがあっただけで,それ程でなければその時点で私の本質的関心にならなかったのだろう。 )先週モビルアーマー台数が派遣されると聞いたニュースの時に,当然予測も働いたわけだが“また航空隊もロケットも投入されるだろう,”それが最終的に何を意味するのかを本当に理解できているか?-質問しなければいけなかった。
Q: あり来たりな時局としてはその通りだ。P自身がやめなければ,R領内は汚染される。しかし,本来-自身に関係無いお話は無い,という原則の方がいいね。
A: 自ら“わたしのせんとう”と言ったのでなければ。さもなければ,また無関係なものを一々“自分”といって追っかけるトーカーぶりみたいなものさ。

Q: “意識的”になれないといったのなら,麻痺している。
A: 一致していないからだ。食欲があるとしたら,たとえば,どれがなにを食べたいのかを,私は選択しなければならない-というが,それら自体の変更は不可- わからないかもしれない。
Q: わたしはどれを食べたい!か。
A: それは‘私’ではないからだ。例えばカレーライスが食べたがる.. それは同一的,同一的でなければいけない-記憶された感覚との,依存的な行為だ。
Q: ..“彼女”が食べたがり,といっても同じだと。
A: ..“触れないで”というのは“触れてはいけない”のだろう。おののきはラポール現象のあれかもしれないが,強制的な運動にはできない。
Q: 抵抗する“私”の意識性といったのなら,非観念的な運動は生物的な死と同義かもしれない。
A: 結局も無く,P自身やGの性能次第は何も人類に出来なかった。
Q: P自身は食べるとは言わない。
A: Pは導管だ。

Q: .. よくある“意識的でありたい”といいながら意識的になれない状態の問題を,云おうとしていたのでは。
A: しかし,ただその状態といって観察できるのであれば,‘夢だ,私の精査する’という条件点けも可能だろう。
CカスタネダのdJは“ ..自身の両手から始めて,夢の物をいっぺんに見るのではなくて,ちょっとずつ,ちらっと見るだけ ”というように指示していたが.,如何にも勿体振ったやり方だ。“イクストランへの旅程”には,たとえば彼の“エネルギーを直接見る方法”として,目の焦点をそれに合わせないでちらっと見れば-といった言い回し,その傾向は幾つかの行に共通したかのように遇った。
Q: おそらく,じっと見ようとしたら像は変わってしまう,という前提だった。dJとしては,観念的にはしないでそれら自体に眺めるようにして視れ,と言ったのでは。
A: 心理的な焦点の問題として言うのだとしたら,たぶんも,夢のリアルな表れ自体に圧倒されてしまうような-初めてのひと向けだった-という理由になる。
(以前私の夢での場合,)一度,ある部室等の入り口みたいな造りに,一方の壁に幾つも表札みたいな物の付けられてあるのがみえた。私は数分間も見詰めたかのようにその文字等を記憶してみようとしたが( あとではそれの数個以外ほとんど想い出せなかった, )その光景は全く変わらなかった。なぜ(あのときに私は)その壁以外へと注意してみなかったのだろう?
Q: 仮に,もしそこに“別の誰かが”現れて脅かしたりしなかった..
A: なにかが現れたのなら,それは変化だ。むしろ,その場の変わらない印象の方が恐ろしかった。ある屋内の閉じたカーテンを開いて窓外に見ようとした時にも,なにも変な点の無い,普通に建物等の光景みたいだった( それは動かなかった., )だが,何よりも先ずに(私は?)その場に振り向いてみようともしなかった。
Q: “光景”に依拠していたのか,圧倒されていた,それとも..
A: 従来のわたし-普通の性向ではあった。以前自転車で町に行くときに予定の道順を見失ったとしても,先ずはその道順通りに間違い点へと引き返したりしなかったからね。真夜中に初めての暗い町内通りに入り込んでそんな間違いを繰り返していたら,単にぐるぐる回避してしまう。
Q: ある地点でターンしては前方の具体的光景と視ながら“戻る”のは簡単といった場合も,例え,一旦停止して背後にそれまでの道順をひとつずつ戻しながら‘逆行して視る’としたら,難しいと。
A: 道なりに記憶的に後退していくとしたら一通りでいい。それまでに幾つかのルートが遇ったり,同時に既に周辺地域が遇ったりすると,それらが想起の障害になってしまうかも。


Q: まえに“時制の違い”といった,その点から見て,‘夢見’へと向かう意識の有無や同一化されたものへの問題として,検討できたのではなかったか。
A: Pにはヒストリー性かもしれない。
Q: それ-Pについてなんらかの根拠としたなら,繰り返しに依っている。先ずも“これは-”といった瞬間,それだが,既にそれは過去生活なのでは。
A: 月面着陸できなかった。
Q: 月自身の主導という言い方は無かった。意識的であるために,要するに鏡像をみなければいけないと,それは反応性であって,“意識”たりえないのでは。
A: ..まだ観念的すぎる。地球上の地図を逆さまにしたり回しながら視たりすると,本地点からの印象が変わる。

未完

2023-02-03: 空間意識?- 空中に取られた
私はこれらのメモ用に使っていた旧ケータイに私の一年まえの記録を視ていた。室内のテレビに偶々“世田谷一古い洋館”の絵が映っていた。不意その一瞬,ケータイは“私の手から取られたかのように空中に跳ねた”視覚的イメージではなく半ば感覚的かのようだった。私はその建物には知らないし,それが吸い取ったのではないだろうが,“空間的に意識する”ということは,逆転的な現象なのだ。
(“分離”は本来心理的には有り得ない。-あとで,これのメモ中ちょうど玄関付近に物音気配が遇ったので,私は様子をみた。)

2023-02-02:
‘ 身体感覚の夢 ’はすべてに先んじて条件化する