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偽者の偽者,外皮からの嘘

2023-04-03:
“キャラクター”すべて(偽の)ある反応であるという処からの,再確認( ひとつの静寂との反対. )

..夜道の途中(路上)わたしの両足で走り上がりだしたが( -左側に別の陸橋か,白っぽい手すり部分の並列しているのがみえた。)わたしの自転車を離れて行ったら途端,置きっぱなしになってしまう..。
〔 “場”との対象は(状況的な)なにかを忘れていたという意識に依って生じる可能性がある。これには自転車との身体性だったというべきか?(わたしは滅多に両足で駆け上がらないので,陸橋上での走りに自転車の無いのは不自然だというその状況。)
なぜ“歩行し”走りだしたのか..? 〕

2023-04-02: 箱の方形( 要-不と不-要 )
私は特定商品見比べのためにイオン何店舗か自転車でいっぺんに回ってみたりした( 以前,真夜中にマックス5店舗みたりしていたが,今回,スタイルやタウンの食品フロアと比べると更に200円以上高いものも遇った。)Bドーム傍へと向かう直前,おはなしに“球場からの帰り客たちがある”と(うっすらと)聞いたような気がしたが,構うことも無くMBの向かい側通りに出たら,本当だった。
私からは二度と面倒臭い空気自体には通り抜けなかった。歩道歩きの者たちの間にひと組だけ(私が車道際からその店舗前へと行きかけたとき,ちょうど私の斜に)“イケダさん!”と声を揃えたように言った小学生くらいの男子グループがいた。去年,ある職質巡査が変にしつこい訊ねをしたあの時以来だが,私は本当に心当たり無かった[ --例の,うんどう4(“断片(abroute,)”からのページング:2021-12-)参照のこと; あの晩よりも朝のうちに“I会長”モノクロ写真のようなイメージが遇ったのは,その夜との間接的な“予知”かもわからない。私からは無意味だった。私からは何々会員の勧誘にも私一個人としての無関係だと断って以来なにも言いかけてはいない。“嫌がらせのような質問を永久に断るだけ”と言う以外には無く(実際,あのあと一回だけ,素直そうな,にこやかな巡査たちに普通に聴かれたきりで,終わったかのように以来一度も無くなった.)私にとって象徴的意味も無かった。]
少年たちが理由を説明できたとしても,どのみち私の問題ではないだろうし,私は現に世間に誘いも関わりも持たない( 私は自転車で通りぬけても無反応だったし,店内従業員たち,普段よりも黙ってそうであった。仮に,おかしい素振りが遇ったなら,それは時間の流れに逆行しているんじゃないか?と,私は思いに.. )
私が路上に“ めいせき ゆめみの じっせん ”看板を出さなければならないとしたら,まるで彼ら理解の無さゆえで,そう言ったとしたら,サードとの順序が違う。
[ 私は反転像よりもストレートに“ 生まれたとき(までに無視する)私を目覚める ”と言ったら良かったのだろう。]

人物的(型の)関心は無駄の始まりであった。- “型”は自身の写しであり,自身の特徴である。

いい“お買い物”
次の夕方(今夕)またイオンタウンの閉店時刻みながらマックスVなど5店回った( モカ豆が欲しかったのだが,チャージ残り600円は無かったので,調整に苦心した。)
行き来で30km程,最後に6店目,近所のマックスで,トップヴァリュ-グリーンアイ印の物にした( 私の決めるまえに“ それには,もっと焙煎したくなるけど..難しいだろう ”と,おはなし予告してはいた。私は先日時々トースターにコーヒー豆を入れてフレンチめにしようとしたが,毎回電気代を気にしながらだった。そのモカ豆は非常に軽く,油分がまったく無いかのように,一見変化しなかった。マンデリンのようにはできなかったのだろう。)
連想的に憶い出されたのは,ハタイまで行ったのにそこではあのオリーブ石鹸を買わなくて( 当時そこでの旅行コストは都会の数分の1以下だっただろう )あとでイスタンブールに戻ったときに“お土産”として買ったのだった。

2023-04-04: “我々のキャラクター”
おはなしに拠れば私が“オバサンの嫌がらせ”を改訂するには私が“父”の側を通じなければならないという。
しかし私は“共有現象”には一生乗らないつもりだ( 私は“遠隔催眠”に関して参考として読んだが仮に一方的な目的で利用されれば人ころしのような残酷な行為だ. )経験は一個的だから意味となるので“同じ子たち”の謂われは無い。
“集団”は無いので私の構う理由は無いが関知し得ないでは致し方無し( -例えば“イケダさん”呼ばわりに対して実際的にそのままを愛知県警に返してしまえばいい. )私の関与ではないことは先ず子どもたちが健全のためにこのファイルを通して知っていなければいけないことだ。
もし若いひとがたったひとつの事実を認めにくいとしたら..

与えようとすると,妥結している?
妥結.. “秘- ”といったべきか,自身の写しに念じられたものは,見とめられない“夢”と同じだった。

2023-04-01: “目覚め”
事務的な室内か,やや雑然としたデスク上,なにか紙の折り畳まれた宣伝用リーフレットのような形に,幾つか立て並べられてあった。その白地の表面両端には縦に青い一定幅の破線が付いていた。わたしがそれの一枚を手に取った瞬間,両目蓋閉じたままわたしは視ている?- わたしは両目を開いてみた。紙の破線は青ではなく,黄か赤のような色だった。そこで女子たち数人にわたしは“この両目を閉じて視ていた絵では青色だった”と説明しかけたが..

擬性の目覚め: 2023-01-15

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2023-04-06:
ピエールジャネ著“ 心理学的自動症 ”[続き;]“衝動的狂燥”の見出し,
個人的意識の薄れるときに動き始める自動症的な機序,ある衝動的な(患者自身に拠って抑えられている)発作に関して述べられていた。そのように当人は“衝動”自体に対して意識的であり,恐れたり抵抗したりする。
著者ジャネは(通常意識と,暗示された行為の働く下意識について,それら衝動行為との比較に,)再び夢遊病の患者に関して次に描写した[ -私が引用するのはその数節が私の最近述べかけた心理的問題とちょうど合うからだ; ]

..ある日レオニーは、夢遊病状態の中で「一通の手紙を受け取った」..翌日彼女は、十分に覚醒した状態で手紙を持ってきたが、やや不安げに次のようなことを言う。「この手紙で私にどんなことが起きるのかわかりません。手紙を持参するために、私は三度手紙を手にしてみました。毎回ポケットから取り出し、握りしめたのですが、自分ではそのつもりもないのに三度もそうしなければならなかったのです。手紙はまだポケットにあります」.. やはりレオニーに、「ル・アーヴルに帰ってきたら、ある紙包みを持ってくるように」..数ヶ月後の、彼女がル・アーヴルに戻る準備をしていたときである。旅行カバンを閉じようとして、その中にかなりかさばる紙包みのあるのに気づく。..しばらく後にあらためてカバンを開けてみると、その紙包みが入っている。..また取り出してカバンの外に取り出し結局紙包みは持たずにル・アーヴルに帰ってきた。ある青年の場合、催眠を掛けて、「目が覚めたら、どんな体験をしたのか、その印象をそのまま話してくれるように」..かなり深い催眠状態にして、彼に「テーブルの上にある帽子を取りに行き、それを私に被せるように」..そして目を覚まさせた。先の取り決めのことを尋ねると、何も言わない。すべて忘れている。さらに奇妙なことに、三十分ほど彼に幻覚を体験させていたにもかかわらず、「先生はうまく自分を眠らせることができなかった」..その後しばらくして、この青年は異常な顔付きとなり部屋の中を歩き回り、「軽い頭痛が始まった」..しっかりと私の帽子に近づき手にはするが、それをひっくり返したりして最後には投げ返し、「ああ、先生の帽子で自分は何をしようとしているのでしょう。ボクは何をしているのでしょう」..
レオニーのように暗示を受け入れるにせよ、青年のように拒否するにせよ、その行為は患者に意識されていたことになるが、その意識はやはり二次的なものであり、暗示の本質は下意識の領域で出現するものだと私は考えている。暗示を掛けられたという記憶、暗示行為を遂行したことの認識は、やはりきまって心理現象の第二層つまり覚醒時にも存続している夢遊病状態の人格に属しているはずである。暗示された行為が始められ、半ば遂行されるのは、通常の意識から解離しているこの第二層にある運動イメージによるもののはずである。..自分が遂行した行為の結果や単純な四肢の動きは、やはり第一人格も見ていたことになる。ただ、この第一人格は行為を自分自身の行為としては感じなかった、そして今も何が起きているのかわからないだけである。この第一人格は、外部に現れたこの行為を異質な人格の行為として遂行されたものと知覚していたのである。第一人格は、この行為を受け入れたり、それに抵抗したりする。..
第二次の精神現象群が始めた行為が、この事後的な意識によって当人に受け入れられたり拒否されたりする様子は実験的な方法でも確かめることができる。行為遂行中の患者を放心状態に置けば、患者は何にも気づかず事態は型どおり進む。しかし、放心状態に置かなければ、患者は残されているわずかな記憶力を使って自分の行為を眺め、それを推進したりそれに抵抗したりする。
..自動書記にも同じことがいえる。..単に患者に腕の筋感覚の一部でも残っていたりするときなど、患者は自分の書記に気づき、書きながらそれを読んだり腕の動きに応じて書記行為を感じたりする。先に述べたS嬢は、指の下にある小さな板の動きを感じ、書記を続けているうちに読む以前からその書記を見抜くようになっていた。..心霊術者たちはすでにこの事実を指摘していて、興味深いことを述べている。霊媒たちも霊魂が書く書記を見抜き、いくらか意識的にその書記を補い、霊魂と一緒になって奇妙な作文を拵えるのだ、というものである。..Ch・リシェが記しているように、筋感覚は多くの下意識現象が書記の始まりと同時に意識に到達する通路なのであろう。

VII 衝動的狂燥/ 第二部-第三章/ 心理学的自動症(-引用初出:2022-08-09, その後;

しかし,私としては“自動的な意識の低下”にも条件的な‘ 夢見 ’を自乗するを優先したい。