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無思

[ 最新 :2025-06-07- 視覚的粒子状? / 無実( 続きページ )]

2025-04-16:
夕方まえ,だれもいない布団の方から咳音ひとつ聴こえた。

数日間私の動く気は起こらなかった。“明日にするか-”と自転車後輪パンク修理できない。 また書き文字の字体に難しくなっている。メモの字体バランスが執れなくて,その上から白紙を張っては訂正分や付け足しの一行にまとめてみようとするのだが,例のマンガ文字みたいで変だ。恣意的な思考の領域が侵害されたかのように駄目になっているので,常に“思う”自体やめたくなる。読書引用文についてはそんなにギクシャクしなかったが,私自身の記録には一文字ごとに大きさも角度も違っている。 ..幸志郎先生は死んだ? 
書き文字と現象のたとえ :2023-12-12 / 駄無
恣意的な思考による凝り進め方をやめて( あたかもそれらのニセモノであったときみたいに, )“見よう”とする為のこころみが二度と外界的なものではないように,(あらゆる外界的な振り全部を消すとしたら,)処作の無いところ-ホンモノだけでいい。

( 戻る )胎息 :2024-12-27

私にとって,あの低音発声が出来なくなっている状態と“下手くそ字”の条件とは等価であった。

2025-04-18:
すべては有意義である( 無意味である ? )
普段 ‘ これは夢ではない ’と思っている(という現実)の影響.
“ これは夢である ”と(もっと)言ってみる-?( もっと,くりかえし,夢見の日常になるまで -)あるいは..
この視点は今にも‘ 夢 ’をみているだけ-( 未来進行予定で )
あらかじめ念じてみる。

2025-04-23: チチコグサモドキ?
“ 花と葉で見分ける野草(小学館)”は最初に見分け良くて便利な雑草向けの本だった。私は昨年5月過ぎから摘み始めたので,春のあいだ知識が無かった( “ムラサキオオツユクサ(ムラサキゴテン),オオムラサキツユクサではない. ”は載ってなかった。一度,ある舗道上のレンガ枠から漏れ出て生えているそのムラサキを簡単にポキポキ摘めたので,揚げて食べてみた。毒性については分からなかった。)先週また近所図書館で季節的に5冊程借りて対称的に視ている。 ある本に,“アカオニタビラコ”といって,形はタビラコだが蕾々の開花以前その先端が赤くみえる( でも,開いた花はキク科の黄色? )そんなのあるのか-と思いながら,先週中うちの玄関前にいつのまにか茎の立っていたタビラコを時々みていた処,まさにそれだった。..すでに開花まえには赤くなくなる? なんで? 水分量の所為なのかなんなのか,それらの葉どれも薄黄緑で斑点染みみたいになっていて一見おいしくなさそう。)

[ 翌夕,その花蕾などを再度確認したところ,どれも未開黄色の先端にまだ赤みがかっていた。昨夜LEDライトで照らしてみた時,それらは先端全体に黄色っぽく映ったばかりで( そのとき視覚的条件も遇ったのだろうか? 私は女子の顔に口紅を見れなくなるというような症状は無かったので,心理的なヒステリーではないと思うが.. )なんでかあかるく照らされすぎたかのように,半ばまぶしくてはっきりとは見えなかったようだ。]

..いつだったか,もうジーンズの着心地にならないのでやめたのを日記した。年々ゴワゴワした古着が肌に合わなくなって,以前うちの父が薄着で寒そうなところを私は見掛ける度に“もっと着込めばいいのに-”と単純に思ったものだが,自身Tシャツも面倒になるのでは( 例え“裏返し”に縫い目を避けているとしても- )室内で着たり脱いだりするのが面白くない。このまえも書いたように,どこの統計だったか,ストリッパーのひとたちは比較的寿命長いと言われていた,心理的のことでもあったのだろうと私は思った( それなら逆説の問題も? )
“夢”にも同じだ。私は他人めいた日常を持ちたいとは先ず思わない,夢というが私ではない-と。 “人生”? ..存在の根源が明らかでなかったのなら科学的に解けるだけでいい..なにも無理に100億のモノマネを自認してもそれらの“目的”笑っているとは言えない。

2025-04-24: あの自転車は私を修理できない.

めざめた度に,駄夢あとその眠りのまえに聴いたか印象的な繰り返しとなっていた音楽フレーズが(途端その睡眠直前までのモードと切り替わったかのように)はじまる., 私の以前日記では“音楽(自動)”カテゴリーで割り振っていた領域的な問題である。
それらの由来を(きっかけ-要因となった元の記憶へと)辿れることは重要であるかもしれない。また,障害と言うなら,それら自体の(あらわれに対して)意味的に捉えようと殊更に苦慮するに陥ってしまい,私としての視方そのものにも単純な繰り返しに始終してしまう。
私は一度“ これらのあらわれがどのような様相であっても‘ 夢だ ’と見なすことはできる ”と述べた。 もし,音楽(自動)が性本能的な,ある記憶との女子像みたいなイメージ同等だったとして,これを元に何かを再生したり今更私のマスターベースとできるわけではない。それらに乗るだけだとしたら,存在しない同然,何の意味が? -だから,原理的に問うのはそれらを解消して真に自由となるための方策だ-と言った( 言う迄も無いが- 夢の理由をしることは,“思う”意味の方向ではない。“これは音楽である” あるいは “私の行為”といった同一的な言い回し-思いこみこそゆめのおこないで,( 夢見の視点は )失われている.
“この音楽が”と言ってしまう-おこないの最中にこれ?これってなんだろう?という問いを起こさなかった。)
視点はそれらに際して現に予め‘ 見る ’意図と具体化しているべきで( 実体化というべきか, )無論それらのための後述やデモといった差し向け方では動かない.
これには未だ内的反転の問題がある。

‘ 見よう ’一瞬に条件点ける: 2019-01-13,
日記-概要リストにおける認識的ワード: 条件点け
関連カテゴリー: 現象について+感化
同一化?“ ぼんやり ”+夢の目的
理論的に予測する( Q&A式, 8- )

2025-04-25: 見ない歩行
..夜道での帰り際,かなり大きくなったタンポポの葉やノゲシなどを摘みながら歩いてみた。またランタナが育ってきて(昨年以来初めてあの特徴的な花序をみた?)葉の匂いはミントというよりはまさにシソのそれのようだ。本物のミント系も昨年のと同じ路上箇所に目立たなく生えている。
不意に-と言ったべきか,ある意識的な-と言うべきなのか,その途中 ‘ 受けない ’歩きが戻ったかのように,私は憶いだした( 20-30以来?) あたかも私は自転車での慣性や応用力に依っていたので,本当に自体として動こうとしていなかったかの半端な“主体”ぶりだった。 いつのまにか?この両足を待たせるばかりな( ..私の読み書きに意識的保ちを持とうとしたのと同様- 私が判読し注力すべき点には“純粋な”ものが必要であった。あの世界を理解するためのここではなく,発見といったのだから )一々に消力していた。
意と動くだに,“誰も”声をかけなくなった。..最早私は“この世”に生きてはいなかった。

.. 私はあの木立の暗い影に溶け込むかのように,またしばらく消えていった。:2020-05-16 / 予知-?
連繋カテゴリー: 身体と夢

2024-04-26: “不機嫌”の意味.,

2025-04-28:
・ 一生分の総体を自律的に書けるか。

2025-04-29:
夢に対する明晰さを得意とするためのひとつの方法は,すべてを断ることだ。
完全な自発に至ったとき,相対的“私”は消滅する。

心的行為は存在しない
:2022-05-15, 理論的予見する( Q&A形式, 13 )

午前3時まえ図書の写しをするためスーパーマーケットへ向かったあいだ,私はまた裸足で路面を歩いたが,私は室内寝床にいてもそうしていてもまったく違い無いようで,私以外のものなにも存在しないようだった。

2025-05-03: 見えなかった本
昨日K図書館で,“ 太ももを強くすると「太らない」「超健康」になる(2013)”というタイトルを見つけたので,既定調和的ながら今更借りてみた。インターネット端末で“テストステロン”といったワードに関して調べていたのに( 私のメモしてみているあいだに, )その本のタイトルがこの市内市立図書館等検索ではちょうどK図書館一冊だけだと分かったので,また例の符徴というよりは偶然だ-と,その翌日,先日から春物野草類について参照のために見ていた簡単図書等3冊を返却し,入れかえに健康本など( ちょうどその4983の棚にあった“ ハーバード医学教授が教える健康の正解( The Big FIVE )”と“ ブレインメンタル強化大全 ” )貸し出してみた。..

..“ 太ももを強くすると- ”の一節,..足の筋肉は大脳を覚醒させる働きをしています。足の筋肉を収縮させることで、大脳の中枢に覚醒信号が送られ、それによって意識がはっきりします。( 老化は足からやってくる / 第1章, )
..その“ 速歩き ”その帰り際で,昨夜“ アストリッドとラファエル5 ”視なかったんだ!と思いついた( 私の自身歩きについて,最近またあのアストリッドのぎこちない歩き方といったイメージとなっていた。)]

ただ,自転車で夜道していた頃の体験的印象とは能動的イメージの条件的眺めとなったことも遇った。単に通い慣れた路上では私自身の面白味も無くて条件的夢見となるような関係性とは再起ならない,私が感覚的な繋ぎにしなくなっただけで。
[ - 私はいつも“全力”ではなかった.
ところで,この日記に書き直したあと,久しく無かった“坂道上がり”のイメージ遇った( その箇所と想われる坂では以前夜間自転車中に何度か上がったが,これとの感覚は両足自体でのようだった。)]

私はこの原稿から離れて姿見の鏡に向いた一瞬,不図その私の首根にピンク色のものを着けているかのようにみえた。..ピンクいタオルがほしい?( 早朝,急な大笑いのような“衝動”も-? )