清潔

2022-09-21:
更に,‘私’人物-否定し観察する。

2022-09-20: 一体のパーツ?
久しぶりに一見夢らしいイメージは遇った;
〔 若いYの顔,肌色白く,少し年上っぽい外見,昔-同窓生 〕..夜空に見上げたところ,やや青っぽい背景に暗い人工的な形( その大きな長方形-半ば立体の,両側水平-ほぼ等間隔に幾つか梁のような形。全体に暗く表面の印象は無かった。 )その長い両辺の側,一対の(明らかにジェット旅客機の翼のような,円筒エンジン部分付きの)両翼は出ていた。
[ -“プラモデル”といった連想が基かもしれない。ある同窓生の顔印象(Yはわたしに一度“戦艦大和”のプラモデルを見せた.)
時期的には“未知との遭遇”の直前頃だったのだろう( あの主人公は線路際で光を浴びせられてから再度夜空に見上げた処,しんとした暗がりになにか部品等の付いた移動物体がみえる。 )
記憶イメージとの“合成”だろうか。
“旅客機の両翼”については,前夜テレビニュースに“台風接近につき各便欠航”という見出しで,無人のようにみえる空港内の夜景は映っていた( 建物外側に幾つか乗客用の乗り入れ通路だけがみえるが,機体は無し. )
私の記憶には(昔,あるテレビ番組で“ 未来進行催眠に拠るヴィジョン ”に遇った)“ 空港,機体の最後部にだけ翼が付いている形の飛行機.. ”といった描写に面白がったこと。
最近それが想い出されたときから,普通の主翼-尾翼型ジェット機とのイメージ的な比較は起こった。 ]

2022-09-19:
私自身おはなしには“ -です,-ます ”言葉の方が良いと思った。私は私の文体に読み直してみたときに,どうしても否定形が後に付くので( 日本語型の問題ではあるのだが, )“わる”の否定という文脈ででは,あたかも“うつな!”のように,“う”の号令で発泡が起きる。
[ 昔,アシタカの台詞に“動くな!”といった場面は遇った。私は一度単純に疑問符を付けて日記に書いたきりだったが,あれは彼のその腕に憑いた“たたり”の力を借りて動いているといった処でもあり,それ自身に動くなと命じている?( あるいは,その場のすべてに有機的である- )という見方もできた。
但し,“たたり”に関する論法と言えば,“私は呪われている..”といったような,なんらかの自己症状的なものばかりで,そんな迷信にも映画の類いにも真-超常的な説明は無かった。 ]
私は街頭で詰まらない物真似をしたような振りもあったが,自身に理解できるまで“うつな!”と言い続けてみても良かったのでは。

ある路地裏の一隅に視たかのように,正面の行き当たりにコンクリート4-5段くらいの(あたかも古い堤防に付けられた型のような,手すりも何も無い)階段。おはなしは“コウエンジだよ”と言ったが,たとえ東京かといっても,あるのかわからない。
私は近所の電鉄踏切に(その一方側に)その擦り減った踏切の板越しに直接急なコンクリート階段と短い行き当たりの下り坂へと続いていた場所のことを想っていた。そこはある河川橋からドーム球場傍への最短の路地なのだが( その方向からは坂は見えない. 判断無しの子は勢い自転車ごと落っこちるかもしれない. )なぜ古い形のまま放置されているのだろう?と思う程に,警告の立て札も何も付けられていない。

2022-09-18:
外部-身体は(これ自ら食えないときには)老衰の危険だという見方。

2022-09-17:
おはなしに依ると,84年頃には既に“ コウシロウ先生 ”という呼び名を知っていたひとがあるという。それも24年迄で(“破砕”が来て,私の命は)一旦危うくなるという。

制限された朝
“目が覚めて”みると(もう朝方かと思ったが,24時過ぎ,)偶々のテレビ番組は映りたがりというより,どれもおかまみたいだった。
あたかも疲労しているかのように(やつれ顔,なんでか)肉体自体の動きにくさ。ちょうど返却まえにコピー紙にしておいたジャネの一節に読み直してみていた(一々の推測には,動機の根拠が弱い-)科学的手法の必然性と言ったがも,これは軽度のヒステリーというあれでは?と,倒置しながら。

おはなしにも同一は不必要だ( 私との因子化する必要性は無い。 )それの“不潔”なら,ただ清潔さのために処すればいい。

2022-09-16:
昨日の午前中,私はいつも通りに遮光袋を被って自転車を動かしたが,途中(奇妙なことに)なんでか一見まだ若そうな単独男性の興味半分みたいな“声掛け”路上に数回遇った。
あれらが一過性の“衝動”なにかに過ぎないとしても(私には)どこからの突発なのか?という連絡原因の問題だった。
私自身に明晰夢見方法定着するのが先決である。

例のシドニーローゼンの本に,“いつも親指吸いの女子15歳”にエリクソンがどのようなリフレーミングの処方をしたか,述べられた部分が遇った。
私は“あの笑う少年たち”を制限し排除するべきだという警戒的な関係に,自己の仕事として持つことは一度も無かった。私の質問ではなかったなにかを一方的に何年間も背負わされたようだ。
この何年間か,一応グーグルなどでのヒット率は次第に上昇しており,路上看板の必要性が,ある程度の物理的な問題だったとしても,いまさらに街のルックに気にかけるような理由は無い。“彼ら”といった象徴的な投影とともに観るのは私の本意ではなかった( -それも,あるいは母親たちや婦人たちからの望みだとさえ思っても,おそらく幼児期からの問題だった. )

明晰さと中心理への道程 :2022-09-21,
( 子どもの発育と“症状” - “笑い”の貧困 )