黒い馬と母 | 潜在的もの?

2016-07-30:
テレビに画質の甘い“ GODZILLA ”が放映されていた。心理的な面が無くて最低だったが、最初に“ ゴジラ ”が海中からやってくるという場面の絵で一度だけ私の左脚が動いた。ある潜在的ものという言い方か。

私が夜1時代に自転車を走らせるとなぜだか路上の若い子たちが一々笑い声を発した。なにか別の論理が働いているか、私が昨日‘ 彼女 ’をしなかったので私自身に眠気と緊張があるのが心理的レヴェルで影響したかもしれない。この場合‘ ぶれている ’のは私の側だという見方だ。実際、名古屋駅前から大通りを飛ばしているといつになく心臓にきたようだ。道端からまた白子みたいな顔の若い男子がなにか言い掛かろうとする? 
しかし外的状況としては私がかれらを持ったり負ったりしなかったので( もし感情的な受けを本筋に替えてしまえば、私は終わる )私にはやさしい。
ツールのための自由通行、誰にも声など掛けられずにまっすぐ段差無い路面を私の速度でただ走れるだけでいい。少年少女の不自由・退屈などは今更私の問題にはできない。( 自転車の私の貼り紙‘ ゆめみのじっせん ’の宣伝は副次的なものだし、いつでもだれにも私が何なのかをこうしてネット上で示せるという処ではある )。

2016-07-31:

あらかじめ効果の可能性を置き、実行する。今は0時前、明日は7月末。私は出掛ける前に砂糖多めに溶かしての水を飲んだ。すると、右膝に感覚があった。まだ左足が抵抗しているようだ。これは赤ちゃんの時に踏ん張れなかった足だ。
時間が中途半端なので( また道端の若い子たちが変なぶれがあるといけないので )テレビにテニス試合-N選手の分身を視てから3時過ぎに出ようと思った。
なぜ左足には‘ 心理的栄養分 ’が通じにくいのだろうか? 未だ私のものではないから‘ 私の足 ’とは言えないが、なにをここに頑張る? 
私はお茶を煎れる度に一旦沸かした湯に温度調整してから( 鍋に緑茶葉を直接入れる )そこに毎回“ 茶柱が立つ ”のをみる。それはそれだけだ、物理的なことに対して他のたとえは無い。( 自分がプールで泳ぐのと同じ )。
しかし、この左足は自由にならなければいけない。

放映視聴後、自転車。結局4時前。どうしても左足に通じていないようでその足先までの冷感は如何ともし難いと思われた。N駅前( 前の夕方に一度だけ走り過ぎた )やめてSg町交差点から南へと直進・直角にS川公園前からOt通に入り錦側を走りぬけた。いつものN城付近を逆進行で西区側から戻るがこの左足の冷感は変わらなかった。

帰投までほんの何百メートル程の路上で私はこの体右側の脇腹に比べて左側のそれがゆるんだように緊張が無いと気付いた。それで私は左右均等に脇腹に気を付けてみると左足の感覚がついに右足と対称になったようだ。だが、脇腹の筋肉どれがどう作用しているのか、この体の仕組み的に覚えるには実験が必要だ 〕。

2017-04-01:
‘ 真摯に活躍する。私はねむらない。’私は本当にそう言ったのだろうか。

グレゴリアン・チャント( 程-音量,歌詞はわからないがピラトとイエスとの会話 ),私はこの体を休めようとしたが、この両足を楽にまっすぐに伸ばそうとしても、少しもやわらがない。不意に、ビザンティン様式というのか、古い教会のドーム外面みたいな、その上部円周に窓などと少しばかり色分けされたやや装飾的なブロック等が付けられているような形とみえた。

2017-04-02:
・‘ 夢見 ’可能とする処の、意図的なモチーフ。

いつものインターネット端末が数日前からJimdoログイン不可だった。私は午前中に別の場所パソコンで試して漸く日記等を書き込めたので、午後に再び就寝した。
何事も無く17時頃に目覚めて直後、また胃に不愉快な痛みがあった。ちょうどボール遊びの少年たちが帰宅移動するところの音声か、そのひとりが“ うー! ”と奇声を発した。私は個人的に体の寝起きというだけで、別に彼らの問題と思いたくはない。私は介在しないが、{ なにか胃弱か横隔膜の痛みがそれと関わっていて一々訴えるというような障害があるなら、私は私の体の安全のために上書きしてでも私のために }正しく更新しなければいけない。
私の路上に“ うー!うー! ”いったような子たちのそれは別のだれかの遠因かもしれなかった。〔 私には例えば“ バカ笑い ”の子たちが一定の誰かからの影響に因っていたという見方がある。それはかれらのそれには個々の者たちにしては均一さがありすぎるからだ。ある水分のように浸透するなにか( だれかの原因・ベクトル )があるのでは?という質問に基づいて、潜在的な動機に対する。
私がこのような問題を放置できないのは‘ 人心は必ず育つ ’という理想があるからだ 〕。
しかし、私は私自身の原因には、たとえば“ 母親 ”を反転し解消しなければいけない( この場合には体のそのような痛みが意識されなくなる )。私自身に‘ 先生 ’という委譲があれば、( 普段私の右こめかみと目蓋は緊張させられているかのようだが )拘束を解いたように楽になる。

私が認めなければいけないのはその“ 母 ”か? 

“ ピラトとイエス ”というので私にはデヴィッド・ボウイと黒い馬のあの映画場面が想い浮かんだ。それで久しぶりに“ 最後の誘惑 ”本編とビデオで視た( スコシジ監督の映画と言えば最近の“ 沈黙 ”にも80年代来の久しぶりという言い方だが、未見 )。これ・これと想う。川の水に浸かるということにミステリーが? ( 私は私自身にはインナーサークルを無くそうとしたのだが )あのイエスは無人の地面に輪を描いてその中に座して“ みよう ”とする。“ 宗教( 原型 )体験としての夢 ”という言い方は既に懐かしい時代のものだが。私がひとつ環境になれればよかった。

私の右側をこれ自体うごかす。私の41号線では今でも自転車加速が点きやすい。私が先に意をした通り、右側が出揃って両足が均等にペダル等を押さえたので私は昨日の走りの時よりも自由加速ができた。

2017-07-31:

私は私自身に‘ 先生 ’自称と定着しなければ死ぬ。先生は常に私の目的心の先にある。
例えばこのまえ道端-私の通り掛かりに“ ウー!ウー! ”言ったり一々ショッカー集団のような奇声を発したりするような男子らがいたが、それらの遠-源は( 私のきいたおはなしによれば )別人の文字打ちに関する苦痛であったり“ 僕 ”と言っているオバアサンであるという。それが私に対して具体性があったかどうか私には不明だ。
私はまた交差点で私の顔をみようとするような婦女たちにも変態と思っただけで( 昨日も偶々東大曽根で‘ みるな! ’と言おうとした )私には要求は無い。私は一生“ 欲 ”には働かない。

ところで、私は午前中遅い時間に本山・八事-間を上り下りして戻りかけた( 陽が上がっているので私は片道だけで山中交差点へと下りようかとしたが、そこで一応本山まで一周することにした )。八事日赤病院北への途中、パトカーが前に停まって署員が歩道上の私を止めた。例によって彼らは“ サドル無し ”のわけを聞きながら防犯登録ナンバー照会していたが、初めに“ 昭和署のムラマツと申します ”と言った方がなんでか私の自転車のホルダーに入っているペットボトルなどを気にしたようにその中味はなんですかと2回も訊ねた。私は市販のジュースやソーダ類からの混合だと答えたが( その場ではそれらの名称等を想い出さなかった! それはうちの領分であるから? )、その質問にどんな論理があるのかはわからなかった。照会が済んで私が行くときにMさんはなにか黙って半分あの世にむかついたような顔をしていた。
私は‘ さっき素直に片道だけで下りればよかったのだろうか ’。以前も私の強制的な道でいやな目に遭ったこと度々だった。しかし? 
そのあと私は私自身に質問し続けて漸く私が先日N選手たちのテニス試合視聴中・合間そのペットボトルの蛍光色にみえるような中身を疑ったのが反対の質問になったのだと論理的に思い至った( そもそもその疑念自体が他の誰かの念的誘因かもしれなかった )。ということは、もし私に疑念を掛けるような者があれば今後質問されるのは純粋そのひとの番だということだ。
私は違法は冒さないし隠すような問題も無かった( なぜだか私は“ 一週間に2回も訊かれた ”と答えたが、それ自体は別の問題からかもしれなかった )。私は自転車ルールを冒すような者を取り締まりたくても未だにぜんぜん認知されていないし、むしろ街での勝手な保安官ぶりと過去からの嫌がらせで返されたような前例がある。

私の背中に日焼けしようとしていたら、懐かしいあの体自体の‘ 振動 ’のような感じが起こった。悪くない兆候だ。もう一度英語にもやる気があったようだ〔 両膝上に注意がするとき 〕。

午後夕方まえにもう一回あの辺までサイクルできるかなと元気そうに思った。が、立とうとすると右踵上が痛んだ( ストレッチが足りない )。私は昔うんどう会の“ 競争 ”には毎回どん亀だった、私は“ 走ろう ”とはしなかった。

2017-08-01:

体のうんどうについて、“ 引き締め ”は無駄なだけでなく身体的に良くないとわかった。私は私の右半身に“ 緊張させ過ぎた ”という間違った句を持っていた。これは“ ハイ・テンション ”ではなく“ 収縮 ”のようだった( 抑制化されたものの由来? )。私はこの右半分に関しては家族-観念や“ 勉強 ”記憶そのものが蓄積し今なおそれがその部分の主体だにさえ思われるのとを察してはいた。アキレスが亀自体ではなかったのだというのと同じように、私は右手自体として発揮できなかったと言えるだろう。だから、あたかも砂にその腕を振り続ける修行者のように、これ自体であろうとするのだ。( しかし、右側自身のポテンシャルとする可能性は在る )。

いわゆる“ オバアサン ”が生殖の側なのかどうかという問題に、私は最終的解消を致すだろう。私は“ 生殖-本能 ”という同一視をやめた側だからだ。しかし、このために性欲が基底に有るようなキャラクター的な活躍や夢の存在感には私は放棄したという現状があるわけだ。私は一生他人にエッチの問題にはしないし子作りもしない。必然“ お坊さん ”と“ オバアサン ”との最終せんめつせんとなる( ザ・エクソシストのベッドシーンみたいに,但し、内的に )。これまでに男子女子の“ 発狂 ”という型-形態のような外部からの表れとなっていたものは、再び個人的に解決されなければいけない。

私のおはなしの始まりは( 98年頃,一定の印象に近いもので、私には未だ言語的ではなかった )、ある老婆の末期-病床まわりに悪鬼のようなものどもが待ち構えているという、まさにその最初ではなくラストシーンとも思われるような象徴劇のようでもあった。( しかし本来なら老婆は無欲とみなされるからそれがヴァムパイアー餌にされるような理由は見当たらない。これには誤解がある。)

2017-08-02:
朝。両足うんどう。生まれてこのかた未だいっぺんも伸びたことの無い、私の両足のために。立ち・歩きを換えるように、この筋肉・神経も作り換えしなければ。

2017-08-03:
私はいつも膝を着地しないでしゃがむときにこの右足側だけが動いていないかのように感覚‘ 弱い ’だったが、どうしてとは気が付かなかった。私は今朝うんどうまえに鏡の前に立ってみたら、なんともなく眠れない夜のうちに姿勢が崩れていた。それで私は両肩・上体を起こすように取り戻そうとしてみた。しかし、両足の短さだけは変わらない。私はヒップの両側下あたり( 脚に近いところに )少し緊張させてみた。尻は無ければいい、若い時の体型に似ている。
それから私はもう一度しゃがんでその緊張させてみた部分にこれを繰り返してみた処、この右脚にも感覚があった。
心理的-右脚-移し :2018-12-15

私は前回‘ いやな目に遭った ’と泣き言を書いたが、私の体に‘ 目 ’が無かったのと同じように、なにも見えてはいなかった( こうしてお手洗いにも澄ましたあと )。