無題(おはなし予告?)

2023-01-29: 自己と不親
マイナポイント受け取りに用いていた電子マネーに,私は昨年末27日迄に現金3000円だけチャージできたのを主に1月中に使った。去年マイナポイント関連のページには“ 電子マネーへのチャージから買い物利用した分のその月28日までの合計としてその25%がその翌月28日以降にポイント付与される ”というように書かれて遇った。しかしコーヒーカレー代に足りなくなったので私は一応ポイント数をお店のA銀行端末画面で確認してみた。その夜,通常よりの“ポイント”数-表示には入っていなかった。“やはり今月使用分からの合計に掛かって来月送りにされるのでは? だが,来月28日以後ではポイント自体が期限で帳消しされて本当に受け取れなくなる-?”
[ 2023-02-追記:チャージまたはお買い物の期限も2023年5月末までとなります.. ]
( 私は去年“ コロナ禍は第9波まで,私のワクチン接種回数は5回分程 ”という当時のおはなし通りに日記に書いた。..だが,なぜだか今回その電子マネーのポイント数には予告なかった。)
その帰り道,ちょうど自転車-前タイヤに久しぶりにパンク発覚したのも“運の尽き”みたいな印象に返ってしまった。先週以来,雨と冷えとで傷んだのだろうか..
寒気にふるえなくもその皮を開いてみたら,チューブは例の余ったかのように内部に折り込まれてちょうどその寄せられた痕跡の部分2つピンホールだった( それらチューブはどれも少なくともゴムパッチ5つから7つで2年程もっている。)
今月そのポイント数の表示とポイント数のチャージ専用ボタンとが一画面に表示されない形に分けられていたことも遇ったなので,試しに“ポイントサービス”以外を開いてみたらよかった..

私は“ 心理学的自動症 ”に陰性幻覚の行を読んでは今日それだけが唯一現象みたような面白みであった。たとえば(ビネとフェレに拠る?)..
1. ある夢遊病者に、たとえば「X…氏がいなくなった」という暗示を掛けると、その患者は、部屋のどこにもX…氏を見ることができなくなる。X…氏に帽子を被せて、この帽子が暗示の中に含まれていないと、その帽子が宙に浮いた形で見える。逆にX…氏がポケットからハンケチを取り出すときは、そのハンケチはX…氏と同じように患者には見えない。私自身も、この著者たちが指摘しているものと同じ現象を観察する機会があった。それは、この二つの現象や同じ種類の他の現象が患者によっても変化するということである。ある夢遊病者にはX…氏に付随している対象物はX氏と同じように見えなくなるが、別の夢遊病者にはいつも見えている。一度だけの経験であるが、対象物が二つに切断されたように見える患者を診たことがある。対象物が、見えない人物と見える人物とによって同時に身につけられていたのである。
2. ある人物や対象物を暗示で見えなくすると、その周辺のものまで見えなくなる。しかし夢遊病者たちは、見えなくなった対象物を幻覚で補おうとする。それは、網膜の盲点に像を結ぶようにしている私たちの通常の機能と同じものであろう。そのような幻覚が進んで、「部屋が見えなくなる」という暗示を掛けたとき、それに代わって話題にしたこともない別のアパルトマンの幻覚を見ようとする患者がいた。
3. 見えないとされる対象物も本当は感知されているはずである。その対象物の補色からなるイメージが見えるときがあるからだ。「赤い紙が消える」という暗示を掛けると、夢遊病者たちはその紙が見えなくなる、しかししばらく時間をおくと同じ場所に緑がかった色を見ることがある。
..(第2部-第2章_I)

ジャネ著からの引用-続き; “運動麻痺と感覚麻痺との関連”

翌晩,タイヤの凹み具合を測りつつ再度あの端末画面に見に行った。インターネットにも専用端末にも一度もそういう説明自体として表示されなかったので,案外不親切なんだな-と。

意識と刺激反応に問う - Q&A,

2023-02-06:
現在の意図以外すべて自動的なものは無意味だ( 諮りごとがそれ自体のY/Nを持って論とする。
“それ”は無視してくれとは言えない。だから,あたかもトーカーのように振る舞う。 )-用が有るから話しかける..それは夢なのだろうか。
“世界=私”といっても良かったが,その場合には世界自体の麻痺,私は病弱みたい(-ある“状況”といった幻影,すべてこの通りでない状況は“症状”だといったように,)それが私-自身の咎だった。“私”もまた同一化された幻想であった。

2023-02-08: おはなしのお話
朝方未明,少し気温が遇った。久しぶりに厚着コート無しで自転車してみた。“ そこから西へ行くと.. ” N駅沿いからS町方向といったあの以前の簡単ルートを行ってみようと思ったが途端に,おはなしはやめるようにと言った。市の西側になにかの捜査があるので今近づかない方が良いという。そのお話によれば,平清盛がそのような“あるところを通ってはいけない”警告を無視して突っ切ったが為に“害した”という意味だと(-?)しかし,私の問題は無い(合戦のお話よりも,今週“旨えびキムチ”の値段に言った方が余程良心的だ。)
もし“予知”が後時点の事実からだったのなら,私は今回その辺を通ったに違いない。だが,通らなかったのだから,この場合“予知”ではない。それならば,それは危機感自体に因ったのか( それの原因は? )私は自己還元説に基づいた明晰さ以外には無関係,“読書研究-能力メモ”には遡及しない。なんの記憶心象に因ったのか?という純系心理的な質問の方が正当だ。

2023-02-09:
昼間放映されていた映画(わたしは17年程まえまでにCS放送の絵で視たきりで,場面場面の絵や繋がりは殆んど憶えに無かった)ある屋台通りのシーンで,陶製の猿みたいなものが並べ置かれてあるような絵が遇った。私が“猿か”と言ったら,即に“お猿とジーンズだったら”おはなし言った。私は自身の皮肉かと思って笑いかけたが,その次に映った屋台では本当に“ジーンズ”といっていた。そのあと,少女がフライドポテトを食べかけた処で(向かい席の男性は次の瞬間その皿がもう空なのをみて驚く)私のおはなしは“ムール貝”と言った。直後その皿にムール貝の一杯(私がまえの偶然を気に掛けていたので,それについては台詞に“ムール貝”と先に言いかけていたのに私が見逃したのかもしれないとも思った。また,ムール貝だというこちらの思い込みかも判らない。)
私の印象に残っていた“エッフェル塔のらせん階段を下りていく少女と男性”という絵は,もっと背景に街を見下ろしたようにみえる引いた視点での広い画角だったが,あるいは横長サイズ画像だったのに両端切りされたものだろうか?[ ある男優が青っぽい光に照らされて変態っぽい顔で独り演説するような場面が遇ったという記憶も,わたしが視た頃からの日記に書いた覚え( 今おはなしは“-そのあと彼はうちころされた,”“それは2008年だった.” )今回放映には無かった。私の絵にならなかった部分がおはなしとして言ったのかもしれない。 ]